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燦然のソウルスピナ  作者: 奥沢 一歩(ユニット:蕗字 歩の小説担当)
第七話:Episode 4・「迷図虜囚の姫君たち」
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■第一三四夜:薔薇の遺言



「アシュレ……アシュレダウなのか? ああ、本当に。そなた、なのか」


 暗がりから彼女が姿を現したとき、幽鬼の類いかとアシュレは思った。

 かたわらでシオンが身構える。

 やつれた女はふらふらと暗がりから歩み出た。

 敵意はない、と両手を広げ、頼りない足取りで。


「キミは……まさか……」


 次の瞬間、アシュレは思わず駆け出しその華奢で小柄な肉体を抱き留めていた。


「シオンッ?! シオンなのか?!」

「アシュレッ、無謀だぞッ! 先ほどの約束をもう忘れたのか……ッ……そなたはッ?!」


 静止する間もなく飛び出したアシュレを追って駆け寄ってきたシオンが、ハッと息を呑んだ。


「そなた……まさか、先ほど別れたはずの……」

「先ほど別れたって……。それじゃまさか、彼女が“繰り返す動乱のくに”の側のシオンなのか?!」


 ああ、あああ、とアシュレの胸に顔を埋め涙を流す夜魔の姫を前に、ふたりは呆然と顔を見合わせた。


「どうして、ここに?」


 聞いたのはスノウブライトのシオンだった。

 その声には心なしか険があり、語尾は動揺にちいさく震えている。


 衝動に突き動かされ正体を確かめようともせず、一足飛びに抱き留めてしまったアシュレはいざしらず、この時点では彼女はこのシオンをまだ敵か味方か判断しかねていたのだ。

 その心の動きを声音から察したのだろう。

 アシュレの腕の中で、憔悴した“繰り返す動乱のくに”のシオンが弁明した。


「ふたりとも、相済まぬ。わかっている。わたしがしていることは、余計なことなのだとわかっているのだ。でも、でも──逢いたかった。消え去るのは構わない。わたしはもうすぐ消える。それは受け入れられる。だが、一目だけでいい。発端オリジンのそなたに、逢いたかった。わたしがこの世界に生を受けて生まれて初めてのそなたに」


 生まれて初めてのそなたに──。

 言葉がアシュレの胸を貫いた。


 そうだった。

 この“繰り返す動乱のくに”にも、そのほかの可能性世界にも、正確な意味での完全なアシュレダウは存在しない。

 無数に生み出される模造品コピーたちは、精巧に出来てはいてもあくまで外部からシオンやスノウ、アスヤリヤにアテルイやレーヴたちに見えているアシュレ像でしかない。


 鏡に映った人物像が本人そっくりでも本物ではないように。

 映し出されたその像が鏡の歪みに沿って、実物とは異なる誇張を生み出すように。


 彼女たちの《ねがい》を受け美化されたり理想化されてはいても、それは本来のアシュレとは違う。


 正確な意味での本物は、いまここに居て憔悴した彼女を抱きかかえている男だけだ。


 だから、スノウブライト姓のシオンから発端オリジンのアシュレの存在を聞いてしまった彼女は、居てもたってもおられず、舞台裏バックヤードを彷徨い歩いてここまで来てしまったのだ。


 本当のアシュレに逢いたい。

 ただただ、その一心だけで。


「シオン……」

「見ていた。舞台裏バックヤードの隙間から、そなたの素晴らしい戦いを。なんて立派な騎士に。いま胸板から腕から伝わる優しさ──わたしへの愛。そして《スピンドル》の薫り……ああ、これが、これこそがわたしたちが愛した本当のアシュレ」


 嗚咽混じりに夜魔の姫が歌う。


「よかった。やっぱり間違いだった。この世界は悪夢だったのだ。こんな、こんな男がエクセリオスになどなるはずがない。この“繰り返す動乱のくに”は悪意によって歪められた世界なのだな。そこにわたしたちの《ねがい》が加担した……こんな、こんな世界が現実であってたまるものか」


 アシュレにはいま腕のなかにいるシオンが、すでに存在としても正気という意味でも限界なのが見て取れた。

 長きに渡りこの地獄を体験し続けてきた彼女の精神は、もう完全に擦り切れる直前だったのだ。

 再構成のたびに記憶まですべて刷新される他の登場人物とシオンは違う。

 彼女だけは過去繰り返してきた過ちの道のりを、ずっとすべて憶えているのだから。


 そして、かたわらに立ち、アシュレたちの様子を覗き込んでいるスノウブライトがこの世界での実在を勝ち取った以上、登場人物としての争いに破れた彼女は消え去るしかない。

 どこかで彼女より先にアシュレとともに場面に現れない限り。

 だが、もう彼女はそれを望むことはないだろう。


 すべてを理解し悼むような視線を送るアシュレに、腕の中のシオンは弱々しく微笑んで見せた。


「ほんもののそなたは、これほどに瑞々しい。精悍な騎士でもあり、少年のように幼いところもあり……だからこそ希望と可能性に満ちあふれている」


 ぼろりぼろり、と泣く。

 頬はこけ、艶やかだった黒髪は見る影もない。

 心に注ぎ込まれた絶望が夜魔の姫を朽ちさせていた。


「わたしたちの《ねがい》は、毒針だったのだな。毒とは期待であり、夢を見たことだ。そなたに酷い期待をかけた。その期待という毒がそなたを歪めた。繰り返し、繰り返し。それでこんなことに──わかっていたはずなのに」


 泣きながらうわごとのようにシオンが呟いた。

 期待とは、と口にしかけた彼女に、アシュレは言葉を重ねた。


「期待するとは、期待ともに歩むことだ。希望するとは、その希望と同じ方向を向いて、歩み続けることだ」


 まったく同じ答えがふたりの唇から流れ出た。

 その均質さに、ふふ、と腕のなかでシオンが苦笑した。


「もうお別れなのに、この最期のときに発端オリジンのそなたに出会っただけで、これまでわたしが生きてきた意味すべての理解に至るとは」


 もっと早くに逢いたかった。

 泣き笑いでシオンが言った。

 うん、うん、とアシュレはやせ細った夜魔の姫を掻き抱いた。

 シオンはその肩越しに自分たちを眺める、もうひとりの自分と視線を交した。


「スノウブライトのシオンよ……伝え忘れたことがあったのを、いま思い出した」

「承ろう」

「玉座に、彼をつけてはいけない。この“繰り返す動乱のくに”が無限に周回を繰り返すからくり、その鍵は、あの玉座スローンだ」

「詳しく……詳しく頼む」

「仕組みまではわからない。ただ、あの玉座にアシュレがついたとき、それが彼とエクセリオスの分岐点になる。たぶん、その瞬間、アシュレとエクセリオスは繋げられてしまうのだろう。だから、もしそなたが──もうひとりのわたしよ、スノウブライトのシオンよ──アシュレをエクセリオスにしてはならないと思ってくれるなら、決して、決してあの忌まわしき玉座に彼をつけてはならん」


 役に立てたか?

 その問いかけにスノウブライトのシオンは、深く頷いた。

 

「協力を感謝する。愛しき我が分身よ」

「こちらこそだ。そなたが抱擁を許してくれなければ、このぬくもりを知ることなくわたしは世界から消え去らねばならなかった。そうだ、これがわたしの救い……」


 微笑んでそう言い、抱擁を解いたアシュレに夜魔の姫は告げた。


「さあ、お別れだ、わたしの……いいや、わたしたちの騎士:アシュレダウ。どうかこの繰り返す絶望の可能性世界に終止符を。そなたがことを成し遂げ、未来を勝ち取ることを祈……いや、ともに歩もう。それを託す──」


 もうひとりのわたしに。

 スノウブライトのシオンを見上げて、“繰り返す動乱のくに”のシオンが囁いた。


「アシュレを……頼む」


 それが彼女の最期の言葉だった。

 




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