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燦然のソウルスピナ  作者: 奥沢 一歩(ユニット:蕗字 歩の小説担当)
第七話:Episode 4・「迷図虜囚の姫君たち」
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■第九十一夜:“理想郷”は王の姿


         ※


 それは王の姿をしていた。

 すべての始まりを、スノウは回想する。


 あの出来事がどれほど昔のことだったかなどもはや定かでないが、あのとき起きたことだけは、いまでも鮮明に思い出せる。


 それは《魂のちから》を過剰に放出して昏倒したアシュレの胸から、そこに開いた次元の穴から、噴き出した。


 強力な《理想のちから》。


 本来の現実世界ではそのあまりの「望みの高さ」から、実現することなど叶わず、ただただ人々の心のなかにだけ──夢想のなかにだけ存在を許されてきた《夢の側のちから》。


 それが間欠泉のように噴き出し、荒れ狂う嵐のように渦を巻いて暴れ回り、その果てにパレスの暗がりで受肉した。


 ヒトのカタチにこごった《それ》。


 その似姿を言葉によって表現するなら──もうひとりのアシュレと評するしかない。

 いや、より正しく名付けるなら「人々から期待された《ねがい》に到達し、完成体となった理想の王としてのアシュレダウ」と呼んだほうが適切だろうか。


 事実、ひとたびそれと相対したスノウは、すでに目を離すことが出来なくなっていた。


 本当の《理想》とは、他者に無視を許さぬものだ。

 なぜならそれは目の当たりにした人間が、心の奥底で願い、到来を渇仰した体現なのだから。


 圧倒的な王気、存在ビーイングとしての圧が、スノウを捉える。

 強い《ちから》に、カラダがそちらへと引き寄せられる。

 比喩ではなく、物理現象として引き込まれる。


 ああ、とスノウは唐突に理解に及んだ。

 あれは穴だ。


 すべてを飲み込み、我がものとしてしまう時空間に開けられた縦坑たてあな

 魅力的で蠱惑的で、だれしもが「あの手中に収められたい・・・・・・」と願ってしまう。

 それは、たとえヒトとしての姿を持っていたとて、理想の領域に繋がる通路あな以外の何者でもない。


 どこかかつて憧れた夜魔の騎士──自分の父ではないかとさえ夢想していたユガディール──を彷彿とさせる眼差し。


 そんな青年を前にして、少女は震え上がる。

 王の衣装をまとって立つ彼は、たしかにスノウの思い描いた理想、そのもの。

 わたしだけのアシュレダウ、だった。


「ご苦労だった、スノウメルテ。オマエたちのおかげで、わたしはこの姿を現実のものとできた。礼を言いたい」


 掌を上にして、理想の男はスノウを呼ぶ。

 抗いがたいおそれのようなものを含んだ声音で。

 まるでダンスに誘うように優美に。


 ズズ、ズズズッ、と吸引力が働いて、実際にスノウは背中を押される。

 一、二歩、そちらへと歩み出してしまう。

 自分の意志ではない。


 あの男は自らの《ねがい》を手に触れずとも言葉にするだけで、他者に押しつけることができるのだ。


 超常の存在が振るう、現実をねじ曲げる《ちから》の発露。

 かつてのスノウでは思いつきえなかったであろう理解が、脳髄を震わせる。

 荒唐無稽な《ちから》の理屈が、いまではまるで当たり前のようにわかる。


 それはスノウのなかに息づく、魔導書グリモア:ビブロ・ヴァレリが持つ《ちから》であり、その肉体をページとして書き記された歴史の蓄積が可能にした業であった。

 スノウはもう無意識のうちにそれを身体感覚として検索し、閲覧できる。

 いや、してしまう。


 ぶうんうううん、と理想に侵食され干渉された現実がその境界、つまり男の輪郭の部分で歪んで光って唸りを上げる。

 男の瞳は光彩の部分が金色に輝いていて、まるで虚空に瞬く星のようだ。


 普通ではありえなかった。

 すくなくとも、現実のアシュレではあれはない。


「ちがうわ。貴方は、貴方は、あなたはわたしの騎士さまじゃない! アシュレじゃない!」

 

 背後で横たわる傷つき憔悴しきったアシュレを想い、スノウは叫んだ。

 苦しげにうめくアシュレが現実であるなら、目の前のこの現象が「どこから来たのか」「なに者なのか」など明らかだった。

 かつて自分たちが希望の星と仰いだ夜魔の騎士:ユガディールを、そうやって喪失したスノウには、もうわかっていたのだ。


 これは“理想郷ガーデン”に属する者、いいやモノ、現象・・であると。




「心にもないことを。駄々を捏ねるものではない」


 理想の男は心底不思議げに半夜魔の娘を眺めた。

 その振舞いには滲み出るような余裕が感じられて、男の器の大きさがイヤでも分かってしまう。 

 スノウにはそれが恐ろしい。

 実在の人間より「はるかに理想的」であることがなによりも恐ろしい。


 そんなスノウの様子に、そうか、と男は顎に当てていた拳を外すと微笑んだ。


「なぜわたしを拒むのか、わかったぞ。そうか、わたしの関心を引きたいのか。そうだったな、オマエはそういうだった」


 ならば、もうそんなことをする必要はない。


「わたしは、《ねがい》に従い、オマエたちの元へと来た・・のだから」


 わたしはもうここ・・にいるのだよ。

 快活に笑って男は一歩、踏み出した。

 ズッ、ズズズッ、と引力が強まる。

 スノウは両手を広げて男を阻んだ。


「く、くるな。こっちにくるな! いかせない、いかせないんだから!」


 この男、理想のアシュレの目的がスノウにはハッキリ分かっていた。

 なぜここに来たのか。

 これからなにが起ろうとしているのか。


「なぜそれほどに頑なになる? わたしの行いは、オマエたちの理想の実現、そのものだぞ。恐れることはない。身を任せればよいのだ」


 当然のように言い切って、男がゆっくりと二歩目を踏み出した。

 ズズズズズッ、とまたカラダが引き寄せられる。

 まるで腰に腕を回され抱き寄せられるように。

 先ほどよりずっと強く。

 靴底がすり減るのがわかる。

 強力な《ちから》が働いている。

 スノウはもう、踏ん張るだけで精一杯だ。


「だめ、来ないで! さもないとさもないと!」

「さもないと、どうするというのだ」


 よしなさい、と男は微笑みを広げる。

 イノセントに笑う。

 心を蕩かすように甘い声。


 だからこそ、スノウは拒む。

 いつかアシュレにしてもらった《スピンドル》が軋みを上げる痛みを思い出して。

 あれがわたしたちの繋がりの感触だ。


 互いの心が軋んで、火花が上がる。

 自我が消し飛ぶような痛み。

 でも、触れ合わずにはいられない。

 求めて。

 求め合って。


 だから、こんな甘さは違う!


「渡さない、アシュレは渡さないんだから!」


 駄々っ子のように首を振って泣くスノウを、困ったなという顔で理想の男は見つめた。


「渡さない、ときたか。だがな、見るがいい、愛らしきスノウメルテよ。地に倒れ伏したその男を。《魂》の開放によって得た凄まじき《理想のちから》の代償は、彼の者のすべてだった。すべてを投げ打って彼は奇跡を可能にしたのだ。わたしはその代償のすべてであり、彼の成し遂げた成果そのもの・・・・・・でもあるのだよ」


 つまりこれは公正な取引なんだ。


「彼は……その人間、アシュレダウはすべてを捧げてわたしを召喚した。“理想郷ガーデン”を大地に下ろしたのだ。そのかわりに彼は《理想》の側へ引き渡される。偉大なる英雄譚の一部として、永劫に語り継がれるだろう」

「そんなこと言って──わたしは知っているんだから。あなたは虚構なの。物語なの。理想に見えるけれど、アシュレダウってヒトが、わたしの騎士さまが、自分のすべてを投げ打って引き受けてくれたわたしたちの《ねがい》が生み出した理想の王! でも、それはそれは、違うの!」


 あなたはわたしたちの理想かもしれないけれど、生きててわたしに微笑んでくれた、あのアシュレじゃないッ!


「関わってくれた女のコを助けようとして、いっつも厄介事に巻き込まれて、優柔不断でスケコマシのクセに鼻血垂らして気絶して、死地に飛び込んで傷だらけになってズタボロになって、それでも約束を守ろうとして何度でも立ち上がってくれる、あの騎士さまじゃない!」


 スノウは昏倒したまま戻らないアシュレを振り返った。

 弱い脈、だれかが添い寝していなければ低くなっていく一方の体温、苦しげな呼吸。

 いまの彼は、全身傷だらけで、ボロボロになってしまった布きれのように見えた。

 だけど、


「わたしが好きになったのは、こっちの騎士さまなんだから、勝手になんかさせない!」

「その娘の言う通りだ。帰ってもらおうか、偉大なる王よ、そなたの本来居るべき場所へ」


 スノウを支えるその声は、低いところからした。




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