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燦然のソウルスピナ  作者: 奥沢 一歩(ユニット:蕗字 歩の小説担当)
第七話:Episode 4・「迷図虜囚の姫君たち」
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■第一一九夜:“理想王”の愉悦



「その恥じらい、なんとも愛しい。乙女であることが、そなたを守っているのだな。まだ現実には男を知らぬ。それゆえに高い理想で己の心を鎧っていられる。理想の騎士を投影できる。いまだ未熟なる男に理想の騎士を夢見て。完成されし《理想》の王たる我に抗うに、自らの心に棲まわせた騎士にすがるとは。なんと健気なこと、なんと麗しきこと。たしかに我は肉のくびきから自由であるがゆえに、肉の穢れにて直接そなたを汚してやることだけはできぬ」


 自ら《理想》の王を名乗った男の口元が、引き攣れるように歪む。

 それは《理想》の側である彼が見せた、初めての自嘲であった。


「しかし、まさかまさか。その穢れこそが《魂》の秘密であったとはな。どれほど可能性世界を繰り返しても穢れた肉体へと受肉できなければ《魂》には至らない。肉のくびきが生みだす醜き不自由さこそ《魂》の母体であったとは、迂闊であった」


 可能性世界での繰り返しを経て得た知見を、エクセリオスは口にする。

 現実世界でのアシュレが血泥の海でもがき、白刃の下をいくども潜り抜けて得た知見を、この男は繰り返される可能性世界を眺めるだけで感得したのだ。


 なあ、と今度は自らが腰掛けるものへと話しかける。

 それは息も絶え絶えな夜魔の姫──シオンだ。


 全身を装身具を擬態する刑具で彩られ、汗みずくになった夜魔の姫は、膝をつき腕をついてエクセリオスの玉座として扱われていた。

 かろうじて肌を隠していると言えるのは両腕を覆う聖なる籠手:ハンズ・オブ・グローリーの部分だけ。

 それ以外の部分は装身具によって隠されていると言うよりも、悪意ある刑具に群がられ際限なく玩弄されていると表現するのが正しかった。

 ふん、とその姫が気丈に鼻を鳴らして見せた。 


「わかったか、エクセリオス。どれほど貴様が望んだところで──何度、憐れな可能性世界を生み出し試行錯誤しようとも──《魂》に辿り着くことは決してない。それは“理想郷ガーデン”だけでは生まれえぬものなのだ」


 苦しい息の下、汗と唾液、そしてそれ以外の体液をも滴らせながら言い放つ。

 ふむん、とエクセリオスは唸る。


「それはなんとも、含蓄のある忠告だ、愛しき夜魔の姫よ」

「同じく、わたしたちをどんなに責めても無駄だ、エクセリオス。スノウの能力とわたしを力の源泉パワーソースにしてどれほど陰惨な世界を試算して見せても、それが現実のものとなることは、ない」


 シオンが言い切った。

 直後、びくりとその裸身がのけ反り、じゃらりと装身具が淫靡に鳴った。


 エクセリオスが外部に、内部にと仕込んだ刑具たちに命じたからだ。

 黄昏の帝国で真騎士の妹たちを責め立てた邪悪な玩具が、ここでは実在のものとしてシオンに振るわれている。

 あるいはこの実物が投影された結果が、あの退廃の玉座での一幕に引用されたのか。

 《理想》の王はシオンの尊大な物言いを許さなかった。


 ぐうううう、と食いしばられたシオンの口元から唾液とともに恥辱の唸りが漏れる。

 うん、とエクセリオスは頷いた。


「なるほどたしかに。我は《フォーカス》や、誰かから借り受けた《スピンドル》なくしては、肉という重たい現実に対しては《ちから》を充分には振るえぬ」


 しかしだ。


「それならば《理想》の肉体を手に入れたらよいのではあるまいか。具体的にはいま現実を生きるアシュレダウの肉体に、我を降ろせばよいのではないか。それで四方丸く収まる。彼の者を奇跡の代償に獲るまでもない。降臨ダウンロード。それだけで彼を良心の呵責からも解き放ってやれる。これから歩む地獄の道行きからも解放してやれる。なるほど、対話はするものだな愛しいヒト、夜魔の姫、シオンザフィル」


 これは良いことを思いついた。 

 エクセリオスはそうひとりごちた。


「肉を介しての改変など手間暇ばかり増えて面倒なことを、と思っていたが、まさかそれが最善にして最速の策であるとはいやはや、人生は思い通りにはいかんな」

「そんなに、都合よくいくものか……」


 どれほどの恥辱を感じても、すでに自分の意志では四肢さえ自由に動かせぬシオンが、頭上のエクセリオスに反論する。


「もはや貴様はアシュレとは繋がらせぬ。ここで朽ちるのだ、わたしたちと一緒に……」


 シオンの言葉は強がりだった。

 その証拠にエクセリオスは《ちから》を振るう。


 《スピンドル》が渦を巻き光が集中して、それの輝きが晴れたときそこに現れたのは驚くべき品だった。

 どくりどくりどくり、と早鐘を打つそれは、紛れもないシオンの心臓。

 そして、同時にアシュレのものでもある。


 まるでリンゴに唇寄せるように、エクセリオスはその薫りを嗅ぐ。


「それはあまりに悲しい嘘だ、愛しいヒトよ。そなたは、そなたらは、どうしようもなく希求している。まだ未熟な我に──アシュレダウという男にもう一度逢いたいと。それに、この心臓は彼の者とそなたを繋いでいる。飛び跳ねるように速く脈打つ心の臓の鼓動がすべてを語っている。期待しているのだ、そなたらは」


 自分たちの信じる若き騎士が、《理想》の君主であるわたしを打ち破り、自分たちをその手に取り戻してくれることを。

 再び繋がれるその日を。


「次元捻転二重体、であったか。アシュレとそなたの間にある次元を捩じることで、ひとつの心臓をふたりが共有する異形の技。意図したものではあるまいに、これほど絶妙なバランスで釣り合いが取られているとは……これこそ奇跡だな」


 真紅の心臓を差し上げ、まるで貴石の巨大な結晶を愛でるようにエクセリオスが目を細めた。

 たしかにそれは破格に大粒なルビーの原石にさえ見えた。


「美しい。これが美というものだ。この心臓が異能の結果によって次元の捩れに置かれたものでなければ、同じく異能を用いてこうして愛でることはかなわなかったであろう……」


 つまり自分が触れているのはシオンの心臓そのものではなく、異能が繋げた次元間の捩れそのものだとエクセリオスは言ったのだ。

 いまもしその捩れに干渉されてしまったら、シオンはともかくアシュレがどうなるか、まったく予想がつかない。

 いや、取り返しのつかない悲劇が起ることだけは確実だった。


「ふれる、な。それに──触れるなッ!」


 ギリリリリッ、とシオンが犬歯を鳴らした。

 みしり、めきり、と四肢を縛する《ちから》に抵抗を試みる。

 もしいま彼女の顔を覗き込むことができたなら、烈火のごとく燃え盛る夜魔の赫怒かくどを目にすることになったはずだ。


 ふはは、とエクセリオスが笑った。


「案ずるな。この危うい均衡を解いてしまったら、我の望みも叶えられぬではないか。そなたと心の臓をひとつにして生きるという《夢》が潰えてしまう」


 それに、


「そなたの行い──つまりそなたの献身によって生かされたこと──がすべての発端なのだぞ。過去の我であるアシュレダウが注がれた《ねがい》の走狗にならず、未熟なまま発現させた《魂》によって燃え尽きず、まだこうしてこの世にいられるというのは」


 そなたがいつも我が身を挺してくれたからだ。

 みごとに研ぎ澄まされ高められた芸術品を扱うようにエクセリオスは説いた。


「そなただ、シオンザフィル。間違いなくそなたが我を研ぎ上げてくれた。ここまで我を押し上げてくれたのは、そなただ。だからここまでこれた。今度は我の番だ」


 いまこそ我がそなたらを導こう。

 エクセリオスは呟く。


 そのためにも、のものの肉体がいる。

 ふさわしい器が。


 確信を持って宣言した。

 承認を得るように問う。


「なあ、シオンザフィル、愛しいひと。そうではないか?」

「させん、させんぞッ!」

「駄々を捏ねる姿も麗しいな、そなたは。しかし、それは無理というものだよ」


 なぜなら、とエクセリオスは囁いた。

 囁きながら真紅の心臓から視線を外して、別のものを凝視する。

 中空から幾本も突きだした水晶のごとき結晶体。

 その磨き抜かれた面に、いくつもの可能性世界が映る。


 たとえば、“人類の敵”世界が。

 あるいは、“修羅の庭”世界が。 

 ときには、“愛欲の檻”世界が。


 そして、オルガン世界が。

 黄昏の帝国世界が。


 それぞれの世界のエクセリオスが、シオンが、スノウが、そのほかの女たちがそこには映し出される。

 毎回すこしずつ趣向の違う展開を経ながら、ほとんど同じ結末に至る彼ら彼女らが、可能性を探り、絶望し、それを繰り返す。


 シオンはそのすべてを直視できない。

 しかし、いまや全身を刺し貫く十二本・・・のジャグリ・ジャグラが、そのなかから特に優れた体験ぜつぼうを自動的に選り抜いては、直接、肉体に刻み込んでくる。

 眼球を通してではなく、頭蓋の奥に、肉体の隅々に。

 実際の体感として。


 うあうあああう。

 どれほど堪えようと、シオンの唇からはうめきが漏れてしまう。

 可能性世界で繰り返される悲劇は、シオンとスノウの心を折るための出し物でもある。


「事実、これから先に想定されるアシュレの道行きは、すくなくともこれほどの可能性と同じだけの数の絶望に彩られているのだよ」


 それはなぜか。

 エクセリオスは言う。


「未熟で不便な肉体に、未完成の浅慮な《意志》が宿っているからだ。いま可能性世界で繰り広げられるいずれかの結末は、相当に高い確率で現実のものとなる」


 そうはしたくないのだろう?

 エクセリオスの声は労るようにさえ聞こえた。


「ならば上位存在への更新アップデートのときだ、シオンザフィル。そなたらの業苦、の者の苦難の道行きも、いまこそ我が肩代わりしよう」


 夜魔の姫から返答はない。

 ただ流し込まれる可能性という絶望と、肉体を責めさいなむ恥辱に彩られた屈辱的な官能に震え、いたるところから体液を垂れ流す肉体を痙攣させる。


「ふむん、いますこし対話・・が必要か。そなたが素直に聖剣:ローズ・アブソリュートの結界を解いてくれさえすれば、これほど婉曲な手を使わずともよいのだが」


 そう呟いたエクセリオスの目が、世界につきだした水晶に映し出される可能性世界のひとつに止まったのは、だからきっと偶然だったろう。




燦然のソウルスピナは基本的に平日更新です。


明日10月2日、明後日3日はお休みさせて頂きます。

どうそよろしく。

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