■第一五六夜:竜狩人
その晩はいくつも星が流れていった。
アシュレはまたひとり、火の守りをしている。
シオンとスノウが両肩に頭を乗せて微睡みと目覚めを繰り返している。
無理もない。
極度の消耗から一転、充分な栄養を補給した肉体が今度は回復の眠りを欲しているのだ。
「あのウルドラグーンって名前。竜っぽいなってボクは思うんだけど……」
ふたりの体温と《スピンドル》の薫り、そして預けられた命の重みを感じながら、アシュレはだれとはなく呟いた。
その名を聞いたときからずっと考えていたことが、言葉になった。
「たしかに……夜魔の名ではあり得ぬし、剛直な力強さのなかに気高ささえ感じられる響きだ。竜族というのは悪くない線だとわたしも思うぞ」
返答を期待したわけではなかったが、シオンから同意が返ってきた。
「しかし彼の皇女がそなたの想像通り竜だというなら、この島にはいま二頭も竜族がいるという話になる。ややこしい話だな」
「たしかに。でもそれなら、スマウガルドがボクらより、ウルドラグーンの探索を優先させているっていう推論はもっと信憑性が高くなる。人間や夜魔なんかより同族の竜のほうが竜王としては脅威だろうし、理屈も通る。彼らはヒトごとき吐息の一撃で屠れると思っているだろうけれど、同族の竜はそうはいかないんだから」
「そこにきてスマウガルドの執着の仕方もポイントですよね。怨敵にして愛玩すべき美姫──しかも皇だなんて。なんだか倒錯的愛情すら感じます。支配欲より独占欲っていう。捩れてはいても……その……こう……蹂躙・独占されてしまった女的には」
アシュレとシオン、ふたりの声に起こされたのか。
どこか夢見るような調子でスノウが話題に加わってきた。
イズマの過去を覗いた消耗と、その脅威に抗うべくアシュレから流し込まれた《スピンドル》の余韻で、その肉体はまだ痙攣を繰り返している。
純白の新雪を思わせる肌には、拘束の跡が生々しく残っている。
魔導書としての彼女がその身を預けることになる書架は《フォーカス》の、つまり彼女の一部だが、ヒトのカタチをした書籍を「開いたまま保持する道具」とは、控え目に言っても拘束具のことだ。
意識的にも無意識的にも主人の閲覧を妨害せぬよう、魔導書形態のスノウは身じろぎひとつできぬ姿でその身を固定される。
アシュレに頁をめくられ必要な事実を閲覧してもらうまで、スノウは心と裸身に枷を打たれ無理矢理開かされ、耐えがたい官能に痙攣し続けることになる。
真っ白な裸身が跳ね反り返るほどに深くがっちりと食い込んでいく枷の跡は、しばらくスノウの肌に屈服の証として残され、さらには残酷な余韻を長く留める。
主人であるアシュレに屈服し、その屈辱に歓喜して泣かされてしまった事実を、拘束の跡は後ろ暗い快楽でもって少女の肉と心に馴致させていくのだ。
スノウが言うにはその跡は、アシュレを想うだけでまるで火傷のように疼くのだという。
本物の火傷に似て暗い余韻は長く、数日経っても消えてくれない。
そのせいもあるのか。
切れ切れに聞こえる吐息は、どこか濡れている。
症状は閲覧を繰り返すたびに悪化するらしく、はじめてのときよりずっと苦しそうだ。
やはり魔導書の《ちから》はどう言い繕うとも、ヒトの欲望の暗黒面に属している、とそういうことだろう。
対岸にいるスノウを覗き込んだシオンが、妹の様子を気遣わし気にうかがいながら話題を続けた。
「なんにせよスマウグなにがし奴にとって、そのウルドラグーンというのは愛憎極まる対象であり、最優先すべき存在だということだな。スノウではないがおぞましい執着ではあっても、まったくわからん感性ではない。愛する者への執着としたら、そういう気持ちがわたしにもないとは言い切れない」
「シオン姉の言いたいこと──だいぶわかるかも」
吐息とともにスノウが同意を示した。
もしかしたら、と己の考えを続ける。
「もしかしたらなんですけど。さっきご主人さまも言ってたみたいに、ウルドラグーンって女性は、かつて自分=スマウガルド本人を殺した相手なのかもです。あの銛を使って」
そして、と続けた。
「その銛はいまも己を貫き、地下世界に自分を縛っている。だから憎くて堪らない。そうでありながら──いえだからこそ──今度は我がものとして永劫に愛玩したい。こういう考え方ならすこし理解できるというか、かなりわかるっていうか。でもあ、う、なんでだろうまた跡が」
夜魔の姫とその妹は、どこか夢見るように囁くように物語る。
アシュレはなんとなくだが、ふたりから自分たちの関係を揶揄されているように感じられ、尻の座りの悪い思いをした。
「だが、なるほどウルドラグーンなる者が竜だとしたら、さまざまなことが腑に落ちる。だとすればスマウグなにがし奴が、イズマをその捜索に当たらせたのは敵ながら慧眼。正解であろうな」
「やっぱり土蜘蛛がそういう捜索や探索の名手だってこと?」
アシュレの素朴な疑問に、それだけではない、とシオンは返した。
「イズマはかつて竜族を幾頭も謀略と罠を用いて狩ったことがあると豪語していた。昔はわたしの気を引くための法螺話であろうと相手にしていなかったが、いまは違う。アレは真実なのであろう。あの男、あんな調子でいて、本当に凄腕の竜狩人でもあったということだ」
シオンがイズマの過去をからめて自分の推論を説明した。
アシュレはその話はほとんど初耳だ。
いや過去に聞いたことがあったかもしれないが、イズマの話は法螺話なのか事実なのか見分けがつかないから、いつも話半分で聞いていたのだ。
それがまさか本当だったとは。
「竜狩人か、凄いな……って、そうなのッ?! いやまてよ、たしか竜皮の籠手:ガラング・ダーラを貸してもらったときそんなこと言ってたな。イズマっていつも言ってることがホントか嘘かわからないから、つい話を引き算するクセが……」
その気持ちはわからなくはないが、と狼狽するアシュレに夜魔の姫は苦笑して見せた。
「土蜘蛛はいろんな種族と仲が悪いが、竜族はその最たるものだぞ。青き天を自由に舞うもの、地に抗い空を征く猛き翼に土蜘蛛という種は歪んだ愛着を覚えるのだ。イズマがかつてその王であったというのであれば、あの話は断じて法螺ではない。真実なのだ」
「なんてことだ……」
あまりのことに浮かしかけた腰を降ろして、アシュレは嘆息した。
「でもそうか、なるほどな。そうなるとスマウガルドとの交渉の頭に、イズマが傀儡針を献上したのがわかる気がしてきたよ。半端な服従の姿勢じゃあ命乞いにもならない相手だってことか。敵は土蜘蛛への恨み骨髄。でも、だからこそイズマの竜狩人としての腕を買った。だんだん話の辻褄が合ってきたぞ」
美姫:ウルドラグーンが竜である可能性が、名前からの推察だけではなく、かなり高まったと言えるのではないか。
アシュレは納得の首肯を繰り返す。
相手の狙いがなんなのか掴めれば、こちらも対策の立てようもあろうというものだ。
「さらに言えばその凄腕の竜狩人:イズマの口上で、我ら戦隊はかの竜王殿に紹介されたわけだ。これはウルドラグーンなる姫が本当に竜族だった場合も含めてだが──機嫌を損ねた竜の正面に立ったが最後、一瞬で消し炭になるほどに激しい渾身の吐息が浴びせかけられるというのだけは、憶えておくべきだな」
シオンの予想はぞっとしないものだが、こちらもあり得るものと想定してかかるべきだ。
「出合い頭のそれは勘弁してもらいたいな……ホントに消し飛びそうだ」
「わたしはともかく、そなたらふたりは確実に死ねるであろう。なかなか有益な情報を今宵は得たな」
こわいこわい。
冗談めかして言いながらシオンはアシュレに身を寄せてきた。
競うようにスノウも習う。
三人はこのあともイズマとスマウガルド、ウルドラグーンについての推論を交した。
もっとも現段階で得られている情報からでは、これ以上の事実には辿り着けない。
明日、日が昇ると同時に「このエリアにウルドラグーンなる存在(仮説:竜族)」がいるものとして、イズマの探索を再開しようということで話はまとまった。




