■第九十三夜:乙女の秘策
「シオン……逃げて。アシュレを、わたしたちの騎士さまを連れて」
「なん、だと?!」
「それから真騎士の乙女の血筋に……だれでもいいから、アシュレをこちらに留めるために協力させて。アンタたちを守ってくれた騎士さまがピンチなんだから、戦乙女の契約でもなんでも捧げなさいって説得して。何人でも良い。多いほうがいい」
「しかし、」
「しかしもかかしもない、ないの! 時間がない。行って、はやく!」
戦乙女の契約によるアシュレの一時的回復については、シオンもすでに考えていたことだ。
しかし、すでにアシュレとの関係を築いているアスカリヤは《スピンドルのちから》を使い切り、まだ消耗の底にあった。
あのような状態で、戦乙女の契約を用いれば、命に関わる。
だが、それ以外の真騎士の乙女となると……。
「手始めにレーヴって女がいい。あのヒト、絶対、騎士さまに惚れてるんだから。わかるんだからわたしには」
目を据わらせ《理想》の男を睨めつけるスノウに、シオンは気圧され絶句した。
「そのようなこと、頼んでもよいものか」
シオンはレーヴという娘の心をまだ知らない。
たしかにアシュレを嫌ってはいまいが、戦乙女の契約とは乙女としての純潔を捧げるという意味だ。
一生を添い遂げるという契約。
それを便利な道具のように扱っていいものか。
いやそれよりも、スノウ自身の心はどうなるのだ。
惚れている、というのであれば無体な指示を飛ばしたこの娘のほうだろうに。
「なに? いまさら嫉妬?」
そんなシオンの胸中を見透かしたようにスノウが切りつけた。
「嫉妬、ではない。ただこちらの窮状をダシに、そのような要求をしてよいのかと思ったのだ。真騎士の乙女にとって、その契約は一生に一度きりのもの。真の想い人でなければならぬはず。それに、」
「ふん、あいかわらずお優しくていらっしゃるのね」
意外過ぎる、そして挑戦的過ぎるスノウの言葉に、シオンは二の句もない。
半夜魔の娘は続けた。
「わたしだってイヤだよ。まだちゃんと手もつけてもらえないのに、他の娘と騎士さまが楽しげに話してるだけで、お腹のなかおかしくなりそうなくらいだもの、黒い水みたいな感情が湧いて、煮えたぎって」
でも、と一瞬だけシオンを睨んでスノウが言った。
眉根を寄せた怒りの表情。
その目の端には涙が溜まっている。
「でも、生きていてくれるなら、あのヒトが誰とどんなにたくさん関係してても、わたしには関係ない。生きてわたしのことちゃんと大事に想ってくれるなら、そんなの関係ないよ!」
嫉妬剥き出し未練タラタラの声で、スノウは叫んだ。
シオンは面食らい、それから小さく噴き出した。
「なに? 笑わない!」
「いや、参った。いまのは完全にそなたの勝ちだ、スノウ。そこまで覚悟を決められると、わたしも腹を括らずにはいられないな」
「こっちの王さま:アシュレは、わたしがなんとかする。だからわたしたちのほうのアシュレをお願い。そして騎士さまが復活したら……助けに来て、絶対、待ってるから」
血の繋がらない小生意気な妹の覚悟に、シオンは力強く頷いた。
「死ぬなよ」
「死んだりしないよ。あのヒトは、わたしをそんなふうには扱わない。《理想》だから、そんなふうには扱えないんだから。でも……でも……もし本当にわたしの《理想》の通りだったら……どうしよう。わたし、めちゃくちゃにされちゃう。毎晩夢に見る通りだったらどうしよう。こわいこわいよ、《理想》の通りにされるって恐いよ。シオン、お願いね、必ず助けに来てね」
敵を睨みつけたまま、蒼白になってスノウが言った。
がくがくと震える膝は、あきらかに戦意喪失一歩手前だ。
それでも目を逸らそうとしない妹の覚悟に、シオンが頷いた。
「これから先は、そなたしか出来ぬことなのだな」
「そう、そうだよ。ぶっつけ本番だから自信なんかこれっぽっちもないけど、相手が虚構の側なら、わたししか戦える人間はいないもん。いや違うか、わたしもうヒトじゃないもんね、ビブロ・ヴァレリ、魔導書だ」
「スノウ……」
「あっちだって、わたしには興味があるはずなんだ。現実のアシュレはわたしのこと大事にしようとして、必ず手加減してくれてたけど──もっとずっと深いところを知りたいはずなんだ、もっとわたしのこと残酷に暴き立てたいはずなんだ、から。だから、だから、暴かれちゃうんだ」
がくがくがくがく、と目に見えて全身で震えはじめたスノウを見て、シオンはスノウの考えを正確に理解した。
彼女は与えるつもりなのだ、代償として、自分自身を。
その気高さに、ぶるり、と恐れではない身震いがシオンにも起った。
「必ず助けるからな」
「う、うん。信じてる、信じてるよシオン。そうでなきゃこんなの恐くて出来ないよ」
「相談は終わりか? では、取引を締めくくろう」
それまで夜魔の姉妹に会話を許していた《理想》の男が、頃合いと足を踏み出した。
聖剣:ローズ・アブソリュートを無造作に提げ持ち、空いた左手をかざす。
それだけで凄まじい引力が、ふたりを、そしてその足下に横たわるアシュレをも襲った。
「シオン!」
「了解だッ!! スノウ、死ぬな!」
「死なないって! てか、死ぬより良くないことになりそうだけど」
行動に出たふたりに対し、《理想》の男は無遠慮に間合いを詰めてきた。
ヒトを震え上がらせる無慈悲さが、そこには滲んでいる。
理想的君主である、とはつまりそういうことだからだ。
「無駄なことはやめよ。苦しむことはない」
「させん!」
「いかせるかああああああ!!」
シオンが現実のアシュレを抱えて駆け出す。
追いすがろうとした《理想》の側のアシュレに、大猪を思わせてスノウが突貫した。
「なにをする、小娘、スノウ。怪我などしたら、どうするつもりだ」
「この期に及んでわたしの心配なんかしちゃってええええ、なにが小娘だ! わ、わ、わたしの魅力に抗えると思っているのですかーッ?! 未来のご主人さまめ! まだ未熟な肉体に秘められた数千年の歴史の重み! そのギャップに萌えろ!」
あまりの勢いに《理想》の男の勢いが、一瞬だが止まった。
「わ、わ、わ、わたしで満足なさーい!」
抱き留められるカタチになったスノウが、その腕のなかで、自らの胸郭をこじ開ける。
ドドドドドッ、と音を立てて無数の紙面が床面に吐き出される。
あふれ出したのは、彼女が溜め込んできたアシュレへの想い。
図版が、文字が、想いが狂おしいほど渦巻いている。
魔導書:ビブロ・ヴァレリはその頁を読んだ相手に、描かれていることを追体験させる。
つまりいま眼前に展開するのは、スノウからのアシュレへの告白そのものだ。
スノウの思い描いた《理想》だというその男は、理想であるがゆえにそれを受け止めざるを得ない。
いま自分で説明したことが、すべてを表している。
その姿も立ち振る舞いも、アシュレという器に注がれたシオンやスノウの《ねがい》、そのものなのだから。
だから、その理想の相手に、スノウは自らの想いのすべてをぶつけた。
愛も肉欲も、もっとふしだらな《ねがい》も、隠すことさえできずに。
相手のことを考えるだけで、どんなふうに自らが熱くなって、硬く尖って、ぬかるんで、泣きながら懺悔して、慰めるのかまで。
それはまさに自らの心だけでなく、将来までもを代償にした捨て身の策。
結果、どうなったのか。
それは現実のアシュレがまだ生きていて、彼女たちの探索に赴いた事実が証明している。
ただ、スノウは思うのだ。
はたして自分は、あのヒトのところへ戻れるのか。
際限なく責め立てられ、心の奥の奥まで覗かれ、つまびらかに読み解かれる羞恥と抵抗不可能のひりつくような快楽に脳髄を焼かれながら。
現在、燦然のソウルスピナ 第七話:Episode 4・「迷図虜囚の姫君たち」は基本平日更新をさせて頂いております。
これに基づき明日2021年7月21日〜25日の間は、更新いたしません。というかちょっと概念的にややこしいところに差しかかってしまいまして、もしかすると7月一杯お休みを頂くかもしれません。
制作上の都合ですので、どうか悪しからず。ちゃんと続いて行きますヨ。
 




