■第七夜:《ポータル》
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「いかなる御業をもってそれを成し遂げるのか、それについては、すべてをご覧に入れよう」
そう言い放ち、席を立ったダシュカマリエに全員が続いた。
一行は先導するノーマンとダシュカマリエに従い、カテル島の岩肌を掘り抜いて作られた回廊を進んでいく。
「うっひゃー、ずいぶん掘ったもんだねー」
「このあたりの通路はみな、アガンティリス期のものを手直しして使っている」
イズマの感想にダシュカマリエが答える。
一行がここへ来ることは決定事項だったのだろう。
すでにして通路には篝火が焚かれ、照明に不自由することはない。
「城塞が落ちたときの最終防衛ラインってかんじ?」
「オズマドラの陸軍に、ここまで攻め込まれたら、その時はもう戦争には負けているさ」
大司教相手にタメ口で平然と話すイズマを、アシュレはハラハラしながら見守るしかない。
ハッキリ言って気が気ではないのだが、ダシュカマリエのほうは、もともとさばけた性格なのか、気にした様子もない。
それどころか「わたしのことはダシュカでよい」などと言い出す始末だ。
「それにしても、ダシュカはスタイルいいよねー」
「身長はだいぶ上げ底だが、胸は自前だぞ?」
いつもの調子で絡んでいくイズマに、アシュレは胃が痛くなりそうだ。
物怖じしないと言えば聞こえはいいが、ものには限度というものがある。
「ちょっと、イズマ!」
「なにっ? どしたの、アシュレ? 美しい女性を見たなら褒めなきゃ失礼でしょ? 自分の心に素直に、思ったことを。賛辞なんだから、遠慮はいらないよ?」
「うちの唐変木にも見習って欲しいところだな」
ぷっ、と吹き出したのはアシュレの隣りのシオンだ。
揶揄された当人であるはずのノーマンは、相変わらずだがスルー力が高い。
「お堅いイクス教のなかで、女性の素晴らしさを認める唯一の派閥、グレーテル派ってすンばらしいとボクちんは思います」
「そのかわり浮気や不倫、重婚は重罪だがな」
ちょきん、となにかをチョン切る仕草をダシュカがしたものだから、イズマは股間を押さえた。
シオンがくつくつと笑ったが、アシュレは笑えない。
現在進行形の冷や汗ものだ。
イリスとシオン――その関係のことだけではない。
もう一月以上前のことだが、イクス教とは仇敵の仲となるアラムのオズマドラ帝国の第一皇女:アスカリアから王家の指輪を預かっているのだ。
それも彼女自身のハンカチーフに包まれた。
当時の上流階級では直接肌に触れる布地はすべて、肌着と同義であったから、その意味がわからないアシュレではなかった。
イリスとの挙式をグレーテル派の大司教であるダシュカに執り行ってもらった場合、たぶん最低でも、二度はちょきん、とされねばならぬのだと知り、アシュレは表情を強ばらせた。
「土蜘蛛の王は、いままでいかほどの数、妻を娶られたか?」
「お、おぼえてないくらいっす」
怯えて言うイズマにダシュカは呵呵と笑った。
「安心されよ。他種族の習慣にまで口を出す気は、わたしには毛頭ない」
宗教騎士団の指導者とはとても思えぬことを、さらりとダシュカは言ってのける。
「やー、でもダシュカ、ほんっと美人。スタイル抜群だしー。旦那さん、しあわせもンだねー?」
すぐに立ち直るイズマのタフさにアシュレなど感心するほかない。
「こんな銀の仮面が一生涯、取り外せぬ女でもかな?」
「それって取り外せないの?! ……あのさ、ダシュカ、ちょっと訊いてもいいかな?」
それって、まさか、とイズマが言った。
「そうか。キミたちには話していなかったか。いかにも、そうだ。これが我が《フォーカス》:〈セラフィム・フィラメント〉だよ」
絶句したのはイズマだけではない。
アシュレはもちろん、先ほどまで笑い声を堪えていたシオンまでもが歩みを止め、ダシュカマリエを凝視した。
アスカリアと出会った邪神の漂流寺院、その本尊たるフラーマの哀れな姿が、アシュレの脳裏に鮮烈に甦った。
堕ちてなお、かつて聖女であったときの心を失わず、飽和崩壊する己の最後にアシュレを巻き込まないために、残された力のすべてを振り絞り、必死で警告してくれた彼女こそ、かつての〈セラフィム・フィラメント〉の持ち主であった。
それは姉であるアイギスとその騎士:ゼ・ノによって罰の証として剥ぎ取られたはずのものだ。
アイギスは慚愧の念とともに、妹=フラーマの持ち物であった〈セラフィム・フィラメント〉を被り、素顔を隠した、と禁じられた物語は伝える。
そして、その銀の仮面は、その代償に天使:アイギスに未来を見通す力を与えた、と。
その伝説上の神器がいま、眼前にあった。
ダシュカの面貌を覆う銀の仮面を見た瞬間、それは思いついてしかるべきことだったのかもしれない。
けれども、あの事後の混乱と、瀕死の状態からの復活、さらには海中に没した〈シヴニール〉のサルベージ作業に取り紛れ、だれしもがその可能性にたどりつけなかったのだ。
女性である大司教が素顔を隠す理由を問い正せなかったことも無論ある。
重責を担うものとして性を捨てるという覚悟のものか、あるいはなんらかの教義的理由、もしくは身体的な欠損――傷を隠すためのものであるか。
想像は皆していたであろう。
だが、その伝説の《フォーカス》の名は、ダシュカマリエ大司教、そのヒトの口から明らかにされたのである。
「それはフラーマから剥ぎ取られた……聖女:アイギスの……」
「ほう、よく知っているな、聖騎士殿? ただ、その知識、本来は禁忌・禁書に属するもの。あまり軽々に口にすべきものではないよ? 枢機卿団が聞き及んだら、怒り狂うレベルのお話だ」
異端審問官に口を滑らせたら火あぶり確定だぞ?
ふふっ、とダシュカは歩みを再開して笑った。
「じゃあ、予言の力というのは」
「そうとも、アシュレダウ。この忌々しい《フォーカス》の能力さ。おまけに、その最大権能は自分で発動させることもできず、拒むこともできない」
一行の先陣を切って歩いて行くダシュカの後ろを、足早にアシュレが追った。
天井が突然高くなり、広い空間に出た。水音がする。
地下水か雨水か、判然としないがけっこうな水量が溜まっているのだと反響でわかった。
周囲の岩肌に篝火の明かりが反射し、刻み込まれた天使像をあらわにする。
ここは礼拝堂でもあるのだ。
天井に開いた穴から、空気の抜ける音がした。
思わず立ち止まっていた。
アガンティリス期には天使像などないから、これは、この地下施設を見出したカテル島統治者たちが、刻み加えたものなのだろう。
「どうした、こっちだよ、アシュレダウ」
篝火の投げ掛ける光の外、暗がりでダシュカが呼んだ。
通路はまだずっと奥に、礼拝堂を貫いて続いていた。
誘われるまま、アシュレたちは歩んでいく。
どれほど歩んだだろうか。
ダシュカが通路の途中で立ち止まった。
そして、軽く一行を振り返るや、踵を返し、その岩壁に向かって歩を進めたのだ。
あっ、と言うヒマもなかった。ノーマンがアシュレを促す。
アシュレは意を決して飛び込む。
精巧な幻影でできた隠し扉だったのだ。
幾種類もの隠し扉をアシュレたちは経験した。
たとえば《スピンドル》を使わなければゲートを通過できない仕組み(これなどは、出るほうは自由だという)。
一見、断崖から虚空に身を投じなければならないような通路も存在した。
逆に《スピンドル》能力で通過した相手を罠にかけるような仕組みもあるのだと、ノーマンが教えてくれた。
能力者だけを選択的に封殺する仕組みだ。
「このあたりも、アガンティリス時代の遺産だ。気をつけろ」
ダシュカマリエが警告する。
やがて、アシュレはずっと向こうに光を見た。
強い光ではなかった。だが奇妙だった。火が燃えているわけではなかった。
歩み近づくにつれ、その白い光はどうやら前方の通路全体が光を発しているのだとわかった。
乳白色の見たこともない素材――いや、とアシュレは思う。
ボクはこの光景を以前にも一度見たことがある、と。
そして、その感覚は正しい。
その空間に足を踏み入れた瞬間、いつ、どこでそれを見たのか、アシュレははっきりと思い出した。
あのイグナーシュの暗い夜だ。
王家の墓所。
その深奥に鎮座していた巨大な《フォーカス》:《ねがい》の器:〈パラグラム〉――その思いはイズマも、そしてシオンも同じだったようだ。
「まさか、これって……《フォーカス》……構造物型の――じゃないのか?」
「当たらずとも遠からず、といったところか。さすがは、その歳ですでに二柱のオーバーロードを下した男だ、アシュレダウ。ここはアガンティリス帝国期よりもはるかに以前――旧世界の遺跡だよ」
ダシュカは首だけで振り返り、アシュレの見識を褒めた。
同時に、イズマとシオンが投げ掛ける困惑と疑惑の入り交じった視線を受け止める。
ふ、と小さく笑い言った。
「まるで仇を見るような眼差しだ。夜魔の姫、そして土蜘蛛の古き王よ。まずはすべてを見てもらおう。その上で決めるといい」
どうせ、選択肢などそう多くはないのだから。
正面に向き直り、ふたたび歩み出したダシュカの背中を護るようにノーマンが続く。
残されたアシュレたちは、意志を確かめあうように無言で互いを見合わせると、後に続いた。
「なんだ、これ……」
圧倒的な光量だった。
純白の空間が開けていた。
円形のコロシアムを思わせる建造物の内部に、アシュレたちは彷徨い出たのだ。
大理石とはちがう、継ぎ目のないつるりとした不思議な材質の建築物の、そのただなかに。
その中央に青い巨大な柱が屹立している。
なにかの薬液が、どういう理屈を持ってしてか不明だが、水槽に入れられるわけでもなく垂直な柱を形作っていたのだ。
ゆらゆらと不規則に揺らめく水面の照り返しでアシュレは、そうだと知った。
「パラ……グラム? いやちがう。似ているけれど……これは」
「〈コンストラクス〉――旧世界において製造された無数の《ポータル》と呼ばれる施設、そのうちのひとつ、さ。《ねがい》の《ちから》で人間を改変し、ひいては世界観に干渉するための装置だよ」
ダシュカの言葉に思わず身体が強ばった。
ノーマンと目線が絡む。
カテル病院騎士団の誇る筆頭騎士は小揺るぎもせず、そこに立っていた。
もちろんだが、すべて承知の上で、ノーマンはここにいる。
背後にいるシオンが息を呑む。
緊張した空気が伝わってきた。
アシュレは周囲を観察した。
巨大で静止した水柱は恐ろしい透明度で、向こうが透けて見える。
その奥に波で洗われた骨のように、白い巨木の姿がうかがえる。
いや、そうではない。
それは樹などでは断じてない。
なにかの腹を断ち割り、無理やりはらわたを引きずり出し、テグスと杭で縫い止めたような姿をそれはしていた。
ただ、その色彩が純白であることでだけ、そのあまりのグロテスクな所業への罪悪感、生理的嫌悪感が軽減されているに過ぎない。
磔刑にされ、吊り下げられ、はらわたをさらす――この生き物を、いままでアシュレは見たことがなかった。
いや、近しいものをアシュレは知っていた。
けれども、似ていると感じる心を否定したかったのだ。
――それは、あのイグナーシュ領の王家の墓所の前庭に転がっていた巨石群……そう異貌の神々に、あるいは漂流寺院の主=邪神:フラーマの姿に、たしかに、どこか似ていた。
「異貌の神――その死骸」
アシュレのつぶやきは広漠とした空間に、空々と響いた。
「異貌の神。その死骸か。面白い例え方をする。……われわれは《御方》と呼んでいるよ」
ダシュカが答えた。
その言葉が与えた衝撃に、アシュレは自分の立ち位置を見失いそうになった。
ダシュカが告げた単語:《御方》とは――これは偶然の一致なのか――イズマが語ってくれたフラーマの漂流寺院での顛末、その背後に蠢く強大な存在ではなかったか。
この世に重なるという《夢》のようなもうひとつの界:〈ガーデン〉の奥に潜み、《通路》を開くため、神話の再演によって巨大な《スピンドル》エネルギーの暴発と、それによる世界観破壊――《ブルーム・タイド》を引き起こそうとした存在。
その巨大な影を、他ならぬイリス本人は見たという異形――偽りの神。
彼女の書いてくれたスケッチに――そのシルエットに、アシュレは得体の知れぬ戦慄を感じものだ。
あのときと同種の震えが、いまアシュレの背筋を駆け登ってくる。
イズマを振り返れば、彼もまた蒼白な表情でその光景を見上げていた。
己の知る《御方》と、眼前のそれがはたして同一の存在だと言えるのかどうか。
判断しかねるように――その瞳には動揺があった。
あってはならないことだった。
イクス教の、グレーテル派の、その精神的支柱にして実質のリーダーである大司教が、このような異教の偶像を、いや、邪神像をその本拠地の地下に祀っているなどと、あってはならぬはずのことだった。
ぞくり、とした。
まさか、と推測が口をついた。
「まさか、これが……〈コンストラクス〉だというのか」
「いかにも――いかにもそうだ、アシュレダウ。ここは、その基幹部なのだよ。われわれ、グレーテル派が流転の歴史の後に辿り着いた、この世界の真実の姿――その断片だ」
ふたたび、理由のわからぬ悪寒が、アシュレの背筋を這い登っていった。
眩暈を起しそうな光景を振り仰ぎながら、アシュレはかつてないほどの動悸を感じている。
苦しさを憶えるほどの。
いつのまにか隣りにシオンがいた。
胸を押さえ、同じく驚愕と疑念と嫌悪の入り交じった表情で。
決して口にしてはならぬ、それゆえ伏せられた神の名:《御方》――とダシュカの呼んだ死骸を見上げていた。
「これが、あなたのイリスを救うという提案の意味するところ――それを可能とする装置の正体なのか?!」
「そうだ、エクストラムの聖騎士よ」
「ダシュカマリエ大司教ッ、あなたは、あなたは、こんな、こんなもので、イリスを、イリスの肉体を作り替えようというのか!」
ぶるぶると震えながら、アシュレはダシュカの背に声をぶつける。
先だって会議室でダシュカマリエの投じた議題が、決定的な現実としてアシュレに襲いかかった。
そんな、そんなことが許されていいはずがない。
アシュレのなかで倫理観、人倫が叫ぶ。
だが、そんなアシュレからダシュカは、確かな足取りで遠ざかっていた。
機械的な触腕に支えられた台座に立ち、振り返った。
それから、来い、と合図した。アシュレに向かって。
自分の目で確かめろ、と。
アシュレは悪寒に震えながら、それでも歩いて行った。
「しっかり捕まっていろ」
動くぞ、と台座に昇り切ったアシュレにダシュカが声をかけた。
瞬間、なにかのロックの解除される音、続いて浮遊感があり、アシュレは〈コンストラクス〉の心臓部に肉迫することになった。
圧倒的な存在感。
アシュレの全身が総毛立つ。
決して自然界の生物ではありえぬ、そしてまた、蛇の氏族に連なる魔物、果ては幻獣や魔獣、あるいは強大な竜族ともちがう。
まったく異質な生物の死骸が、アシュレを見下ろしていた。
純白のそれは、機械と生物を混ぜ合わせたというよりも、機械でできた生物のようであった。
あるいは生物で構築された機械のようにも、たしかに見える。
けれども、そこには歯車も、ネジも見当たらない。
錬金術や黒術=(火薬などの知識)、あるいはからくり仕掛けの人形を生み出す職人たちの技の、そのどれにも当てはまらない。
少なくともヒトの手が生み出したものではありえない、とアシュレは思った。
近づけば近づくほど明らかになるディティールの凄まじさに震えた。
強いて類似のものを挙げるとすれば――それは《フォーカス》に似ていた。
アシュレの竜槍:〈シヴニール〉しかり、あるいは聖盾:〈ブランヴェル〉、そしてシオンの聖剣:〈ローズ・アブソリュート〉に。
人知を越えた存在が生み出した、そういうものにそれは見えた。
「旧世界の超越者」という単語が脳裏を掠めすぎて行く。
ある種の美しさ、造形美さえ備えていた。
蠱惑的な、魔性の。
それなのに、拭うことのできないおぞましさ、嫌悪が、腹の底から湧き上がってくるのだ。
「こいつはな、アガンティリス滅亡からこれまでの気の遠くなるような年月の間、見出されることもなく、眠り続けていたのさ」
震えを止められぬアシュレに対して、ダシュカは冷静だった。
アシュレとダシュカを乗せた台座は、ゆっくりと進行方向を変え、《御方》の死骸の側面から正面へと近づく。
ちょうど、死骸の顎門の部分がアシュレの視界に入ってくるところだった。
アシュレは、その顎門の奥に座席のごときものが、ねじ込まれているのを発見した。
いや、それは座席というよりむしろ、生贄を捧げるための祭壇のように、アシュレには感じられたのだが。
「あれは、なんだ。祭壇のように見える。邪教の」
「近い――媒介者のための座席だよ」
「媒介者?」
「特殊な接続器を装着した《スピンドル》能力者のことさ」
にこり、と艶やかに唇だけで笑い、ダシュカがアシュレを見る。
隣りに来い、というのだ。
階下にこちらを見上げるシオンがいる。イズマとノーマンもいる。
どういうことだ、とアシュレはダシュカの隣りの手すりを掴み、その瞳を覗き込んだ。
「言っただろう、アシュレダウ。〈コンストラクス〉は装置だと。
そしてまた、旧世界の人々が生み出した《ポータル》――すなわち豪奢な門だと。
門とは“あちらとこちらの境界に建造される”ものだ。
わかるか、アシュレダウ?
これは“あちらの法則”を“こちらへ引きずり出す”ためのものだ。
ただ《ねがう》だけで、あらゆる願望を叶えてしまう――そういう、すばらしくも忌まわしい万能の力を模そうとした器――施設なのだ」
だから、使い手が必要なのさ。ふふっ、とダシュカは、また笑う。
けれどもその瞳は笑ってなどいなかった。
「もっとも、よく似た品を、われわれ人類は、これまでも頼みの綱としてきたわけだが」
さらに意味深に言う。
「ダシュカマリエ大司教、ボクにはあなたの言うことが理解できない」
結果としてダシュカを睨みつけるようなカタチでアシュレは返した。
そんなアシュレに、目を細めてダシュカも応じる。
「謙遜の徳を示している場合ではないのだ、アシュレダウ。だが、キミが、ここに至ってなお愚者のフリを通そうというのなら、わたしも、もっと決定的で明瞭な言葉を用いることになる」
「決定的で……明瞭な……ことば?」
「それは、われわれが用いる《フォーカス》についてだ」
つまり、とダシュカは言った。
「あらゆる《フォーカス》は、《ポータル》――すなわち《御方》の系譜に連なるか、あるいはその一部、ないしオプション群であるということだよ」
すくなくとも、ここ五〇年、われわれグレーテル派が密かに進めてきた研究によれば、そうなる。
ダシュカは自説の根拠を明らかにする。
ぐらり、と足元が揺らいだ気がして、アシュレは確かめるように手すりを強く握り直した。
立ち位置を見失いそうになる肉体のなかで、頭脳だけが冷静・明晰だった。
いまいましいほどに。
「つまり、ボクたち《スピンドル》能力者がその頼みとし、古代から伝えられてきたあらゆる叡知の結晶――《フォーカス》は、このおぞましい――《御方》の死骸と、その由来を同じとする、とあなたは言うのか」
「いかにも、その通りだ、アシュレダウ。
そのうえで、この旧世界の施設は、その動力・機関部として、こうして捕らえた《御方》を使用しているのだということだ。
さらに言えば、これは他の《フォーカス》と同じく《スピンドル》の励起によって始動するのだということだ。
こう言い換えてもいいかもしれない。
先ほどの話題を、より正確に定義しなおすなら――これら《御方》の死骸から、その《ちから》を限定的かつ人為的に引き出すために、分離、運用可能にした一連のデバイス群こそ、すなわち《フォーカス》である、と」
ダシュカはよく通る、明瞭な声で告げた。
アシュレの頭一杯に、イグナーシュのあの暗い夜の光景が広がった。
恐ろしい想像が、鎌首をもたげる。
ユーニスの生存を信じ、墓所へと足を踏み入れる直前、アシュレは数多くの異貌の神々、その頽れた神像を見た。
だが、あれは、神の像などではなく――本物の死骸ではなかったのか?
もし、ダシュカの言が正しいとするなら、王家の墓所、正しくは同じく巨大な《フォーカス》:〈パラグラム〉の前庭に転がっていた、あの巨大な異貌の神たちは、そうやって《ねがい》を抜き出された搾りカスではないのか?
さながら吸血昆虫に体液を啜り尽された死骸ではなかったのか?
このような、装置の動力として、捕らえられ、縫い止められ、その果てに廃棄された。
あの王家の谷には、アシュレたちが足を踏み入れるどころか、うかがい知ることのできぬ秘密がまだあって――それはいま、眼前に見ているような姿をしていたのではないか?
アシュレは、さらなる想像を止められない。
その《ちから》によって命を取り留めた自分は――ボクは――そうやって抜き出された《ねがい》を注がれたのではないか?
魔剣士:ナハトヴェルグの魔剣:〈ニーズホグ〉によって死魔さながらの猛毒に冒されたアシュレに対して、もはや決定的で避けようのなかったはずの“死”を覆させたのは、その《ねがい》の《ちから》ではなかったか?
ぐぶ、と胃の腑が裏返るように吐き気を催す。
吐かなかったのは、騎士としての意地だった。
眼前に、無言でハンカチが差し出された。ダシュカである。
清潔な布地から、ハーブが香る。
アシュレは首を振り、それを断った。
手の甲で口元を拭う。
その程度では拭いようのない嫌悪に翻弄され続けるアシュレを見つめて、ダシュカは続けた。
「そのような所業に手を染めてまで、夫の前に聖イクスの端女でなければならぬはずの――その手本たらねばならない大司教位のわたしが《救済》を求めることを、浅ましい、とキミも思うか?
尊厳ある他者の――キミの最愛のヒトの肉体を――このような方法で書き換えてまで救いたいと《ねがう》ことを冒涜と感じるか?」
淡々と告げるダシュカを、アシュレは蒼白な顔色のまま、見つめた。
すぐには言葉が出ない。
すると、ダシュカは腰の短剣を鞘ごと引き抜き、アシュレの眼前にかざした。
「これはなにか、アシュレダウ」
「剣――短剣です」
かろうじてアシュレは答えた。
「いかにも。では剣は――短剣はなにを成すための道具か」
「それは――使い手によります。
夜盗の手に渡れば、強盗の道具に。敵対する兵力であれば、味方の喉笛を掻き切る凶器に。職人の手にあれば、新たな道具や品々を生み出す手助けに。
そして――使い方を誤らなければ、自分や護るべき人々を脅威から護り通す武器にもなるでしょう」
「そのとおりだ」
これも同じ。
そうダシュカは言っているのだと、アシュレにはわかった。
いや、理性ではずっとまえにわかっていた。
だが、感情が、心が納得できないでいた。
「キミの葛藤はよくわかる。わたしも、そうだったから――いや、正直に言おう。いまでも、恐いのだ。恐ろしくて、おぞましい。できれば、これを使いたくない」
懺悔するように告白するダシュカの指先が、アシュレと同じく強く握りしめられていることに気がついたのは、その時だった。
白く、血の気が失せるほどに。
初めてダシュカの肉声を聞いたようにアシュレには思えた。
「〈コンストラクス〉には専用の接続器を装着した使用者が必要だ、と話したろう?」
ダシュカの色素の薄い瞳が、アシュレのそれを正面から捕らえた。
「これがそうだ」
ダシュカマリエは自らの頭部に触れる。
右手の中指にはめられた大司教の指輪が触れて、かちり、と硬い音がした。
白銀の仮面:〈セラフィム・フィラメント〉――聖女:アイギスとフラーマ姉妹から受け継がれた聖遺物。
カテル病院騎士団の大司教が証。
肉どころか骨に、さらには脳にさえ食い込む銀の拘束具――それが、冷たい光沢を放っていた。




