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■第六夜:問われるもの

         ※


 大司教との会談に平服というわけにはいかない。

 アシュレはカテル島に来てからあつらえた衣類に袖を通した。

 イグナーシュでオーバーロードと化したグランと戦った際、それらのほとんどを失っていたからだ。


 傷を癒し、仕立屋に赴いたとき、アシュレは自分の身長が伸び、体格もわずかだがたくましくなっていることに気がついて驚いた。

 そういえば、と誕生日が間近に迫っていたことを、ついでのように思い出す。

 だから、どうだ、というわけでもないのだが。


 しかし、背が伸びてくれていることは、戦士階級的には素直に嬉しい。

 胸板もすこし厚くなったように感じてはいたが、仕立屋の主人から寸法を聞いて実感した。


 アシュレの選んだ衣装は、ベージュ地に深い青緑のストライプ。

 切れ込みの内側から彩度を抑えた葡萄色えびいろのぞく。

 えりぐりの革ひもを通している部分と尖端の銀細工がアクセントだ。


「色男ぶりですな」

 仕立屋の主人もその仕上がりにはことのほか満足だったらしい。

 上着のあでやかさを生かすためにパンツは暗い色を選んだのだが、そこだけ主人のセンスとは違ったようだ。

 ちなみに、主人のオススメは空色のタイツだった。


 宮廷ならそれで正解だが、武人であるアシュレにはいささか気恥ずかしい。

 この色のチョイスだって、シオンが絶対に似合うと請け負ってくれなければ勇気が出なかっただろう。


「ほう、男ぶりがあがって見えるな」

 身支度を済ませ、宿舎のホールでの出合い頭、シオンは言ったものだ。

 もちろん男としてはなによりもまず、シオンの装いを褒めるべきだっただろう。

 だが、アシュレは、そのあまりの美しさに言葉を失ってしまったのだ。


 深い葡萄酒色のドレス。

 端々はしばしに紅葉した葡萄の葉があしらわれ、純白のブラウスとの間に山梔子クチナシで染められた裏地が垣間見える。

 もちろんスカーフも同じ色合いのものが使われていて、そのどれもに秋の草木が刺繍ししゅうされている。


 美しい秋の山野の彩りが、そのままシオンを包み込んでいるかのようだった。

 そして唯一の宝飾品、あの重厚な銀の王冠が炎を照り返し、オレンジに染まっていた。

 アシュレは口を半開きにしたまま、シオンが階段を降りてくるのを見守ることしかできない。

 身じろぎひとつ許さぬ美に、息をすることさえ忘れて、魅入られて。


挿絵(By みてみん)


「どうした? 心ここにあらず、という顔をしているぞ?」


 当のシオンが目の前に降りてきても、アシュレは両手を広げ賛嘆を示すのが精一杯だった。


「なんだ、そなた、けっきょく空色のタイツはやめたのか」

「シオンの装いを先に見ていたら、違っていたかもね。……ほんとにお姫さまなんだな。釣り合いが取れてない気がしてきたよ」

「家とは決別したと言ったろう? いまは、もう、そなたの……いや、あなたのものだ」

 胸の奥がきゅう、と狭くなるのをアシュレは感じた。

 シオンの瞳に暖炉の炎が映り込んでいる。

 ああ、とアシュレは思う。ボクはこのヒトを愛しているのだと。


 そんなふたりの感慨を、ぶち破る男がいた。


「いっやー、お待たせお待たせ。従者がいないと着付けが大変でさ」

 階上から現われたイズマの姿に、アシュレはこんども言葉を失い(ただし、さきほどとは別の意味で)、シオンは額に手を当てうつむいて、頭を左右に振る。


挿絵(By みてみん)


 深紅の衣装だった。

 金糸のい取りの上を、おそらく純金であろう山吹色の宝飾具が埋め尽くしている。

 左手側にだけかけるカタチのマントも深紅。パンツも、タイツも。

 冗談のような王冠が頭部に乗っており、道化師のようだ。


「いやいやいやいや、ほんと、手間かかるのよ正装って。あっ、姫、お美しい。そのドレス、よくお似合いです。アシュレは、ちょっと地味なんじゃないかな? タイツ、貸そうか? あ、そか長さが合わないか~」

「貴様、ちょっとこっちに来いっ」

 見かねたのだろうシオンが階段を戻り、イズマの手を引っ張った。


「えっ、あれっ、ひめっ、ちょっと積極的すぎやしませんかって、いやっ、えっち、なになにっ、ちょっ、だめ、だめ、らめえ、そこはっ」

「やかましいっ!! このキテレツ変態怪人めがっ!!」

「いやっ、あのっ、あのねっ、こう、王として、格の違いをねっ、見せつけないとっ」

「貴様の国は滅んだのだろうがっ!! さあっ、ぬげっ、その変態コスチュームを!!」

「あっ、あんっ、いやっ、だめぇ、それ、だめえええっ、ママン、マ、マーン」


 激しい物音とともにいずこからか聞こえてくるイズマの悲鳴を、アシュレは階上に聞いた。

 シオンの容赦ないダメ出しによって、イズマのセンスが破砕される音である。


 どれほど待っただろうか。


 しばらくして降りてきたイズマの装いは、黒を基調としたものに変えられていた。

 縦に特徴的な編み込みを施されたチュニックにおそろいのパンツ。

 大振りな金色のスカラベ型ブローチはシックな輝きを放っている。

 そのかわりに手足と首筋から覗くシャツは色とりどりの横縞――土蜘蛛の意匠。

 王冠もいつかアシュレが見た、古風な黄金のものになっている。


「ちょっと地味過ぎやしませんかね~」

「なんだ、わたしのチョイスに不満があるのか?」

「と、とんでもないいいっ、でも、もうちょっと、こうアッピールっていうんですかね~。イズマのステキな魅力ミリキをですね~。王冠も、これ古すぎてな~」

「イズマ、その装い、大人の魅力が出てますよ」

 アシュレは口からでまかせというわけではなく、素直にそう感想した。

 ふうむ、とアシュレの率直な意見にイズマも、まんざらではない、という様子で片眉を上げてみせる。

「んじゃ、ま、仕上げに、このスカーフをつけて、と」

 どこから取り出したのか、色とりどりの甲虫が刺繍されたスカーフをイズマは巻く。


 ぴくり、とシオンの眉が動いたが「ま、その程度はよかろう」という表情になった。


 とっくに到着していたダシュカマリエの迎えは、足元の悪さに気を回してくれたのだろうキャビン付きの馬車だった。

 三人はそれに乗り、会談に赴いた。


         ※


「単刀直入に言えば、イリスの容体はこのまま処置を施さなかった場合、悪化の一途を辿るであろうということだ」

 歯に衣着せぬ調子でダシュカマリエは言った。


 会談の内容とは、手紙にあったように母体としてのイリスに関することだった。

 カテル病院騎士団の会議室はいくつもあるが、その多くが戦時には戦闘司令室となるだけに、質実剛健な作りだ。

 身体を温めるための茶と軽食が振る舞われた後は、給仕すら入れぬよう施錠せじょうされている。


 この場にいるのはアシュレたち三名と、ダシュカマリエ・ヤジャス大司教、そして護衛としてのノーマンだけだ。

 アシュレはノーマンの両腕にすでにあの強大無比な《フォーカス》、消滅の力を司る義手の姿をした武具:〈アーマーン〉が装着されていることで、この会談の重要性を理解した。


「イリスの胎内の子に、それは起因すると大司教は仰るのですね」

「そう考えて、まず間違いない。事の経緯はイリスからも聞いて、わたしもすでにあらかた知っている。

 彼女の胎内に宿るは、ふたつの《フォーカス》と、ふたりの娘、そして、降臨王:グランが望んだ《ねがい》の子供である、と」

 アシュレの問いに、ダシュカマリエは毅然とした態度で答えた。


「そして、アシュレダウ・バラージェ、キミがその父親として強いられたことも」

 つらかったな、とダシュカマリエはアシュレをいたわる。

 けれども、その言葉とは裏腹に、大司教の法衣に身を包み銀の仮面に覆われたダシュカマリエの表情からは、真意がうかがえない。

 色素の薄い銀紫の瞳がアシュレを見つめている。

 試されているようにアシュレには感じられるのだ。


 臆してはならない、とアシュレは思う。


「つらい、と思ったことはありません。たとえそれが誰かに強いられた運命だとしても、それを乗り越える道まで閉ざされているとは思えない」

 それにあの事件で起こったことの一切に関して、だれが、悪いというわけではない。

 アシュレは背筋を伸ばして答えた。


 ダシュカマリエは感心したように口元に手をやり、それからアシュレを指して返した。

「その言葉、キミの心からのものだと感心する。そして、まさにこの問題には“悪”が介在しない。いや、しないからこそ、より厄介なのだと言える」

 ダシュカマリエは一口、茶を飲み、それから言った。


「誤解から怒りを買うかも知れぬことを承知で言う。アシュレダウ、いま、イリスを見捨てれば、キミが背負うことを強制されたその運命を精算・・することができるのかもしれぬぞ?」


 アシュレはダシュカマリエの顔を正面から見据え、その言葉がしっかりと自分の肉体と心に染み通るまで待った。

 それから、意を決して問い直した。

 質問を質問で返す無礼をあえて犯して。


「ボクが彼女たち――イリスを見捨てられる訳がないと知りながら、あえて、そう問う真意をお聞かせ願いたい」

「蓋を開ければ、もはや封じることすら叶わぬバケモノかもしれぬ、と申し上げているのだ若き聖騎士よ。キミとキミの愛する娘――イリスのあいだに生じた《運命の子》は」

 アシュレの問いに、ダシュカマリエもまた背筋を正して答える。

 覚悟を問われているのだ、とアシュレは確信した。


 ダシュカマリエの指摘は、はっきりと正しい。

 イリスがいま身篭みごもるのは、ただの胎児ではありえない。

 強大なふたつの《フォーカス》:〈デクストラス〉と〈パラグラム〉――そして、なにより名も無き無数の《ねがい》によって仕組まれた子供・・・・・・・なのだ。

 ヒトではないかもしれぬ。いやヒトではないだろう。

 だからこそ、いま、イリスはその身を危うくしているのだ。


「もし、そうであったとき、“この世に生まれ出てはならぬ存在”でそれがあったとき、アシュレダウ、貴公はどうするのか?」

 それまでキミと呼びかけていたダシュカマリエが、貴公、と言葉を改めた意味をアシュレもまた即座に了解した。

 公人として、騎士としての立場、覚悟を明言することを求められているのだと。


 この世界の“敵”が生まれ出でようとしているのではないか、とダシュカマリエは危惧しているのだ。

 母体としてのイリスを助ける、という善意が――人類にとって強大な脅威きょういを生み出すことに繋がっているのではないか、と。

 そのとき、オマエはどう責任を取るのか、と。


「父としての責任を持って……討ちましょう」

 淡々と、しかし、決然としてアシュレは言い切った。

 そして、続ける。

「ですが、子は育つものです。父母から、周囲の人々から、環境から教えられ、学び取って。その努力を経ぬままに、それを敵と見なすことはボクにはできない」


 甘すぎる考えかもしれない。

 だが、その言葉は紛れもなくアシュレの本心だった。


「若い。そして――甘いな」

 冷徹にダシュカマリエが評した。

 その通りだとアシュレは思う。

 だからといって、翻意ほんいする気などなかった。


 どれほどそうしていただろう。

 無言でダシュカマリエを見つめ返すアシュレの眼前で、その赤い艶やかな唇が、陽光に照らされた霜が溶けるように、笑みのカタチになった。


「だが、その決意に賭けてみようではないか」

 よいだろう? とダシュカマリエがノーマンに問いかけ、ノーマンはあの鉄面皮をすこしだけ動かしてため息をつく。

 お好きになさいませ、という意味だ。


「我が騎士殿も、ああ言ってくれている。わたしとしても最善を尽すことを約束しよう」

 会談の打診を受けたときから強硬な反対意見を予想していたアシュレは、ダシュカマリエの意外な反応に驚いた。


「どうされた、聖騎士殿? いささか間の抜けた顔になっているぞ?」

 慌てて顔を引き締めるがもう遅い。


「司令官としてはまだまだ、というところだな。まあ、わたし相手にあれほどの意見をまっすぐ言えるような男だ。その歳で腹芸まで達者では、立派すぎて逆に憎らしくなってしまうかもしれんが」

 なあ、と水を向けられ、ノーマンは口元を歪める。苦笑したのだ。


「あの……どうして、ですか?」

「どうして、とは?」

「なぜ……《ねがい》に強いられたと知りながら、イリスとボクの子供を助けようと決断されたのですか?」

「助けることは決定だったよ、わたしとしては。ただ、その前に、キミの意見、決意を聞きたかった。腑抜けた男なら蹴りの一発でもお見舞いしてやろうと思ったのだ」

 ひょい、と法衣をたくし上げ、恐ろしく高いヒールの靴を見せつけてダシュカマリエは言う。

 もしかすると、意外に気さくな人物なのかもしれないと、アシュレなどは思う。


「なぜ、助けるのか、という問いにより厳密に答えるのならば、わたしがカテル病院騎士団の一員であるからだ。

 窮状きゅうじょうにあり、かつ生存の可能性のある者を簡単に見放せるようなメンタリティを我らは有していない。

 最善を尽す。それが我々、病院騎士だ」

 そして、とダシュカマリエは続ける。

「そして、我らがグレーテル派は、法王庁に妻帯を認められた唯一の派だ。男女の営みの結果である子を、ただの推測と憶測だけで“敵”と見なすような真似を許せるはずもない。それにアシュレダウ……わたし自身、女なのだよ?」

 自らの下腹に手をやりながら断言するダシュカマリエから光背が射すように、アシュレには感じられた。


「ねえ、ちょっといいかい?」


 それまで会談の趨勢を黙って見守っていたイズマが挙手した。

 どうぞ、とダシュカマリエはイズマを指す。


「助ける、って言ったけどさ。具体的にはどうすんの? お腹の子供――“運命の子”の影響でイリスが危険なんでしょ? それってさ、薬とか看護とかでなんとかなるものなの?」

 ならないよね、とイズマは付加疑問文で訊いた。


「その段階はすでに過ぎた。もっと根本的な処置が必要となる。それも早急に」

 ダシュカマリエは答える。

「というと?」


「いま、イリスを襲う苦痛は、胎児が求め促す急激すぎる変化に、肉体がついていけないことに原因がある」

「成長痛のもっとキツイやつって考えればいいのかな?」

「引き裂かれるような痛みを全身に感じているはずだ。全身が熱を持ち、内側からはぜてしまうような気分だろう。あるいは己が別物に入れ替えられてしまうような恐怖」


 イズマは、その表現に、かつてイグナーシュの王家の墳墓の底で見た亡国の騎士:ナハトヴェルグの末期まつごを思い出していた。

 使い方を誤り、〈デクストラス〉によって《ねがい》を注ぎ込まれたナハトの肉体は、二目と見れぬ醜悪なバケモノと成り果てた。

 程度の差こそあれ、同様の事態が進行しているのでは、とイズマは危惧している。

 むろん、それを口にするようなことをするようなイズマではなかったが。


「それって治せるの?」

「いや、治してよいものでもない。むしろ、生まれ出ることを望む子供と母体の間の格差を広げてしまうことになる。それは危険だ」

「じゃあ、もう、方法的にはひとつだよね。母子ともに助けるのだとしたら」


 なかば確信的に訊くイズマを、ダシュカマリエは見据えて言った。


「土蜘蛛の友人は、ほとんどご存知のようだな」

 いかにも、と請け負い、ダシュカマリエは頷く。


「いかにも、そのとおり――イリスの肉体の方を作り替えるのだよ」




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