■第一五三夜:推理(2)
「しかしいまのアシュレの話。仮にそうだとすると、すくなからず納得できる部分が出てくるな」
腕組みしたままシオンは言った。
「死せる竜の王はいま自らでは動けない。死してなお処罰の銛に貫かれ、地下の龍穴に縫い止められ縛られている、と。そうであればええとなんであったか、そう──スマウグなにがし奴が、イズマを密偵や小間使いにした理由もわからいではなくなってくる。自分が動けぬのだから、その代理を頼んだか。理には叶っている。人選は誤りだと思うが……」
絶対的な支配者として夜魔と竜とは通ずるところがある。
夜魔は生まれついての貴族として、竜は王としての戯画化された側面を持つ。
他種族を下僕として使い魔のごとく扱うのも共通の性。
統治と支配、そして隷属と奉仕の強要。
夜魔と竜とは、それらの技術を別々の発露でとはいえ、種族的特性として生きる者どもなのだ。
それはこの世界がそう定めたからだが、だからこそ、この二種族の思考・思想には間違いなく通底するところがある。
アシュレは自分なりの推論を夜魔の姫に投げかけてみた。
「代理っていうからに、やっぱり自分の代わりに地上世界への尖兵とするためなのかな? 手始めにボクらを駆除するための手駒として?」
だが、シオンの返事は歯切れが悪かった。
「うむん、あるいは。だが、そう考えると辻褄が合わん。自らの覇権を取り戻す尖兵として、土蜘蛛の一族を送り込むというのは百歩譲って呑み込もう。だがそれならばなぜ、イズマはこんなところをいまだにウロウロしているわけだ? 襲撃をかけるなら我らがベースキャンプだっただろうに。仲間のフリをして我が戦隊に潜り込み、ひとりずつ暗殺なり拉致していく。わたしだって思いつくぞこの程度は。イズマであれば朝飯前の話であろう?」
シオンの指摘に、アシュレは改めて胸を突かれた。
どうも自分は無意識的なところでイズマという男を深く信じてしまっているらしい。
こんな当たり前のことにも考えが回らないなんて。
軽く動揺する。
夜魔の姫は続けた。
「そのあたりの話をイズマは彼奴めにしたのか? たとえば……我々戦隊の正確な戦力や人員の配置具合や兵站のことを?」
シオンの問いかけにアシュレは頷いた。
「していた。たしかに。しかも訊かれてもいないのにベラベラと話してたな。さらには話をだいぶ盛って。シオンやレーヴや真騎士の妹たちがどんなに見目麗しいか、とか余計なことも。ああ、もちろんあの時点での話で……」
アシュレはイズマが行方をくらませた時期がいつだったのか、そこから敵側に漏れた情報がどこまでだったのか、もう一度、確認する。
「たとえば不浄王:キュアザベインとボクたちが休戦協定を結んだ話はなかった。ゴウルドベルドとの饗宴の穴に関する取り決めの話もない。いずれもイズマは知らないことだからね。ただ……」
「ただ?」
「ただスマウガルドのほうも、ボクらの存在自体はすでに知っていたようだ。許されざる侵入者の情報に対し、特に驚いた様子はなかった。ひどく怒ってはいたけれど」
アシュレからイズマの所業の詳細を聞いたシオンは、うぬう、と先ほどとは別の唸り方をした。
こちらもすくなからず腹を立てている様子だ。
「戦隊の戦力規模を喋った。ベラベラと自ら進んで、しかも大幅に話を盛ってか。やってくれるわイズマめ、実にヤツらしい。あやつ以外であれば軍規に照らして即刻死刑というところだが──トリックスターめ。なにかの策なのかどうなのか、いつも通りさっぱりわからんではないか」
歯噛みするシオンに、ごもっともとため息をついてアシュレは同意を示した。
諜報は暗殺や謀略と同じくイズマたち土蜘蛛のもっとも得意とする領域だ。
その王が自分たちの戦隊戦力を、敵対勢力の頭目に売り渡した。
ただし、その情報は意図的に曲げられ誇張されていて、はなはだ不正確。
これにどんな意味があるのか。
あるいはないのか。
この時点で判断するのは渦中にいるトリックスター、つまりイズマ以外には無理だ。
「しかし、だとすれば余計に妙だ。それではスマウガルドめは我らの存在を知りながら、その排除を後回しにしたということではないか。いくら話を盛ったからといって人間や夜魔相手に手控えるようでは竜の王などと名乗れまい」
なるほど。
アシュレは納得する。
たしかに、たしかにそうだ。
竜族はその一匹一匹、領土を持つひとりひとりが強大な王者なのだ。
その王が、土足・無断で己の所領に踏み込み自分たちの領土を拡張している存在を許しておいたら、示しがつかないではないか。
そもそもからして真の王者を自認するプライドが、それを許さないはずだ。
たとえ己が朽ちた屍となり、その果てに妄念に取り憑かれたオーバーロードと成り果てようとも、それは変わらない種としての行動原理であり存在意義そのものだろう。
その大事の解決を後回しにするからには、かならずもっと重要な理由があるはずだった。
「そうだね。スマウガルドにしてみれば、ボクらは王の領土に土足で踏み込んで勝手をしている許しがたき無礼者──侵入者だ。王者としては、なにをさておいてもこれを排するのが常識。でもヤツはそうしなかった。相当な忍耐を要求されているだろうに……なぜなんだ?」
アシュレは再び考え込む。
こちらも考えをまとめるように、シオンが宙を睨んで言った。
「つまるところスマウグなにがしの思惑は、別にあるということであろう。ちがうか?」
「なるほど、もっと優先すべき事情がほかにあるってことか。ボクらの排除よりも先にしなければならない仕事がある。そういうことか」
うん、と夜魔の姫がアシュレを指さす。
わたしも同じ結論だ、というジェスチャ。
「でも支配者にとって侵入者の排除より優先すべきことって……なんだろう?」
「たとえば復活を果たしたばかりで己の能力が完全ではないとか。あるいは胸を穿つ銛を先に取り除こうとでもいうのか。そのための方策をイズマに探らせているというのはどうだ? そなたの観察が正しければ、彼の銛に貫かれたままではスマウガルドは地上にはその姿を現すことができぬのだろう?」
アシュレがスノウの異能を用いて知り得た情報を元に、シオンが推論を進めた。
うーん、とアシュレは唸る。
「そうなんだけど、あれはあくまでボクの仮説だからなあ。スマウガルド本人には、もしかしたらまったく違う理由や思惑があるのかもしれない」
「だとすると、そもそも彼奴めの行動原理が王者のものであるというのも、我々の勝手な先入観かもしれん」
たとえばだ、と夜魔の姫は指を振り立てた。
「イズマのような男を生かしておいただけでなく、使い走りにするというのは王の所業としてはいかがなものか。竜族の定義する王とはそういう懐柔策や、秘密裏に密偵を使うなどといった姑息な手段とは相容れんのではないか?」
まいったな、とアシュレは額を押さえた。
たしかにシオンの指摘はもっともだった。
だがだとすると、スマウガルドの思惑とやらはますます見当がつかない。
「そのあたり、魔導書に記述はなかったのか? 竜王:スマウガルドの意図は?」
流れから当然と言えば当然の問いかけを夜魔の姫はした。
忸怩たる思いが、うめきになって漏れるのをアシュレは止められない。
それね、と思わず言い訳じみた返答が思わず口を吐いた。
「痛いところを突かれたな。残念だけど、この間はイズマの裏切りのほうに衝撃を受けてしまって、そこまで深く読み解くことがボクにはできなかったんだ」
苦り切った表情のアシュレに、シオンはふむ、と小さく息をつき、続きを促した。
アシュレを責めているのではない。
これまでの話でなにか見落としがないか確認を取っているのだ。
なにしろ夜魔の姫はその場に同席していない。
いま頼りになるのはスノウが探り当てたイズマの記述を読み解いた、アシュレの記憶だけなのだ。
だが肝心のヒトの騎士は、シオンの期待には応えられそうもないと首を振るしかなかった。
「あの場面は本当にオーバーロードと相対するような重圧と消耗をボクらに強いてくる。吐き気を催す腐臭。加えて崩れ腐り落ちたヤツの顔からは表情はおろか、発される言葉を正確に聞き取ることも難しい。あの唸りや咆哮が竜語なのか古エフタルなのかさえ判然としない」
アシュレは無意識にも遺跡の石壁をしきりに指で叩いていた。
なにかなかったか。
自分で自分の記憶をまさぐるが、新たな発見は得られそうにない。
もう一度あの場面を体験すれば、あるいはなにかわかるかもしれないが……。
「そなたの試みが難業であることはわかっているぞ、アシュレ」
「ありがとうシオン。しかし、参ったな。たしかにこれはボクの手落ちだ。イズマの消息や動向より、スマウガルドの思惑のほうが本題だったとは──迂闊だった」
落胆するアシュレをいたわるように、シオンは寄り添って続けた。
「常人には決して用いることのできぬ手段で、本来は知り得ることもできない特別な事実を突き止めたのだ。落胆することでも己を責めるようなことでもない。ただどんな細かなことでもよい、なにかほかに手がかりはなかったか?」
愛しき姫の優しい言葉とぬくもりに、騎士は冷静さを取り戻しながら応じた。
「それについてはちょっと時間をくれないか、シオン。あれはホントに、いろいろと衝撃的体験だったんだ。一時に全部をっていうのは無理だ。思い返しながら、整理してみる」
言いながらアシュレはふたたび自分の記憶を遡ることにした。
状況を確認るように慎重に言葉にしていく。
あのときスマウガルドに相対したイズマは忠誠の証として、切り札のひとつである傀儡針を差し出した。
その場面に立ち合うこととなったアシュレは、屍の王となったスマウガルドのおぞましい姿と禍々しいオーラ、そしてイズマの裏切りに衝撃を受け冷静さを欠いてしまった。
「そこだな。そこで交されたやりとりが大事なところだ」
「わかっている。ゆっくりいこう。なるべく正確に記憶を探りたい」
アシュレはふたたび己の頭蓋の奥を探るように、記憶のなかにある体験を可能な限り詳細に語った。




