■第一二五夜:反撃のために(1)
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可能性世界にあって登場人物にすり替わること自体は、それほど難しくはない、とシオンは言った。
「もちろん、わたしがエクセリオスになるというのは無理だし、そもそも他者やシナリオに登場しない者に成り代わるのはできないわけだが──幸運なことに、ここには“繰り返す動乱の國”世界の登場人物がふたりいる」
シオンは自分の胸に手を当て、アシュレを見つめた。
自分とアシュレのふたりは、あの世界に入り込もうと思えばできる、と言外に示したのだ。
「わたしの場合はどうなるのだね?」
「そもそもだがシナリオに用意されていないミスキャスト、それが貴方ということになる、巨匠」
まだ硬さの残る口調でシオンが言った。
アシュレはなんとか順応したが、シオンにとってはダリエリは存在自体が、ミスキャストなのだ。
それは“繰り返す動乱の國”で繰り広げられるシナリオに関してだけではない。
すべての可能性世界に本来ダリエリは登場しない、登場してはならない存在なのである。
なざならそれは、いまもどこかで可能性世界を俯瞰しているであろうエクセリオス本体に囚われたシオンとスノウにとって、ダリエリは人生を左右する要素ではないからだ。
要するに自分には関係ない人物だと思われている。
今後、関係してくるかどうかはわからないが、ともかく現時点ではまったく眼中にない。
「つまりいてもいなくても同じ。むしろいない方が話の運びがスムーズになる可能性すらある」
「そうハッキリ言われると、さすがのわたしでも傷つくな」
「自身の人生における個々の人物への注目度は、それぞれの主観に基づく。仕方のないことだ、巨匠」
どの世界観においてもアスカやレーヴ、アテルイを始めとする女性関係がシナリオの焦点になることが多いのは、恐らくそのせいだ。
蛇の姫:マーヤや真騎士の妹たち=キルシュやエステルといった、シオンとスノウのふたりがアシュレの下を去ったあとに関係を持った人物が、劇中に即座に反映されるのもだからだろうと推察できた。
ふたりにとってそれは大問題だからだ。
そのことを話すとシオンは不機嫌げに鼻にシワを寄せた。
「女たらしのスケコマシだな、わたしのご主人さまは」
ぐさり、と心臓に杭を打たれたようにアシュレは感じた。
「わたしの発端も良いようにコマされたというわけか」
いつの間にか話題は貞操観念の問題にすり替わっていた。
なぜこうなった?
事実なだけに、一切反論できないアシュレだ。
「わたしがいなくなったわずかな期間に三人も。しかもそのうちふたりは年端もいかぬ少女たちではないか。見境がなさ過ぎるのではないか?」
シオンとスノウを奪還したら機を見て説明するつもりだったアシュレは、思わぬ展開に汗をかいた。
「いや、そのあれは不可抗力っていうか……特にキルシュとエステルとはまだ……うん」
いったいボクはなにをしているんだ、とそう思いながら弁解が口を突く。
「なにもなかったということはあるまい? 我が半身だというスノウが早速にも物語に盛り込んできたのはあのふたりがすでに、そなたと浅からぬ仲になっておるからではないのか?」
さすがシオンだ。
的確に急所を突いてきた。
アシュレはたじたじとするしかない。
「あー、うん。その……将来的には……どうなのかな。いざってときはちゃんと責任は取ってあげなきゃいけないとは思うんだけど……。なるべく善処したいというか、できるだけ自由にさせてあげたいというか」
「そうやって関係した女すべてに尽くすから、想われてしまうのだぞ。思わせぶりすぎるのだ、そなた。あー、なんだか腹が立ってきた」
ぎゅうう、といきなりほっぺたをつねられた。
しかも戯れではない、かなり本気だ。
こちらのシオンは発端に比べると微妙に、いやだいぶ嫉妬深かった。
たぶんこれは混じり合ったスノウの性格が関係しているのだろう。
横合いから、女性関係など美を追求するための余禄、もしくは余生程度にしか考えてこなかったであろうダリエリが、男として余計なフォローを入れようとするのをアシュレは手で制さなければならなかった。
なにか空中でものを掴むようなダリエリのモーションから、話がややこしくなる気配がアリアリと伺えたからだ。
「はなひを(話を)、もどひても(戻しても)、よいでひょうか(よいでしょうか)」
シオンにつねり上げられながらアシュレは言った。
夜魔の姫は限界までアシュレのほっぺたを上に持ち上げてから、力いっぱい下向きに振り降ろした。
「い、たあああッ」
「痛くない! わたしがそなたにぞっこんで命拾いしたと思うがよい。ほかの女だったら後ろから刺し殺すくらいするレベルの所業ぞ、そなたの女たらしは」
そうらしかった。
いま目の前にいるスノウブライト姓のシオンが半分スノウだというのなら、つまり刺し殺しに来るのは彼女の方なのだろう。
横でダリエリが、ご愁傷さまという顔で瞬きを繰り返している。
とにかくだ、と憐憫を振り払うように、アシュレは言った。
なにを始めるにせよ、まずこれまでの出来事から、わかったことを整理せねばならない。
「舞台裏でのやり取りは、基本的にはエクセリオスには察知されない。シナリオ構造を大きく組み替えるときはその改変に巻き込まれてしますようだけど、情報的安全地帯であることは間違いないみたいだ」
シオンとしてはまだまだ余罪を追及する姿勢だったようだが、そんなことをしているヒマははい。
間髪入れずに続けた。
「ただ、ヤツの手元にはスノウがいる。各世界に登場するヒロインたちのラインナップが、まだスノウが知らないはずの蛇の姫や真騎士の妹たちにまで対応済みであるということは──すくなくともスノウが、ボクの所業をどこかで盗み見ていたということの証左だ」
アシュレが提示した推論に、うむん、シオンが唸った。
たしかに、とアゴに拳を当てる。
話をぶった切ったアシュレの口から出てきたのが女性関係への言い訳だったりしたら、もしかしたらちょっと位は刺すつもりだったのか。
左手に守り刀のシュテルネンリヒトの鞘が握りしめられていたが、それを腰に戻した。
「つまりそなたの所業は、エクセリオスにはすでに筒抜けであるとそう言うのか? 舞台裏にいても?」
「いや……それはどうだろうか。それはもちろんエクセリオスには容易いことなんだけれど……実のところ、その可能性は薄い気がしている」
「? どういう意味だ、アシュレ。ヤツの手元にはスノウが、つまりそなたの過去をいいように閲覧できる魔導書がある。それを使えば、そなたの動きが手に取るようにわかるのだぞ? それを使わぬなどと……。相手の手札を見ながらカードゲームを強要できるようなものなのに」
理屈がさっぱりわからん。
夜魔の姫が首を捻った。
ふふ、とアシュレは苦笑した。
「なにがおかしい」
「いや、ごめん。ボクはキミたちにホントに愛されているんだなあって。想ってもらえているんだなあって」
「な、なああ、なななあああ?! いまの話題からどこをどう押したらそんな結論が出るのか?!」
真っ赤になって起るシオンを、かわいいなあ、とアシュレは思う。
「さっきまではボクの思い上がりかとも思ってたんだけど、いまのやりとりで確信に至った。それはね、シオン。キミたちがエクセリオスにどんな《ねがい》を注いでくれたかに起因しているんだ」
「わたしたちが、エクセリオスにどんな《ねがい》を注いだか?」
「簡単に言えば、ボクという存在にどうあって欲しいか。どんな《ねがい》をいつもボクに投影してくれているか、とも言えるかな? それもうわべではなく深層で」
話の筋が掴めないのだろう。
シオンが目を白黒させている。
無理もない。
「それがエクセリオスがそなたの過去を盗み見しない理由だと、そう言うのか?」
「いくつかある理由のひとつでしかないけどね。でも結構な部分をそれが占めているよ、ボクの推論の」
「どういうことだ? そなたの話は含みが多すぎる。もうすこしわたしにもわかるように話してくれ」
頬を膨らましてシオンが抗議した。
うん、とアシュレも頷く。
 




