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燦然のソウルスピナ  作者: 奥沢 一歩(ユニット:蕗字 歩の小説担当)
第七話:Episode 4・「迷図虜囚の姫君たち」
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■第七十三夜:真騎士の蜜


 エステルが泣いている。


 ことの詳細はサッパリわからないが、いたいけな少女が恐怖に泣きながら震える手で抱きついてきているのに、騎士が無下にできるわけがない。

 もちろんアシュレは、なにがどうあろうとも最後まで責任を取るつもりだ。


「わかった。だいじょうぶだよ。最後まで一緒だ。でもそのまえに手を尽くそう。なにか、なにか──方法があるはずだ」

「エステルがどうしようもないくらい破廉恥なだってわかっても、騎士さまだけは見捨てないでくださいましね? ちゃんと最後まで、騎士さまの手で壊れるまで使い潰してくださいましね?」


 切実かつ倒錯的な要請に、アシュレはめまいを感じながらもエステルを抱きしめた。


 軽々しい約束で済むことではないのであえて言葉にはしないが、アシュレ自身はまだ、この件については諦めてはいない。

 蛇の姫:マーヤを束縛するあの拷問具しかり、不浄王:キュアザベインを苛む苦痛の冠しかり。

 件の竜王:スマウガルドにまつわる謎のなかに、なにか解決手段があると見ていた。


 それがアシュレの言う責任の取り方、その具体的な内容であり、目算だ。


 だがいまは、恐慌を来しつつあるエステルを安心させてやることのほうが騎士の務めとしては先決だろう。

 気休めでもなんでも、とにかく追いつめられている少女を受け止めてやらなければならない。


 解決はその後。

 言葉ではなく行いで勝ち取るだけだ。


 アシュレはそう決意を新たにする。


「わかった。わかったよ。キミがどんなであろうとも、どんな秘密を抱えようともボクはキミたちの味方でいる。信じてくれ。ボクに言えるのはそれだけ。そして、これでこの話はおしまい。もう泣かないで」


 泣かないでと言われて涙が止まるなら、秘術も誓いも必要ではない。

 そんなことは百も承知でアシュレは続ける。


「じゃあ──ええと薬湯のこと教えてくれないか? この酷い味はどうなの? このスゴイ薬湯を、キミたちはなぜ平気で飲み干せるの? 大人であるボクでさえ厳しいって思うのに、キミたちふたりがちゃんと飲めてるのはスゴイ。なにか秘密があるんだろう?」


 我ながら強引すぎる話題の切り替え方だとは思うが、しかたない。

 先の話題を長引かせれば長引かせるだけ、多感で誇り高い真騎士の少女の心は傷ついていくことになる。

 絶対的な味方がいるのだと理解させたら、つぎはその傷の手当て、そのまえに傷に触れない心配りだ。


 まだ鼻をぐずぐず鳴らしながらも、アシュレの抱擁に安心したのだろう。

 エステルは微笑んで答えた。


「そちらのほうは真騎士の蜜で甘くして飲んでいたので、なんとか」

「真騎士の蜜? そんないいものがあるんだ。それを早く言ってくれないか。こっちも頼むよ、エステル。このスゴイ味とニオイ、とてもじゃないけど耐えられない。でもキミが言うみたいに、蜜で甘みをつけたらなんとかなりそうだ」


 これは思いがけず、良い話題の替え方ができたようだ。

 アシュレはすこしおどけた調子で、素焼きの椀を差し出した。


 が、差し出された素焼きの器を前に、エステルは固まった。


 薄暮のなかでさえハッキリと感じられていた肌の紅潮が、さらに増していく。

 硬質な静寂しじま


 アレッ?! とアシュレは慌てた。


「えっえっええええ?! ど、どういうこと、ボクなんか不味いこといったッ?! いまのしちゃダメな要求だったッ?!」 

「い、いえダメなんかじゃないです。ないですけど……」

「ダメでは、ない?」


 ではセーフ? 

 むしろ、セーフ?

 アシュレはバカみたいなジェスチャをした。


 なんだかだんだんイズマ化が進んでいる気がする。


 そう思うと気が滅入るが、影響は目に見えて間違いない。

 イズマバカの感染力は、疫病などよりはるかに強いのだ。


 気落ちするアシュレの目の前で、かわいそうに耳まで真っ赤になってうつむいてポショポショとエステルが呟いた。


「だって……騎士さま。いまさらですわ、そんなの。気を失われている間ずっと、薬湯にはわたくしとキルシュとでその蜜を入れて差し上げていたんですから……。ただその……目の前で蜜を加えてくれと騎士さまに言われたら拒否権はエステルにはないっていうか、やるしかないっていうか……」


 それにッ! と真騎士の少女は付け加えた。

 瞳がグルグルと渦を巻いて回転している。

 錯乱だ。


「それにッ! エステルもキルシュもすでに騎士さまの所領なのですから、ご、ご命令とあらばお応えしなければ。それが領土の務め。従わないとイケないと思います。いいえいいえ、これはすでに義務! 下僕の果たすべき務め。絶対服従の拒絶不可能の履行義務ッ! どんなに苛烈なご要望にも、完全に、従順に、喜んでッ! 騎士さまのご命令はしあわせ! しあわせは下僕の義務ッ! そうに違いないッ! そうであるべき、そうでなければ──そうとは、そうとは思いますがッ!」


 凄い勢いでヒートアップしたエステルは、アシュレの手から器を奪い取った。

 やけくそ気味にそれを一気にあおる。


 なにが起っているのか、さらにはこれから起きるのか。

 アシュレにはさっぱりわからない。


 エステルがなにを言っているのかさえ追いつけない。


「エ、エステルさん?!」


 そして戸惑っている間に、真騎士の少女は行動に出た。

 どんっ、と飛びついてくる。


「んんんん?! んんんんんんんんッ?!」


 口移し?!

 しかも完全な不意打ち。

 アシュレはまったく躱せない。


 殺意も悪意もない攻撃を察知できなかった。

 あったのは玉砕覚悟の決意と好意だけ──こんなものを躱せるはずがない。


 真騎士の蜜とは、つまり彼女たちの分泌物。


 恋をした真騎士の乙女の唾液は、ミツバチがくちづけを繰り返して生み出すそれのように甘く、柑橘類のような爽やかな酸を得る。

 女性としての男たちが描く理想像アイドルを練りつけられた彼女ら、真騎士の乙女たちの生物としての構造はかくも不思議に満ちている。


 そこにミントとクリームの薫りが上乗せされる。

 それはエステルの《スピンドル能力者》としての個性。


 たしかにすごく飲み込みやすくはなったけど──こんなの許されるのか?!


 アシュレはいまさらながらその事実に圧倒されて、勢いのまま押し倒された。





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