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燦然のソウルスピナ  作者: 奥沢 一歩(ユニット:蕗字 歩の小説担当)
第七話:Episode 5・「竜玉の姫・屍竜の王」
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■第一四八夜:裏切りは白きとばり

         ※


 腐臭が鼻を突いた。

 臭気には硫黄の匂いも交じる。

 分厚く垂れ込める瘴気は、まるで古い血のように粘ついている。


 常人であれば吸いこむだけで危うい、濃い怨念が世界を満たしている。


 イズマはその奥に、わだかまる闇を見た。


 じゃらりじゃらり、と闇が縛鎖を──その鎖の輪を数えている。

 丸められ歪められた背には、巨大な銛が一本突き立っている。

 いや、よく見ればその肉体には無数の武器が、剣といわず槍と言わず、あるいは無数のやじりまでもが突き立っていた。


 まるで多くの血が流された呪われし戦場のよう。

 刃に貫かれぶちまけられた臓腑から流れ出す糞尿と、血液と苦悶の涙を吸いこんだ泥の匂いまでそっくりだ。


 その闇がどうしたものか、イズマの気配を感じたのか。

 ゆっくりと、突き立つ武具の数々を不吉な遠雷のように打ちつけ鳴らしながら、振り向いた。

 そして、問う。


「なにものか」と。

 破れ鐘のごとき咆哮で。

 ヒトの言葉ではない。

 あれはもっと古き──竜の言葉だ。


 イズマにはアレが何者なのか、もう見当がついていた。


 出逢うよりもずっと前に。

 アシュレが蛇の姫からその名を聞きだしたときから、すでに。

 あのときイズマはことの一部始終を、アシュレの頭髪に忍ばせた蜘蛛を通じて見聞きしていたのだ。

 

 竜王:スマウガルド。

 その名を知り得ていた。

 そして、この空中庭園:イスラ・ヒューペリアが彼の者の封土だということを知っていたのだ。


 それだけではない。

 さらなる理解に及んでいた。


 この島のいずこかにスマウガルドは必ず潜んでいると。

 生きているか、死んでいるか、ではなく存在ビーイングとして。

 

 なぜなら《フォーカス》は、その駆動に必ず《スピンドル》か《ねがい》を、あるいは《魂》を必要とするからだ。

 短期的には例外がなくもないが──人体改変の魔具:ジャグリ・ジャグラのような──それにしたって、蛇の姫の受けてきた仕打ちとその時間を考えればどこからも補充がなければ、必ずその源泉リソースは枯渇し機能は停止する。

 何十年と《フォーカス》だけで超常の存在を組み伏せることは、できはしない。

 

 では蛇の姫はなぜ、めまいを起こすほど長い刻の間、あの拷問具に囚われていたのか。

 

 それはどこかから定期的に《スピンドル》なり《ねがい》なりを投じた者がいたからだ。

 《魂》の持ち主はアシュレだけだから、これはない。

 そも彼はあの恥知らずな(けれどもそこが魅力的な)《フォーカス》の主人ではない。


 つまり、どこかに必ずあの忌まわしき拷問具の主が、使い手がいる。


 では、その《スピンドル能力者》かオーバーロードは、どこにいるのか。 

 そしてどうやってそれを可能にしているのか。


 無論、その《フォーカス》がだれ・・の持ち物であったのかを考えれば、自ずと明らかというものだが……。


 しかしどうやら今宵、ボクちんはその正確な答えに巡り合えたようだ。

 イズマは嗤う。

 

 苦く、暗く、軽々しく。


「ヤレヤレ、正解を引いちゃったみたいだネ」と。


 一筋縄ではいくまい。

 拗くれ腐れ落ちる肉体を露にした相手を眺める。

 ふざけているようでいて、子細に観察する。


 ゴアアアアアアアアア、と大きく開かれた闇の口腔が、苦笑する土蜘蛛王に叩きつけるような瘴気の渦を浴びせかけた。



         ※



「下った? イズマが、オーバーロードの軍門に?」

「そうなんだ、しかも……」

「赤竜:スマウガルドの屍?! それはまことか? わたしを担ごうとしているのではないか、アシュレ?」


 アシュレから魔導書グリモアを用いた超常的捜査の結果とその報告を受けていたシオンは、ついに驚愕の声を上げた。

 冷静沈着を絵に描いたような夜魔の姫が、こんな取り乱し方をするのは極めて珍しい。

 

 部屋に入ってきたときは、過去閲覧の最中に漏れ聞こえてしまったスノウのアシュレに対する極まった懇願こんがんや誓願を完全再現して義妹を文字通りベッドのマットに沈めたりしていた夜魔の姫だが、スノウとアシュレが突き止めたイズマに関する事実を聞くうち、その美貌びぼうからはみるみる血の気が失せていった。


 無理もない。

 

 そこで明らかになった事実。

 それはイズマの裏切りだったからだ。

 しかも相手は赤竜:スマウガルド。

 かつてこの空中庭園に君臨したという暴君に、だ。


「そなた、それはいくらなんでも飛躍があるぞ」

「いや事実なんだ。イズマはこの山塊──雪雲山脈と仮に名付けよう──の地下に広がる地下迷宮の奥で赤竜:スマウガルドの屍と出逢った。オーバーロードにして怨念の塊と化したそれに遭遇し、どういうわけか忠誠を誓ってしまった。その証拠に自ら元本オリジナルの傀儡針を差し出し、これをスマウガルドに使わせもした。いまや彼はスマウガルドの忠実な下僕しもべに成り下がっている」

「それは操られているとか、そういうことではないのか。自ら進んで下ったと、そうそなたは言うのか?!」


 シオンの声には、ハッキリと動揺があった。

 いつもはイズマのことを軽んじているように見えて、もっとも信頼していたのはこの夜魔の姫なのかもしれなかった。

 だからこそ、これまでどんな窮地にあっても、のらりくりと重圧を躱して最後には勝利を収めてきた土蜘蛛の王の裏切りが信じられないのだ。

 いや、信じられないのはアシュレだって同じだが、これは他者の過去を暴く魔導書グリモア:ビブロ・ヴァレリを用いて確かめた、紛れもない事実だ。


「それはなにか、なにかの策ではないのか? イズマのいつもの……」

「ボクもそう信じたいけれど……いや信じているけれど、魔導書グリモア:ビブロ・ヴァレリの能力は内心までは記述できないから確信を持てない。わかるのはイズマがなにを言い、どうしたかという客観的な事実だけなんだ。それに対してスマウガドがどう応じたのかもわかる。でもそれ以外のことは、なにもわからないんだ」


 シオンが両の掌を合わせるようにして鼻先と口元を隠した。

 深く息を吐く。


「なるほど……この話、わたしたちだけの秘密のしておきたいというそなたの申し出、その意図がよくわかったぞ」

「特に土蜘蛛のふたり……エレとエルマには黙っておきたいんだ。いやそれだけじゃない。真騎士の乙女たちにもだ。彼女たちにはまだ土蜘蛛という種族への根深い不信感がある。戦隊を割るようなことを、ここでするのは避けたい」

「是非もなし、か」

「だけど収穫がなかったわけじゃない。イズマはいま地下迷宮=龍穴に縛られているスマウガルドの代わりに手足となって、地上世界にも顔を出しているらしいんだ。場所はここ。なぜか雪雲山脈の──このあたりに出没している」


 言いながらアシュレはこの空中庭園:イスラ・ヒューペリアの地図を指さした。

 これは戦隊の司令本部、その円卓に置かれている元本ではなく、シオンが夜魔の完全記憶を用いてつい先ほど、即興で作り出した完璧な写しだ。

 アシュレの求めに従い、羊皮紙の上にシオンが素早く地図を再現したのだ。

 

「常に深い霧と吹雪に煙る雪雲山脈──なるほど、ここに龍穴への出入り口があるのかもしらんな。だとすればいろいろと腑に落ちる。あれほど濃い霧と吹雪では、いかに真騎士の乙女たちが鷹の目を持とうとて見通せまい」

「たぶんなんだけど、雪雲山脈のこの一帯に立ちこめている霧や晴れない吹雪は一種の結界なんだ。物理的に他者を拒む障壁としてだけではなく、上空から注がれる視線からも内部にあるものを覆い隠している」

「それが竜たちの保養地ではないか、とそなたは言うのだな?」

「冷たい風が吹き込むカルデラ地形の奥で温泉が湧いてたりすれば、霧や吹雪が晴れないのも理屈が通るだろ?」

「温泉の熱は叩きつけるような冷気に霧となって上空へ逃げ続け、そこへ至る回廊はその上昇気流のせいで常に吹き込む風に吹雪が止まない……」

「結界を越えて深部まで至ればもしかしたら事情が違うかもだけれど、すくなくとも外部から内部を見通したり、ましてや侵入するのは相当に困難だと想像できる」

「決まりではないか。行こう、アシュレ。イズマがどうして下ったのか、その本心を聞き出すためにも直接会って話をせねばならぬ。過ちであれば即座に正さねば、戦隊の今後に関わるぞ」


 そんな話をしたのが三日前の夜だ。


 アシュレたちはいま吹雪の結界の只中にあり、その渦中で見出した洞穴にいて暖を取っている。


 土蜘蛛王救出作戦と銘打たれたこの探索行は奇しくも夜魔の姫が提案した通り、アシュレとシオン、そしてスノウの三人によるものとなった。


「我ら夜魔は氷雪を苦としない。雪に足を取られることもない」

「わ、わたしも雪国生まれ、雪国育ちですので雪中行軍はお手の物です!」

影の包庫シャドウ・クロークがあれば食料や燃料を担いでいく心配もない。わたしの衣装棚にサラミやワイン、それに薪を詰めるのは業腹だが緊急事態だ、やむを得まい」

「お料理はわたしにお任せを! アテルイさん直伝の愛情料理の数々を堪能して頂けますし! 騎士さまにもシオンねえにもきっと満足してもらえるかと!」

「わたしとアシュレは心臓をひとつとして共有している間柄。この身にはジャグリ・ジャグラも埋まっている。いずれの主人もアシュレだから雪中ではぐれても位置を見失うことはないし、それは我が妹:スノウも同じであろう」

「わ、わたしたちなら雪で衣服が濡れてしまっても、暖を取るとき躊躇せずに済みますし!」


 スノウが発した最後の主張に一瞬、戦慄にも似たなにかが戦隊を走り抜けたものの、提案はおおむね了承というカタチで認められた。

 作戦会議が終わったあとでアシュレのもとに駆けつけてきたのは、想定した通りエレとエルマのふたりだった。


「アシュレ、今回のこと、きっと頼んだぞ」

「イズマさまのこと、よろしくお願いいたしますの」

「エレ、エルマ。キミたち、なぜ自分たちが捜索隊から外されたのかについては聞かないの?」


 このような探索行にあって、エレの斥候としての才能とエルマの占術は限りなく有効であったにも関わらず、アシュレはふたりを選抜から外していた。

 問いかけに応えたのはエレだった。


「オマエはこれまでイズマさまの消息のこと、わたしたちのことを軽んじてはこなかった。いまもまた魔道書グリモアという非常手段を用い、出来る限りの手を打ち続けてくれた。その男が決定した人選だ。文句などない」


 含むところのないハキハキとした口調で答えが返ってきた。

 アシュレは感謝と安堵のため息をもってこれを迎えた。


「そう言ってくれるとボクも助かる。今回の件、一番大きな要因は、土蜘蛛という種族の長時間の雪中作戦行動能力についてだった。ふつうに雪が積もっているくらいなら、まったくもってどうってことはないだろうけれど……エレもエルマも実は長時間の極低温世界って得意じゃないんじゃないのかな、種族的な特徴として」

「うん、それは正しいな」


 アシュレの指摘を素直に認めてエレが言った。


「土蜘蛛はどんな環境にも対応する。だがそれは適応とは違う。道具や様々な薬剤を用いて環境に対抗しながら短期決戦を目指す、というだけのことだ。人類に比べてさえ我々のスタミナはすくないんだ。呪術や薬品で押し上げているだけで、傷の治りや環境変化にもあまり優れているわけではない。強い薬品の常用は間違いなく心身を害するしな」

「さらにいま戦隊の物資は──特にその強力な薬品に関する資材が払底していると言っていいからね」

「オマエが持ち帰ってくれた魔獣の希少部位でスタミナの霊薬エリキシルは幾本か確保できたが……だからといって、な。潤沢とは言い難い物資を蕩尽とうじんすることはできまいよ」

「ものわかりがいいんだね。ちょっと意外というか。助かるけど、食い下がってこないふたりって不思議な感じだ」


 戦隊のリーダーとしての決断を全肯定するように頷いてくれるエレの態度に、なぜか違和感を感じてアシュレは訊いてみた。

 返ってきたのは自嘲気味な笑いだ。


魔導書グリモアを用いての調査で、なにかあったのだろう、イズマさまに」

「オーバーロードの結界から出られなくなっている、っていうのは伝えたよね」


 アシュレの言葉に、ふふん、とエレは笑っただけだった。

 視線は伏せられ、その瞳はアシュレではないどこかを見ている。


「今回捜索隊を外されたのはわたしたちだけではない。ノーマンやアスカリヤを始めとする人類組だけでなく真騎士の乙女たちも加わることを許されなかった」

「レーヴには結界への突入直前までは付き合ってもらうけど……」

戦乙女の契約ヴァルキリーズ・パクトのためか?」

「……うん、まあ、そうかな。真騎士の乙女の献身をモノみたいに扱うのは気が引けるけど、極限の環境に挑むんだ。いくらシオンから影響を受けて夜魔に近づいているといっても、結局ボクは正統の血筋にはなれないしね。その、なんだ、うん」

「ふふん、うまくはぐらかしたな。悪党のふりがうまくなった。だが、わたしたち土蜘蛛は暗殺と謀略を司る一族だぞ? 気がつくさ」


 なにに気がついたのか、エレは言わなかった。

 アシュレにはしかし、土蜘蛛の姫巫女が呑み込んだ言葉がわかっていた。

 

「戦隊を割りたくないのだろう」という。


 いま志を同じくして見えるアシュレたちの戦隊は、実は一枚岩ではない。


 エレもエルマもアシュレに協力してくれてはいるが、彼女たちが心酔し仕えているのはイズマという土蜘蛛の王にであって自分にではない。

 もしイズマが本気で屍となった赤竜:スマウガルドに仕えると決めたなら、彼女たちはそれに従うかもしれない。

 いや従うだろう。


 そうなったらアシュレたちは屍と成り果てた竜の王:スマウガルドとイズマのふたりだけでなく、エレやエルマという強力な姫巫女ふたりをも敵に回すことになる。

 そうなればいつかのカテル島での再現、いやそれ以上に厳しい戦いを強いられることになる。

 さらに最悪なのは、たとえ勝利したとしても、アシュレたちは土蜘蛛の王と姫巫女の三名を失うことになるかもしれないということだった。


 いつか上水道を解放する探索行のなかでエレは言った。

 いまこの機会にわたしを組み伏せ篭絡しておくべきだったのにな、と。

 情でほだし、色欲に溺れさせて、姦通の共犯としておくべきだったと。


 その懸念がここで実現したというわけだ。


 アシュレが真騎士の乙女たちを連れて行かないのも、だからだ。

 敵の軍門に下ったイズマがなにかの間違いでレーヴや妹たちに手を出せば、真騎士勢力は間違いなく土蜘蛛すべてを敵対視するだろう。

 そうなってしまったら、戦隊を二分する争いに発展することは止められない。

 さらにそれが飛び火してアシュレたち人類や、夜魔の姉妹がどちらにつくのかという泥沼の争いになりかねないことは容易に想像できた。


 アシュレがノーマンやバートン、アスカといった人類組を残していくのは、そのような懸念が現実のものとなりかけたとき二種族の間に入って止めることができるのは、彼らをおいてほかにないと判断したからだ。 


 ただエレとエルマ、ふたりの姫巫女が違っていたのは、そういうアシュレの心労と配慮を事前に察知し、自ら引くことでそのリスクをコントロールしてくれようとしていることだった。

 深い感謝の念が湧いてくるのをアシュレは止められない。


 だからひとことだけ答えた。


「ありがとう、エレ、エルマ」


 王器の片鱗を見せはじめたヒトの騎士にエレは大きくなった弟を見るような、一方のエルマは、はにかんだ乙女の表情で応えて見せた。




というわけで、ちょっと原文から趣向を変えてお届けしました。間に合ったネ!


でまあ、以下は今回使わなかった部分です。

供養というかどんな風に推敲してんのかなー、みたいな参考になったら。


でわ!


2022/01/14追記

なんかいいこと思いついたので足しといたマス!


         ※


 かくしてスノウにとってのはじめて・・・・の時間は、無事に過ぎた。

 いやこういうのは無事と表現していいのか。


 ともかくアシュレはスノウの肉体から必要な情報を得ることに成功した。


 イズマの居場所。

 消息を断ったこと、そしてなぜベースキャンプに帰投しないのか、というその理由についてだ。


「いいかいスノウ? さっきのことは、ボクと君だけの秘密だ。知らせるにしてもシオンだけのほうがいい。いやシオンとだけは共有しておこう。さもないと後々まずいことになる」


 ふたりきりのうちに話をつけておこうとしたアシュレだったが、ナニをどう勘違いしたのかスノウの反応は予想よりも遥かに凄かった。


「ひやっ?! ちょちょっとまってくださいっ。それじゃなんのためにシオン姉にこの部屋から出ていってもらったんですかっ?! ダメダメダメッ。騎士さまの嗜虐者サディスト! そんなの恥ずかしくて死にます! ちょっとでも知られたら舌噛んで死んでやるから! たしかにしましたし、されてしまいましたし恐いくらいよかったし! それらすべてがすでに焼印状態で取り消せませんよ状態ですがッ──あの秘事の数々を知られたら死んでやるッ、むしろ即死ッ!」


 アシュレは飲みかけのワインをゴブレットに吹き出した。

 自身がすでにいろいろ人倫を踏み外していることは認めるところではあるが、露見したらスノウが舌を噛み切るほどのことを自分は……したかもしれない。

 いや、逸脱したかどうかは問題ではない。


 シオンと共有しようというのはその話ではないのだ。


「いやいや、ちがうスノウ。そっちじゃなくてイズマの話だよ。さっき突き止めた事実のうち、イズマの生存と彼がいま居る場所までは、みんなに話してもいい。でもなぜどうしてイズマがそこにいるのか、いまどうしているのか、このふたつはダメだ。戦隊に動揺が走る。でも、だからこそシオンとだけは共有したいんだ。この三人だけで今すぐ」

「あ、ああー。あああー。そっち。そっちですか……。焦った。まさかさっきのこと全部話されちゃうのかと思いました……」


 そんなわけないでしょう。

 ワインに咳き込みながら返したアシュレだったが、両手を火照った頬に当て冷ますようなスノウの仕草に、一瞬だけではあるがそのプランを実行したときの彼女の反応を想像してしまった。

 愉悦にも似た感情に心が動いて、かすかに高揚した。


 アシュレ自身が、そういう趣味を持っているのでは断じてない。

 ないと思う。

 スノウがイズマの行方を知るために行った魔導書グリモアの儀式の直前に、あんな訊き方をするからだ。

 

『どうなんですかっ。ホントのこと教えてください。わたしみたいな女のコの秘密を握って、これから一生暴き続けて……人生をメチャクチャにできるようになった感想をどんなふうに思うのか聞かせて! 聞かせてください! 騎士さまの、ごしゅじんさまの本音をッ! じゃないとわたしだけ、わたしだけ全部知られてズルい! ズルいですよッ!』


 齧りつく勢いでスノウは問うた。

 詰問にも似た哀願。

 なるほど、とアシュレは思う。

 自分の本心だけを暴かれ続けるというのは一方的に弱みを握られ続けるだけでなく、秘密を持つことを許されないという意味でもあったからだ。

 たしかにその彼女に、主人たる自分が彼女の一生を踏みにじる権利を得たことについて話さないのは、控え目に言っても不公平アンフェアだ。


 だからアシュレは答えた。

 ひとことだけ。


「……最高だと思う」と。


 ひっ、という小さな悲鳴がスノウの返答だった。

 結果として、その後アシュレを見るスノウの瞳には、隠しようのない恋慕に畏怖にも似た怯えが混じることになる。

 ただ嫌われたわけではないことは、アシュレの服の袖を離そうとしないスノウの左手が教えてくれていた。


「そなたら、もうよいか。済んだか? 入るぞ?」


 夜魔の姫が呆れた調子で乗り込んできたのは直後だった。


「ひゃっ。シオンねえ?! あああ、あのあのあの、申しわけありませんッ! 長々とお邪魔してしまって。ご主人さまを独占して申しわけありません! すぐに片づけますから! わたしを、わたし自身を! ええこう消し去りますので!」

「まてまてまて、そなた自身をどこに片すというのだ、慌て者! よいわ、それはわたし自身も認めたことだ。それにその甲斐あって有益な情報も入手できた様子。魔導書グリモアの《ちから》も無事に使いこなせたようだし、まずは重畳ちょうじょうといったところか」

「ひやっ?! は、はい。そう上手く行きました。はじめての騎士さまとの共同作業でしたが、ふたりの心を合わせてですね? ちゃんと騎士さまの道具としての責務を果たしましたよッ?! こうあくまでも道具的にッ!!」


 事実を一部省略して力説し、スノウは両手で握り拳を作って見せた。

 そんな義妹の姿に、シオンは半目になって告げた。


「ふうむ、素直になるのはいいことだが節度は保てよ、妹よ。そなたわたしの見立てでは想い人に迫られると完全にメロメロになってしまうタイプだぞ。口では生意気言って強がって見せていても、抱きすくめられたら即オチ。善悪の見境なく盲目的に尽くしてしまう仕上がりになると見たぞ」

「ひゃっ?! え、え、えとそれわどういう意味、でしょう?」


 ほんのちょっとカマをかけられただけで、スノウのディフェンスはズタボロだ。

 一部始終が露見するのは時間の問題と思われた。

 情報収集に抜群の才能を示すというのと、防諜に秀でているというのは別の意味なのである。


 眼前で始まった姉妹喜劇を呆然として見ていたアシュレだったが、気を取り直しシオンの袖を引いた。


「ん、なんだアシュレ。どうした」

「うん。実はちょっと困ったことになっていて。早急にキミには話しておかなければならないことがあるんだ」

「ふむん? そなたらふたりがどんな感じに困ったことになってしまったのかは、待合室でほとんど聞いていたがな? いや出歯亀しようとしたのではない。そなたに征服される妹殿の声が大き過ぎて全部聞こえたのだ。耳を塞いでいるのも業腹だし、いったいいつ終わるのかと呆れ果てて待っていたのだが」


 困ったことになったという話をどう解釈したのか、シオンがさらりと凄いことを言った。

 ドッと汗が噴き出すのをアシュレは禁じえない。

 スノウは早くもベッドに顔を突っ伏して倒れた。

 墓穴掘りの特売セール。

 あるいは窒息死を願っての五体投地か。


「いやシオン、違うんだそっちじゃない」

「『ご主人さま、わたしわたしっぜんぶ捧げます。手荒くスノウを躾けて。イケないに罰をください』──みたいな調子でそれはもうずいぶんと妬いたわ。可憐なこと、いじらしいこと、そしてなんという破廉恥で淫らでふしだらなこと」


 シオンの演技は抜群にスノウに似ていた。

 さすがは夜魔の完全記憶、再現は完璧だ。

 あまりの完成度にさすがのアシュレも右手で顔を覆う。

 耐え切れず跳ね起きたスノウは羞恥に爆発寸前だった。


「ししし、シオン姉?! 聞いた?! 聞かれてた?! あああああ、ここここ、ころせ! 殺してエエエエ!! 死ぬっ、死んでやるっ! 舌噛んで死ぬんだあああああ!! いまここでッ!!」

「シオン、煽るの止めて! スノウも落ち着いて!」


 慌てふためくふたりにシオンは余裕の笑みを浮かべて見せた。

 黙るがいい、と王族然とした口調で前置きして続ける。


「なんにせよ、次はわたしの誓いの番だからな? 我が騎士殿に夜魔の姫の誓願の果たし方を教えてやろう。スノウ、そなた後学のために同室するか?」


 自信に満ち溢れた宣言にスノウは気圧され言葉を詰まらせる。

 そんな義妹をひたと見据えて、夜魔の姫は告げた。

 

「恥ではヒトは死なぬ。半夜魔ならなおのこと。よいか妹よ? 死ぬならば誓いに身を捧げ尽くし、その最中に果てるが良い。それ以外で死ぬの生きるのなどと、軽々しいわ」


 妹への訓示を終えた姉は、アシュレに向き直る。


「して、ことの次第は?」


 簡潔に問うた。


         ※

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