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燦然のソウルスピナ  作者: 奥沢 一歩(ユニット:蕗字 歩の小説担当)
第七話:Episode 4・「迷図虜囚の姫君たち」
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■第九十二夜:魔導書(グリモア)の娘


 声の主は、シオンザフィル。

 “叛逆のいばら姫”と謳われた聖剣:ローズ・アブソリュートの使い手。


 その誇り高き夜魔の姫は、倒れたアシュレに覆いかぶさるようにして、愛しい騎士の胸に開いた通路としての《魂》の傷跡を塞いでいた。

 己が肉体から突き出る人体改変の宝具:ジャグリ・ジャグラを栓するように用い、アシュレの肉体を食い破って噴出し荒れ狂う《ちから》減じていたのだ。

 ジャグリ・ジャグラは同時にアンカーとして、《理想》の側に引きずられていきそうな騎士の肉体を貫いて現実の側へ繋ぎ止めてもいた。


 ほう、とその様子に“理想郷の王”が息をついた。


「そなたが、こちら側のシオンザフィルか。美しい。そして気高い。案ずることはない、我もまたそなたの愛したアシュレダウだ。それもずっと先を見、到達して、完成された、な」


 つまり、約束されし未来の王。

 自分で己を追うと名乗った理想の男は、手を差し伸べた。


「これまでかけた辛苦と心労に報いよう。我が愛を受け取って欲しい」


 スノウのときと同じく、強い引力が、シオンをアシュレの肉体から引き剥がす。

 まるですっかりくたびれてしまった古い玩具から、愛し子を引き離すように。


「貴様ッ?!」

「驚くには値しない。こんなことが出来るのも、わたし自身をして、そうあれかしとそなたらが望んでくれたからだ。わたしはそなたらの《ねがい》そのものなのだ」

「黙れッ!!」


 己が振るう強大な引力について、さも当然と言い放つ理想の男。

 対してシオンは抜き打ちで剣を振るった。


 相手がこちらを引き込むというのであれば、その勢いを利用する。

 聖剣:ローズ・アブソリュート。

 夜魔の姫は、小さくその名を呼ばわる。

 《理想》の側ゆえ永劫に属するであろうこのバケモノを相手取るに、恐らく現世界でもっとも頼りになる武器の名を、信仰を捧げるように口にする。


 倒れ伏したアシュレの尋常ならざる様子を見て取ったシオンは、薄絹の上に聖なる籠手:ハンズ・オブ・グローリーを帯び、頭上に精神を護る宝冠:アステラスを戴くことだけは怠らなかったのだ。

 なにかある、ただではすまぬ、とこれまで幾多の死地を潜り抜けてきたシオンの勘が告げていたであろう。

 

 だが、歩み寄る男を一刀両断するかに視えた剣筋は、途中で阻まれ止まった。

 男の手が、シオンの握る刃の柄を捉えていた。

 素早さでというより、シオンがどこを狙って刃を振るいどのように踏み込んで来るかを事前に知っているかのごとく的確に、優雅とさえ言えるほどによどみない動きで。


 無刀の技。

 それはシオンとアシュレが初めて出逢った法王庁のあのくらい夜、シオンが見せた夜魔の技、その発展型であった。


 夜魔の姫の瞳が驚愕に見開かれる。

 いかにこれまでの戦いでの消耗が回復し切っておらず、そこに連日の介抱による疲弊が加わっているとはいえ、いまのは完璧な踏み込みであり完全な一撃だったはず。

 会心の一撃をこうも易々と組み打ちに取られるとは。


 しかも、だ。


「貴様、なぜだッ?! 柄とはいえ聖剣:ローズ・アブソリュートに触れて、なぜ許される」

「《フォーカスの試練》のことか? それはない。言ったであろう。わたしはオマエたち自身の望み、《ねがい》そのものだと」


 だから、と男は続けた。


「だから、こんなこともできる」


 ぐるり、と理想の男は手首を捻り返した。

 シオンはその力に耐え切れず、聖剣:ローズ・アブソリュートを奪われてしまう。


「な、うっ」

「ほう、これが聖剣:ローズ・アブソリュートであるか。なるほど、これは良い、良いものだ」


 未来の王を名乗ったアシュレは、人類圏最強と謳われた剣を軽々と振るって見せた。

 もちろん攻撃ではない。

 ただ戯れに、その素晴らしさを確かめようとして。


 それだけで夜魔の姫たるシオンは追撃を諦めざるを得なかった。


 聖剣:ローズ・アブソリュートは軽々けいけいに扱える武具ではない。

 その柄を握り、振るうことができるのは剣に認められた英雄だけ。

 そうでないものはその怒りの前に、ことごとく燃え上がる。

 比喩ではなく骨まで焦げる。


 特級の《フォーカス》とは、つまりそういう意味だ。


 そしてだからこそ、真祖に連なる血筋、真の高位夜魔であるシオンにとって、その刃は致命的だ。

 それはカタチを得た真なる死、そのもの。

 不死者として、その間合いに入ることだけは絶対に避けねばならなかった。


 だが、本当の意味で夜魔の姫の足を止めたのは、聖剣への恐れではなかった。

 シオンをして心胆寒からしめたのは、男が見せた太刀筋。

 その振り抜きと重心の保ち方の見事さ。


 殺意を込めるでもない試技で、すでにその腕前は明らかだった。

 

 シオンの斬撃を無手で凌ぎ赤子の手を捻るように剣を奪い取った実力、伊達ダンテではないとわかったのだ。


 思い立った瞬間には、シオンはすでに飛び退いている。

 間合いを取る。

 スノウのかたわらまで後退する。


「シオンッ!」

「抜かった。すまぬ、スノウ。だが、こやつ……出来る、できるぞ」


 スノウの叫びに、シオンがうめいた。

 理想側のアシュレが目を細めた。

 笑う。


「オマエたちの《理想》だと言った。この腕前は、シオンザフィル、そなたが《ねがって》くれたからこそ実現できたのだ。いつか来る、そなただけの救世主として。──何度でも言う。わたしはオマエたちの《ねがい》の集大成なのだよ」


 歯噛みするシオンの袖を、スノウが引いたのはこのときだ。


「スノウ? なんだ? ヤツから目を離すな」

「勝てないよ、シオン。あのヒトは理想そのもの過ぎる。勝てない」

「なんだと?! そなた、まさか諦めるのか?! アレがなにをしに来たのか分からぬではあるまい?! アシュレを引き渡すつもりか、向こう側に、“理想郷ガーデン”に、それではそれでは──」


 かつてのユガディールと同じように《理想》の操り人形に、アシュレはされてしまうのだぞッ?!


 スノウの早過ぎる敗北宣言に、夜魔の姫は激昂しかけた。

 だが、男が放つ引力を引き剥がすようにして振り向いたシオンが見たのは、諦めの表情ではなかった。

 並々ならぬ決意が、全身に漲っている。

 震えてはいても、スノウは諦めてなどいない。

 その瞳に宿る光を見て考えが変わった。


「スノウ?」

「勝てないんだ、わたしたちでは。あのヒトに本当の意味で勝てるのは、この世にはひとりしかいない……それは本物のアシュレダウ。でも、だったら、だとしたら。あのヒトが現実の、わたしたちのアシュレを獲ろうとするのは、だからなんじゃないか? 考えろ、スノウ、考えるんだ」


 スノウは理想の男を凝視したまま、うわごとのように呟いていた。

 勝負を投げ出した者の目ではありえない。

 見れば押さえ込んだ胸元が、まるで内側から弾けそうな勢いで書籍へと変じている。

 それは現在進行形で、どんどん激しくなっている。


「スノウ、そなた!」

「ああ、ええ、そうだよ。わたし、もう魔導書グリモアだから。一生懸命考えて、自分のなかを探るとしっちゃかめっちゃかになっちゃうみたいで、こうして抑えられなくなって……考えてることが駄々漏れになっちゃう。でもなんかわかってきた、あのヒトのこと」


 自分でも言ったが、スノウはすでにして魔導書グリモアである。

 伝説と言われたヘリアティウムの地下図書館でその主であるビブロ・ヴァレリと融合した存在である。

 歴史上のあらゆる人物の過去を暴くという禁断の本:ビブロ・ヴァレリは、オーバーロードでもあった。


 その《ちから》をスノウは受け継ぐ。

 そしていま、それを使ってこの状況を打破しようとしていた。


「アレは、あのヒトは自分で言っているようにわたしたちの《理想》なんだ。わたしたちがアシュレという器に無意識にも《ねがって》しまったその結果。《魂》とは強大なエネルギーであると同時に《現実》と“理想郷ガーデン”との間に開いた次元間通路でもある。本来は虚構ものがたりであるはずの“理想郷ガーデン”から《現実》に向かって《ちから》を引き出すための変換炉エンジン……」


 スノウの呟きに、《理想》の側のアシュレは感心したように息をついた。


「素晴らしい理解。なるほど魔導書グリモア:ビブロ・ヴァレリを継いだだけのことはある」


 手を叩いて称賛を浴びせる。

 だが、スノウにはそんな余裕はなかった。

 己の限界いっぱいまで思考を巡らせる。

 ばさばさばさ、とその胸が開いて溢れる想いと思考がページへと可視化されて溢れた。


「だったら、どうしたらいい? 《魂》の主たる現実の騎士が倒れ、変換炉エンジンたる《魂》の反応が消え去ったいま、その流れは《現実》と《理想》の差分で起きている現象になる。水が高いところから低いところに向かって流れるように、《理想》もまた《理想とは食い違う現実》の側へ雪崩を打って流入する。そうして、その差分値の原因そのものを《理想》の側にしようとする」


 つまり、


「《理想》はアシュレを持ち帰ろうとする……!」

「ほう、そこまで読み解くのか」


 《理想》の男が追認する。

 わたしのことを、よくそこまで理解した。

 そういう顔で。


 スノウは押し黙ると、シオンを呼んだ。




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― 新着の感想 ―
[良い点] 胸元からページになってばらばらばらってまくれていくの、すごい好きです。
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