■第一四二夜:美は勝利の印
「わたしに? 無防備な姿で? ほう」
シオンの返答は至極あっさりとしたものだった。
「それは命令か、アシュレ?」
「どちらかというと提案というか、お願いかな。真騎士の妹たちが考えてくれたあのプラン、効果的という意味ではすごく成功率が高いと思うんだ。だからなにか応用法がないものか、ずっと考えてはいたんだよ。あの案は標的を釣り出すところまでは悪くない。ただ、危険過ぎるという一点を除いて。作戦は成功しても囮役はかなり高い確率で攻撃を受けてしまう。良くても四肢を、悪ければ命を落とす。それで結論した。この作戦、できるとしたらシオン、キミしかいない」
「ふむん」
隣りでアシュレの寝顔を覗き込んでいた夜魔の姫に、ヒトの騎士は起き抜け話しかけた。
ここのところ眠りながら考えるクセがついてしまったよ、と自嘲しながら。
実際のところ、飛翔艇の問題は早期に解決しなければならなかった。
漂流する船はゆっくりとだが、空中庭園の端に吸い寄せられている。
そこから先はなにも押し止めるものがない、自由落下への一本道だ。
よしんば運良く岸壁の一部に引っかかって止まってくれたとしても、あれだけの質量が衝突すれば損壊は免れまい。
船体か岸壁か、いずれが破壊されるのかはわからないが、どちらにしても飛翔艇が損なわれる可能性が極めて高かった。
たとえ軽微な損傷であっても、アシュレたち戦隊には《フォーカス》の再建技術がない。
それが航行に支障を来すレベルのものであったなら、もう完全にお手上げだ。
そうなってしまったら、“再誕の聖母”:イリスベルダと、その胎内に宿る存在の誕生を阻止するというアシュレたちの戦い自体が、継続の危機を迎える。
あの船はここから旅立つにも必要不可欠な移動手段なのだ。
だから、この問題は即座に対応しなければならなかった。
「キミならいざというとき、影渡りで緊急退避できる。水の中であろうとも夜魔の持つ生命感知の《ちから》は働くから、攻撃を事前に察知できる可能性も飛び抜けて高い。真騎士の乙女たちの空中機動が遅いってわけじゃないけど……天性の狩猟者の反応速度、襲撃速度を舐めたら大変なことになる。一説によると鮫の狩猟成功確率って九割近いらしいんだ。昔、漁師に聞いたんだけど、ほとんど仕留め損なわないって」
それに、と付け加えた。
「ときに鮫は海面に降りてきた水鳥を真下から襲って捕食することもあるって」
「なるほどな。それでわたしに、というわけか」
たしかにわたしなら手足の一、二本食われてもどうということはないしな。
どこか自嘲するように言うシオンにアシュレは飛びついた。
「ちが、違うよ! それは違う!」
「おやおやこれはこれは。わざわざ抱きしめてくれるとは、ずいぶんと想われたものだな。そういえばそなた、わたしやスノウがあのバラの神殿でそなたを護ろうと必死に戦っておった隙に、なんだかかなりと男を上げたそうではないか?」
鋭い指摘にギクギクギクッ、とアシュレの心臓が不整脈を打った。
その心臓はシオンと共有であるからして、夜魔の姫もその動揺を感じ取ったのは間違いない。
背筋に得体の知れぬ寒気が走るのを感じたアシュレだ。
一瞬にして硬直したヒトの騎士の抱擁をしばし甘受したあとで、夜魔の姫は盛大に吹き出した。
「そなた、ホントに嘘がつけぬな」
容赦なく笑い飛ばしてくる夜魔の姫に、シオン相手じゃ分が悪過ぎるよ、とは言えなかった。
男を上げるという言葉の意味するところが、鮮明なビジュアルを伴って走馬灯のように脳裏を駆け巡ったからだ。
思い出すだけでめまいを覚えるような──めくるめく──数々の体験。
「あの……ホントに、ごめんなさい」
「よい。どーせまた、泣いている女たちを放ってはおけなかったのだろ?」
完全に見透かされている、とアシュレは思う。
両手で顔面を覆うと、寝汗ならぬ冷や汗がダラダラと頭頂部から湧いた。
あーあー、と呆れたように言いながらシオンが身を預けてきた。
「しかたのない男だことだ。だが、それをいまさら嘆いたり怒ったりしても詮無きこと。そういう男だから好いてしまったのだし、それはある意味でわたしの責任なのだしな」
「シオン……あの……」
「ま、報告は後々聞こう。怒る気はない。そうでなければスノウとのことだって最初から認めはせなんだよ。そなたのところに来る女たちは、順序が違っただけで、そうなるしかなかった者たちだ。それはわたし自身のことでもある。それを否定することは己自身を否定するようなものだからな」
これが真の王族の器量というものか。
この事件を解決したら、洗いざらい告白するとアシュレは約束した。
「そのかわり、この作戦が終わったら数日は独占させてもらうぞ、そなた。スノウとふたりで、だ」
「ふ、ふたりでッ?!」
「バラの神殿での最大の功労者はわたしとスノウなのだから当然であろ? あと、次の探索行には必ずわたしとともにスノウを同伴すること。よいな?」
「ア、ハイッ!」
どうやらシオンにとってもスノウはすでに血縁というか、義理の妹に等しいらしかった。
ヒトの縁とはおかしなもので、ときに血より濃い縁を作るというが、シオンとスノウのそれもまたとびきりだ。
もしかしたら、あの可能性世界で繰り返される地獄を、ふたりのパーソナリティを持ち寄りひとつに融合させて乗り切ったことと、なにか関係があるのかもしれない。
それ自体はかまわないというか、僥倖と呼ぶべき奇跡なのだが……。
その姉妹同然となったふたりといままさにアシュレは同衾しており、この先もそうなるというのはそれは倫理道徳的にどうなんですかと懊悩するしかない。
スノウのほうもひどく恥じ入り罪悪感にさいなまれながらにしても、その状況を受け入れているあたりが話をややこしくする。
だが悩んでいる暇もまた、アシュレにはなかった。
事態は急を要していたのである。
こうしている間にも飛翔艇は地上への自由落下をキメるかもしれないのだ。
「日が昇り霧が晴れたら、早速にも作戦を実行に移そう」
「わたしも、わたしもやります! その囮役!」
シオンが実行を断言したのと、裸身にシーツを巻き付けただけのスノウが跳ね起きてきたのは、ほとんど同時だった。
※
それでいまこんなことになっている。
アシュレは眼前で展開するシオンとスノウふたりの、輝かんばかりの美に目が行ってしょうがない。
シオンは自前の肌着というか、以前温泉で見かけたことのある水着を何着も用意していたが、スノウのほうにはもちろんそんな持ち合わせなどなく、シオンのそれを一着借り受けたらしい。
小柄な身長も合わせ、普段着のときは本物の姉妹かと見まごうくらいによく似ているふたりだが、こうして肉体の線が丸分かりな服装になるとスノウのほうがより女性的というか、要所部分の肉付きが遥かに良かった。
そのせいで水着の位置を直すのに四苦八苦している様子が、音声とともに視界に飛び込んでくる。
危険極まりない海トカゲを狩り出すという作戦の名目上、目を逸らすことも耳を塞ぐこともできないで、アシュレはいる。
「そなた、すこしはじっとしているがいい。さもないとホントにこぼれ落ちてしまうぞ」
「でもシオン姉! 動くなって、ちょっと無理だよコレ! 胸だけじゃなくって、いろいろ食い込んでくるっていうか。あうっダメだってそこは、食い込んじゃ。ま、まって見えちゃうし! あとシオン姉、ウエスト細過ぎ! しかもコレ、どんな小尻か!」
「そなた、それは新手の自慢か。まだ十五でこの発育……将来が心配だな、別の意味で。まて、直してやるからじっとせよ!」
「ひゃうっ、だ、だめだって手を掴んだら。出る、出ちゃうから! それになにこれ、水に濡れたところ透けてない?! まって見えてるこれっ?!」
「そなたが暴れるからだ。おとなしくしていればそうはならん。いや、透けてるのは間違いないな。よりにもよって白を選ぶからだ。わかっていなかったのか? あーあー、そのように顔どころか耳も首まで真っ赤にしていては、アシュレに気取られてしまうぞ? 声が大きい!」
「だって、感じる、感じるんだよ! アシュレの、ご主人さまの視線を! やばい見られてるよ、どうしよう。全然隠せてないじゃんこの服! てかむしろ危険!」
「感じる? 視線をか? ふむん、たしかに見られてはいるが……わたしはなにも……ん、そなたまさか?!」
「そう、それなんだよ。エクセリオスに熟読されたあとから、後遺症みたいに。ご主人さまの視線を、まるで触れられてるみたいに感じるの! それも心を読まれてるみたいに的確に、感じてはダメな箇所でばかり……摘まれたり、玩ばれたり、ひねり上げられるみたいに──。毎晩、夢のなかにまで出てくるし……あううう」
「ひね、りあげられる?! 夢のなかまで?! 毎晩玩ばれて?! うーむ、エクセリオス……いいやいまアレはアシュレだから……アシュレダウか。許されざる男ッ!」
そんな感じで、突き立つような視線と恨むような恥じらいに濡れた視線とを感じながら、アシュレは時間を過ごした。
結果として作戦は大成功だった。
水辺に遊ぶ可憐な二輪の華に、海トカゲ:メガネプトジェンシスは食いついた。
古代種にとってもふたりの存在は抗いがたいものとして作用するという、これ以上ない証左であった。
スノウを抱きかかえたシオンが影渡りをキメた瞬間、水中から飛び上がり姿を現した巨大な海トカゲの口腔に、アシュレは竜槍:シヴニールの一撃を見舞い、これを退けた。
第二射手として別の狙撃点からの十字砲火を準備していたレーヴが、雷槍:ガランティーンを使う必要もなかった。
湖水の平和は取り戻されたのである。
その後、アテルイの霊査による水中の安全確認と漂流していた飛翔艇の回収が真騎士の乙女たちによって行われ、ノーマンとバートンの尽力により頑強に再建された桟橋に係留が成されたのを合図に、水辺は一気に祝宴の場となった。




