■第九〇夜:鋭き穂先は純白の
※
「では我々は動きがあるまで、ここで待機する。くれぐれも無理をするな」
忠実な狩猟動物であり友でもあるソウゲンハヤブサの足に書簡を取り付けながら、アスカが言った。
動物との意思疎通はアラムの《スピンドル能力者》のお家芸だ。
こつん、とハヤブサのほうからアスカの額に自分の頭を押しつけてくる。
甘えているようでもあり、頭のなかの声を聞き取り意思を交しているようにも見える。
あるいは両方かもしれない。
ノーマンはすでに周囲の警戒に赴いていてここにはいないが、段取りはキャンプでの朝食時に再三確認済みだ。
「アスカたちも気をつけて」
「オマエこそだ。いまオマエにはわたしひとり分の加護すら──戦乙女の契約──垂れられていないんだからな」
「いつもキミたちの加護に甘えてたら、ホントの英雄になんかなれないよ」
「あーあー、そういう展開を期待して参加したんだがなあ。ちぇえええ、蜜月展開はお預けかあああ」
「アスカさん、ちょっと真面目にやってください。シオンやスノウを取り返しに行くのに、キミたちに甘やかされた匂いなんかさせてたら、信じてもらえないよ」
「スノウは明らかなやきもち焼きだからわからないが、シオン殿下は寛大なんじゃないのかー?」
「昨日も見ただろ、ふたりの要素が混じり合ってしまってるんだ。悋気の凄さと手の早さはシオンの比じゃない。あれはスノウのかんしゃく持ちが影響してるんだぜったい」
「おうおう、こわいこわい。スノウの嫉妬はたしかにキョーレツだからな。他の女の匂いなんかさせてたら、たしかにチョン切られそうだ」
頭の後ろに両手を回してアスカは悪戯っぽく笑った。
洒落になってないよ、とアシュレは溜め息をつく。
その悋気の持ち主が夜魔の姫と存在を重ねていて、アシュレはその彼女に会いにいくのだ。
「拠点への連絡はハヤブサでしておく。一時間もすれば届くはずだ」
「今回はアテルイやレーヴの出番はないと信じたいけど」
「あっちはあっちで、行方不明のイズマの捜索もしなくちゃだからな」
「ホント、どこ行っちゃったんだあの蜘蛛おじさんわ……」
そう、あの地下下水道での一件以来、イズマは行方知れずになっていた。
土蜘蛛姉妹に汚泥の騎士たちが加わり、捜索を進めているがいまのところ有力な手がかりはない。
これも頭の痛い案件だった。
と言っても問題はひとつずつ切り崩していくほかないのも確かだ。
「では、武運を。なにかあったらすぐに戻ってこい」
「ありがとう。アスカたちも気をつけて」
言い置いてアシュレは神殿の階段に足をかけた。
どれほど上っただろう、途中で振り返るとはるか眼下に庭園の探索を進めるノーマンとアスカの姿があった。
そこにぽつん、ぽつん、と真白い彫像群が混じる。
遠目には羊のように見えるが、あれらひとつひとつがシオンやスノウに似せた精巧なフィギュアだ。
その出来は素晴らしく、地上世界の好事家なら目玉の飛び出るような値段で買い取ることだろう。
もっともいくら金を積まれても、アシュレだったら金に替えたりしないだろう。
自分の恋人や妹の裸身の写しを金策に使うほど、アシュレは賢くはなれない。
嫉妬や罪悪感でおかしくなるに決まっていた。
それにあれは単なる彫像ではない。
前例として真騎士の少女たちが青いバラを持ち帰ろうとして襲撃にあっている。
自動防衛装置。
この麗しき庭の守護者たち。
それがあの美しき裸身の少女像の正体だ。
「さて……やっとで入口か」
地上三〇メテルに神殿の入口はあった。
ちょうどヘリアティウムのジレルの水道橋の頂上に立ったのと同じ高さ。
ここからさらに見上げるような構造物が上に延びていると考えると、神殿内部には想像を絶する空間が広がっていると考えるべきだった。
アシュレは神殿の門扉の前に立つ。
そびえ立つ門は精巧に編み込まれた荊の彫刻で出来ていた。
中央に、まるで眠るかのようにあの少女像がはめ込まれている。
その尊顔はシオンのようでもあり、スノウのようでもあった。
強いて言えば、昨夜出会ったあの少女にそっくりだ。
荊に護られ眠る姫君のようにも、手足を縛され囚われた美姫のようにも見える。
清らかな美しさと淫靡で後ろめたい官能が同居する不思議な様式。
ノーマンの言によれば、前回はこの門扉に手をかけた時点で少女像に命が宿り、警告を発したという。
だが、アシュレは門扉より、少女そのものに触れたいという衝動に襲われた。
それほどに愛しい輪郭をその像は持っていた。
かつて友情を育み、そしてシオンを巡って戦った夜魔の騎士:ユガディールは、刻の帳の向こうに去っていってしまった妻たちの似姿を彫像に刻み留めた。
なぜ彼がそうまでして愛するものの似姿を求めたのか。
いまのアシュレには痛いほどわかる。
「シオン……スノウ……」
アシュレはふたりの名を呼びながら、そっとそのおとがいに触れた。
逢いたい、と強く想いながら。
すると触れられた彫像に変化が起きはじめた。
ぶる、ぶるりっ、とまずまぶたが、続いて四肢が、胸乳が震えた。
いつものアシュレなら危険を感じて、飛び退いていただろう。
だが、いま胸に湧き上がる感情は危険への警告や恐怖ではなかった。
いや、危機感や警告はあったのだ。
しかし、シオンとスノウ、ふたりへの想いはアシュレのなかでそのすべてに勝っていた。
彫刻の少女がついにその瞳を開く。
金色の瞳が、アシュレを捉える。
驚愕、怯え。
そして……愛しいものを見つけてしまったという感情の動き。
精巧な金細工を思わせる虹彩に宿ったのは、残酷な仕打ちを受けてしまったかのような悲しみ、哀切、そして抑え難き恋慕の光。
「アシュレダウ……アシュレ?」
純白だった唇が色を帯びた。
みるまに瞳が潤んでいく。
「シオン、シオンなのか?」
「アシュレ……ああアシュレ、どうしてどうしてここに」
掻き抱けばその肉体は熱く柔らかかった。
アシュレは一際強く、シオンの、スノウの薫りを嗅ぐ。
間違いない、と確信した。
腕のなかで少女が泣く。
「どうして……騎士さま。来ちゃいけないって、言ったのに。さがさないで、ってかいたのに」
「スノウ? キミはスノウか?」
シオンと名乗った少女がスノウの口調で言った。
さがさないで、と手紙に書いたのは間違いなく彼女だ。
もうアシュレにはわけがわからない。
ただ湧き上がる歓喜と思慕と親愛の情で、胸が爆発しそうだ。
「大丈夫かい? もう安心だ。キミたちを取り戻しに来た」
しっかりと目を見て言い切ったアシュレに、少女はかぶりを振った。
「ダメ、ダメ──アシュレ、ダメなのだ」
「なぜだ、シオン、スノウ、なにがダメなんだ?!」
「来てはダメ。せっかく、せっかく切り離したのに──我慢、できなくなる」
「なにを言っている?! シオン? スノウ?」
切り離す?! 一緒になってしまっているのは、キミたちだろ。
そう叫びかけたアシュレを、少女は壊れそうな瞳で見上げる。
アシュレに出来たことは、その肢体を強く掻き抱くことだけだった。
シオンと名乗った存在は、痛むのか、胸を強く抑えている。
見ればひどくつらそうだ。
まるで胸に穴でも開いてしまったかのように。
いや……実際、抑えた胸には穴が開きつつある。
そこからとてつもない存在の気配が、噴き出してくる。
「に、げろ。アシュレ、お願いだ、にげろ──」
「シオン、シオンなんだろ?!」
「おねがい、です、騎士さま、ごしゅじんさま──にげて」
「スノウ?! スノウなのか?!」
「ダメ、ダメ、ダメ──────ッ!」
直後、アシュレはふたりの警告の意味を知る。
ぞぶり、とどこかで音がした。
熱い、と胸に感じる。
熱は一瞬で背まで抜ける。
少女の胸から飛び出した純白の穂先が、騎士の胸を貫いていた。
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