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燦然のソウルスピナ  作者: 奥沢 一歩(ユニット:蕗字 歩の小説担当)
第七話:Episode 4・「迷図虜囚の姫君たち」
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■第一〇八夜:呼ぶ声に


「アシュレ、アシュレダウ。こっちだ」


 空から声がしたのはそのときだった。

 アシュレは視界を巡らし、必死に声の主を捜した。

 彼女を見つけることができたのは、出し抜けに、夕闇迫る世界の一部が剥離したからだ。


「こっちだ、間抜け! 見えているか?! すぐに飛び移れ! 再構築が始まってしまう! このオルガン世界に止まっていたら、おまえも繰り返しループに取り込まれるぞ!」


 もはやほとんど夕闇に没した星空の一画を、シオンが守り刀であるシュテルネンリヒトを用いて切り開いていた。

 問答無用で蹴り開ける。

 切除された内張である夜空がキラキラと光り輝きながら落下して、世界を構成する粒子に変換されて消えた。


「シオン?! シオンなのか?!」

「こんな美女が、ほかのどこにいるというのだ、バカ者! いきなり飛び降りて、そのあと思いきりよく走って逃げてくれたではないか。おかげでここまで来るのにどんな苦労があったか!」


 怒鳴り散らされてアシュレは青くなった。

 そうつい先ほどまで、舞台裏バックヤードに置き去りにしてきたシオンのことを完全に失念していたのだ。


「シオンザフィル……あれが」


 思わず立ち上がったアシュレにすがりつくように、フラウが身を寄り添わせた。

 怒髪天をつくほどに怒りを露にしていても、決して損なわれることのないシオンの高潔な美を、食い入るように見つめる瞳には特別な光があった。

 ぎゅっ、とその指がアシュレの服の袖を強く握った。

 大事なヒトおとうさんを取られてしまうことに怯える幼子のように。


「ともかくだ。アシュレ、急ぎ帰還せよ。もはや時間はないものと心得よ」

「時間が、ない?」

「忘れたのか。この世界は閉幕だ。構成要素が組み替えられて、次の周回が始まってしまう!」


 シオンの剣幕に、アシュレはこの閉じた世界の仕組みを思い出した。

 そうだった。

 エクセリオスは常に途中から始まり、繰り返すのだ。

 すこしずつ地獄の趣向を変えながら。

 だが、

 

「いつも、いつもこんなに唐突なのか」

「それはそなたの主観だ。この世界をいつどうしてやり直すかは、この世界を機能させ可能性を探っている者が決める。つまりエクセリオスが、だ。その彼にとってもうこの周回のオルガン世界は不要となった。つまりヤツの目的にはついに辿り着かなかったということだ」

「だからって」

「いいから帰って来い。議論している時間はない。見ろ、世界・・がわたしの開けた穴を閉じはじめたぞ。いまわたしが立っている場所は、舞台裏バックヤードでは本来は舞台には通じていない。中間領域──ただの通路なんだ。そこになんとか穴を空けた。違法な開通工事だ。早くしろ。そなたの盾で跳躍すれば届くはずだ!」


 事態が切迫しているのはアシュレも理解した。

 だが、すぐに駆け出せない理由があった。

 フラウだ。

 彼女の震える指がアシュレの服の裾を、ぎゅっと握りしめていた。


「アシュレ!」


 シオンが叫ぶ。

 同時にごごん、と地鳴りがして続いて真下から突き上げるような揺れが来た。


「なんだ?!」

「世界が再構築を始めたんだ! いかん、本当にもう時間がない!」


 揺れはしばらくして収まった。

 いいや、そうではなかった。

 いまはただ小康状態にあるだけだ。

 その証拠に、石畳の上で小石が小刻みに踊っている。

 微細な振動は、世界が再び大きく跳ね上がる崩壊エネルギーの溜めを示しているのだ。


 心を決めるときだった。


「フラウ……ボクと行こう」


 意を決してアシュレは告げた。

 そのときフラウの顔に浮かんだ表情を、アシュレは忘れない。

 それは想い人に愛の告白を受けた乙女の顔であり、父親に自分と暮そうと告げられた娘であり、同時にまたその告白を断らなければならないことを知っている咎人とがびとの顔でもあった。


「さあ、乗って」


 だが、アシュレはフラウのその表情を、このとき前半分の意味でしか受け取れなかった。

 ブランヴェルに跨がり、促す。

 おいで、と。


 フラウ──フラウミルヒはこのとき夢を見た。

 一瞬、ほんの一瞬だけ。

 それはこのオルガン世界を抜け出た自分が、アシュレの側で微笑んでいる夢だ。

 父娘として?

 もしかしたら秘密の恋人として。


 だけど、それはできないことだった。

 一歩踏み出す代わりに、フラウは後退った。


「フラウ?!」


 アシュレはその背後の暗がりに、燐光を放つ生き物が立っていることを知った。

 鹿を思わせる体躯。

 しなやかな首の先には頭部と呼べる器官はなく、ただ南の海の珊瑚を思わせる見事な角が林を為していた。


 それに結わえ付けられた、いまや滅び行く世界の風になびくのは、古代アガンティリスの言葉で綴られた物語たち。

 こつり、と蹄が澄んだ音を立てた。


 いつのまにかそこまで後退ったフラウは、に寄り添っている。

 その掌中には、どうして捨てられなかったのか、海と空の色をしたあの小さな卵がまだ握られていて。

 アシュレは呼ぶけれど。

 彼女は諦めたように首を振って、微笑んでいて、泣いていて。


 そっと青ざめた唇で、卵を飲み下して。

 世界は震えて。

 

 アシュレは理解する。

 これは、この大地と大気を揺るがす振動は、あのエクセリオスが奏でるパイプオルガンの鳴動だと。


 ガツン、と再びあの衝撃が来て、肉体が宙を舞う。

 城塞都市が割け、この世界の内臓が露となる。


 そして物語は再構成される。




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