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燦然のソウルスピナ  作者: 奥沢 一歩(ユニット:蕗字 歩の小説担当)
第七話:Episode 5・「竜玉の姫・屍竜の王」
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■第一五九夜:竜の皇女

燦然のソウルスピナをお読み頂きありがとうございます!


このコンテンツは原稿が揃っている場合、基本平日に更新されます。

明日明後日(2022年1月29日、30日)はお休みです。


次回更新は2022年1月31日を予定しております。

どうぞよろしく!


 ぐ、う、と苦悶に彩られたうめきを聞いたのは、淵に辿り着いて間もなくだった。


 周囲には弾け飛んだ蜘蛛たちの四肢が、鉄杭を思わせて突き立っている。

 剥落した体毛はまるで針のように長く、先端にはやじりを思わせる返しがついている。

 人間など組みつかれただけでこの毛針を突き込まれ、槍衾やりぶすまになってしまうだろう。


 まちがってもそんなものに身体を引っかけないよう注意しながら、アシュレは声の主を探した。

 渓谷に差し込む月明かりがアシュレを導いた。

 

 それは湯煙の向こうに身を横たえていた。

 月影に白く輝いていた。


 だが──純白の裸身は鋼線のごとき糸によって屈辱的な姿勢を強要されている。


 腕や太ももだけではない、胸乳や股間にまでそれらは及び身じろぎどころか呼吸さえ難しく彼女を縛りつけ、苦しめていた。 

 その唇も、肉に食い入るほどきつく施された戒めによって歪められている。

 湯に浸かった糸は塗れ透け、そうでありながら縮んでいっそう残酷に束縛を強める。


 美姫に意識はすでになく、その隙間から漏れ出る息は荒々しくも絶え絶え。

 まるで荒々しい蹂躙を複数の男たちから受けた直後のようにアシュレには思えた。


 そして美姫は人間ではなかった。

 頭頂から生える王冠のごとき角がその出自を現していたのだ。


「まさか……これが竜……なのか」


 アシュレは魔導書グリモアの娘:スノウのなかに記されていた、竜族にまつわる記述を思い出した。


 それは彼女がヘリアティウムの地下で知り得た、この世界の秘密だ。

 イズマの履歴に迫る際、アシュレはそれを読むとはなしに読んでしまった。


 そこにはこうあった。


 竜族はときとしてヒトの姿を取る。

 王としての責任をなすりつけられた種族として、統治と支配とそして交配を行うためだ。


 そう、竜たちは卵生ではない。 

 彼ら彼女らはヒトの姿で愛を交し、子をみもごるのだ。


 その記述を証明するかのように、竜の皇女のすべてが眼前にあった。


 しかしアシュレには、竜の秘密を目の当たりにし畏敬に震えることも、遠巻きにその姿を観察することも許されなかった。

 蜘蛛の死骸が頽れた衝撃で、危ういバランスで水面に半身を出していた竜の皇女の肉体が滑り落ち、淵の底へ没したからだ。

 あるいは性悪な蜘蛛の執着が死してなお、その糸を伝い、己が獲物=竜の皇女をたぐり寄せたか。


「いけない!」


 気がついたときにはアシュレは飛び込んでいた。

 先ほどまで巨大生物三頭が暴れ回っていた温泉は破壊し尽くされている。

 青く澄んでいた湯も、砕かれ落下してきた岩の破片が突き立ち、底の泥が巻き上げられ濁り切っている。

 水中の視界は無いに等しい。


 そんなところへ、身じろぎも呼吸さえも難しい女子が滑り落ちたらどうなるか。


 たしかに竜は強靭な生命力を誇る。

 だが呼吸が止まれば話は別だ。

 ほかの生命と同じく、時間の差こそあれど、ほどなく死に至る。


 夜魔の不死性とは根本的に違うのだ。


 躊躇ちゅうちょなく武装を投げ捨てたアシュレは、彼女の両腕に絡みつき水中に引きずり込んだ蜘蛛の糸を闘気撃オーラ・ブロウを通したナイフで切断し、なんとか救い出すことに成功した。


 けれども、しこたま水を飲んだのか、竜の皇女はぐったりとして動かない。

 あるいはさきほど湯の縁に頭をもたせかけていられたのは、アシュレが辿り着く以前に彼女が水死を免れようともがいた結果だったのかもしれない。


 アシュレは彼女を抱き上げると、介抱できる場所を探しこの場を離れることにした。

 聖盾:ブランヴェルに乗せ、戦場跡から距離を取る。

 竜の聖域である温泉の景観を壊すことにをためらって此処までは走ってきたが、悠長なことを言っている場合ではない。


 すぐさま人工呼吸が必要な状況だった。

 その段になって彼女を苦しめるむごい仕打ちの正体を、あらためて知った。


 濡れ透けた蜘蛛の糸の下に見えていた。

 その形の良い胸乳の間にありえないものを。

 それは肉に直接埋め込まれた黒杭と縛鎖。


 胸郭を貫く歪なくさびを思わせる黒杭に、これまた禍々しい文言と冒涜的なレリーフが刻まれた縛鎖が結びつけられている。


 さらに不思議なことは、その縛鎖は途中からいずこかに向かって溶け消えるように透明化しているのだ。

 恐らくは次元の位相を別として、別の空間に繋がっているのであろう。

 そしてその先にはこの恥ずべき縛鎖を握る主がいる。


 少女の姿をした竜は蜘蛛たちの糸だけでなく忌々しき杭と縛鎖によって胸郭を貫かれ、圧迫されて苦しんでいるのだった。


「とにかくこの糸だ。まずはこれをなんとかしないと」


 アシュレは方策を考えた。

 ひとつめはナイフによる地道な切断だが、竜を封じるほどの強靭さを誇る糸が鋼で切れるかどうか怪しい。

 さらには竜自身を傷つける可能性がある。

 彼女が竜の姿を取っているときであれば多少の炎熱など気にも留めまいが、いま眼前にあるのは小さな棘でも傷ついてしまいそうな乙女の柔肌だ。


 さきほどの温泉に飛び込んだときは、肉体に直接触れていない部分だったので躊躇ちゅうちょなく異能を用いて切断できたが、これほど密着している状態で同じことをすれば火傷では済まない。

 糸の可燃性を試したわけではないが、火による除去も同じく危険であると推察された。


 さらなる方策として《スピンドル》による破壊も手法としてあり得なくはなかったが──これも難しいと考えるべきだった。


 蜘蛛の糸は生物による生成物であり、道具ではない。

 どちらかといえば単なる物質に属性が近いものだ。


 薬液などを浸潤させ加工さし道具として手の加えられた状態ならばともかく、生のままの蜘蛛の糸には自然の岩石などと同じく《スピンドル》に対する強靭な抵抗力があることは明らかだった。


 そもそもそのような方法で切断できるなら、竜はとっくにやっていただろう。

 また抵抗の大きい自然物や生成物は、その崩壊時どのような挙動をするか予測がつかない。

 試すにしても最後の手段だった。


 では、どうするか。


 アシュレは慌ててベルトポーチをまさぐった。

 イズマから譲り受けた(正確にはまだ貸与されただけだが)アイテムポーチには、エレとエルマがアシュレたちを送り出すとき託してくれた心尽くしが詰められている。


 火力では解決が難しい状況を打開し、窮地を脱するための消費型アイテムの数々。

 夜魔であるシオンには必要なくとも、まだ人間として定命に縛られているアシュレやスノウにとって、霊薬エリキシル貴石ジェムは命綱に等しい。

 わずかな手傷が勝敗を、あるいは命の拾得しゅうとくを左右するのが戦場というものだ。


 それ以外にもさまざまな便利アイテムが、ポーチ内には機能的にまとめられている。


 ひとつひとつの効能を確認しつつ物品を指定の場所に納めながら、エレとエルマはそれぞれについての解説してくれた

 はずなのだが、なにしろ量が膨大な上に専門家の話だ。


 細かい注釈や使用時のコツなどが膨大で、正直すべてを憶えきれてはいなかった。


「でもたしかなにか言ってたな。もし蜘蛛に困ったら、みたいな……」


 そのときになってアシュレはエレとエルマが、イズマとの衝突があり得ることを匂わせてくれていたのだと悟った。

 なぜなら取り出した霊薬エリキシルの瓶には、こうラベルが記されていたのだから。


「蜘蛛の糸解き! まさにジャスト! これだエレ、エルマ! ありがとう!」


 アシュレは土蜘蛛の姫巫女たちに感謝を捧げると封を切るのももどかしく、ぐったりと力なく横たわる竜の皇女の肢体に、独特のハーブが香る薬液を振りかけていった。


 はたして糸解きの霊薬エリキシルは、劇的な効果を上げた。

 薬液に触れた部分の糸は、銀色の水になって速やかに流れ去る。

 竜の皇女を締め上げていた戒めは瞬く間に解かれた。


 だが、彼女の呼吸は、アシュレが場所を選び処置を進める間に止まってしまっていた。

 あるいは胸郭に突き込まれた禍々しき縛鎖が障ったのか。


 時間的猶予はない。

 アシュレは即座に行動に移った。

 楽な姿勢になるよう彼女を横たえると、想像以上に華奢なカラダに口移しで息を送り込み、心臓を真上からマッサージする。


「頼む、帰ってきてくれ!」


 蘇生処置は従士隊に入った際、真っ先に習う基礎知識・技能だ。

 エクストラムにおける従士隊の仕事は最前線任務より、随伴している騎士の世話や負傷者の手当て、救出、搬送などがメインだから応急処置や蘇生に関する知識・技術は徹底して叩き込まれる。

 このあたりからして、ただの傭兵とは違うのだ。


 修道院での解剖手術などをその成立以来、継続的に行ってきたイクス教の総本山には、人体に関する膨大で詳細な記録があり、心肺停止状態への理解とそこからの蘇生法に関して相当の蓄積があった。

 アシュレは従士隊から聖堂騎士団、そして聖騎士パラディンへと昇格する際、それらの実技試験をいずれも首席で潜り抜けている。 


 特に聖騎士パラディンには、そこいらの町医者など及びもつかない広範な知識と専門的医療技術が要求される。

 これは各地の宗教騎士団が、その前身を専門的医療を提供する組織として来たこととも無関係ではない。


 さて、数分も格闘しただろうか。

 湯気と熱気に汗だくになったころ、ごぼり、と竜の姫が急き込んだ。

 それをきっかけに肺腑に呑んでいた水を吐き出す。


 成功だ。

 人間であればほとんどギリギリの線で、アシュレは彼女の命を救ったことになる。


「よかった! 間に合った!」


 だがアシュレには、息つく間も許されなかった。

 ぱちり、と目を開いた竜の皇女が跳ね起きるように半身を起こしたからだ。

 それと同時に、


「貴様ッ?!」


 雷光のような素早い平手打ちが脱力していたアシュレを見舞った。


 起き上がりつつの不安定な状態から、どうやって繰り出したのか。

 腰の入った重たい一撃に、アシュレは首の腱が伸び切るのではないのかというほどの衝撃を味わった。




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