■第七十八夜:戦弾頭(ウォーヘッド)
「しかし、水汲みにここまで来るのは遠過ぎる。成人がひとり一日最低二リットレルを消費すると考えてみろ。戦馬のヴィトラで二〇リットレル、戦時になれば倍は飲む。そうすると標準的な小樽ひとつでは四日保たんわけだからな、二十数名と馬一頭分を賄うには」
すこし感傷的になったアシュレの呟きに、ノーマンが現実を説いた。
余談だがここで言う小樽とは樽本体が五〇から六〇ギロス(新しいものは軽いが戦隊が有している樽は、もうすでに水分を含んでしまった使用済みのもので重たい)。
この容量がだいたい二三〇リットレルだから、そこにいっぱいに水を詰めると総重量はざっくり三〇〇ギロス。
戦隊の水事情に充分に応えるには、単純計算で三日にひと樽は必要ということになってくる。
これには、もちろん飲み水だけでという但し書きがつく。
筋力と骨格強度を引き上げる不屈の力を用いれば、ひと樽程度ならひとりでも持ち上げられなくはないが、これを担いで往復を繰り返すのはかなり厳しい。
主戦力を最低ひとり割いて、異能を全開で用いての所要時間が丸一日。
取引として適切かどうかは、相当に悩ましい。
「さらに言っておくがこの森にはヤツがいる。水源としてはたしかに魅力的だが、わたしが遭遇した獰猛な肉食竜が潜む森に、それ求めるのは無理がある。まあ今度見かけたら必ず仕留めて後顧の憂いを断つが」
「えっ?! そんなのいるのッ?! ナニソレ?! なんで教えてくれなかったんです?!」
「なにッ?! 戦議で聞いてなかったのか、アシュレ。アテルイ殿にはしっかり報告したつもりだったが──仮称:戦弾頭。剣のように鋭い棘で頭部を覆った古代種の生き残りだ」
わかっているのかわかってないのか、無邪気に水遊びをはじめたアスカそっちのけで、ノーマンはなにもわかっていない様子のアシュレに目を剥いた。
おい頼むぞ、というゼスチャー。
これにはアシュレも剥き返す。
負けじと競ったのではない。
本当に驚いていたのだ。
「まいったな……スノウとシオンの話以外なんにも頭に入ってなかったみたいだ」
「しっかりしてくれリーダー。この戦隊はオマエにかかっているんだぞ、アシュレ」
ノーマンが携帯食を頬張りながら片眉を持ち上げた。
アテルイが持たせてくれた平パンに豚鬼王:ゴウルドベルドの食料庫から戦利品として持ち帰った特配のサラミ、そこに彩りを添えるのは眼前の水辺に自生していたクレソンだ。
すこしでも食料の足しになるかと魚を狙って糸を垂らしてみたが、こちらはさっぱりだった。
「戦弾頭か、それは厄介だ。というか危険しかない」
「目撃した個体の体高は、優に三メテルはあった。全長は十メテル近かろう。人類では《フォーカス》無しではまったく勝負にならん怪物だ」
「マンティコラといい戦弾頭といい、なんでそんなのが放たれているんだろうこの空中庭園には……」
「それは恐らく──園内の治安維持・守護者というより、退廃的な遊行のためではないか。アガンティリスという王朝は文明的にも精神・文化としても優れた面をいくつも持ってはいたが、同時に残忍で残酷な娯楽をいくつも生み出した文明だからな」
たしかに、とアシュレは思った。
生まれ故郷のエクストラムやイダレイア半島の各地にのこる闘技場の遺跡では、かつてアガンティリスの皇帝や総督たちが残虐な見せ物として人間同士や人間と野生動物、ときには魔獣との戦い……さらにはとても言葉にできない残酷で残忍な演目を、連日連夜上演していたという記録が残されている。
これらの出し物も、成立の最初期は成人男子市民イコール軍人という国家の成り立ちから、実際の戦いとはどんなものかを知らしめる軍事教練としての意味合いが強かったらしい、
だが、時代が下り帝国の治世が安定するにつれ、あきらかに嗜虐性や支配欲を満足させるための邪悪で淫靡な一種の儀式に成り果てていったようだ。
これは帝国の戦士階級が私兵化・傭兵化していった退廃期と重なる。
「だとしたら、この森がかつて人間狩りのために使われた舞台であったとしても、不思議はないさ」
達観したノーマンの言葉に、アシュレはわずかに顔を曇らせた。
互いに一流の騎士として肩を並べて戦うふたりだが、その年齢は親子ほども違う。
長く生き常に最前線や長距離偵察任務に就き、世界のあり方をつぶさに見てきた宗教騎士団の男の境地に、アシュレはまだ敵わない。
それはアシュレがまだ、人間に対して期待するところが多いという意味でもあるのだが。
「自分たちの暮らしから戦線を遠ざけることができるようになって、安全な壁の内側での生活が保証されて──文明と平和が行き着くと、刺激を求めて果てなき欲望がエスカレートしていく。その繰り返しをボクらは見ている……。そういうものなんでしょうか」
「さて、カテル病院騎士団の男にそれを問うのが適切かどうかわからんが……、自分がどんな世界に属しどんなふうに世界を捉えていて、そして造るのか、それは常に問いかけ直さねばならないということだろうな」
特に新しき世を作ろうと思ったなら。
意味あり気にノーマンがアシュレの瞳を覗き込んだ。
アシュレは呼吸を止めて、その眼差しに応じる。
自分の行く末について問われているのだと、感じた。
「ふたりともなにしてる! 来いよ! 難しい話はいまは抜きだ! 息抜きも大事だぞ!」
世界を憂う男ふたりの感慨を、アスカの陽気な声が蹴り飛ばした。
先行して野営地を選定するというノーマンが辞したので、アシュレはひとり、アスカの水遊びにつきあうことになった。




