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燦然のソウルスピナ  作者: 奥沢 一歩(ユニット:蕗字 歩の小説担当)
第七話:Episode 4・「迷図虜囚の姫君たち」
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■第一一〇夜:秘事の娘


 アシュレに求められ、シオンの感情に揺さぶられ、本当の意味で窮地に立たされたのは、いま現在のシオンを形作る半分の因子──つまりスノウの部分だった。


 突然、強く求められ、スノウは混乱した。

 こんなことにはならないと、どこかで信じきっていた自分がいた。

 わたしなんか相手にしてくれるわけがないと、高を括っていた。


 それなのに。

 荒々しく自分の心のドアが打ち鳴らされる。


 希求はすでに暴力だ。


 自分の輪郭に叩きつけられる武具が、ふたりの境界線を叩き壊していく。

 呼応するように内側からも、スノウは攻められる。

 シオンの想いが止められない。


 胸の内に湧き上がったのは狂おしいほどの思慕の気持ちと、等しいだけの恐怖であった。


 その怖れは、アシュレを嫌ったのものでは決してない。

 むしろ逆だ。


 スノウがこのとき恐れたのは、アシュレからの性急な要望よりも、自分自身のなかに巣くうふしだらすぎる本心、その暴露のほうだった。


 スノウには心の奥底の部屋に、ひた隠しにしてきたものがあった。


 それは決して許されてはならないアシュレとの密通の計画──夢想の数々だった。

 ヘリアティウムの地下で暴かれたものなど比べ物にならぬ秘事の数々を、スノウはアシュレと会えないうちに大量に貯め込んでしまった。

 それを恋と呼んで慰めとするか、肉欲と唾棄するかは論を別にしよう。


 ともかく、そのとても陽の光の下には出せぬ夢想を、スノウは己の因子の一部に偽装して、シオンのなかに移したのだ。

 

 そして秘匿した。


 それは彼女を創造するとき・・・・・・、スノウが《理想郷ガーデン》側のアシュレから自分の弱点を逃すために施した措置だった。

 以前、魔導書グリモア:ビブロ・ヴァレリによって行われたスノウ自身の精神的恥部を橋頭堡とする精神侵食イントルードから自我を防衛する対抗手段として、彼女は恥ずべき夢想の数々を分離、これを託したのだ。


 だから、いまシオンはスノウの夢想したアシュレとの許されざる秘事の数々が限度一杯まで詰め込まれた、恥ずべき記憶の保管庫でもあった。


 そんな自分がいまアシュレからの求愛を受け入れてしまったら。

 いまここに踏み込まれてしまったら。

 触れられて、確かめられてしまったら。 


 取り返しのつかない痴態の数々を暴かれるだけではない。

 そのとおりにされてしまうのだ、と理解してしまった。


 なぜならスノウの心はすでにすべて書籍のカタチとなってしまっていて、主人であるアシュレはそれを追体験することが出来てしまうからだ。

 

 そうなったとき、自分はどんな顔をして彼と向き合えばいいのか。

 どうやって彼と関係を維持していけばいいのか。


 こんなふしだらな願望を抱いていると知られてしまったあとで、またそれを実際に確かめられ実体験で証明されてしまったなら──もう自分を保てる自信がなかった。


 こわい、とシオンのなかでスノウは怯えた。

 

 スノウはいけない娘だ。

 アシュレとほかの女性が愛を交す場面を、何度も盗み見たこと。


 魔導書グリモア:ビブロ・ヴァレリに侵食されたとき。

 そして融合したあと。

 スノウが一番最初にしたことはそれだった。


 ビブロ・ヴァレリの異能は、超常のしおりを挟んだ相手の過去をつぶさに暴き立てる《ちから》だ。

 あくまで第三者の目から見た追体験なので、そこで実際に交された生の感情や心の動き、隠されたニュアンスまでをもつまびらかにすることはできないが、閲覧者と魔導書グリモアの二者は記された記録をなんどでも閲覧し、まるでその場面に同席していたかのような臨場感でもって追体験できる。


 その《ちから》を得たとき、いけないと知りながらスノウは栞を貼りつけてしまった。

 アシュレに。

 自らの主人に。


 意図したのではたぶんない。

 本能だというほかない。

 ただもうそうするしかなかった。


 自分の所有者となった……いいやごまかすのはやめよう……恋してしまった騎士のことを知らずにいることなどできなかった。


 だって、アシュレのそばにいる女性のなかで、そういう経験を許してもらっていないのはスノウだけだったのだ。

 ずるい、と心の底で思ってしまっていた。


 だから、つぶさに見てしまった。


 彼が、だれを、どんなふうに愛してきたのか。

 いまでもずっと愛しているのか。

 どうやったら自分もそんなふうにしてもらえるのか、知りたくて。


 見た。

 特にシオンとのなれそめと、愛の記録とをはしたないほど、詳細に。

 いくどもいくども、くりかえし。

 確かめてしまった。 


 そのたびに身を切られるような想いにのたうち回り、掻きむしられるような嫉妬に幼い胸を痛めては懊悩した。


 とりわけシオンの美と可憐と、献身と気高さに打ちのめされた。

 容姿が自然に姉妹と勘違いされるほど似ていたのも、スノウを余計にみじめにさせた。


 いつでも、どんなときでも、夜魔の姫は真っ先に我が身を騎士のために差し出した。

 自らの手で心の臓をえぐり出し、己が命さえ与えた。

 そんなシオンをスノウの主人である騎士が、いちばんに選ぶのは当然としか思えなかった。


 それに比べて、と己を罵り、我が身を呪った。


 なんてふしだらであさましいんだ。

 こんなに、こんなに、ヒトの秘密を暴いて、組み敷かれるさまを貪り読んで、羨んで。

 

 スノウは、アシュレとほかの美姫たちの逢瀬をつまびらかにしていくその場で、己を慰めるのを止めれなかった。

 手段は日に日にエスカレートしていったが、渇きは比例するようにいや増した。

 追体験すればするほどに、想いは募り、自責は積み重なった。


 自分が壊れてしまわぬために、スノウの夢想が先鋭化していったのは、だから必然であった。

 

 シオンにはできない、ううん、ほかのどんな女性ひとにもできない献身と奉仕をわたしなら出来るんだから、とそう思い込んだ。

 ありえないほどの退廃と耽溺を、わたしだけが騎士さまに差し上げられる。

 望んでさえ頂けたなら、めくるめくほどに、それを体験させて差し上げる。

 

 そのときが来てくれさえすれば。 


 スノウのその夢想は根拠がないわけでもなかった。

 背徳のなんたるか、その手本は魔道書グリモアのなかにいくらでも詰め込まれていたからだ。

 人類が積み重ねてきた営為の煮こごり、愛欲の精髄がそこにはあった。

 歴史はそうやって紡がれてきた織物だからだ。


 スノウがたとえその身ではなにひとつ知らずとも、夢想の材料はそれこそ無限大。


 そこからひとつひとつ、自分を蠱惑的に育てる方法や禁断の薬や堕落を極めるための道具をえり抜いては、夢想のなかで振るった。

 己に、容赦なく。


 最初は夕闇のなかで。

 つぎには人気のない飛翔艇の倉庫で。

 ついにはあらゆる暗がりを見つけては。


 背徳の手練手管を微に入り細に入って、己のなかに書き込んだ。

 魔導書グリモアである彼女は、それを現実のように体験できる。

 他者の心は無理でも、己の心であれば外部化された物語から、いつでもそれを摂取できた。


 ある種、高位夜魔の完全記憶に近しいが、違うのはいくらでも自分好みの感じ方を追求できることだ。


 それが暴かれる瞬間が訪れてしまった。

 スノウは恐慌に陥った。


 夢想ではない本物の発端オリジンである彼に、とても他者には見せられぬ淫夢でパンパンに膨れ上がった自分を知られてしまったら。

 考えただけで膝が震え、全身が火をかけられたように熱くなる。

 

 本当にいけないと思うのは、スノウにとってふしだらな妄想と際限なき羞恥心は、すでにコインの裏表のごとくひとつだったことだ。

 恥じらうことが、感受性を危険なほどに高めることを、すでに体験してしまっていた。


 ヘリアティウムの地の底で、ほかでもないアシュレダウに自らの心を頁として読まれてしまったとき、それを憶えてしまった。

 もうとうてい引き返せないほど、クセになってしまっていた。


 それは残酷な宣告。

 そう──スノウメルテ・ファルウは、好きなのだ。


 愛する男に手酷く己の秘密を暴かれ、知り抜かれてしまうのが。

 そうやって心のひだや、そのずっと奥にある柔らかい場所を蹂躙され、刻印され、焼印されて、鎖を打たれて自由を奪われ、抵抗を踏みにじられ尊厳を剥ぎ取られ、懇願こんがんの果てに辱め抜かれて、陥落するのが。

 どうしようもなく。

 望んでしまっているのだ。


 だからこそ、拒んだ。


 もしいま発端オリジンのアシュレにそんなことが露見してしまったら、あのふしだらすぎる夢想のひとつにでも勘づかれてしまったら──スノウは残り一生をかけて陥落し続けることになる。


 夢想だからいつでも取りやめることができた。

 妄想だから決して実現などしないと諦められた。

 羞恥心と理性とで堤防を造って、必死にそれが現実に流れ出さないよう耐えてきた。


 それが実現されてしまったとしたら。


 わたし、わたし、どうしたらいいの?


 胸が爆ぜる直前のように早鐘を打った。

 背徳を極める期待と絶望的な不安に。


 すべてが露見して堕ちるだけならかまわない。 

 もし、嫌悪され嘲られたら。

 拒絶されたら。


 狂死する、とスノウの部分がシオンのなかで暴れる蛇のようにのたうち回った。





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