■第一四〇夜:ぬくもりを背負って
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たいへんだった、今回も。
バラの神殿の跡地になんとか軟着陸をキメたアシュレは、聖盾:ブランヴェルの上で星空を見上げて呟いた。
世界はすっかり夜。
頭上にはシオンの宝冠:アステラスがあり、右手には聖剣:ローズ・アブソリュート、左右の両脇にそれぞれシオンとスノウを抱えてアシュレは生還を果たした。
ホッとしたのもつかの間、イヤミのように眼前に竜槍:シヴニールが落ちてきて突き立った。
思わず全員で飛び跳ねる。
それから顔を見合わせた笑い合った。
なぜか自然に涙が湧いて出る。
泣き笑いだ。
よかった、と口にすることはできなかった。
シオンとスノウのふたりから代わるがわるにくちづけされたからだ。
長く、深く、なんども交互に繰り返し繰り返し。
シオンはわかるが、スノウの積極性にアシュレはたじろいた。
こんなに、しかもシオンの面前で好意を露に示す娘だったろうか。
くちづけの嵐は事態を察知したノーマンとアスカが駆けつけてきてからも、しばらく続いた。
処置が必要なのではないか、と切り出したのはアスカだった。
女性であるアスカはシオンやスノウの肉体に、まだエクセリオスから施された残酷で淫靡な装身具が埋められたままだと気づいたのだ。
そうだね、とアシュレはアスカの気遣いに感謝した。
「わたしのテントを使うがいい。急げ。一刻も早く、ふたりの尊厳を取り戻すのだ」
「ああ、ああ」
アシュレは立ち上がろうとしてふらついた。
無理もない。
ノーマンからの報告によるとバラの神殿に突入してから丸三日が経過していた。
アシュレはあの内側で、それだけの時間を連戦し続けていたことになる。
「し、しかたあるまい。こ、ここはわたしが一肌脱ぐとしよう」
仕方ないと言いながらまんざらでもない様子でアスカが言い、シオンを抱きかかえた。
全身がすでに半分《フォーカス》であるスノウはその主人であるアシュレ以外が迂闊に触れると、どんな事態を招くか分からなかったからだ。
その流れでアシュレはスノウを抱きかかえた。
半裸を通り越し、ほとんどなにも隠せていないスノウは、耳まで真っ赤になったが抗わなかった。
むしろ同意するように、首筋に顔を埋めてくる。
桃とミルクを混ぜ合わせたようなスノウの《スピンドル》の匂いがして、アシュレはまた軽いめまいを覚えた。
女たちの様子、アシュレの様子を見ていたノーマンは話の成り行きを理解したようにため息をつき、肩をすくめて見せた。
「オレは周囲を警戒していよう。いろいろと考慮して、離れて、な」
目頭を揉むノーマンに、ニカッと歯を向き出して笑い親指を断てて見せたのはアスカだ。
戦乙女の契約でまずアシュレを支援してくれるらしい。
シオンとスノウは真っ赤になって縮こまっていた。
※
「キミたちを取り戻せて、ほんとによかった」
三人だけになったテントの天井を見上げてアシュレは呟いた。
テントのなかにアスカはいない。
アシュレに真騎士の乙女の加護を授けると、早々にテントを出ていった。
ひとつ貸しだぞ、と言い残して。
この貸しはどうやって返したらいのか。
アシュレにはわからない。
両隣にはシオンとスノウが、それぞれ汗みずくになって伏している。
荒い呼吸は、忌むべき玩具の摘出と、恥ずべき形状を与えられた書架の除去がどれほど困難で苛烈だったかを示している。
もちろん……それだけではないのだが、それは記述に残せない。
ただ驚いたのは、スノウに対するそれをシオンが促したことだ。
『この娘はもはや戻れぬ。最期までそなたとともにあるしかない。それ以外ではしあわせを見出せぬ娘だ。それをきちんと行いとして契ってやってくれ』
自らも苦しい息の下で夜魔の姫は、アシュレに懇願した。
その願いにアシュレはシオンとスノウが潜り抜けてきた日々を思った。
アシュレと別れてから、ふたりは本物の姉妹のように互いを思いやって生きてきたのだ。
運命とは不思議なもので、血よりも濃い絆をときに、縁もゆかりもない人間たちの間に結びつける。
シオンのそれは、同じ男を愛し、その男のために生涯を賭けた妹に同じく生きる姉が見せる情愛と理解のようなものが見出せた。
その願いを断ることはできなかったし、アシュレ自身、あのバラの神殿でもう覚悟したのだ。
愛するしかない、と。
いいのかい、という確認に対して返ってきたのは無言の、しかし有無を言わせぬ抱擁だった。
大事なものを見つけた獣の子が、必死にしがみついて来るように、スノウの返答は激しかった。
スノウは泣きじゃくり謝罪しながら──アシュレは繰り返し恋慕と思慕を伝えられた。
それでいま、こんなことになっている。
生還の興奮と、そこからなし崩し的に移行せざるを得なかった障害の除去作業、処置。
その興奮が冷めてみると、ずいぶんと大変なものを背負ってしまったなという実感が、両肩にずしりとのしかかってくるのがわかった。
成り代わりその重荷を背負ってやろうか、と提案してきたエクセリオスの声、その幻聴が耳元で聞こえた気がしてアシュレは苦笑する。
まさか、と笑う。
こんなに愛しい重責を、どうしてオマエなんかに譲らなくちゃならないんだ。
アシュレはテントの入口の隙間が切り取った星空に思う。
オーロラの揺らめく幻想的な光景に思いを馳せる。
これからの長く厳しい道程を思って。
その背中にいつの間に起きたのか、シオンとスノウのぬくもりまでが寄り添ってきた。
ふたりとも先ほどまでの互い発言と行為を恥じているのか、無言で。
主犯としてはそれがなんとも──面映ゆい。
このぬくもりを背負ったまま行けるところまで行ってみよう、とアシュレは思う
エクセリオスの見せた可能性世界の地獄。
あれはアシュレがこのまま進めばどんなことが起るのかを、極端だが予想した世界だ。
そのくびきを打ち破り、自分たちの望む未来を築くこと。
自分たちの《意志》で、新しい世界を切り拓く。
そのためにはなにが必要か。
アシュレは考えはじめていた。
これにて第七話:蒼穹の果て、竜の棲む島・Episode 4・「迷図虜囚の姫君たち」完結でございます。
次はいよいよ第七話最後のepisode5になります。
連載再開は年明けすぐくらいと睨んでますが……どうかな。いろなことやらないといけないので、まああんまり期待せずにお待ちください。
でわ!




