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燦然のソウルスピナ  作者: 奥沢 一歩(ユニット:蕗字 歩の小説担当)
第七話:Episode 4・「迷図虜囚の姫君たち」
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■第一〇二夜:《理想》の卵



 演奏の余韻に浸る世界を切り裂いたのは、悲鳴だった。


 キンッ、と鞘走る刃の音がそれを追いかける。

 円形に群衆が押しのけられた。

 祈りを捧げる白い巡礼の衣服が脱ぎ捨てられ、その下から皮鎧に身を包んだ一組の男女が現れた。


 その風貌にアシュレは思わず息を呑んだ。

 男子の側には間違いなくアシュレ本人の。

 女子の側にはこれも本人と見まごうばかりに、スノウの特徴が見受けられたからだ。


『エクセリオス、覚悟ッ!』

『報いを受けるときが来たぞッ!』

 

 姉弟か、兄妹か、あるいは恋人同士か、それともそのすべてを含む関係か。

 男女は己が手にした刃をかざし、群衆を断ち割るようにしてエクセリオスに迫った。


 周囲の人々は抗うことも立ちはだかることもなく、ただただ潮が引くようにふたりを避け、道を空ける。

 そこにはエクセリオスを守ろうという思いも、ましてや脅威に立ち向かう《意志》などなく、ただただ危険から己が身を遠ざけようという保身の本能だけがあった。

 平穏に飼いならされた家畜の群れ。


 ただ刃が宙にひるがえっただけで海を割る奇跡のように道が開けた。


 演奏を終えたエクセリオスはゆっくりと立ち上がり、階段を駆け上がってくるふたりをじっと見下ろしている。

 構えることも、なにもない。

 ただ、アシュレには、その瞳に小さな光が宿っているように思えた。


 あれは希望?

 どうしてだか、アシュレはそう感じてしまう。


『その命、もらい受けるッ!』

『世界をやり直すためにッ!』


 妨害を受けることさえなく、あっという間にふたりはエクセリオスの喉元に迫る。

 エクセリオスはふたりのそんな様子を、どこか慈愛さえ感じさせる恬淡とした表情で眺めていた。


『勝負ッ!』


 鋼の刃を光剣に変えた男子が斬り込んだ。

 絶妙のタイミングで女子が跳躍攻撃を合わせる。


 そのふたりに対し、エクセリオスはただ白手袋に包まれた右手をかざしただけだった。


 たったそれだけで、ふたりの姿が空中に縫い止められる。


『ぐっ』

『うっ』


 ふたりの振るった光の剣が押し戻されるように揺らぎながら、先端から光の粒子になって風に吹かれた花びらのように散っていく。


 ふたりの用いた技は闘気衝オーラ・バースト

 間違いない。

 ふたりともが《スピンドル能力者》なのだ。


 一方のエクセリオスが放ったのは──いつかアシュレが戦ったオーバーロード、廃王国イグナーシュの死せる王:グランが用いた重力球グラビティ・スフィアの応用版、いやずっと上位に位置する技だった。


『クソッ、オマエのせいで母さんはッ!』

『スノウ母さんを、返せッ!』


 胸を突かれるような思いに、表情を変えたのはエクセリオスではなかった。

 決定的な場面を期せずして盗み見るカタチになったアシュレは、思わず片手で口元を覆った。


 いまエクセリオスに立ち向かうふたりは、スノウを母と呼んだ。

 ではその夫は?

 彼らの父は?

 だれだ?


 言いようのない震えが足下から背筋を駆け上がり、頭頂にまで達するのを感じた。


「まさかこのパイプオルガン世界は……こんなこんなことが」


 場面から目を離せなくなりうめくアシュレに、シオンが気遣わしげに言った。


「そなた、顔色が悪いぞ。ここまでにするか」


 だが、ヒトの騎士は首を振るだけで提案を一蹴した。

 この世界の結末を知らずにいることは、できない。

 できなかった。


『ふたりとも、大きくなった。そして成長した。アレン、フラウ』

 

 わずかに愛しさを感じさせる調子が、エクセリオスの口の端に宿った。

 しかしそれは空中に縫い止められたふたりの憤怒と憎悪を、いっそう激しく掻き立てることにしか役立たなかった。

 

『オマエのせいで母さんはッ!』

『存在としての閉じ紐を失って、バラバラになったッ! 散逸して、順番を見失って……ッ!!』


 もしなんの事情も知らずこの会話を聞いたなら、いったいなんのことかわからぬままだったはずだ。


 もちろん、アシュレは違う。


 この世界で、アシュレはスノウと家庭を築いたのだ。

 そして、子を得た。

 あのふたりは年格好から双子であろう。

 どんなにアシュレの理性が否定しても、ふたりの相貌が「そうだ」と言っていた。


 スノウと子供たち、そして当のエクセリオスが、いっときにせよ幸せであれたのかどうかはわからない。


 ただ、その過程でスノウは魔導書グリモアとしての閉じ紐=己を自分自身と規定する軸を失った。

 そして、閉じ紐を失った書籍がしばしばそうなるように、バラバラになって散逸した。


 死ではないかもしれない。

 けれどももはやそれをヒトと呼ぶことはできない。

 世界に散らばる頁の群れと成り果てた。


 その子供たちが、いま世界を正すために父であるエクセリオスの前に立ったのだ。


『ここまで来たことは称賛に値する。オマエたちはわたしの自慢の子供だ』

『言うなッ! 言うなッ!』


 感慨深げに言い放ったエクセリオスに対し、縫い止められているふたりが食ってかかった。

 口々に血の繋がりを否定し、暴政を指弾する。


『わたしは、わたしたちは、オマエのことを父などと思ったことはないッ!』

『この“天に至る祭壇”の外にどんな光景が広がっているか、忘れたとは言わせんぞッ!』

『人々から《意志》を奪い、可能性を摘み取る。その先の安寧などッ!』

『オマエを倒すッ! 乗り越えるッ! そして世界をあるべきカタチに戻すんだッ!』

『そのため、そのためにだけ、わたしたちはッ!』


 気炎を上げるふたりを、エクセリオスはしばらく注視した。

 その瞳に宿る光を、なんと表現すればいいのかアシュレにはわからない。


 希望と諦めとの間で揺れる感情。

 あえて言葉にするなら、それはきっと『期待』というべきなのだろう。


 わかった、とエクセリオスは言った。

 よきかな、と続けた。


『では、試すがいい。オマエたちに本物の《意志》が宿っているのかを。わたしを超え得る者として完成できるのかを』


 そう告げると、エクセリオスはふたりに背を向け、ふたりの聖女が化身したパイプオルガンの基部に跪いた。


 その姿を好機と見たか。

 アレンとフラウと呼ばれた青年と乙女が《カウンタースピン》を仕掛ける。

 《スピンドル》に逆回転を与え、空中に我が身を縫い止めるエクセリオスの技を破ろうというのだ。


 指先から、掌、肘が、腕がゆっくりとまるで泥土のなかを進むようにだが自由を取り戻しはじめる。

 徐々に肉体が束縛から脱しはじめる。


 そこにエクセリオスは帰ってきた。

 手のなかになにか握り込んでいる。


 ふたりが息を呑むのが聞こえた。


『な、にをする気だ』

『なにもしない。ただ、オマエたちの《ねがい》を叶えようというだけだ。世界をやり直す、という』


 そっとエクセリオスは掌を開いて見せる。

 そこには目の覚めるような鮮やかな色をしたが握り込まれていた。

 星空を映し取る深い夜空の色をしたもの。

 うつろいゆく空と海の色をしたもの。


 それはパイプオルガンの姿をした、ふたりの聖女が産み落としたものだった。


『どちらがいい?』


 まるで愛し子に贈り物を選ばせるように、慈愛に満ちた声でエクセリオスが言った。

 なにを言われたのかわからないふたりの表情が強ばる。

 いやいやをする子供のように、首を振る。


『遠慮をすることはない。オマエたちの可能性を試そう。その機会を与えようというだけのことなのだ』


 晴れやかに笑ってエクセリオスが言った。


『恐れることなど無い。オマエたちが真にこの世界の更新を望むなら、その卵は必ず導いてくれる。高い場所へ、オマエたちを誘うだろう』


 言いながらエクセリオスは男子──アレンのおとがいをやさしく掴んだ。

 それはどうみても力を込めた様子すらない親愛に満ちた仕草に過ぎなかったが、実際にはアレンの固く閉じていた口は、恐ろしい《ちから》によってこじ開けられていた。


 自由になりかけた両手が、泥土を泳ぐ速度で抵抗を試みる。

 しかし、エクセリオスは止まらない。

 アレンの舌に、星空の卵を載せた。

 ヒバリのそれほどしかない小さな卵は、つるり、と青年の喉を滑り落ちていく。

 アレンのなかへ。

 体内へ。

 

 吐き出すことさえできず、アレンはごくりと飲み下してしまった。

 それを確認すると、エクセリオスは微笑み、こんどはフラウに向かった。

 

『フラウ、それをどうするかは、すべてを見て、その上でオマエが決めなさい。兄さんは、男の子だからね────』


 身を守るようにかざされたフラウの右手に、残された空と海の卵をそっと握らせる。


 そうして、エクセリオスは演奏に戻った。

 それまで天上の美を思わせて音楽を織り上げていたオルガンが、獣のごとき咆哮を上げた。




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