■第一二六夜:反撃のために(2)
エクセリオスがアシュレ自身の過去……つまりここからの行動をどうして盗み見しないと想うのか、その理由をわかりやすく簡潔に話してくれ。
そんなシオンの要請を汲み、アシュレは説明を続行する。
「これは絶対に必要な場合に限るけれど、魔導書:ビブロ・ヴァレリの《ちから》を使い他者の過去を暴くところまでは、きっと君たちも許してくれるんじゃないかとボクは考えている。ホントにギリギリで、だろうけどね。でも過去の自分に怯え、その行いを逐一チェックするような小心者になって欲しいとは、望まれていない。違うかな? きっと違わない。そうだろ、シオン?」
「それは……そうだが。いや、だからと言って、」
自信満々なアシュレの自己評価に、いささか戸惑った様子でシオンは口ごもる。
アシュレは続ける。
「未来の存在であるエクセリオスは、現在のボクをあらゆる面で凌駕していなければならないんだ──いままでボクがキミたちに見せてきた行い、そのすべてにおいて」
だって彼は、キミたちの《理想の王》でなければならないんだから。
まだアシュレの言わんとするところを理解しきれない様子のシオンに、騎士は指を立てて見せた。
いいかい? と。
「彼=エクセリオスは未来に属する存在であるがゆえに、圧倒的強者でなくてはならない。彼から見て過去であるボクの行いなど、軽々と予見できなければならない、しかも自力で」
そうでないなら、
「そうでないなら、どうやってキミたちの心のなかにいるいまのボクを圧倒できると思うんだい? すでに過去を乗り越えはるかに先にいて、あらゆる面でいまのボクを凌駕したはずの存在が、ちょろちょろ古いボクの行いを覗き見してたら興ざめじゃないか。カッコ悪過ぎるだろう? そんなのキミたちの英雄じゃない。そうじゃないか」
「それは……そうだが」
「そういう人間になって欲しい?」
アシュレはシオンのおとがいに指を這わせる。
くい、と細い顎を指で押し上げる。
ごく自然に、当然のように。
夜魔の姫の金色の虹彩は、明らかな動揺に揺れていた。
「そ、そうだな。わ、わたしのものであればい、いくらでも自由にして欲しいとは思うかもしれんが……自らの過去に怯えるような男にはなって欲しくない。欲しくないな」
「ね?」
そうでしょう? とアシュレはニッコリ笑った。
この女たらし、とシオンは歯噛みするが、たしかに説得力はあった。
「いやしくも《理想の王》を僭称する男が、圧倒的強者を謳いながら過去の自分を覗き見なんかしてたら百年の恋も一発で醒めるよ。なんだこの小心者はって、必ずなる。もしエクセリオスがそんな男なんだったら、ボクだって未来の自分に落胆するサ。間違いなくね」
「たしかに……それは言えているかもしれないな」
「だから可能性世界内部での発言はともかく、舞台裏でのそれはあまり神経質になり過ぎなくて良いと思う。覗き見を恐れるあまり萎縮してたらこっちの心が先に参っちゃう。まあボクに無断で他者の過去を覗き見してたスノウは、帰ったらキツくおしおきだけど」
アシュレが付け加えた最後のセリフに、なぜか目の前のシオンが跳び上がった。
くすり、とアシュレは目を細めた。
「そなた、さきほどの仕返しか。悪党ぶりがだんだんひどくなってきてないか?」
「悪党にさせてんのはキミだちなんだケドな」
そのときアシュレの唇に浮かんだ色は、本物の酷薄に見えた。
ぞくぞくっ、と腰から背筋を走り抜けた正体不明の感触に、シオンの膝は震える。
「……ッ。そ、それでそのほかは? 具体的な方策は? エクセリオスに勝つ──本当のわたしたちを取り戻すと言っても、彼らがどこにいるのかさえわたしたちにはわからないんだぞ?」
「うん、それについてなんだけど……彼の居場所を探る必要は、ない」
「なんだと?」
能天気なアシュレの調子に、シオンは食ってかかる勢いだ。
ははは、と襟首を掴まれたまま、アシュレは笑って見せさえした。
「捜さないとはどういう魂胆かッ? 所在不明な敵の本拠地を突き止めるは、戦さの基本中の基本ぞ」
うん、そうだね、とシオンの指摘に頷きながら若き騎士は応じた。
ボクの発想は逆でね。
そう切り返す。
「逆?」
「彼を引っ張り出そうと思うんだ」
「エクセリオスを引っ張り出す? 可能性世界にか?」
「うん。そう」
アシュレはまた無防備に笑った。
シオンは怪訝な顔をした。
呆れればいいのか、奇策を褒めるべきなのか、わからなかったのだ。
「だがどうやる? たとえわたしとそなたのふたりがどこかの可能性世界に身を投じたとして、それをエクセリオスが察知するまではあるとして、のこのこと表に出てくるかどうかはわからんのだぞ?」
「たしかにエクセリオスは、ほぼ無限に自分の分身を生み出せる。その能力で幾多の可能性世界を維持しているんだからね」
「オルガン世界で神父姿のそなたに相対したであろう? 分身とはいっても彼らはその世界で最強の《ちから》を与えられているのだ。わたしとそなたふたりが《ちから》を合わせても、勝てるかどうかわからない。いやそれどころか、もし破れるようなことがあったらそれこそ彼奴めの思うツボだ」
いまどこかで助けを待つという本当のわたしたちの心は、それでへし折れてしまう。
「《理想の王》が生み出した幻に、現実のそなたが破れたとき、それがわたしたちの本当の敗北だ」
「ボクの過去を覗き見するような《理想の王》にキミたちが幻滅するように、可能性世界に破れたボクを見てしまったら希望が失われると、そう言うんだね?」
「そうだ。だから、だから本来そなたは、ここに来てはならなかったのだ。始めて出逢ったとき千々に心が乱れたのがなぜだったのか、いまならわかる。怖いのだ。恐かったのだ。自らがエクセリオスに屈することよりも、自分たちの《理想》にそなたが破れるのを見ることが──それで本能的に」
シオンの震える指が、アシュレの胸元をぎゅっと握った。
だが、青ざめた夜魔の姫の腰に騎士は腕を回して断言した。
「安心して。ボクは負けない」
「そなた、どこからそんな自信が湧いてくるのか。わたしたちが勝手に思い描いた《理想》のそなたの成れの果てなのだぞ、アレは。エクセリオスは。無闇に強いのはだからなのだ。わたしなど翻弄するくらい強くあって欲しい、そういう自分勝手なわたしたちの願望がヤツの《ちから》の源泉なのだ」
それに、
「それにまず、どうやってヤツを引きずり出すのだ? 方策はあるのか?」
心配で堪らないという様子のシオンに、アシュレはまた満面の笑みで応えた。
それから言った。
「あるとも」
自信満々過ぎる騎士の笑顔が、こんなにも恐いと思ったのはシオンは初めてだった。
そんな夜魔の姫の心中などどこ吹く風。
問題のヒトの騎士は穏やかに笑んで言うのだ。
「どうしてもエクセリオス本体を引きずり出したいなら、どうしても本体が出てきたくなるようなものを、ボクたちが持っていたら良いってことさ」
「どうしても本体が出てきたくなるような、もの? それは……いったい……」
「覗き見の可能性があるから秘密……と言いたいところだけれど……そうだなキミにならいいかな?」
耳を貸して。
アシュレはそっとシオンに耳打ちした。
エクセリオスが希求するというその品の名を。
「なッ?! ロッ、いや……まさかそんな。そんなものを、いつのまに見出していたのだッz?!」
「しぃっ。エクセリオスに聞こえちゃう」
「どこだ、それはどこにある?」
「そればかりは……教えられないかな。いまはまだ。ただ、これはハッタリじゃない。ボクはその実在を確認した。この可能性世界を経巡りながら。だからこそこの賭けは成立する。そして、そのことにエクセリオスは気がついていない。まだ、ね」
「そうか、そしてヤツが魔導書によって、そなたやわたしの過去を覗き見しないのであれば……」
聡明なシオンはアシュレの策略に気がついたらしい。
「もしそれをボクらが先に入手したら。その場面を目にしたら……」
「必ず自分自身で獲りに来る。来ざるを得ない」
「そう。あれはまさに切り札」
「そして、それさえあれば、か」
それまで不安に揺れていたシオンの瞳が一点を見つめ、強い光を帯びはじめていた。
アシュレの言う勝算が具体的なものとして、理解できたのだ。
「ならば早速、舞台を選り抜こう。もっとも良いシナリオはどこにある?」
「それももう決めている」
「“繰り返す動乱の國”、とそう言うのだろう、キミ、アシュレダウ?」
熱が入り始めたふたりの議論に、ダリエリが口を挟んだ。
「わかりますか?」
「わかるとも」
わからいでか、と巨匠は頷いた。
「あの可能性世界で繰り広げられる一連の物語は、希望と落胆と絶望の周回構造だ。絶望に支配された未来の自分を、希望に燃える過去の自分が打ち倒す。だがその先で真実を知り、同じ絶望に心折られる。シンプルだが、だからこそ不変のテーマ足り得る。キミがキミであるかぎり逃れられぬ永劫の地獄。エクセリオスが夜魔の姫と魔導書の娘の心を折るために特に念入りに造り上げた舞台だ」
「さすが出演者ですね」
「端役の、しかもミスキャストだとは知りたくなかったがね、わたしの人生が」
シオンとスノウから路傍の石がごとく思われていたことに苦笑しながら、それでも気落ちしたふうもなくダリエリは続けた。
しかし、と。
「しかし物語構造についての案内は任せたまえ。事前に物語の筋を熟知しておくことはいいことだ。どうせ一回限りの作戦なのだろう? やり直しが効かないからこそ、あの物語がなにで出来ているのか、予習しておくことは必要不可欠だ」
「はい。いまほど貴方がここにいてくれて嬉しいと感じたことはありません」
「密航はしておくものだな?」
「次からはぜひ、名乗り出てください」
あっはっは、とふたりは快活に笑い合った。
シオンだけはアシュレとの会話に割って入られたことに釈然としない様子だったが、エクセリオスへの反撃に対する意欲が減退したわけでは断じてない。
三人は頭を突き合わせると、絵図を描きながら“繰り返す動乱の國”における物語の構造について意見を交しはじめた。




