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燦然のソウルスピナ  作者: 奥沢 一歩(ユニット:蕗字 歩の小説担当)
第七話:Episode 5・「竜玉の姫・屍竜の王」
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■第一五五夜:その名は

         ※


 コイツはいけないね。

 瞬時にイズマにはわかった。

 

 それほどに竜王:スマウガルドのまとう瘴気と発される怨念の《ちから》は圧倒的だった。

 この空中庭園:イスラ・ヒューペリアに辿り着いたときから、気配は感じていたのだ。

 ただそれがどこから発されているものなのか、それがわからなかった。


 偽りようのない強大な竜の気。

 過去、五指では数えられぬ数の竜を狩ってきたイズマでさえ、戦慄を覚えるほどの存在感。


 土蜘蛛の王族は竜を狩る。

 それによって成人の証とする。

 かつてイズマが治めた帝国のならわしだ。

 ただそれは竜を罠に嵌め、徹底的に弱らせることが前提だ。

 そうでなければとてもあの強大な獣を討ち果たすことなどできはしない。

 

 だからイズマは竜たちを罠にかけ続けた。

 だから竜の気配についても詳しい。

 その強弱を見抜く目がなければ、生きてはいないからだ。 


 けれどもこの地に来て感じた竜の気配は、これまでのどれにも増して強大で、しかも怨念に満ちたものだった。 


 それがどこから来るものなのか。

 どこから漏れ出ているのか


 それとなく探っていたイズマは、汚泥ウーズの騎士たちとの諍いの最中にその答えに辿り着いてしまった。


 件の次元通路。

 そこから邪悪でおぞましい気配が漏れ出していた。


 最悪だね、と罵った。


 真騎士の妹たちを救出するミッションの最中に、竜族が乱入してきたらどうなるか。

 汚泥ウーズの騎士たちが、竜王の手下として使役された場合、いままさに年端もいかない少女たちを抱えているだろうアシュレがどんな窮地に立たされるか。

 そして、シオンとスノウを欠いたままの戦隊の運命も。


 なにしろアシュレとその戦隊は、このヤバい竜王への直通路の目の前でドンパチを始めようとしているわけだ。


 それはいかにも不味い、とイズマは思った。

 だから単身飛び込んだ。


 時間を稼がねば、と考えた。

 竜の吐息ブレスはすべてを焼き尽くす。


 すくなくとも戦隊にシオンが復帰しなければ、勝ち目などない。


 イズマでさえ足を踏み入れるのは初めての竜の聖域=龍穴は、その深部に居座る主の影響で汚染されていた。

 ぐるりぐるりと怨念がタールのように渦を巻き、粘り着くような大気のなかを進んだ。


 そして相対する。

 

 コイツはいけない、とイズマは思った。

 想定よりも相当に強力で、邪悪で、とびっきり陰湿な相手だとひと目でわかった。

 大悪党を自認するイズマは、悪の種類を見抜く技に長けている。


 その自分が最低評価を出すのだから、この竜の性根は腐り切っているに違いない。

 いや相まみえてみれば、性根どころか全身が腐り落ちていたのだが。


 侵入者の接近に気がついた死せる竜王が(いや腐れ骸骨と言うべきだが)振り向くより早く、イズマは降伏と恭順の意を示した。


 誠意ある低姿勢と己の切札を初手で差し出す必殺技の謝罪技──上級グレーター・飛翔土下座ジャンピング・ドゲザは、今回もイズマを裏切らなかった。

 差し出された傀儡針の素性を見抜ける程度には相手の知性が残っていて良かった、とそう思う。


 さあ、と促した。


 それを使うといい。

 アンタの《ねがい》を、ボクちんに聞かせるがいい。

 竜の見る《夢》ってヤツを見てみたいものだって、前から思ってたんだよネ。

 天空の覇者。

 ただひとり生まれ落ちたときから王のなかの王である者の。


 その《夢》ってヤツを。


 内心で笑ってイズマは傀儡針を、スマウガルドの《ねがい》を受け入れた。 


         ※

 

『我が求めるは怨敵にして愛玩すべき美姫──皇女:ウルドラグーン』


 一刻をかけた調査と反復検証によって得られた情報は、文字数に直して数十字に満たぬ短い一節だった。

 スノウが再現したイズマの体験をシオンが記憶し、それを繰り返し体験してようやく見出した手がかりは、その一文に集約されている。

 

 調査を終えたふたりはいま、アシュレのかたわらで倒れ伏している。

 極度の消耗が、荒い呼吸に滲む。


 こうなることがあらかじめ予想されていたスノウはともかく、シオンまでがそうなっているのは、読唇術と読心術とを駆使するため最終的に宝冠:アステラスをかなぐり捨てたからだ。


 心を護る銀の大冠:アステラスは、そうであるだけに対象への極度の共感・没入を阻害する。

 対象の意図を察し相手の意図に迫るには、ときとして己の心を護るその防壁を外し踏み込まなければならない。

 最終的にイズマがなにごとか言葉にしかけていると見抜いた夜魔の姫は、己の脳内で展開するオーバーロードとの直接対峙に裸の心で挑んだのだ。


 その結果持ち帰られたのが、件の一節と皇女:ウルドラグーンの名。


 勇ましくて、しかしどこかに可憐さを感じさせる名だとアシュレは思う。

 もちろん傀儡針を仕込まれたイズマが呟いていたからには、なんらかの手がかりだ。


 スマウガルドが命じた捜索対象でまず間違いなかろうと、アシュレは睨んでいる。

 そうでなければ、イズマがいまだにこの竜たちの聖域でウロウロしている説明が着かぬ。


 それに──これはイズマが竜王に気づかれぬよう、アシュレたちに残してくれた無音のメッセージなのかも知れなかった。


 ともかく名前に配された音の傾向から、ウルドラグーンという人物が人間でないことだけは、ハッキリとわかる。


 そもそも皇女と名乗るからには間違いなく王族なのだ。

 そんな人物が単身こんな場所にいるというのは人間の世界では、まず考えられないことだ。


 だとすればなんらかの超常的存在──端的に言えば魔の十一氏族である可能性が極めて高かった。

 

 しかし夜魔ではない。

 夜魔に皇帝はいない。

 帝国がない。

 つまり皇女も存在しない。


 シオンの断言を待つまでもなく、夜魔という種の特徴を考えればこれは当然だった。 


 さりとて真騎士の乙女たちとはそもそもの名前のセンスが違う。

 また土蜘蛛のものでもありえない。


 だいたいこの二種族にも、いまのところ皇帝はいない。

 黒き翼のオディールの野望が遂げられていたなら、あるいはイズマ自身がいまだ玉座に座っていたならそれもわからなかったが、それらはいずれも実現しなかった夢だ。


 当然だが豚鬼オークではあるまい。

 ゴウルドベルドの名前そのものは近しいセンスを感じなくもないが、あの厳めしいというか凶悪な面構えを愛玩したり美姫と呼ぶのは、そのうかなり度胸がいる。

 あるいは卓越した趣味性というか。


 加えて豚鬼オークはその種の特性上、国家を築くということ自体が極めて珍しい。


 考えられ得るなかでもっとも可能性が高いのは蛇の姫の一族かとも思ったこちらは名前の響きから違うと断言せざるを得なかった。


 泉水の姫巫女:マイヤティティス・ジャルジャジュール。

 大海蛇:シドレラシカヤ・ダ・ズー。

 ヘリオメデューサ:タシュトゥーカ。


 これらの名前と照らし合わせると、ウルドラグーンという命名はあきらかにセンスが異なる。

 前者はイクス教成立以前のそれぞれの地方にあった土着の神然としており、後者とのそれとは共通点が見出せない。

 その線は薄いと考えるのが妥当だった。


 ただ、スマウガルドがウルドラグーンに抱く執着が並々ならぬものだということだけは、あの短い一節からでも充分に伝わった。

 

 怨敵であり愛玩すべき美姫。

 死せる竜王の腐り果てた頭蓋のなかに宿る倒錯的な欲望が、その修辞には滲んでいる。


 アシュレはひとり、調理を進めながら考えを巡らせている。


 思索・検討を重ねるまでもなく、その名を聞いた瞬間、アシュレは彼女は竜の氏族だろうと直感している。

 それだけの《ちから》がウルドラグーンという名にはある。


 覇気あるいは王気と呼ぶべきもの。

 土蜘蛛たちの言うところの言霊が、そこからは感じられた。


 だからウルドラグーンが実は竜ではないかという己の考えに、アシュレはすでにほとんど確信めいたものを抱いている。

 ただ確証だけがなく──こうして思考を巡らせ続けている。


 考えを交換し合いたくとも、シオンとスノウはいまだ昏睡に囚われたままだ。


 いつのまにか陽は落ち、周囲はすっかり夕闇に呑まれている。

 夜空を埋め尽くす星々の群れは恐ろしいほどだった。

 もしこれが刃物であれば触れるだけで肌が切れるのではないかと思えるほど、夜の大気は澄んでいる。


 温泉が上げる蒸気もここまでは届かない。

 満天の星々を覆い隠すものはなにもない。

 振り仰げば、ただただ降るような光の群れが密やかに瞬き、さんざめいている。


 アシュレはあらかじめシオンが影の包庫シャドウ・クロークから取り出しておいてくれた薪や調理道具、食材に清潔な水などを用いて三人分の食事を拵えはじめた。

 ソーセージにドライトマト、キャベツの漬物、それからカチカチに焼き固められたゴウルドベルド特性の堅パンを使った具だくさんのシチュー。

 仕上げに自生していたハーブを散らせば完成だ。


 この堅パンをに直接シチューに放り込み具材として扱う調理法は、農民たちが古くなったり、固くなり過ぎて値の下がった見切り品のパンをこれさいわいとばかりに買い込み作るレシピで、だれにでも、しかも手早く作れるわりに栄養価も高く満足感も得られる一品だった。

 たしかにまともに噛みつくとアゴがおかしくなりそうなカチコチのパンに挑戦するより、こうしてふやかして食べたほうが美味いし、固くなり過ぎたパンが逆に良いアクセントとなりまるで肉を食べているかのような楽しみまで得られる。


 アシュレにこれを教えてくれたのは幼なじみのユーニスだ。

 かつての同僚であり尼僧でありイグナーシュの姫君でもあったアルマステラと融合し、“再誕の聖母”となってしまった娘。

 

 いまどうしているだろうか──味見したシチューが呼び覚ました懐かしい記憶に、ふと囚われる。

 この空中庭園での事件が一段落したら、アシュレは必ず彼女と相対することになる。

 魔道書グリモア:ビブロ・ヴァレリを用いてその居場所を探り当てることになる。


 うん、とアシュレの両脇で眠る美姫たちが身じろぎしたのはそのときだ。

 シチューから立ち昇る良い薫りが目覚ましに働いたのか、アシュレのかたわらで気絶するように眠っていたふたりがそろって目覚めたらしい。


 アシュレは我が身を危うくしてまで重要な情報を持ち帰ってきてくれたふたりを、手ずからの料理で労った。



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