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燦然のソウルスピナ  作者: 奥沢 一歩(ユニット:蕗字 歩の小説担当)
第七話:Episode 5・「竜玉の姫・屍竜の王」
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■第一五〇夜:心は罰を望んで


 おかしいぞ、と気がついたのはシオンとスノウが影の包庫シャドウ・クロークから衣類を持ち出して、仮装パーティーめいた遊びを始めたころだった。


 この時代、よほど裕福な家庭でなければ衣類のほとんどは古着が当たり前だったし、農民階級であれば自分用の衣服は数組もあれば良いほうだ。

 事実、シオンの開放したクローゼットとそのコレクションを目の当たりにしたスノウは声を上げ、目をキラキラと輝かせた。


 夜魔の騎士を父に持つとはいえ、村娘として育ってきたスノウにとってそれはめくるめく体験だったに違いない。


 なにしろ夜魔の大公の息女。

 つまり夜魔の公女殿下の持ち物だ。

 無論変装用の衣装もあるが、夜会服・式典用ともなればそれなりの城がひとつ、ポンと贖えるレベルの品々がそこには揃えられていた。


 年頃の娘であるスノウがそれを見て、平静でいられるはずがない。

 シオンが「気に入ったものがあったら申すがよい。いきなり沢山はいかんから、一年に一着の約束で進呈しようほどに」などと申し出るに至って、魔道書グリモアの娘のテンションは最高潮に達した。

 それでも華美なものより、カットラインの美しいシンプルなドレスを選ぶあたり「センスがある」とはシオンの言だ。


 それを眺めることになったアシュレは、ふたりのはじめたこの遊びを咎めたりしない。

 むしろ大事なレクリエーションだと考えた。


 真剣な探索行だからといって始終張りつめていては、どこかで必ず気持ちが切れる。

 視界を閉ざす純白の帳のなかを進んでいく道程は、とりわけ精神を疲弊させる。

 軍隊が休息時間、騎士や兵士たちに賭博やゲームを禁じないのは、それが戦場を生きる人間には必要だと知っているからだ。

 戦時には率先して軍団を従える聖騎士パラディンとして、アシュレは戦地における人心掌握術にも通じていた。

 だから、ふたりの始めた戯れを止めることはない。


 なによりこれはアシュレにとっても、素晴らしい気晴らしと言えた。


 シーツで作った簡易なしきりの向こうで夜会服や民族衣装、さまざまな職人や男装にまで着替えてはその姿をシオンとスノウは姉妹揃ってご披露してくれる。

 目の保養とはこのことだったし、シーツの向こうできゃあきゃあ言いながら衣装を選んで着替えていくふたりは本当に楽しそうだった。


 だが、それを笑いながら、あるいはときおりシーツからはみ出して見えるふたりの剥き出しの肩や生足に仰天していたアシュレは気がついたのだ。

 カラダが妙に熱いし、こころなしか鼓動が速い気がする。


 最初それは、酔いのせいだと思った。


 外はとても生物が生きてこの洞穴に辿り着くことはできまいであろう強烈な吹雪と暗闇。

 それでも入口からの数箇所に、アシュレは土蜘蛛の姫巫女たちから借り受けた警戒網を張り巡らせておいた。

 なにも知らずにクモの巣を擬態した警戒網に触れれば、すぐさまそれはアシュレの知るところとなるし、クモの巣そのものも敵にまとわりつき動きを封じてくれる。


 それで安心して呑み過ぎたのだと。


 連日の雪中行軍の疲労もある。

 あるいは眼前で披露される魅力的な姉妹の競演もそこに拍車をかけたか。


 しかし、変だなとは思った。

 

 ベースキャンプを出る前、アシュレはアスカリヤから戦乙女の契約ヴァルキリーズ・パクトの恩寵を受けた。

 氷雪の結界に突入する直前には真騎士の乙女からも、恩寵を垂れられている。

 その自分が、たかだかハチミツ酒とワインを数杯あおった程度で、こんなふうになるだろうか?


 それに、とアシュレは考える。

 これは酩酊というより、高揚に似ている。

 戦場を前にしたときのような血の滾り、昂ぶり。


 口腔に先ほどお腹いっぱい詰め込んだスノウお手製の煮込みの香りが甦った。


 なんだろう。

 ハッと気がついたときには遅かった。


 それまで衣装遊びに夢中になっていたシオンとスノウ、ふたりの顔が眼前にあった。

 四つんばいになりおずおずと身を寄せてきたスノウからは、温めたミルクに桃のピュレを落とし込んだ薫りがした。

 それは彼女の《スピンドル》の匂いだが、今夜はやけに濃く感じられた。


 いや、それだけではない。


 そこにかすかな獣臭というか……血の薫りが混じっている。

 先ほど食べた血のソーセージのシチューにあった、どこか人間の理性を狂わせるような血液の凝った匂い……。

 血臭にはヒトの理性を狂わせ酔わせる効果が、たしかにある。


「あの……騎士さま。じつは……告白というか、懺悔しなければならないことがスノウにはあるのです」

「それについてはわたしもだ、アシュレ。そなたに黙っていたことがある」


 シオンの吐息にも青いバラの薫りに加えて、どこかヒトの野蛮な部分を駆り立てるような蠱惑的な匂いが交じっていた。


 見ればふたりはいつのまにかイクス教の修道女の姿に着替えている。

 以前スノウが着ていたのと同じく、夜魔の姫が各地の都市に紛れるとき使っていたものだろう。

 ほかの職では身分証明や通行許可書、納税証書などの提示が求められる街への出入りも、巡礼と聖職者だけは自由にさせている国は多い。

 そのときのためのものだというのはすぐにわかったが、この場面ではこの装いは別の意味合いを持っていた。


 背徳の告解こっかい


 ふたりの瞳が蕩けるように濡れていることにアシュレは気がついた。


「エレとエルマに餞別だと渡されて」


 自らの悪行についてスノウの言葉を借りればそういうことになる。

 どうやらこの悪いコの娘さんは、こともあろうに主人に一服盛ったらしい。

 そしてそれを夜魔の姫は気付きながら黙認したようだ。

 なぜか。


 ふたりともが同じ欲求を抱えていた。

 渇望していたと言ってもいい。

 

 アシュレからの手酷い罰を、だ。

 ふたりの心には、あの日の罪悪感が深く棘になって突き立っていた。


 バラの神殿での一件。

 いやそれ以前に“理想郷ガーデンの王”:エクセリオスを生み出してしまった──アシュレに対して投じられた自分たちの無責任な《ねがい》をふたりは直視して……いや思い知らされてしまった。

 ほかならぬエクセリオスという架空の存在によって。

 その責め苦に、彼女たちの心とカラダは苦痛だけでなく、背徳的な悦びまでも感じてしまっていた。


 それらを許せぬほどに恥じ、癒せぬ罪悪感を抱いている自分たちがいることに、いつしかシオンとスノウのふたりは気がついてしまったのだ。


 だからシオンが言った「数日は独占させてもらうからな」という宣言は、正しくは「アシュレに重奉仕しないと狂ってしまう。だから数日の間、わたしたちを貴方の欲望のままに扱ってほしい。罪滅ぼしをさせて欲しい」という意味だったのだ。


 一方、その想いに苦しんだスノウはシオンとは別に、エクセリオスにまつわる一部始終とその後の自分の心のありさまをエルマに相談したらしかった。


 悩みを打ち明けるにしても、よりにもよってエルマを選ぶとはいったいどういう人選だ──と一瞬アシュレはめまいを覚えたが、たしかにエルマは呪術という罪や罰といった人間の心の闇の側の《ちから》を操る達人だ。

 光の側の理屈では到底解決できないそれについても熟知していて然るべきだった。

 それに、とスノウは弁明した。


「あのヒトも同じ痛みを抱えていたから、です」


 それはつまりシオンとスノウがアシュレに対して抱く罪悪感を、エルマがイズマに対して抱いているという意味だ。


 かつて土蜘蛛姉妹のふたりはイズマを深く愛したがゆえに、強く憎んだことがある。

 それが自分たちの誤解だったと気がついたとき、また自分勝手な理想像の押しつけだと気がついたとき、エルマとエレはイズマへの永劫の忠誠と絶対の隷属・愛玩の誓約を立てたのだ。


 シオンもスノウも、そのときのエルマやエレと同じ苦悩を抱えてしまった。

 それは眼前にいる想い人ではなく、彼を姿見として自分自身の《ねがい》を映してしまっていたという罪だ。


 だからスノウはどうやって土蜘蛛のふたりが自分たちを許したのか、許せるようになったのか、それを訊き出そうとした。


 その結果がこれだった。

 アシュレからの容赦ない、言葉に寄らない断罪と懲罰。

 それをふたりは心から欲した。


 これは、そういうやり方でしか癒せぬものがあるという話だ。


 世界は善悪でキレイに切り分けられるような、単純な仕組みでは回っていないということだ。

 ヒトの心の闇は、同じ闇でしか抱き留めてやれないことがある、ということだ。


 実際にエルマの心は、それで壊れてしまったではないか。

 だからこそ壊れてもなお土蜘蛛王を想い、それを貫き通したエルマは己の心を打ち明けるのに最適の人選だとスノウは考えたらしかった。


 スノウは言った。

 想うあまりに勝手な《理想》を練りつけてあなたをそうしよう・・・・・としてしまった・・・・・・・、と。

 そのことがどうしても許せない。

 たとえアシュレが赦すと微笑んでくれても、どうしようもないのだと。

 

 自分の心のなかにあるそういう暗くて狡い──アシュレに《理想の明日》をすべて任せてしまおうという己の心根が許せないのだ、と。

 同じ時間と体験を共有した夜魔の姫も同様だった。

 だから、このあまりに年若い義妹の企て、そのすべてを黙認した。


 共犯関係となることで、同じくアシュレに罰されようとしたのだった。


 そんなことは必要ないとアシュレはふたりに告げたのだが、シオンとスノウに言わせればそれが良くないのだという。


 容赦なく罰してもらわなければ、救われない。


 ふたりはそこまで追いつめられていた。

 ただそれを言い出すには、ベースキャンプでは耳目が多すぎた。

 だからどうしても今回の探索行にはふたりがともに同道しなければならなかった。


 涙ながらに訴えられて、やっとアシュレは理解した。


 ただ、だからと言って。

 こんな責め方をしてよかったのか。

 正気に戻ったいま、背徳感と罪悪感に苛まれるのは今度はアシュレのほうだ。


 どうやらスノウが食事に混ぜた土蜘蛛謹製の霊薬エリキシルは、アシュレが持つヒトとしての良心や理性のタガを外してしまう作用があるらしかった。 

 本能が求めるままに、アシュレはふたりを罰した。

 あらゆる懺悔と懇願こんがんを踏みにじってふたりがもう罪悪感を抱けないほどに、手酷く責めてしまった。 


 ふたりが自ら望んだこととはいえふたりは息も絶え絶え、熱に浮かされたようにうわ言を繰り返し意識も定かでない。


 自分自身で獰猛と表現せざるを得ないほどに、アシュレの運指は苛烈だった。

 真騎士の乙女ふたり分の加護を得ている自分が、容赦なく《ちから》を振るった。


 スノウには魔道書グリモアとして心の深奥まで突き立つ隷属の誓いを。

 シオンには魔具:ジャグリ・ジャグラを通しての完膚無きまでの屈服と服従と改変を。

 

 完全にふたりが降伏しても、決して許すことなく、際限なく思い知らせてしまった。

 外部からでは伺い知ることの出来ぬ深い傷跡を、決して癒せぬ刻印を、幾度も強く与えてしまった。

 思い返して自分でも鳥肌が立つほどに残忍に、酷薄に、徹底的に。 


 アシュレは想う。

 恋慕うこと──相手を強く求める愛の狂気と暴力を。


 救われたか、などとふたりに問うこともできない。

 救えている、などという思い上がりを抱くこともできない。


 ただアシュレにわかるのは、もし次も同じく求められたなら、今宵以上に手酷い体験をふたりにさせてしまうという確信めいた感覚だけだった。


 悶々としながら火を絶やさぬよう薪を投じながら、アシュレはうわ言のように愛の誓いを繰り返すふたりの黒髪を梳き、愛でる。

 燃え続ける炎を見つめ、しばらく眠れぬときを過ごした。






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