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燦然のソウルスピナ  作者: 奥沢 一歩(ユニット:蕗字 歩の小説担当)
第七話:Episode 4・「迷図虜囚の姫君たち」
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■第八十三夜:姫将軍の決意


「なあ、アシュレ。昼間の話の続きだが……」


 話の続きと言われてアシュレは硬直した。

 なぜって、あの話はアスカが迫ってきたところで中断したはずだ。

 ぴたり、と手が止まる。


「えっ? いやちょっとまってくれないか。さすがに泉のなかはよくないよ、飲み水でもあるんだし……まずいと思う」

「? なにを言っとるんだオマエ???」


 本気で分からないという顔をアスカはした。

 横顔で、瞳だけ振り向く。

 視線が合って数秒。

 ボッ、と赤面したのはアスカのほうだった。

 慌てたように正面を向いた。


「ば、バカ! そうじゃない!」


 そういうことじゃない、と背中越しにアスカが怒鳴った。


「そうではなく。その……運命を変えてしまった、という話だ。わたしたちの出逢いが、互いの」


 ふー、と息をつき動悸を抑えるように胸に手をおいて、言い直す。

 動転したという意味ではアシュレも同じだった。

 

「あ、ああ、そっち。そっちかあ。いや──その話は、キミが自分の意志だって言ってくれたからとても楽になったんだ。祖国と自分が率いてきたの軍団から離反し、ここにボクといるのがキミの意志だって言葉に、とても救われた。」


 ありがとう、アスカ。

 率直に礼を言い、アシュレは微笑んだ。

 背を向けたままのアスカにその表情は見えなかっただろうけれど、伝わったはずだ。

 

 そこまで意識していたつもりはなかったが、これだけ晴れやかな気持ちになれたということは、これまでどれほどにアシュレが、アスカのことについて気負ってきたのかという証左であった。

 昼間のあの会話は、ある意味でアシュレを解放してくれたのだ。


「そ、そうか。うん、それならよかった。だが、いまわたしが気にしているのはわたし自身のことではなく、てな」

「キミのことではない? ああ、そうか。アテルイや“砂獅子旅団”の面々のことか」


 アスカは自軍であるオズマドラの軍団を離反する際、それまで手塩にかけてきた近衛部隊:“砂獅子旅団”の面々を残してきてしまった。

 混乱を極める脱出劇のなかで、伴として連れてこれたのはアテルイだけ。


 だがこれも「そうではない」とアスカは否定した。


「ちがう。そうではない。いや違わなくはないが……。いまわたしが、いちばん気にかけているのはオマエのことだ、アシュレ」

「ボク? ボクのこと?」


 話の流れが掴めず、アシュレは戸惑う。

 アスカがボクのなにを気にかけているのだろう。

 それが本気でわからなかったのだ。

 はー、とアラムの姫君がことさら呆れた様子で溜め息をついた。


「関係してくれた人間に、本当の意味で過酷な運命を背負わせてしまったのはわたしのほうだ、と言っている。オマエじゃない」

「えっ、それどういうこと?」

「オマエまさか、ホントにわかってないのか? 現状がどういうことになっているのか、わからないのか?」


 さすがに振り返ってアスカが言った。


「オマエは、国と臣民とを騙し続け裏切った“大淫婦:アスカリヤ”に手を貸したことにされてしまったんだぞ。それもそのアスカリヤは、真騎士と淫魔のあいのこ・・・・。人間じゃない。それがどういうことか。古巣のイクス・エクストラム正教からだけではない、同じくイクス教・アガナイヤ派からも全アラム教徒からも、いや全人類圏からと見做されてしまったんだぞ」


 わたしのせいでだ・・・・・・・・!  


「わたしはオマエが帰属することのできる場所を奪ったんだ。この世界の上から。永遠に」


 アスカの瞳は怒っていた。

 自分に対して、だ。


 泣いていた。

 アシュレへの申しわけなさで。


 拳がアシュレの剥き出しの胸板を叩く。

 若き騎士は黙ってすべてを甘受した。

 震えるアスカをそっと抱きしめる。


 それから言った。


「キミのせいじゃない」

「バカ──」


 こと・・の重大さを一番よくわかっていたのは、きっとアシュレ本人だった。


 今回の件は、絶対にアシュレ自身のことだけでは済まされない。

 

 なにしろ公式にはアシュレはまだ聖騎士パラディンのままなのだ

 いくら自分自身が離反したと言い張っても、それは正式な手続きを踏んだ退団ではない。

 イグナーシュ王国での離反は公にはなっていない。


 事実、一部高官を除いてはエクストラム法王庁も世間も、まだアシュレを聖騎士パラディンだと認識していた。


 そこでヘリアティウムの陥落が起きた。


 ことが露見すれば、バラージェ家とそこに連なるすべての類縁に波及する。

 異端審問官たちの耳に今回の事件の報が届いたら、ただでは済まない。

 一族郎党が皆、絶えることさえありうる。


 法王の信任厚い聖騎士パラディンがこともあろうにアラムの、しかも人類ではないふしだらな女に加担して、永遠の都・イクス教徒の聖地であるヘリアティウムを破壊し、その逃亡に加担した。


 アシュレの行いとは、イクス教徒側からだけ見ても、つまりそういうことだ。 


 いっぽうアラム教徒の側から見れば、イスク教の聖騎士パラディンと大淫婦が結託してオズマヒムを陥れようとした、と捉えるのが自然な流れ。


 世界のどこにも帰るべき場所がなくなった、というアスカの表現は決して大げさなものではなかった。

 ユーニスがいて、アルマがいて、レダマリアがいて、母さんがいた、あの世界にはもう帰れない。


「とんでもないところにオマエを連れてきてしまったのは、わたしだ。わたしのほうなのだ」


 アシュレの胸に額を押し当てて、アスカが胸中を吐露した。

 だが、当のアシュレは恬淡てんたんとしていた。


「それはそうかもしれないけれど──帰属する場所がなくなったってのは、アスカのせいじゃないよ。あのときボクはもうとっくに、どこにも帰ることができない人間になっていたんだもの」

「……アシュレ?」


 淡々としたアシュレの物言いが、荒れた心に清水のように染み渡るのをアスカは感じた。

 顔を上げれば、微苦笑を浮かべた騎士の顔があった。


「そういう覚悟はシオンやイズマと出会って、イグナーシュ王国の暗い夜を駆け抜け……ユーニスとアルマがひとつになって……イリスとともに国を捨て逃亡者となることを選んだときにしてきたよ。ボクにはもう帰るべき場所なんてものはないんだ。キミと出逢ったときにはもう、そうだったさ」


 アシュレは肩眉を上げ、どこかおどけた様子で付け加える。


「だから今回の件は、そのことがたまさか大きく世間の目に留る事件として知られてしまっただけで──どうってことない」

「どうってことないって、オマエ……」

「ボクの家のことを心配してくれているのかもしれないケド……。『己が断じて為すと見定めたならば、決して後ろを振り返るなかれ』ってのが家訓の家だからサ」


 アシュレは呆れたように笑った。

 自嘲したのだ。


「だいたい父さんからしてウチは困った血筋なんだもの。ボクの出奔だって、夜魔の姫、つまりシオンから聖なる籠手:ハンズ・オブ・グローリーを預かっちゃったのが、そもそもの原因。いや家宝である竜槍:シヴニールと聖盾:ブランヴェルだって元は真騎士の乙女たちのモノっぽいし、これどうしたんだよ、なにしたんだよご先祖さまっていう……」


 口の端を歪めて、アシュレは自らの血統に悪態をついた。

 

「その末裔だからなあ、ボクは」

「アシュレ……」

「ソフィア母さんなら、仕方ない子ね、って呆れながらでも笑ってくれると思う。だいたい女のコが困ってたらなにがあっても飛び込んで行って助けてあげなさいって、母さんが教えたんだぞ、ボクに」


 それはアシュレの母であるソフィア本人が、当主であったアシュレの父:グレスナウとの出逢いのとき、そのようにして救われた経緯があるということを、アシュレ本人は知らない。


「お母さま……。だが、だったらなおのこと」

「安心して。エクストラムの名門貴族はそんなにヤワじゃない。困難を前にして簡単に膝を屈するような精神では、聖騎士パラディンを代々輩出するような家系は保てない。だいじょうぶ、うまくやってくれるさ。まあ家門の使用人たちにはちょっと迷惑かけちゃうけど」


 もちろん、一門が無事でいられる保証など、どこにもなかった。

 だが、ここで自責の念に押しつぶされ自らの歩みを道半ばで止めたら、それこそ犠牲は無駄になる。

 責任を取るというのは自らの行いを悔いて打ちひしがれ、挫折することではない。

 アシュレはもうとっくに覚悟を決めていたし、実のところ母親であるソフィアも同じだった。

 その意味でバラージェ家一門は似た者家族だったのだ。


「オマエ……やっぱりイカレてるぞ」

「そうでなきゃキミやシオンに加担しない。いまさらすぎるよ、その評価は」


 あまりに能天気な物言いに、アスカは噴き出した。

 笑うしかなかったのだ。


「バカ。ほんと、バカなんだな、エクストラムの聖騎士パラディンは」

聖騎士パラディンのなかでも、バカはボクの専売特許さ。それより、ボクが訊きたいのはアスカの今後だよ」

「わたしの、今後?」

「このあと、どうするの?」


 アシュレの問いかけに、アスカは目を瞠り、スッとまなじりを固めた。

 挑むようにアシュレを見上げる。


「闘う。運命と。世界と」

 

 そして、必ず戻ると約束した──“砂獅子旅団”の面々との再会を果たす。

 言い切る。


 そこにはもうアシュレへの罪の意識に震えていた、あの姫君はいなかった。 

 ここにいるのは、己の居場所は自ら切り取ると決意した勇猛な姫将軍だ。




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