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燦然のソウルスピナ  作者: 奥沢 一歩(ユニット:蕗字 歩の小説担当)
第七話:Episode 4・「迷図虜囚の姫君たち」
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■第一〇一夜:オルガン世界にて

         ※


 アレだ、とシオンが囁いた。


 アシュレたちはいま、ふたりで天井桟敷に寝そべり、オルガン世界のエクセリオスを見つめている。

 オルガン世界というのは蛇の姫:マーヤと真騎士の乙女:レーヴがその身を捧げ、《理想の卵》を産み落とす楽器に変じた世界線を指して言う名称、アシュレがつけた呼称だ。


 名の通り、その世界は巨大なパイプオルガンを中心に動いていた。


 もともとは自然物であったのだろう巨大な岩山の頂上に、それは据えられていた。

 白亜の、巨大な、神楽楽器。


 岩山を取り巻くように発達した螺旋状のなだらかなスロープと階段は、その表層を隙間なく覆い尽くし、ひとつの都市国家の体を為している。


 そこに群れ集う人々は皆、敬虔な巡礼の顔をしている。

 穏やかで、晴れやかで、従順な顔をしている。

 それは満たされたり、約束された者だけが浮かべることのできる表情だ。


「地獄の趣向は毎回すこし違うってキミは言ったけど、ボクの目にはさっき見た退廃の玉座の世界観とは、まるで違って見える」

「だといいのであるが」


 アシュレの感想に横で身を伏せるシオンが呟いた。


「じゃあ見た目は平穏だけど、失敗した世界ってことなんだよな、ここも」

「皮肉という意味では極めつけかもしれんぞ、こちらのほうが」


 辛辣なシオンの評に、思わずアシュレは唾を飲み下した。


 この世界のアシュレ、つまりエクセリオスは司祭の姿をしていた。

 イクス教者としての黒い詰め襟姿は、地方の小さな教会を預かる……俗に神父と呼ばれる下級司祭たちの出で立ちだ。

 余談だが、イクス教では司教は紫の、枢機卿は真紅の衣服を身に纏う。


 そのなかで世界の極点となりながらもあえて最下級の黒服を選ぶあたりに、この次元におけるエクセリオスの精神性が滲み出ていた。

 首からかける帯状のストラだけが純白に金糸で縫い取りをされている以外は、仕立ては良くとも極めてシンプルかつ、つつましやかな服装なり


 だがそれが逆に、この男の特異性を際立たせていた。


 集いなさい、とエクセリオスは言った。

 パイプオルガンの広げる翼のようなひさしが、その良く通る声を理想的に反響増幅させた。


 声に人々は従順に従った。

 我も我もと自ずから、下層から、人々が集い来るさまは、イクス教者の義務である安息日の礼拝を思わせるものがあった。


 集い来る民衆の顔には理想的な笑みがある。


 かつてなんの疑いもなく法王庁の聖騎士パラディンとして生きてきたころのアシュレであれば、その穢れなき微笑みに胸を打たれたことだろう。

 清らかに洗われたような、極めて模範的な信徒の顔だったからだ。


 だが、いまやこの世界の裏側、その仕組みを知り得てしまったいまの自分にとってそれはどこか歪な、自らの考えを放棄したような顔にしか見えなかった。

 ひとことで言えば、理想的過ぎた。

 思考停止。

 すべてを上位者に委ね切り、信じ切った者の顔だった。

 上位者への恭順、従順がイクス教者の徳だとしても、すでにアシュレには素直に受け入れがたいものだった。


 祈りなさい、とエクセリオスは言った。

 振り香炉の入場も、振り撒かれるバラの花弁も、大仰な説法もなかった。


 ただ祈りだけをエクセリオスは促した。


 そのひとことだけで、人々は真摯に祈った。

 篤心の沈黙。

 熱意だけがエネルギーとなって場に満ちた。


 あまりに理想的。

 理想的な祈りであった。


 その様子に、エクセリオスは慈愛の視線を投げかけ、巡らせて、身を翻す。


 ゆっくりと階段を昇る。

 場の持つ熱意に押されるようにして、この都市国家の、いや巨大な祭壇である施設の先端に辿り着く。

 そこにパイプオルガンと鍵盤は鎮座している。


 エクセリオスは一度だけ群衆を振り返る。

 そして、いつものことなのか天を振り仰ぎ、視線を虚空に投じる。


 その瞬間、舞台装置の上から彼を見下ろすアシュレは、エクセリオスと目が合った気がした。

 彼の瞳に宿る悲痛な光に、アシュレの胸がおかしな調子で早鐘を打った。

 

「いまのは、見つかったのか?」

「いや、そうではあるまい。ヤツは気にかけているのだ……己のために身を捧げてくれたふたりの女のことを」


 シオンの言葉を肯定するように、エクセリオスは演奏者の席についた。

 言われて初めて、アシュレはパイプオルガンの造形に気がついた。

 それは世界最大の楽器の眷属であると同時に、巨大かつ精密な立像でもあったのだ。

 身を寄せ合い絡め合うふたりの女性。

 蛇の姫:マーヤと真騎士の乙女:レーヴの変わり果てた姿。


 ふたりの尊顔と肉体は聖母子像めいて、触れがたく犯しがたい聖なる美に包まれていた。

 どこかに苦悩をたたえるその表情は、足下に集まる群衆に慈悲を垂れているようでもある。


 そして、その喉から聖なる歌は流れ出す。

 彼女らの足下に座し奇跡のごとき運指でまるで舞踏のごとく、一五〇を超える鍵盤とストップノブ、カプラーノブといった装置群を鮮やかに繰るのはエクセリオスだ。


 荘厳な天上の音楽は、奏者とふたりの聖女の三位一体で奏でられる。

 アシュレの知らぬ調律法が生み出す清らかなハーモニーが大気を、世界を、心を揺るがす。


 祈り集う群衆は、その《ちから》に歓喜して、打たれて、泣いていた。

 ふたりの聖女たちは謳う。

 《理想》の在処を、その素晴らしさを、いつかそこに届けと。


 だが、アシュレは知っている。


 高らかに《理想》を謳わねばならぬ世界は、つまり《理想》には辿り着かなかった、辿り着きえなかった世界なのだと。

 だから、彼らは泣くのだ。


 届かぬから。

 焦がれて。

 どんなに望んでも、自らが辿り着きえることなどありえない──到達者の昂ぶりを錯覚して。


 それは英雄譚に聞きほれる子供たちが、英雄と自分とを同一視してしまうのと同じで。

 なによりそんな自分の心の動きの意味さえ、自覚できないで、いる。


 だからいま、鬼気迫る技量で鍵盤に指を振り降ろすエクセリオスの顔に、笑みなどない。

 見えていなくても、アシュレにはわかる。

 たとえ物語世界の可能性存在として誇張されていたとしても、彼の因子はアシュレの写しなのだから。


 アシュレには、どうしてこの世界の彼が絶望の大君ロードレス・タイクーンなのか、初見ではわからなかった。

 穏やかに群衆を導こうとする彼が、なぜ絶望しているのか。

 それでもなおこうして人々の祈りのために、天上の音楽を奏でるのか。


 いまはすこし理解できる。


 この世界のエクセリオスは平和的な方法・・を徹底的に模索した。

 方法・・とはつまり、《魂》に至る道筋を、だ。

 その方法論を突き詰め行き着いた先が、いま眼下で額から汗を迸らせながら鍵盤を操る彼なのだ。


 彼の絶望とはつまり、いまここに集い篤心の祈りを捧げ、涙する理想的な人々そのもの。

 信じ切り、預け切って、考えること歩むことを止めた人々。

 理想的平和世界は《魂》から遠のくという事実に、エクセリオスは辿り着いてしまった。


 そう思い至った直後、事件は起きた。




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