■第一四一夜:海トカゲは水着女子の夢を見るか
「そなた、ソレはちょっと大胆過ぎるチョイスではないのか? 胸が……横にも上にも飛び出してしまいそうになっておるぞ。作戦的に挑発は必要だが、手段を選ばずというモノではあるまいに。すこしは慎むが良い」
「そ、そんなこと言ったってシオン姉。これが一番合うサイズだったんだから仕方ないでしょ?! わ、わたしだって好きでこんな格好しているわけじゃないんだから!」
「だったら別にわたしと張り合わずともよかったであろう。向こうでアシュレのそばにいたらよかったではないか。無難に、陸地に平服で。水遊びの体裁は取っているが、これは遊びではないし、そもそもそなたこの作戦の危険性を理解しておるか?」
「わ、わかってるし! それに、わたしだけ陸地で平服だなんて! そんなことできるわけないじゃないッ! 危険な任務だからこそシオン姉だけに任せるなんて無責任できないし! だいたい……アシュレの……ご主人さまの視線を姉が独占とかそんなの……ぜったい許せない」
「そなた……そっちが本音か……」
対抗意識丸出しの義妹の言葉に、シオンは深々とため息をついた。
シオンとスノウのふたりはいま、この空中庭園の地に自分たちを導いてくれた飛翔艇が見える岸辺で水遊びをしている。
もちろんただ遊んでいるわけではない。
これはこの湖水に潜む極めて危険な古代種、海トカゲ=メガネプトジェンシスを討伐するための作戦であり、ふたりの水着姿はそのための餌だ。
断じて、そう断じて、アシュレの視線をどちらが独占するかというような恋の鞘当てなどではありえなかったのだ。
たぶん。
ちなみに、件の飛翔艇は、ふたりの眼前で桟橋の係留を外れて漂流している。
空の樽と木板を組み合わせて造り上げた即席の桟橋のほうは、もう完全にズタズタで原型を留めていない。
海の藻くずならぬ湖水の藻くず。
もちろんすべて例の海トカゲの仕業だ。
桟橋の破壊とそれに伴う飛翔艇の漂流。
海トカゲ=メガネプトジェンシス掃討作戦が実行に移されたのは、それが理由だった。
これに関して闇雲な戦力投下は、議論を待つまでもなく不適当だという認識で戦隊の見解は一致していた。
狩るにしてもそのやり方を慎重に検討すべきだと、全員が即座に認めたのだ。
なによりすでに、この湖水でメガネプトジェンシスに接近遭遇どころか敵の強襲を体験しているアシュレには、アレとの水上戦闘は危険極まりないとの認識があった。
おそらくあの巨大な海生竜の水中での危険度は、前回ノーマンが仕留めた二足歩行の陸竜、通称:ウォーヘッドに匹敵する。
あんなものとバカ正直に水上や水中でやり合ったら、命がいくつあっても足りない。
まともに勝負になるのは蛇の巫女たちくらいのものだろう。
そのような手段を持たない戦隊の結論は、遠距離からの狙撃しかなかった。
それでアシュレにお鉢が回ったきたというわけだ。
問題は、いかにヤツを狙撃可能な地点に引きずり出すかだった。
これについてはまず、真騎士の乙女:レーヴから提案があった。
彼女ら真騎士の乙女たちが上空から敵を見張りその魚影を確かめ捕捉した後、直上から竜槍:シヴニールなり雷槍:ガランティーンで狙撃しようというのだ。
なるほど、これは現実的なプランに思えたが、ふたつ難点があった。
ひとつ目は海トカゲ:メガネプトジェンシスがいつ姿を現すのか、まったく見当がつかないということだ。
巨大な古代種のなかにはその腹腔にまとまった食料を確保したなら、数ヶ月、場合によっては数年単位で絶食しても生き延びる特性を持つものがいる。
なるほどそうでもなければ、宮中庭園や遺跡の守護者の役割は果たせないだろう。
また悠久の刻を超えて生存することも難しいはずだ。
そういう意味では長命かつ希少な種族でもあり、共存可能なら生かしておくべき存在であったのかもしれないが──初遭遇時の事件やウォーヘッドとの会敵時のことを考えると、とてもではないがそれは望めそうになかった。
ふたつ目はの問題点は、メガネプトジェンシスがほかならぬ飛翔艇の真下に陣取っている可能性が極めて高いということだった。。
これは上空からの索敵を欺くと位置取りであり、飛翔艇に乗り込もうとする存在を捕食するための待ち伏せという観点からも、排除すべき敵ながら実に理にかなった潜伏位置だということになる。
桟橋を破壊したのも、飛翔艇に乗り込んでこようとやって来る小舟や真騎士の乙女たちを誘い出すために違いない。
ボクがヤツならそうする、というアシュレの呟きが決め手だった。
敵をたかだか海トカゲと侮ってはならない。
狩猟を行う強襲型生物の知恵はときに、人類のそれを凌駕する。
ましては相手は気の遠くなるような年月を生き抜いてきた古代種だ。
その身のうちに蓄積された狩人としての経験値は、アシュレたち戦隊のだれよりも凄まじいと考えるべきだった。
さて、そうは言っても問題は解決せねばならない。
さもなければ空中庭園からの脱出手段である飛翔艇は、湖水のフチを乗り越え大瀑布とともに地上に落下してしまう。
そんなことになったらアシュレたちは、この美しくも奇妙な空の庭園に永久に閉じこめられてしまうのだ。
そこで考え出されたのが、人間を餌に見立てた狩りであった。
相手がこちらを狩りたいと思っているならば、その思惑に乗ってやろうというわけだ。
ただ、この計画を思いついたのはアシュレではない。
最初に立案し自らエサに立候補したのは、なんと真騎士の妹たちだった。
キルシュローゼとエステリンゼのふたり。
活動的でお転婆なところがあるキルシュと、お嬢さま気質で冷笑家、もとい小生意気なところを垣間見せるエステルのふたりは、いまやアシュレのことを「兄さま」と慕い、なにかにつけては若き騎士の役に立とうと張り合うようになってしまっていた。
「海トカゲを釣り出すなら、わたしたちが水面スレスレを跳んで挑発すればいいと思う! キラキラ光る翼にこんな可愛い女のコがついてきたら、絶対食いつくに決まってるもん! 兄さま、どうでしょう?」
「ふっ、そのプラン、無謀と言うしかありませんわ。でもキルシュにしてはなかなかいい発案ですの。わたくしが薄絹で歌いながら宙を駆ければ、どんなにド低能の海トカゲだろうと必ず魅了されて跳び上がってくるに違いありませんもの。兄さまもそう思われませんこと?」
「薄絹ッ?! そ、その発想はなかった……大胆。兄さまの視線を独占しようって作戦か……っていうかこの計画考えたのわたしなんだからッ! なに偉そうな顔して横取りしんのよ、エステルッ!」
積極的であるがゆえにかしましく、かつ無謀極まりないふたりの提案を、アシュレはやんわりとだが断固とした態度で退けねばならなかった。
前にも言ったが、メガネプトジェンシスがウォーヘッドと同等の戦闘能力を持つのだとしたら、敵の《ちから》を侮れば大惨事確定だ。
渓流での遭遇時、ウォーヘッドは限定的環境下とはいえ、アシュレとアスカのふたりを追い込んでいる。
これは瞬間的戦闘能力はオーバーロードに匹敵すると言っていい戦力だ。
あのときもノーマンが横合いから駆けつけくれていなかったら、いったいどうなっていたかわからない。
それに比肩すると予想される脅威を相手に、無防備極まりない釣り餌の役を務めようとふたりは言うのだ。
とんでもないことだ、と発案を聞いたアシュレとノーマン、ふたりの騎士はかぶりを振った。
彼女たちにもしものことがあったら、姉であるレーヴにどう言い訳したらよいのか分からない。
その役割を同じ円卓で話を聞いていたレーヴが買って出ようとしなかったのも、妹ふたりの献身を煽らぬためだったといまのアシュレは理解している。
「相手を釣り出すには確かにとてもいいプランだけど、それだけに許可できない。危険過ぎる。キミたちが実際に食いつかれるという意味で、だ。それにこれはボクのためでもある。キミたちを危ない目に遭わせたくない。キミたちふたりにもしものことがあったら、ボクはとても耐えられないからだ。わかってくれるかい?」
膝を折って跪き視線を合わせながら説得すると、ふたりは顔を赤らめ、照れた様子で瞳を伏せた。
揃えたようにこくり、と頷く。
発案を否定されたのではなく、大事に想われているということに納得したのだ。
それからハグを要求してくる。
アシュレはぎこちなく応じた。
これはレーヴからいま許可されている、アシュレとふたりのギリギリの距離感だった。
よい香りのするふたりの華奢なカラダを抱きしめたアシュレの指先に、特徴的な飾りヒモを複雑に編み込んだサッシュベルトが触れる。
貝殻や貴石を加工したカメオや宝飾品の類いも結わえられている。
実はこの装飾は暗号になっていて、アシュレはそれの読み解き方をふたりから密かに教えてもらっていタ。
今日のキルシュは「騎士さま大好き♡待ってます」という編み込み。
一方のエステルは「ご奉仕ご命令くださいませ♡騎士さま」というメッセージ。
しかもこのファッションは、アシュレがシオンとスノウを救い出す探索行でベースキャンプを留守にしている間に、単衣の裾上げやスリットの入れ方とともに真騎士の妹たちの間で大流行してしまっていた。
その文法まで理解した上で使われているのかどうなのか、アシュレにはサッパリわからないのだが、暗号化されたラブコールがサッシュベルトに擬態して乱れ飛んでいる。
そしてなんだか最近、キルシュとエステル以外の妹たちからの視線までもが熱いような気がしてならない。
これは想像だが、地下下水道での顛末をふたりが「理想的に」脚色して、ほかの妹たちに話したのかもしれない。
いや彼女たちがどんなに黙っていても、騎士道物語と騎士とのラブロマンスに興味津々な少女たちは勝手に盛り上がり、ヒートアップしていくものだ。
ひとり人類でその意味を知らされているアシュレ的には、平静を保つのが難しい事態へと状況は発展しつつあった。
まあそれはさておき。
危険過ぎるということで却下された釣り餌の話だが、実は適任者がいることに気がついたのは今朝のことだ。




