■第六十九夜:死の華
「くっ」
襲い来る鋼鉄の嵐に、一瞬、アシュレは死神を見た。
いくら戦乙女の契約の加護があろうとも、全方位的な飽和攻撃のすべてを躱し切ることは不可能だ。
ましてやアシュレはいま、右手右肩はともかく、それ以外は鎧下一枚という姿。
キュアザベインの攻撃にたとえ異能が乗っていなくても、一発でも良いのをもらってしまったら、間違いなく致命傷になる。
なにより、不浄王の剣閃は汚泥の騎士たちとは格が違った。
なんという見事な死地。
逃れられぬ絶望の顎門が、アシュレの頭上に大輪の華を咲かせていたのだ。
アシュレ自身、一瞬、本当にダメかと思った。
このとき騎士の危地を救ったのは、ほかでもない愛馬:ヴィトライオンであった。
ヴィトラは本能的に、瞬間的に馬体を限界まで倒した。
ここまで馬体を傾ければ転倒は必至、そういう状況まで自分を追い込んだ。
もしいまの速度で転倒すればヴィトライオンは骨折、騎士は固い地下道の床に甲冑もなしで投げ出され、良くても重傷、悪ければ死んでいただろう。
もちろん、そうはならなかった。
異能:疾風迅雷の《ちから》を十全に理解する希有な戦馬。
それがヴィトライオンという馬であった。
そして、いま鞍上にいたのはこのような愛馬のとっさの判断、その意味を瞬時に理解できる主人であった。
アシュレは聖盾:ブランヴェルから思いきりよく手を離した。
荷重による束縛から、左腕が脱する。
それは全身の自由を約束する。
この瞬間にはすでにアシュレは《スピンドル》を全開で、聖盾:ブランヴェルへと伝導している。
床面スレスレで放棄された聖なる盾は、力場を展開してまるで独楽のように凄まじい回転を見せた。
そこに不浄王は巻き込まれ──ない。
ブランヴェルの端を掴んでいた手に命じ、ヒトの騎士の策から逃れた。
伸身のまま見事に跳躍回転を決める。
脚、いやスカートに義体する触腕の一本で槍を成す手を保持し、高い杭の上に座すが如く優雅に腰を下ろす。
ゆっくりと右手をアゴの下に当てた。
余裕をアシュレに示す。
ただ、その全身からは「いまのタイミングで殺れなかったとは」という驚愕と賛嘆の感情もが滲み出ていた。
アシュレは、ギリギリで馬上に残り、なんとか体勢を建て直した。
「不浄王:キュアザベイン。……なんて恐ろしい相手なんだ」
「いまのを無傷で切り抜けるとは……並の修練ではない。そして軍馬の見事さ、献身の凄まじさよ。普段から気にかけ丹念に世話をしてやらねば、そうはならん」
手放しでアシュレとヴィトライオンを褒めたかと思えば、不浄王は声色を変えた。
「だが、我はいますこし怒ってもいる。見損なったと言っても良い。本気ではなかったな、初撃が」
見透かされた、とアシュレは思った。
勝つという意志に、偽りはない。
技の選択も相手を舐めたわけではない。
ただ勝ち方を選びたかった。
この男とは、ただ雌雄を決するだけではダメなのだ。
自分たち戦隊の未来、そして──究極的には汚泥の騎士たちのためにも。
この一件は今後という大局を見据えたとき、なんとしてでもともに手を携え解決に向かって進まなければならない転換点だったのだ。
それをアシュレは本能的に知った。
彼のなかで「王」としての資質が囁いたと言ってもよい。
だから馬上で策を弄してしまった。
自分の理想を槍に託してしまった。
歯に衣を着せぬ言い方に直せば、欲をかいた。
理想とは、実現できなければ単なる夢想でしかない。
結果として不浄王に断罪されるような甘い初撃となって、それは現れてしまった。
そんな甘い考えが通じるような相手ではなかったのだ。
おかげで後悔するまで追い込まれた。
いまこうして生きていられるのは真騎士の乙女たちの加護と、愛馬:ヴィトライオンの機転のおかげ──。
いや、もうひとり、アシュレを助けてくれた人物がいる。
それは不浄王本人。
最後のひとつに確証はない。
でもなぜか、そう感じるのだ。
いまの交差──アシュレと同じためらいを彼は持っていたように思える。
互いを殺したくないという、そういう《ねがい》を、無意識のうちにやはり互いがどこかで抱いていた。
そういう感触、感情が彼の槍にはあった。
もっとも次はそれもないだろうことは、すでにアシュレは確信している。
騎士の闘いは、そこまで甘くない。
どうあろうとも必ず最後は互いを打ち倒す《ちから》の応酬になる。
「やるしか、ないのか……」
嘆息を含んだアシュレのつぶやきに、不浄王は失笑した。
「ふふ。やるしかないとは、なかなか笑わせてくれるなヒトの騎士よ。まさか、貴様は我を殺さずにおきたいなどと夢を見たのか? それはそれは……傲慢なことだ。知らぬなら教えてやろう。戦場では果たせぬ望みを持った者から死ぬのだ」
腕組みしたまま不浄王は言い放った。
これにはさすがにアシュレもやり返す。
「よく言うよ。さっきの交差、その手であれば、穂先の角度を変えてボクの喉を掻き切れたんじゃないのか? それなのにボクはまだ生きている。これは、だれのおかげだろうね?」
アシュレの突き返しに、ふん、とキュアザベインは鼻を鳴らした。
「余計な勘ぐりを……そして、よくしゃべる若造だ。では望み通り、次の一手で幕としよう。この無銘なる異神の手の一撃を持って」
それだけ告げると、不浄王は三メテルの高見から己が愛馬の鞍上へと舞い降りた。
ふたりの騎士は、筆舌に尽くしがたい技の応酬の一合を経て、結論に達したのだ。
それは究極の理解へ近づくしかない、という論理。
すなわち、いずれかの死による決着である。
あと4500文字程度でEpisode 3「不浄の帝国」編は終了となります。
キリが良いので金曜日の更新でひとまず、幕とさせていただき、そのあと連載再開用の原稿が溜まり次第また第七話を続けていこうと思っています。
このあと夜魔の姫:シオンと世界最悪の魔導書と同一化してしまった半夜魔の少女:スノウが、いずこららともなく現れた巨大迷宮に囚われるEpisode 4「迷図虜囚の姫君たち」と、ついに竜と遭遇することとなるEpisode 5の二作を持って第七話:蒼穹の果て、竜の棲む島は終わります。
それぞれが12、3万字にはなるだろうから……この第七話も全部で50万字くらい? 小品、中編の集まりにするって言ってたけど、すまんアリャ嘘だったわ。
ごめんね?




