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燦然のソウルスピナ  作者: 奥沢 一歩(ユニット:蕗字 歩の小説担当)
第七話:Episode 4・「迷図虜囚の姫君たち」
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■第一三八夜:絶望はバラの薫り



「アシュレ────ッ!!」


 夜魔の姫の叫びが、広漠たる玉座の間に虚しく響いた。

 その肉体はすでに《理想》の王:エクセリオスの手中にある。


 ああ、という落胆は玉座にされたシオンと、いまだ身じろぎすら許されぬ姿で書架にかけられたスノウの両方から漏れ落ちた。


「なんだ、これは……どういう。くっ、離せッ!!」


 この場にあって理解に及んでいないのは当の夜魔の姫=スノウブライトのシオンだけだった。


「なぜ……わかった」


 うめいたのはアシュレだ。

 ふふん、とエクセリオスが笑う。


「言ったであろう。予想した、と。ふふ、そういうことにしておかぬか?」


 その含みある言い回しで気がついた。


「……読んだのか。そうなんだな、ボクの記録を、スノウを魔導書グリモア:ビブロ・ヴァレリの《ちから》を使って」

「そこはわたしに花を持たせるところだ、アシュレダウ。だが気づいたのならば隠すこともあるまい。いかにも、読ませてもらった──聖剣:ローズ・アブソリュートの在処について、しかとな」

「卑劣な」


 若き騎士からの罵倒にエクセリオスは苦笑した。


「使える手はなんでも、躊躇ちゅうちょなく使う。それが王者というものだぞ、アシュレダウ。行いに正義のありようや道義を問うているようでは、到底、国は治められん。王者とは清濁併せ呑むものなのだ」


 当然であろう、と悪びれもせず《理想》の王はアシュレからの蔑視を一蹴した。

 ああ、ああああ、というおめきをアシュレは聞く。

 スノウが、魔導書グリモア:ビブロ・ヴァレリとしてその秘密をエクセリオスに差し出してしまった彼女は泣いていた。


 アシュレはエクセリオスの人格を読み間違えた。

 甘かったのだ。

 この《理想》の王はすでに人類の善悪の彼岸にいる。

 一種の超人、いや別次元の存在なのだ。

 人類の規矩ルールに囚われないということは、その思考も人間を縛る規律や道徳観から自由だということだ。


 そんな彼にとって過去の自分の行いを覗き見ることは当然であった。

 相手の手札を見ながらカードゲームが出来るなら、なんのためらいもなくそうする。

 そういう存在だった。


「いつ、いつ気がついた?」

「そなたの過去を読んだのはつい先ほどだ、アシュレダウ。この魔導書グリモア、そなたへの愛を書き綴っては検索を妨害するものだから難儀した。まあおかげで、歯ごたえのある調教を楽しめたのだが……」


 ふふ、そうだな、タネを明かそう。

 エクセリオスは勝利者の余裕で、自らの行いを解説しはじめた。

 その間も侵入イントルードの重圧にさらされるアシュレは、荷重に背骨が砕けるような錯覚を覚えている。

 滔々と《理想》の王は語る。


「そなたが聖剣:ローズ・アブソリュート、その柄を見出したのはもうずっと以前のことだ。すくなくとも“繰り返す動乱のくに”と関わる以前。このスノウブライトを組み伏せ、手折ったそのとき──破り取られた魔導書グリモアの頁群を包み紙に、そのなかに隠された青きバラの茂みを見出したのだ」


 そのとおりだった。

 あの瞬間──スノウが自らの半身でもあるスノウブライトの肉体を封筒にして、そこに託した彼女の恥部を貪り読んでしまったアシュレは、その内側に隠された鋭い棘に気がついた。


 青きバラの茂み。

 ごくわずかな一群の姿に変えられた、聖剣:ローズ・アブソリュートの存在に。


 刀身をこのバラの神殿に変えた聖剣は、その基部である柄の部分だけをバラに変えて、スノウブライトに託されたのだ。

 無論、スノウブライト自身はそれを知らない。

 魔導書グリモアの娘であり、彼女の生みの親でもあるスノウは己の恥部に隠して自分自身のその記録とシオンの行いの記録を破り取り、その内部に隠したからだ。


 だからどれほどエクセリオスがスノウを責め、その頁をめくり返しても、決して聖剣:ローズ・アブソリュートの行方はわからないはずだった。

 それを訊き出すためにエクセリオスがスノウとシオンの本体に加虐的行為を強いたのは、だからだ。

 もちろんふたりは屈しなかった。


 だが……託されたものにアシュレが触れてしまったら……話は違う。


 彼の行いをスノウはすでに覗き見てしまっていた。

 魔導書グリモアが一度でも貼りつけた栞は、スノウの《意志》では剥がせない。

 なぜならアシュレのことを知りたいと願ってしまうのは、すでにしてスノウの本能に根ざすものだったからだ。

 それを強制的に実行できるのは、魔導書グリモアの現所有者であるエクセリオスかアシュレだけだ。


 だからエクセリオスはその頁を読むことで、聖剣:ローズ・アブソリュートの在処をいとも簡単に突き止めることが出来た。


 《理想》の王であるがゆえ、そのような姑息はしまいというアシュレの推測は、単なる希望的観測だったということになる。


「唯一分からぬのは、そのときなぜ聖剣:ローズ・アブソリュートを手にしなかったか、だが……そうかそなた資格がなかったな? 特級の《フォーカス》はそれに見合った護りを持つ。資格なき者の肉体は燃え上がる。臆したか。いや、あるいはこのスノウブライトを惜しんだか? いずれにせよそなたが聖剣:ローズ・アブソリュートの所有を試みたなら、この可憐な娘は消え去る運命だったのだから。朝日に消える花弁の上の朝露のように……」


 目の前が真っ暗になるような絶望に、アシュレはガクガクと震える。

 奥歯を食いしばり、エクセリオスを睨むだけで精一杯だ。


 必死に《スピンドル》を維持するが──このままではジリ貧だ。

 切り札はすでに敵の手中。

 取り返す方策も、時間もない。


 さて、と種明かしを終えたエクセリオスが仕切り直すように言った。


「長かったこの戦いも、これで幕だ。なかなか楽しめたが、すでに切り札は我が手に舞い込んだ。もはやそなたらに勝ち目はない。アシュレダウ、その肉体を明け渡せ。そして愛しきシオンザフィル、スノウメルテ、絶望とともに我が軍門に下るが良い。そなたらの心に我が新たなる燃焼を与えよう。長き悦楽のときをともに歩むのだ──永劫に」


 嗚咽とも慟哭とも取れる獣じみた叫びが、ふたりの美姫の口から別々に、しかし同じ響きを持って溢れ出た。

 そこにある折れた心の匂いをエクセリオスは胸いっぱいに吸いこむ。

 甘美である、と呟く。


 だが、そのなかでたったひとり、折れていない男がいた。

 ほかにだれあろう、アシュレダウである。


「ほう? これほどの事態に陥ってもまだ、我に抗うか。その意気やよし」


 しかし、それは本当に無駄だぞ?

 聞き分けのない我が子に言い聞かせるようにエクセリオスが諭した。

 論拠は? と訊く。


「まだ、だ。まだだエクセリオス。オマエはまだ聖剣:ローズ・アブソリュートを手にしていない。ボクを屈服させてもいない」


 《理想》の王の耳に、それは感情論に聞こえた。

 エクセリオスは、ふー、と呆れたようにため息をついた。


「そなた、我の恩情が分からぬか? 名誉ある降伏を許すと言っている。我に託すが良い。なにも心の底から絶望することはあるまいに」


 真の憐憫れんびんから《理想》の王は言っていた。

 決した勝負を汚すことはあるまいに、と彼は言うのだ。

 それがアシュレには気に入らない。


「舐めるな。憐れみなど……要らぬ。それにまだ勝負はついていない」

「強情な。では見るが良い。恐怖とともに絶望に心折られて消え去るが良い」


 エクセリオスは左手を振り上げ、振り降ろした。

 それまでふたつとなった玉座が据えられた高台の間で、のたくっていた老王:エクセリオスの肉体がびくん、と跳ねた。

 内側から沸騰させられているかのように体表面が波打ち、泡立ち、急速におぞましいものへと作り替えられていく。


「これぞ《ねがい》の暗黒面。悪である」


 言い放ち、エクセリオスは笑みを広げた。

 沼沢地に湧くガスのようにボコボコという音と悪臭を放ちながら、権力のバケモノと化した老エクセリオスは立ち上がり、黄色く濁った目をアシュレに向けた。


「醜悪なる《ねがい》に染まった己に迫られる恐怖を味わいながら、そなたのために美姫たちが託してくれたはずの切り札が渡るのを見るが良い」


 真の絶望をそなたに。

 エクセリオスはことさらゆっくりと、しかし容赦なく、いまや聖剣:ローズ・アブソリュートの鞘であるスノウブライトの胸乳へ、背後から手を突き込んだ。


 夜魔の姫の唇から絶望の絶叫が迸り出る。

 己という存在の核を成してきた聖剣:ローズ・アブソリュートの柄に、その茂みに、それを覆い隠す少女の恥部を無遠慮に剥ぎ取り貫いて、エクセリオスが手をかけたからだ。

 《理想》の存在であるエクセリオスに聖剣:ローズ・アブソリュートの護りは発動しない。


 だから、人類の守護の剣はエクセリオスの手に堕ちる。

 フハハと“理想郷ガーデンの王”が笑う。


 そして──その声が苦悶に変わった。





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