■第九十七夜:はじまりの日のそなた
「さて、いろいろともうすこし詳しく話してくれるかい?」
しばらくしてのち、衣服をまとい直し靴を履いたアシュレは、荊を編んで造られた瀟洒な椅子とテーブルに腰を落ち着けた。
椅子にもテーブルにも、ありがたいことに棘はない。
ただ意匠化された造形として残るのみだ。
見渡せば部屋の造りも独特で、同じく荊を用いて造られた鳥の巣の、その内部のようだった。
壁は絡み合う荊に漆喰かなにかを塗って造られているらしいが、そこに浮かび上がる紋様は幾何学模様のごとく繊細かつ正確無比で、とても人間が生み出した造形とは思えない。
強いて言うなら、自然界でときに鉱物や植物が生み出す自己相似なパターンが近い。
「まさか、はじまりの日のそなたが、実在するものであったとはな。しかも、いまこうして現実に逢っているとは。わたしは幻を見ているのではないか……いつも見る寂しい夢のように」
胸を押さえてシオンが告白した。
どうやら毎晩のように互いを想い求めてしまうのは、アシュレだけではなかったらしい。
こちらの側のシオンもまた、アシュレの不在を寂しいと感じてくれていたのだ。
「それはなんていうか……ちょっと嬉しいな。いつも、ボクを夢に見てくれているのかい?」
「な、なあああ、ちがう、違うぞ。いまのは言葉のあやで」
なぜかアシュレへの想いを露にすることは、彼女のなかでは禁則事項らしい。
たぶん彼女の側でも無意識のうちに、いまアシュレと関係を深めるのはよくないと考えているのだろう。
本能か、あるいはシオンとスノウのふたりの気づかいか。
その反応があまりに可愛らしくて、アシュレはどうしても口元が綻んでしまう。
シオンが祖国を裏切り“叛逆のいばら姫”となる前の少女時代、もしかしたらこんなふうだったのかもしれないと思うと、愛しさが止められない。
だがそのせいで、アシュレはつい聞きそびれた。
彼女が夜な夜なこの神殿を抜け出し、アシュレの面影を求めて彷徨い歩いてしまう夢の話を。
それが実は昨夜、アシュレの出会った彼女だったのだということを。
シオンとスノウのココロとカラダはそんなふうにして、毎夜アシュレを探してしまうのだと。
そんな事情をなにひとつ知らないまま、ヒトの騎士は恥じらう夜魔の姫に微笑む。
「大丈夫、ボクは夢なんかじゃない。それよりもソレだ、そのキーワード。はじまりの日のそなた。まずそこからだ、ボクが知りたいのは」
長い脱線の果て、ようやく話を戻すことができたことにアシュレは安堵の息をつく。
互いの動揺を鎮めるように、これも不思議なカタチの炉を使って、シオンが茶を点ててくれた。
炉の内部では青い炎が鬼火のように揺らめいている。
バラの花弁とローズヒップの香り高いそれは、驚いたことに青色をしていた。
先ほどまで床に散っていたアシュレの血は、いつのまにか床面がすっかり吸い取ってしまったようだ。
わずかに残る血臭も、香り高き青き茶がまたたくまに浄化していく。
あるいはこの茶は、シオンが血の渇きに抗うために常飲しているものなのかもしれない。
血の匂いによる酔いのごとき感情の昂ぶりを、宥めてくれるようにアシュレには感じられた。
「変わった色だ」
「そうであるか? バラといえばこの色であろう?」
「?」
ここでも小さな違和感を感じたが、アシュレは話を先に進めることにした。
「よしまず、手始めに、だ。さっきも言ったけどはじまりの日のそなたというのがなんのことなのか、もっと詳しくボクに教えて欲しいんだ」
騎士の問いかけに、青い水面に広がる波紋へと目を落としていた夜魔の姫が視線を持ち上げた。
ぽつりと言う。
「発端という意味だ。ひとことで、端的にまとめるなら」
「発端? ふむん、どういう意味だろう?」
アシュレはその単語を口中で転がした。
発端。
なるほど、どこか琴線に触れるものがある。
ざわり、と心に波が立つ。
そういう感じだ。
すくなくともヒトの呼称としてはありえない。
そんなアシュレの様子をどう捉えたのか。
シオンは続ける。
「この世界のどこかにいるはずの……繰り返されるこの地獄の首謀者──その発端。バラの神殿のなかに封ぜられながらも永遠に繰り返される“永劫の理想郷”の主。《魂》の修練場として、悲劇と惨劇を繰り返す男:アシュレダウ。その原型のことだ」
限りなく分かりやすく、噛み砕いて説明してくれているのであろうシオンの瞳を見つめたまま、アシュレは青い茶をひとくち啜った。
素晴らしく、うまい。
そして、全然ダメだ。
シオンがなにを言っているのか、さっぱりわからない。
もちろん、だからといってここで投げ出すわけにはいかない。
解決策は、ここにしかない。
アシュレは気を取り直して、理解できそうな部分から攻めることにした。
まずは発端や原型という言葉の定義からだ。
「そうだな。まずボクが発端であり原型だというのであれば、どこかにボクの複製が居るってことなのかな? そうしないと原型という定義そのものが成り立たない……よね?」
卓上にアシュレは両手でふたり分の人型を描いて見せた。
原型と複製、そのふたつが別であることを示す。
シオンが深く溜め息をつく。
そこからか、というジェスチャ。
呆れられたらしい。
「ごめん、的外れで」
「いや、わたしの説明が言葉足らずなのだろう。参ったな、どう説明したものか……」
頭を捻るシオンの様子にうーん、と唸ってから、アシュレは言った。
ひとつ、思い当たるところがあったのだ。
「それってもしかして、さっきキミが言ってたエクセリオス姓のボクと関係があったりする?」
「その話をしていたつもりだったのだが……」
アシュレは本当に自分の頭が悪い気がしてきた。
いまの口ぶりから察するに、間違いなくこちらのシオンも、上位夜魔の特徴である完全記憶を持ち合わせているのだ。
オリジナルのシオンは、きっと普段は人類のレベルに合わせて加減してくれていたに違いない
だからアシュレは引け目を感じず、彼女と話ができた。
あるいは人間のそういう不完全で、だからこそ彼女たち夜魔にはできない発想を楽しんでいてくれていたのかもしれない。
だがどうやら、そういう経験がすくないらしいこちら側のシオンにとって、同じ話や前提を何度も確認し直すというのは、無駄としか思えない単調作業らしい。
『なんでこの人間はこんなに察しが悪いのだ。さっき説明したではないか』
彼女の心の動きを言葉にしたら、きっとそういうことなのだ。
こちらもびっくりだが、あちらもびっくりしているというのが、認識としてたぶん一番正しい。
これまでそんなことに思い至りもせず、シオンの好意と配慮に甘え切っていたことが恥ずかしくてしょうがないが、ともかく頭の悪い人間代表としては逐一確認していくしかない。
「じゃあそのエクセリオスというのが、ボクの複製ってこと?」
「なにを言っているのかわからんが、この世界にエクセリオスも、アシュレダウもひとりだけだ。ひとりだけだった──そなたがここに来てしまうまで」
「ひとりだけ? それってどういう?」
意味なんでしょう?
またまたアシュレは混乱した。
混乱したまま、問う。
さきほども結論したが、バカと思われても仕方がない。
この場にあって躊躇には意味がない。
問うしかないのだ。
たぶん、彼女もいまアシュレとの意思疎通の仕方を試行錯誤してくれている。
そう信じる。
信じるしかない。
シオンからの返答はすぐだった。
 




