■第一二三夜:着想は降臨して
うむん、と巨匠が唸った。
ダリエリがこのように悩む姿を他者に見せることは極めて珍しい。
自分の知性と独創性に追いつけない者など歯牙にもかけないのが、巨匠の生き方だったからだ。
なんとしてもわかってもらいたいという意気込みが、眉間に寄せられた深いしわから伝わってきた。
そうだな、と言葉を選ぶように呟いた。
「そうだな……よりいっそう正確を期すならば──我々が思いつく新たなる概念や思想、そして発明とは、実はただの再発見、しかもあらかじめ配られることを予定された種なのではないかと……なかば確信してしまったと言うべきか」
巨匠的には極限まで言葉を尽くしたつもりなのだろう。
しかし、アシュレにはますますわからなくなった。
ただの再発見?
配られることを予定された種?
ボクたちの思いつく新たな概念や思想、発明が?
なんだ?
いったいどういうことだ?
混乱に襲われアシュレは何度も目をしばたたかせた。
ただ、この話がとても重要であることだけは直感的にわかった。
いまダリエリは間違いなく、これまでこの世界が隠しおおせてきた非常な秘密について語ろうとしている。
“理想郷”とアシュレたちの生きる現実世界との関わりについて。
釣り込まれるように言った。
「もっと、もっと話してください。ボクが理解に至れるまで」
アシュレからの要請にダリエリは顔を上げた。
こめかみに手を当てて続ける。
「たとえば、あの革命という概念。自由という単語。それらは本当はもっとずっと昔に、太古のうちに発明され、当たり前のように使われていた言葉なのではないか。そう言っているのだ」
「なんですって…………」
「わたしはこの可能性世界でもう何度も、何十回も革命を体験した。アシュレダウという指導者のかたわらに立って、その成功と挫折を目の当たりにしてきた。そして気がついたのだ。この“繰り返す動乱の國”では、革命なる概念はすでにして常識である、と」
「革命が常識のものである世界……」
たしかにそれはおかしな話だった。
先にも述べたように、革命や自由という概念は一般的なそれでは決してない。
禁忌に属し、異端の知識として否定され隠されてきたものだ。
当のアシュレでさえ、いまのいままでその詳しい来歴を知らなかった。
それがこの“繰り返す動乱の國”では主人公が掲げる《理想》として、一般化しているとダリエリは言うのだ。
「何度も尋ねて確かめたのだ。間違いない。指導者だけでなく彼=アシュレダウを支える閣僚クラスの人間も、それに率いられる民衆たちまでが誤解なく革命の概念を理解していた。当然、エクセリオス本人もだ」
「だれしもが」
「完全に、完璧に。幾人にも質問したが、それはわたしが発明したはずの革命の精神だった」
ダリエリが左右に小さく首を振った。
「だからさらに問うた。それをだれが発明したか知っているかね、と。驚くべき答えが返ってきた。天から授けられたものだ、と。わたしではなく。革命の歴史を尋ねてみた。すると答えがあった。ここからだ、と。我々はいま、世界で初めての革命の只中にいる、と」
ダリエリは震えていた
「わたしは、わたしたちは、そのどこにも記憶されていなかった。間違いなく我々こそが革命なる概念の生みの親だ。そのはずなのに。細部に至るまで、わたしたちがイグナーシュの宮廷で培い、わたしが命名した革命の精神そのものであったのにもかかわらず。それはなぜだね? なぜだと思うね?」
今度はアシュレが己の考えを問われる番だった。
知の巨人:ダリエリがアシュレの意見を求めていた。
恐る恐る、しかし熟慮の果てにアシュレは己の考えを述べた。
「エクセリオスに利用されているスノウが、ボクの歴史を閲覧しているなら、すくなくとも表面的な概念を可能性世界の登場人物に語らせることはできると思います。他者の過去を暴く魔導書:ビブロ・ヴァレリの能力であれば……」
だが、そんなアシュレに無言でダリエリは首を振った。
「キミはたったいま革命の詳細を知り得た。先ほどわたしが語ったからだ。だがわたしはそれ以前に“繰り返す動乱の國”のエクセリオスからもアシュレダウからも、いまわたしがキミに語って聞かせたものと同じ答えを得ている」
「では貴方の歴史なのでは……?」
ビブロ・ヴァレリに閲覧された対象について、アシュレは定義をし直した。
巨匠は、ゆっくりと大きくかぶりを振って言った。
「それならばハッキリと、発明者はわたしだという答えが返ってきた筈だ。わたしのことを読み解いたなら、発明者本人がいる前でそんな陳腐な嘘を披露すれば、シナリオが破綻することはわかったはずだ。わたしだって劇中の登場人物なのだよ。端役であるにせよ、登場人物に真実を語られ矛盾を突かれて困るのは、革命をテーマに組み上げられた“繰り返す動乱の國”のほうではないか? 根底にある考え方の定義そのものが揺らぐのだから」
たしかに、とアシュレは思った。
もしそんなことになればダリエリを始末しない限り、“繰り返す動乱の國”は修正不可能な矛盾を抱えることになる。
外部からの闖入者:ダリエリは、“繰り返す動乱の國”が準備した都合の良い役者ではない。
エクセリオスでもその言動は簡単には操作にできない。
たとえるなら猛獣の喉に刺さった魚の骨のようなものなのだ。
もちろんそれは、ダリエリを抹殺しさえすれば再発を防止できるということへの裏返しでもあるのが、だとしたらなぜこれまで巨匠を生かしておいたのかがわからなくなる。
それに革命という概念を正確に知るためには、魔導書の能力を使ってダリエリの人生を参照しなければならないのだ。
彼こそが発端なのだから。
つまりエクセリオスが革命の概念をダリエリと同じ基準で完璧に知っているということは、ダリエリがそこで果たした功績をも知っているということだ。
彼こそが原型だと理解しているということだ。
「それは……“繰り返す動乱の國”を作る際、エクセリオスが自分に都合よく情報をトリミングしたからなのでは……」
アシュレは考えられうる可能性を口にした。
そうかもしれん、と巨匠は頷いた。
まったく納得できん、という表情。
「わたし本人がその劇中の登場人物でさえなかったら、そういう雑な構造も気にはならなかっただろうな」
「巨匠はイレギュラーの存在です。エクセリオスもそこまでは予測できなかったのでは?」
あるいは、とダリエリは首肯した。
なんども小さく。
納得したのではない。
わからなくはないが、という部分的な肯定の仕草だった。
「それが一回限りの上演であるなら。だが、二回目以降、出演者に発明者本人がいるのを把握してなお脚本を直して来ないのは、怠惰がすぎると思わないかね? エクセリオスという男はそんなに間抜けかね? 違うと思うなわたしは」
実際にいくどもエクセリオスに謁見し、あるいはエクセリオスの協力者を務めた男は言った。
「たしかに。たしかにそれは妙です」
アシュレはアゴに親指を押し当てた。
脚本を変更するまでいかなくても、ダリエリを殺害するくらいのことはする筈だ。
しかし、実際にダリエリはこうして生きている。
それはなぜだ?
まるでダリエリの考えた革命という概念は、そしてその発明者としての立場は、“繰り返す動乱の國”にとっては路傍の石に過ぎないとでも言わんばかりの無関心ぶりだ。
いてもいなくても同じ。
そういう扱いの雑さがある。
考えれば考えるほど奇妙な話だった。
「だがもし、」
数秒、考えに浸り込んだアシュレに、その頭の中身を覗いたようにダリエリが語りかけた。
「だがもし、間違っているのがわたしだった場合はどうだろう。わたしではなく、彼らのほうが正しかったら? 革命という概念はわたしが発明したのではなく、天からの授かり物である、という彼らの言葉の方が真だとしたら?」
「それは……どういうこと……ですか? 貴方ではなく奴らが正しい、だって?! いや、まさか」
問いかけながら、アシュレはわけのわからない震えに襲われていた。
答えを聞くのが恐ろしいのだと、しばらくしてやっとわかった。
まさか、と恐ろしい仮定が声になった。
“理想郷”は人類の叡知が収められた場所──たしかそんなことをアシュレは聞かされた。
それが夜魔の騎士:ユガディールにだったか、“再誕の聖母”と成り果てたイリスにだったか──あるいはその両方にだったかはわからないが。
「まさか、まさか、そんなことが……」
「そう。そのまさかだ」
考えられうる答えはたったひとつだ、とアシュレの考えを先回りするようにダリエリが言った。
「答えはたったひとつ。エクセリオス──あの“理想郷”の男が生み出した、この“繰り返す動乱の國”では、革命は常識なのだ! 始めから!」
なぜなら、と吼えた。
順序が逆なのだ、と指を立てて力説した。
「逆なのだすべて! 我々の住む世界における革命とは、自由とは、その概念とは──“理想郷”から来たものなのだ。起源をそこに持ち、たまさかその端緒に触れた者の脳裏に自分自身のアイディアを装って気まぐれに飛来するなにかに過ぎん。エクセリオスの言葉を借りるならば──我々の頭蓋の奥に我々の考えは──降臨されるのだ!」
おお、降臨!! 巨匠の声はすでに絶叫だ。
「我々は進歩しているのではない。“理想郷”に記録された過去の叡知が、まるで自分自身の考えであるかのように、吹き込まれているだけなのだ。ゾディアック大陸に生きる我々は、自分自身で考えているのでは、ない!」
ゾディアック大陸に生きる魔の十一氏族を含むすべての人型生物は、その脳裏を、意識を、“理想郷”に接続されている。
そして我々のなかにある“接続子”を通じて、“理想郷”に封じられ祀られてきた叡知や麗しき理想の美が、我らの頭蓋のなかに送り込まれる。
「間違いない」
ダリエリは断言した。




