表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
燦然のソウルスピナ  作者: 奥沢 一歩(ユニット:蕗字 歩の小説担当)
第一話:降臨王のデクストラス
6/782

■第五夜:葬列と羊と茨の丘で

 

「これが……祖国」

 思わずアルマの唇から、うめきに似た声が漏れた。


 眼前には、荒れ果てた土地がどこまでも広がっている。

 かつて半島一豊かだったという沃野よくやは地殻変動によって、その姿を完全に歪められていた。

 いたるところに黒々とした岩盤が隆起し、瘴気吹き上げる地獄と化した。

 緑の草原は枯れ果て、木々は立ち枯れ、骨を思わせる姿をさらすのみ。

 わずかに荊と荒野に抗する植物たちが、緑の島を造る。

 やせこけた野犬の群れが爛々らんらんと目を光らせながら徘徊し、火を吹き上げる山の光と瘴気の雲の向こうで影絵を躍る。


 アルマは胸に杭を打たれるような痛みに泣いた。

 とめどなく涙があふれた。

 戦乱と飢餓と干ばつ、病、天変地異。

 痛めつけられた祖国の姿が心を抉る。

 はらわたをちぎられるような思いに、身を屈め耐えた。


「よく……ごらんになってください」

 騎士:ナハトはそう言った。

 目を逸らさないで。これがわたしたちの国です、と。

「なんて仕打ちを――神は、神はなにをなさっておられるのか」

「ヒトを救うのは神ではありません。ヒトが、ヒトのわざだけがヒトを救い得る」

 アルマさまと〈デクストラス〉が戻ったのです。大丈夫、イグナーシュは再建できます。

 そうナハトは請け負った。


 もう戻らぬと決めたはずだった。国を捨て尼僧として残りの人生の全てを神に捧げたつもりだった。

 けれどもどうやったものか、過去は追いすがりアルマを捕らえた。

 孤児院での奉仕活動の最中だった。

 孤児院への寄付を行う一団のなかに男はいた。

 ナハトヴェルグ・パロウ、と名乗った。

 イグナーシュ王家に仕えた騎士の一門だと。


 アルマは彼と彼の家を知らなかった。

 いや、知っていたのかもしれなかったが、忌まわしい記憶を呼び覚ます王家の系譜をアルマの肉体は回想することさえ拒絶した。

 だから、男の言うことを鵜呑みにした。

 ナハトヴェルグはアルマにイグナーシュの再建を嘆願した。

 正統の血筋であるアルマに祖国に戻って欲しいと訴えた。

 そこに暮らす民の窮状きゅうじょう、流行り病の感染拡大を恐れる諸国が一斉に国境を封鎖し、数万の難民が散り散りにキャンプで暮らしていると伝えた。

 明日をもしれぬ暮らしのなかで、ただ救い主の到来だけを信じて民は待っているのだと。


「そんな力など、わたしにはありません。それどころか王家の血筋になど、どんな力もありはしないのです。救済などできはしない」

 ずくずくと胸が脈打つ。

 こめかみの奥で割れ鐘が響き渡るのを、アルマは止められない。

 下腹に渦巻くどす黒い感情が暴れはじめるのを感じた。

 酷い吐き気。それなのにいっこうに吐瀉することができない。

 口を封じられ永劫の苦悶に嬲られるかのようだった。


「いいえ、あなたなら、あなたにしかできぬことです」

 そんなアルマにナハトが、なおも言い募ってきた。

 なにを根拠に、この男は言うのか、アルマにはわからない。

 わたしが民のことをどう思っているかなど知りもしないくせに。

 鎌首をもたげた憤りに手が震えた。


「〈デクストラス〉――イグナーシュ王家の秘宝。〈パラグラム〉と対なる聖遺物です」

 ご覧になってください。アルマの胸のうちなど斟酌しんしゃくもせず、ナハトは紙片を差し出した。


 いつもこうだ、とアルマは思う。

 世界はいつもわたしに強いてくる。わたしに責任を問うてくる。

 自分たちでは取れもしないそれを押しつけてくる。

 臣下の礼を尽し紙片を差し出すナハトを、アルマはめつけた。

 これを受け取ったら、もう尼僧のアルマステラには戻れない気がした。

 ふと、年下の聖騎士の顔が脳裏を過った。

 たすけて、と叫んだら来てくれるだろうか、と。

 わたしの過去とさえ、あのヒトなら戦ってくれるだろうか。

 そんな夢が過っていった。


 夢想だった。

 紙片にはよく見知った品物が描かれていた。

 それはまぎれもなくイグナーシュ王家長子:ガシュインに受け継がれた秘宝だった。

 ――〈デクストラス〉。

 あらゆる《ねがい》を注ぎ込むための焦点具――《フォーカス》だと幼心に聞かされた。それはお伽噺だとアルマは知っている。

 嘲るような嗤いが口元に浮かんだ。


「どうやってこれを?」

 墓でも荒らしましたか。自分でもぞっとするような声がアルマの口から出た。

「古文書をひもときましたゆえ。王家所蔵の書籍を拝借いたしました」

「王家の持ち物は全て民にくれてやったはず――強奪という方法で」

「あの革命のさなか、ガシュインさまは我らパロウ家に秘事を託されたのでございます」

「お父さまが」

 ナハトの微動だにせぬ受け答えに、アルマは信じ難いとは思いつつ耳を傾けてしまう。


「ですが……騎士:ナハト、〈デクストラス〉は王権の正当性を民に示すためのお伽噺。どんな《ねがい》も叶うなど、夢物語だと子供でも知っているでしょう。それにもし〈デクストラス〉の伝承が本当ならば、王家は滅びることなどなかったはずです」

 だいいち〈デクストラス〉は〈パラグラム〉と対にならねば働かぬ品物のはず。アルマは言う。

「ガシュイン王ですら〈パラグラム〉の所在はご存知ではありませんでした。いえ、きっと〈パラグラム〉など存在しないのです。

 民草の――《皆》の《ねがい》を集め、蓄積できる《フォーカス》――そんなものが実在するはずがない」

 子供騙し、となじる言葉をナハトヴェルグは平然と受け流し、真摯な眼差しを返してきた。


「遅れたこと、お許しください、姫さま。〈パラグラム〉の所在を確かめるに手間取りました」

 一瞬、アルマは頭が真っ白になった。なにを言われたのかわからなくなった。

 たたみかけるようにナハトはくりかえした。

「〈パラグラム〉は実在します。王家の谷、降臨王:グランの墓所に」


 あるはずがありません。アルマは否定した。

 いいえ、とナハトも抗弁した。


「わたくしめは導かれたのです。グラン王に。〈パラグラム〉はたしかにあるのでございます」

 情熱に濡れた瞳でナハトはアルマを見た。


「アルマステラ姫殿下におかれましては正統な所持者として〈デクストラス〉をお持ちいただき、すみやかに帰国していただきたく」


挿絵(By みてみん)


 深々と頭を垂たれるナハトヴェルグの言葉を、アルマはすでに半ば聞き流している。

 流行り病に罹ったように全身が熱かった。


 どんな《ねがい》も叶えるという伝承が真実なのだとしたら、おまえはなにを願うのだ? 

 祖父:グランに、そう耳元でささやかれた気がした。


 すでに捨てた命なら、お伽噺の真偽を確かめてみるのに費やしたとして惜しくもない。

 そんな諦念にアルマは取り憑つかれてしまった。

 救国の英雄になど、なれる気がしなかった。

 ただ、父や母や祖父と暮らしたあの日々が取り戻せるなら……そんな夢を見てしまった。


 気がつくとアルマはナハトの共犯者となっていた。


         ※


 あらゆるものは一瞬にして失われる。


 パレットは水くみに出た従者ふたりを助けようとして溺れ死んだ。

 水底に潜んだ死者の手が網となり若い騎士を引きずり込んだ。

 ミレイは怯える従者たちを母のように抱きしめたまま串刺しになった。

 錆びた穂先が幾本も胸甲を貫き彼女を宙吊りにした。

 ソラスは最後まで盾となりアシュレとユーニスを庇った。

 馬に跨がり全速で駆るアシュレの耳に、嫌な音が何度も届いた。

 投げかけられる投槍や石弓の矢がソラスの装甲に当たる音だった。


「決して、決して振り返ってはなりません!」


 ソラスの言いつけをアシュレは最後の最後で破った。

 ひときわ大きな音がして、ソラスの甲冑を槍が貫いていた。

 アシュレは手を伸ばした。左腕がソラスの前面装甲に手が届いた。

 アシュレの腕が根元から引き抜かれる前に、装甲の方がちぎれとんだ。


「行ってください。生きて、生きてくださいッ!」

 ソラスが最後のねがいを叫んだ。

 絶叫がアシュレの喉から迸り出た。


 ユーニスが手綱を取っていなかったら、あっという間に落馬していただろう。

 危険と判断すればただちに取って返せばよい、というアシュレたちの楽観的な心積もりは、ものの見事に打ち砕かれた。


 イグナーシュ領に進軍して三日、アシュレはユーニスを除く、すべての部下を失った。

 この地に打ち捨てられ積み重ねられた遺体の全てが亡者となり、骨が波になって押し寄せた。

 この土地、この国そのものがあらゆる侵入者を拒む悪意の塊だったのである。


 そして、その逃走劇のなかアシュレはユーニスをも失うことになる。

 真っ黒な瘴気の雲が、まるで生きものかのように眼前を遮った。

 アシュレは瞬間的に、それが敵対的な意思あるものだと見抜いた。

 反射的に手が動く。

 神槍:〈シヴニール〉の封を解いた。

 開封された〈シヴニール〉に反応して、胸の上で《スピンドル》が渦を巻く。

 バラージェの血統が可能にした業:《スピンドル》に、アシュレは半ば本能的にトルクを与えていた。


 三角錐の断片を持つ〈シヴニール〉の内側から滲み出るように光が射す。

 継ぎ目など見当たらぬそれが音もなく三つ又に分かれると、その空間の中心にエネルギーが収束するのをアシュレは感じた。

 パレットの、ミレイの、ソラスの、そして従者たちの死にざまが脳裏にあった。

 アシュレは激情のままに〈シヴニール〉の力を開放した。


 龍の咆哮にも似た轟音とともに光条が射出された。

 光り輝く超高熱の粒子の帯が一直線に黒雲を切り裂く。

 飛び散った粒子の残滓が地面に当たれば赤熱して炎をあげた。

 開いた突破口にアシュレは馬体を捩じ込む。


 不測の事態が起こったのは、その時だった。

 アシュレの愛馬であるヴィトライオンは、アシュレが成人した時からともに戦場にあった、いわば戦友である。

 慣れなければ軍馬であっても怯む〈シヴニール〉の騎乗掃射に対する恐れを訓練によって組み伏せ、なにより全幅の信頼をアシュレに預けてくれていた。

 だが、ユーニスの乗騎はそうではない。

 多くの生物にとってそうであるように〈シヴニール〉の輝きは本能的な恐怖を刺激する。

 竿立になった馬を御し落馬を防いだのは、ユーニスの騎手としての技量だった。


 しかし、その遅れが運命をわけた。

 気がつけばふたりは分断されていた。

 どこをどう逃げ回ったのか、わからなくなるほどアシュレは走った。

 ただ、ユーニスの無事を信じて。

 互いが生きて再び出会えると信じて。


 逃走の果て、いばら生い茂る緑の孤島に追いつめられた。

 もし、これほどの窮状でなければ心奪われるような花が咲いている。

 青い花弁の野バラの群生地。

 そこは丘陵地になっており、見下ろす者がいたのなら、ちょうど満ち寄せる死の波に取り残された岩場と、そこへしがみついた遭難者のようにアシュレを見せたことだろう。

 アシュレは馬を降り、全周防御ラウンドパリィの構えを敷いた。

 といっても、たったひとりと一頭の防衛線だ。

 尻に鞭をくれたのにヴィトライオンは逃げなかった。

 馬鹿な奴。アシュレは愛馬の義理堅さに涙するしかない。


挿絵(By みてみん)


 ひとりと一頭が絶望的な拠点防衛を覚悟した、そのときだった。


 ふああ、と間抜な声がした。

 そのあまりの間抜さに、寄せ手である亡者の群れさえ足を止めるほどの。

 ふああ、と二度目の声がした。

 それから茂みの奥でなにかが立ち上がった。

 白灰色の髪が伸び放題になっていた。

 長い耳と手足を持て余すように捌いている。

 色素の薄い紅い瞳が半開きで世を拗ねたように眺めている。


 突然背後に現れた珍客を振り返り、仰ぎ見た瞬間、アシュレはどきりとした。

 なぜなら、夢で見たあの王の顔と瓜ふたつだったからだ。


 ただし、似ていたのは容姿だけであった。

 黄金のあの重たい冠さえ被ってはいない。

 まとうオーラにいたっては、完全な別物である。


 乗騎なのだろうか。主に似て間抜けな顔をした生きものが、ゆらりゆらりと頼りなげな足取りで現れる。

 ふしぎなことは、両者ともに鋭いいばらとげに害された様子もないことだった。


挿絵(By みてみん)


「慌てては、いけない」

 モジャモジャの頭髪にバラの葉をトッピングした男が、冷静に言い放なった。


「《スピンドル》を想え。キミならやれる」

 そう言いながら男は、無遠慮にアシュレの肩に手を置いた。

 熱が流入する。

 その途端、アシュレは《スピンドル》が一斉に励起れいきするのを感じた。

 男の一挙動、たったそれだけで複数の《スピンドル》が、一斉に起動していた。

「大丈夫……やれるさ」

 無根拠に男は言う。


 高い場所から言われたのに、アシュレはなぜだかその言葉を信じる気になった。〈シヴニール〉が応じるように変形する。

 気がつけばアーツを放っていた。

 腕を広げるように穂先を開いた〈シヴニール〉が白銀の輝きを展開した。

 焦点温度一万度を越える超高熱・重質量のプラズマ帯が幅数メテルに渡って放出されたのだ。


 それは瞬間的な出来事であったが亡者の群れを焼き尽くした。

 岩盤すら蒸発する超高熱を放ちアシュレは膝をついた。《エンゼル・ハイロゥ》。自身では御したことのない大技を使ったことに対する消耗は、想像を絶ものがある。


 大地が沸騰ふっとうしていた。


 いままさにアシュレに爪牙を突き立てんとしていた亡者の群れは、一瞬で蒸散している。

 実に数十体を一時に葬り去った攻撃は、相手が生物であれば確実に恐怖を呼び覚さますものだったはずだ。

 だが、無数の寄せ手たちのその全てが、ある妄執によって統合された亡者であった。

 すなわち生あるものに対する怨恨である。


 一瞬だけ躊躇した様子を見せたものの、赤熱した大地に自らが焼かれるのもいとわず、それどころか焼かれた者を踏み台にし進軍を再開しようとしていた。

 アシュレは総毛立つような恐怖を覚えた。

 力が入らず、熱い大気を吸い込んでむせてしまう。


「限界かい?」

 砂糖菓子みたいに軽薄な声がした。あの男の声である。

 苦しい息の下、アシュレはまじまじと男を見上げた。


 驚いたことに男の乗騎は羊だった。

 それも馬のように脚の長い――その脚にはひづめがない。

 どこを見ているのかわからない羊の目と男の態度には通ずるところがあった。

 一目で窮地であることはわかろうというのに、男は困った子供を見るような目でアシュレを見下ろすのだ。

 軽薄でぺらぺらな紙みたいな態度だった。


「若いのに早いなあ、キミ。早い男は嫌われるよ。いけないなあ、もっとタフネスを持たなきゃ。ボクみたいに。ねえ――姫」

 迫り来る亡者の群れを無視して男はバラの茂みを見返る。

 首を後に反らし、阿呆のように。

 応える声があった。

「もはや姫ではない。すでに家系からは抹消されておろうから。――それにその文脈だとわたしが貴様を好いていたり、早くない男が好きだったりすることになってしまっているようだが?」

 アシュレの頭上から聞き覚えのある声がした。

 突き出した岩の上に少女が立っている。

 その姿にアシュレは驚愕きょうがくした。


挿絵(By みてみん)


 シオンザフィル――夜魔の姫。

 熱気に炙られた黒髪が躍っていた。

 ひるがえる黒衣の裾から純白のレースが見えた。

 その両腕に鈍く光を放つガントレットが嵌まっていた。あつらえたように馴染むそれこそは聖遺物――〈ハンズ・オブ・グローリー〉――そのものだった。

 おまえは――そこまで出かかってアシュレは咳き込んだ。

 身を折り発作に耐える。


「イズマ、貴様、この童になにをした」

 我が子に手を上げた相手に対する口調で、シオンが叱責した。

「やー、ちょっと《スピンドル》を貸しただけですよー? トルクを与えるコツがまだ、うまく掴めてないみたいだったもんで」

 ボクちん全然悪くないよ、とイズマと呼ばれた男がジェスチャーした。

 ヒトを小馬鹿にしたような態度に、シオンのまなじりがキリキリと持ち上がる。

「なぜ貴様自身が戦わん」

「ボクは外交担当。支援専門。白兵戦は、ちょっと」

「それで国を潰したのか」

「姫、それ、正解♡」

「出し惜しむな。《ムーンシャイン・フェイヴァー》で蹴散らせ!」

「あれはその後、ボクの正体が危うくなるんだよなー。危ないから、ダメッ」

「貴様の正体など初めから危ういだろうが」

「姫、ヒドイッ。でも、なに、この気持ち。胸が苦しくて、ゾクゾクするの。ふしぎ。姫にもっと言って欲しいッ。なじられたいッ」

「それは……病気だな……頭の」


 緊迫感の欠落したふたりの足下で、アシュレは窮地に陥っていた。

 ヴィトライオンがイズマに頭突きを食らわせなければ、延々と続く掛け合いの間にアシュレは絶命していたかもしれなかった。

 痛いじゃないのッ、とイズマはヴィトライオンに歯を剥いた。


「このポジション取るの大変だったんだからッ。姫が上、ボクが下。中までばっちり!」

 ローアングル・イズ・ジャスティス(姫は下方向より愛でるべしッ)!、とイズマは天を見上げて言った。

 その顔に音もなくシオンの靴底が乗る。

 岩場を放棄したシオンがイズマにお仕置きしたのだ。


「どうだ。よく観えるか」

 クセになりそうです。なにを言っているのかわからぬイズマの声を言葉に直せばそうなるのだろう。むしろ、ご褒美だった。

 たすけてください、とアシュレは思った。


「まあ、よい。どうせこれも目的のひとつだ」

 シオンが溜息をついてアシュレを見た。

「案ずるな、そなたは死なん」

 にこり、と花が綻ぶようにシオンは微笑した。

 否定しがたい安堵が胸の痛みに染みわたり癒されていくのが、アシュレにもわかった。

 シオンは足場のイズマに声をかける。


「支えるのだぞ」

 よほど強靱な骨をしているのか、普段から鍛えているのか、シオンの全体重を受け止めたままイズマは返答した。

 ぐっと両手が握り拳を作り、勝利のポーズとなる。

 悦んでッ、とイズマがいけない感じに叫んだ。


 シオンは宙に視線を向けた。

 天を見上げる瞳。

 それからささやくように宣言した。

 桜色の唇が花びらのように動く。

 背後で茂る野バラの薫りが一瞬、あたりに立ちこめる臭気を圧倒した。


挿絵(By みてみん)


「封印よ――退け。薔薇ばらよ、我が手に還れ――」


 そのとき眼前で巻き起こった光景をアシュレは一生忘れないだろう。

 突如として巻き起こった一陣の風、颶風がバラの花弁を吹き散らし、あたりは真っ青なバラの吹雪に覆われた。

 亡者の群れはその勢いに圧され、攻め手を止めた。

 それを最初アシュレは幻だと思った。極度の疲労と恐怖、興奮の見せる。

 竜巻く吹雪のその中に、アシュレは白銀の刃を見た。

 無数の、鋭利な、青く燃えさかる。


 だが、その一枚一枚が迫りつつあった亡者たちに突き立ち燃やし尽くすさまを見て、それが幻でないと気がついた。

 それは紛れもなく刃だった。

 それも不死者を滅するための――。


 アシュレはシオンを仰ぎ見た。

 半ば宙に身を投げるようにしてシオンは立っている。

 花束を抱きかかえる少女のように見えた。

 深い紫色の瞳が、愛しい男を想うように揺れている。

 その手元に刃が吹き集まりカタチを成すのを、アシュレは奇跡を観るような心持ちで眺めることしかできない。


 いや、それは実際のところ奇跡そのものだった。


 不死者には触れることさえ叶わぬはずの聖遺物――〈ローズ・アブソリュート〉。

 失われたはずの聖剣が、いま夜魔の姫であるシオンの手の中で甦ろうとしていた。

 伝説の復活を目のあたりにして、しかし、アシュレの心は別のことに奪われていた。

 それはシオンの美しすぎる面顔に浮かぶ哀惜の表情だった。

 なぜ、この乱れ飛ぶ刃の一片さえ、わたしに突き立ってくれないのか。

 そう恨むような痛みが、そこからは感じられた。


 舞い躍る刃が急速に収束し、そして、剣は結実する。

 己の背丈を優に頭ひとつは上回る大剣を、シオンは軽々と構えていた。

 一片の隙もない騎士の礼の構えに、アシュレは身震いした。


「さがっておれ」

 そう言い放ち、シオンは怨恨渦を巻く亡者の海に飛び込んでいく。


 剣の重量を利用し自身を支点として用いるシオンの戦いは、剣技というより優美で華麗な舞いと表現したほうがよい。

 白刃がきらめき、シオンのレギンスに包まれた脚線があらわになる。

 レースが舞踊り、曲芸のごとき太刀筋が通り過すぎるたび亡者たちが滅されてゆく。


「うつくしいだろう、姫は」

 いつのまにか、イズマが乗騎を寄せていた。

 心のうちを言い当てられて、アシュレは一瞬、苛立ちかけたが、シオンに踏みにじられ鼻血を垂らした男の顔に毒気を抜かれた。


挿絵(By みてみん)


「あ、そうだ。これ飲んどくといいよ」

 イズマという男は自身が他者にどのような心理的影響をあたえるのか、特に考えたりしないのだろう。軽薄な笑みで(本人は親愛の情を喚起させる、と思っているのかもしれないが)ガラス製の薬瓶を手渡してきた。

 緑色の液が少量入ったそれに手書きのラベル。

 霊薬の類で間違ない。


「ずいぶん瘴気しょうきを吸ったからね。普通の土地ならしばらくすりゃ治るけど、ここじゃダメだ。飲んで、一気に、信じて」


 どうしてヒトは「信じて」と自分で言う人間を「うろんだ」と感じるのだろう。


 アシュレはイズマを見た。イズマは首肯した。

 アシュレは乗騎である変わった羊を見た。どこを見ているのかわからなかった。

 心細くなりヴィトライオンを見た。やめとけ、と言われた気がした。


 あ、さあ、あ、さあ、あ、さあさあ、と妙な節回しでイズマが煽ってきた。その外套がいとうを刃がひっかけた。イズマは虫のように地面に転がる。


「だれがわたしが戦っている間に子供を煽れと言った。ばかものめ」


 あらかた敵を殲滅せんめつし終えたシオンだった。

 アシュレは安堵してくずおれた。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ