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燦然のソウルスピナ  作者: 奥沢 一歩(ユニット:蕗字 歩の小説担当)
第七話:Episode 5・「竜玉の姫・屍竜の王」
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■第一四九夜:吹雪を潜り抜けて



 それでいま、アシュレたちは洞窟のなかにいる。

 はるか昔の造山運動や侵食が造り上げたであろう洞穴は思いのほか広く、天井も聖堂を思わせるほどに高かった。


 いったいなにをどのようにしたら、これほどまでに凄まじい想像を絶する造形が現れ出でるのか。 

 断面が規則正しく六角形を描く石柱の連なりが幾本も幾本も、まるで宮殿のシャンデリアのように垂れ下がっている。


 本当に聖堂のようだ。

 アシュレは感慨深く自然が生み出した神の造形を見上げた。

 

 腕のなかには息も絶え絶えという様子のシオンとスノウがいる。

 

 イズマの消息を求める探索行は予想通り困難を極めたが、充分な事前準備と夜魔の血を引くふたりのおかげで猛吹雪の間隙を突き、なんとか進んでいくことができた。


 一年のうちのほとんどの期間が氷雪のうちにあるという夜魔の大公のくに:ガイゼルロン。

 その国を治める大公の息女として生まれ、雪と氷と吹雪を友として育ってきたシオンにとってさえ、この竜の結界内部で吹き荒れる嵐のごとき風雪はなかなかの難物らしかったが、彼女はどんなに強い吹雪のなかでも決して方角を見失わなかった。


 その案内に従いスノウを聖盾:ブランヴェルに乗せ、アシュレは雪上をソリの要領で進んでいった。


 三方を数千メテル級の峰々に囲まれた峡谷を踏破し、そのさらなる深奥を目指していく。

 シオンのサポートとブランヴェルという人類の叡知があっても、この猛吹雪だ。

 進軍はなかなかはかどらない。


 さらに渓谷の底はすこしでも陽が傾くと、あっという間に闇に呑み込まれる。

 雪に覆われていて見えないひび割れクラックや谷底に向かって張り出した雪庇せっぴなどを誤って踏み抜かないように注意しながら、吹雪の切れ目を縫い進むのは想像以上に体力を消耗する行軍だ。 


 吹雪の弱まるのを狙い、明るいうちに全速力で進んでは、洞穴や雪洞を確保し身を寄せ合って暖を取るという地道な作戦しかなかった。


 もし事前準備が万全でなかったら、と考えるだけで背筋に寒気が走る。


 シオンの使う影の包庫シャドウ・クロークは、本来、衣装持ちの夜魔の貴種たちが狩りの旅先で気ままに夜会を開くための異能だった。

 それが、このようなサバイバル前提の探索行でこれほどの威力を発揮するとは、さすがのアシュレも思い至らなかった。


 分厚い雪と氷に閉ざされた世界では食料どころか薪も、水さえ手に入れることが困難だ。


 水くらいなんだ、雪や氷を食べたらいいじゃないかという意見もあるかもしれないが、それは素人判断に過ぎない。

 まず第一に自然界にある氷や雪が清潔である保証はどこにもない。

 次に、それを直接口中に入れて溶かすのと引き換えに失われる熱量と体力を補うものがなければ、それは緩慢な自殺行為だと言っても過言ではない。

 容赦なく体温とエネルギーを奪っていく猛吹雪の最中で、氷をしゃぶって肉体を内側からも冷やすというのは、真冬に防寒着を脱ぎ捨てるに近しい行いだ。

 

 無論、アシュレたちには万全の備えがあった。


 この探索行に先立ち、アシュレは蛇の姫:マーヤの源泉から特別に清潔で純度の高い湧き水を充分な量、わけてもらってきた。

 極めて不純物のすくないマーヤの源泉は、海原を行く船乗りたちが羨むほどに清潔で、そうであるにも関わらず極めて美味であった。


 また蛇の姫はこれはアシュレにだけだと口を極めて注意したあとで、己の血を小瓶に詰めることを許してくれた。

 なんでも高位の蛇の巫女の血は、素晴らしい活力をヒトに与えるのだという。

 そのせいで蛇の巫女たちは狩られてきた歴史もあるのだと。


 ともかく体力の消耗で進退窮まったとき、これを飲むようにと指示された。

 アシュレは柔肌に刃を立てることを許してくれたマーヤに厚く礼を述べた。

 蛇の巫女が己の肉体の一部を自ら他者に与えるのは求婚の意味だとは、もちろん知りもしない。


 食料もゴウルドベルドの協力のおかげで不安はない。

 イノシシの頭を持つこのオーバーロードは、頼んでもいないのに焼き締めたパンやプレッツェルを山と持たせてくれた。

 シオンの影の包庫シャドウ・クロークには干し肉やサラミ、ソーセージに塩漬け肉、乾燥果実にこちらは夏のキノコを干したり油に漬けて作った保存食の類いが満載だ。

 魚類に関してだけは「匂いが衣服に移るものは勘弁してくれ」と、夜魔の姫にやんわり断られていたが。


 アシュレへの献身を至上のしあわせと感じるらしい蛇の姫とは違い、美食の権化たるゴウルドベルドは当然のように対価を要求した。

 具体的に言えば物々交換だ。

 その内容はといえば、高山に棲むという雷鳥や貴重な野禽の類いを捕まえてくるようにという注文だった。


「いいか、内臓は決して抜くのではないぞ我が友よ? 彼奴きゃつらは臓腑がまた美味いのだ。仕留めたならば血抜きせず、雪に詰めて保存せよ。さすれば臓腑が傷むこともないし、血の薫りが肉に回り最高に気高き食材となる。氷ではだめだ、雪だぞ? 氷では肉が凍傷になるヤケドするからな」


 成就の暁には我が特製のローストに雷鳥の肝入りシチューのパイ皮包み焼きを味わわせてやろうほどに、と饗宴の穴フィースト・ピットの王であるオーバーロードは請け負った。

 なんでも肝入りシチューは非常に濃い血の味に歳経た極上のワインがごとき風味が加わり、たいそう美味なのだという。


 バラージェ家という小さくとも名門貴族の出自を持つアシュレは、それなりに野禽ジビエやイノシシ、シカなどのいわゆる狩猟肉ゲームミートを食したことがあるが、高山に棲む雷鳥を食したことはさすがにない。

 どんな味なのかと想像しながら吹雪の切れ目に雷鳥や野鳥の類いを探したものだが、こちらの任務はまだ達成できていない。


 ともかく力と持てる資材を惜しみなく貸してくれた蛇の姫や豚鬼王オークキングのおかげで、雪中行軍の苦労が嘘のように捜索隊のキャンプは豊かなものになった。


 そしてここが美人姉との差のつけどころとばかりに気合いを入れたスノウの料理は、なるほど自ら請け負っただけのことがある素晴らしい味わいだった。


 ただ張り切り過ぎるのか量がかなり多いのと、ときおりコソコソ隠れて料理になにか加えているのだけが気になった。

 見咎めて聞くと「こ、これはっ、そのっ、か、隠し味です! 愛情の隠し味!」という返答だけが返ってきた。


 絶対怪しいけど……と思いつつもアシュレは空腹に負けて、スノウの拵えてくれたブラッドソーセージに血のパテを加えた豆類の煮込みを掻き込んだ。

 煮込みは薪をやたらと使うので、実は野外ではかなり贅沢な食事に分類される。

 潤沢な事前準備がなければできない芸当だ。 

 

「ワインビネガーをベースにマスタードとハチミツで味を整えてあります!」


 これがわたしの隠し味です、どやあ。

 という感じで宣言するスノウをシオンと一緒になってすごいすごいと褒め称えると、スノウは得意げに胸をそびやかした。

 なるほど若者は褒めて伸ばすに限る。


 ハーブを漬け込んで作ったという金色のハチミツ酒とレモンの薄切りを手鍋で熱くしててゴブレットに注ぎ入れれば、ゆったりとした時間がアシュレたちを包み込んだ。

 アテルイお手製の甘い焼き菓子などで英気を養う。

 ここがベースキャンプを遠く離れた秘境であり、洞窟の外は眼前にかざした掌さえ視認できないほどの猛吹雪であることなど、すっかり忘れてしまうとような素晴らしい食卓と食後のくつろぎだ。

 パレスから失敬してきたアラム風の敷物を敷き、これまた備え付けてあったクッション類にもたれかかれば、どこの移動宮廷かと見間違えるような快適な居住空間であった。


「うまい。これはうまいな!」

 

 夜魔の姫は、新たな妹の料理をベタ褒めしたあとで、ふっと真顔になった。

 ん? と一瞬だが眉根が寄せられた。

 なにか思案するような、口中のものを吟味するような表情を見せる。


「どう……したの? シオンねえ。なにか変な味、した?」

「そなた……これは……ふうん。うむうん。そうかそういうことか」

「えっ、なに。どうしたのシオン? なにか気になることあった?」


 まじまじと妹であるところのスノウの瞳を覗き込んだシオンに、アシュレは思わず訊いた。


「いやなに、なかなかワイルドな……野趣溢れる味わいだな、と。そなたにしては珍しい、かなり攻め込んだ風味だ」

「で、でしょう? ちょっとゴウルドベルドの調味に感化されたというか刺激を受けたというか、あはあは」


 真の王侯貴族であり舌の肥えた美食家でもあるシオンから、なにか鋭い指摘が来るとでも思ったのか、緊張を隠せない感じでスノウが手を振って見せた

 なるほどシオンの感想は、アシュレの感覚にもぴったり来るものがある。

 この料理はスノウという料理人が見せた新境地とでも言うべきモノだ。


 だが、シオンがスノウの料理に見出していたものは実はそれだけではなかった。


 思えばこのとき感じていた違和感を、アシュレはシオンによって料理の個性だとすり替えられていたのだ。

 シオンとスノウ、図らずも疑似的姉妹関係となったふたりは、こんなところでも言葉を介さずに共謀していたことになる。


「スノウの料理を食べるのはこれが初めてじゃないけど、たしかにここまでのものはなかなかないな。すごく貴族的というか、血が滾る感じの味付けになってる。ブラッドソーセージに使われているイノシシやシカの血のせいかな? それともハトやなにかの血や肝をゴウルドベルドが練り込んで作ったパテのせいのか、ともかくこれぞジビエって味だ。いかにも王侯貴族が好みそうな強い薫り。官能的といえばいいのかな? 興奮する味? 庶民の食事じゃないね、これは。どうやってこの風味を引き出したのか、ボクも知りたいな。これならゴウルドベルドも驚くんじゃないか?」


 アシュレの同意と絶賛に、えへへえへへへへ、とスノウは笑った。

 緊張していたのか、それとも大鍋料理との格闘のせいか、額にかいた汗をひっきりなしに拭う。


 ここでアシュレはもうすこし注意深くあるべきだったし、シオンの変化に敏感であるべきだったし、もっといえばスノウの言うところの隠し味について問い詰めるべきだった。







さて、明日からはこれまで通り、基本的に平日更新に戻させて頂きます!

あ、昨夜分(つまり前回分)冒頭に加筆した部分があるので、よろしかったら読んでみてください!


でわ!

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