■第六十五夜:響け、恋の歌
「ヒントはこの浜辺にあるんだ」
自信たっぷりなアシュレに、真騎士の少女たちはなにを言われているのかわからない、という顔をした。
いまアシュレのかざした錆びついた剣が指しているのは、言葉のとおり純白の砂浜。
そして、そこに散乱し積み重なったがれきやゴミの山だ。
「???」
「どういう……ことです?」
ふふん、とアシュレはまた得意げな顔をした。
「わからないかい?」
その笑みを自分たちの知性に対する挑戦と受け取ったのだろう。
真騎士の乙女として当然の気位を持つ少女ふたりが、むむむむむ、と唸った。
「えっとこのがれきやガラクタが……。そっか、えっと……うーん、どういう意味があるんだろう?」
「! そうか、騎士さまはこのゴミや砂がどこからきたのか、ってそう言ってらっしゃるのね?」
あたり、とアシュレはエステルを指さした。
むむむむむむむ、と競争心をあおられたキルシュが唸りを大きくする。
互いに競い合い、向上心を刺激し合うのもやはり彼女たちの種としての特質である。
「ゴミがどこから来たか、ですか?! えっとえっと、じゃあつまり、この真上に出口があるってそういうことですかッ?! ですねッ?!」
推理を放り出し、騎乗突撃にキルシュが出た。
エステルにこれ以上、ポイントで(ポイント?)リードされないよう、強引に結論に飛びついた。
こうと決めたら弓から放たれた矢のように一直線に飛んでいってしまう猪武者っぷりは、どうもレーヴだけの気質ではないらしい。
なるほどこれが真騎士の血、と感慨と驚きにすこしばかり咳き込みながら、アシュレは頷いた。
「移動している間もずっと観察していたんだけれど……この地下下水道にもわずかながら流れがある。おかげで水は淀んではいない。そして壁を見てみよう。段階的についている線や壁面の削れたありさまは、増水時の水位がどれくらいなものかを教えてくれている」
「つまり?」
「つまりがれきやゴミを押し流す力が、どれくらいこの地下下水道の流れにはあるのかって話サ」
それで? とふたりが小首をかしげた。
なるほど、こういう分野は土蜘蛛を相手にするようにはいかないんだな、とアシュレは思う。
ちいさく笑って続けた。
「それで、だ。観察する限り、どうやらここしばらく──いやかなりの間、それほどすごい増水は起きていない。強い流れも発生していないというのが、ボクの見立てなんだ」
「そういうの、わかるんですか?」
「わかるとも」
アシュレは壁面を差した。
「壁面に付着した汚れの削れ具合から、あるいは浜の状態から、それはわかる。もっと外因的な証拠を示すなら、近年あまり増水が起きていないのは、この空中庭園が休眠状態にあったからだ。どういうわけか庭園の主たる竜王:スマウガルドが不在となった。そのせいで、ここはほとんど廃園というありさまだった。上水の供給そのものが、最低限に留められていた。結界で維持されている浮遊島であるこの庭園では、降雨さえも人為的・作為的な現象のようだから……」
だとしたら。
「だとしたら?」
「このゴミは、ほとんど直上から落ちてきて、ここに堆積したものなんだ。どこかから流れ着いたものもあるだろうし、ここから流されていったものも当然あるだろう。しかし、この地下水の岸辺は上方世界から投機されたゴミが造り上げているんだ」
「つまり?」
「ここで、さっきエステルとキルシュが言ったことが生きてくる」
あっ、とふたりが声を揃えた。
そのまま天を見上げる。
「それじゃ、ホントにこの真上が出口だってことですのッ?!」
「あてずっぽうに言ったのに合ってた! わたし凄いかもッ!!」
かしましい少女たちに、アシュレはこのまましゃべっているだけでも正しい脱出手段の方が向こうから来てくれるかもしれないな、と思いはじめていた。
「それで、この上の天井に出口があるとして……どうやって確かめますの?」
天井を見上げて目を細めながらエステルが問うた。
「なんにも、見えないけど……」
並んでキルシュがつぶやく。
「キルシュ?! 貴女いつの間に風霊の護りを体得したんですの?!」
「ふっふっふ、試練は乙女を鍛えるのじゃよ、エステルさんや」
「なななっ。あ、圧倒的成長?!」
かしましく話しながら天を見上げる少女たちを、アシュレは微笑ましく思った。
「でも、やっぱりなんにも見つけられませんわ」
「騎士さまのこと疑うわけじゃないんですケド、本当なんです?」
すっかり凝ってしまった首を揉みながら戻ってきたふたりに、アシュレは頷いた。
周囲にはふたりが天井を見上げている間に掘り当てた、錆びた武器類が突き立てられている。
「これは?」
「いざってときのために。いまから騒ぎを起こすからね」
「騒ぎを起こす?」
「ボクの思惑どおりにすんなりことが運べばいいけど、そうでなかったときに保険はかけておかなくちゃいけないから」
「思惑?! 騒ぎってなんですの?!」
うん、とアシュレは頷いて、言った。
「キミたちふたりの歌声さ。ここを舞台にするんだ」
アシュレの断言に、真騎士の少女たちは目を真ん丸にして、互いに顔を見合わせた。
※
真騎士の乙女たちの歌声には《ちから》が宿っている。
それは味方の戦意を鼓舞し、敵の志気を挫く。
人間世界の軍隊も同じ効果を軍楽に期待するし、実際に勇壮な楽曲や軍歌には兵士たちを奮い立たせる効果がある。
だが、真騎士の乙女のそれは超常に属する。
目には見えなくとも、聴こえて、ヒトの心を揺さぶる《ちから》。
その威力というものを、いまアシュレはまざまざと見せつけられている。
「キミたちの歌をヤツらに聴かせてやろう。キミたちふたりの舞台を見せつけてやろう。そうやって、キミたちがどんなに素晴らしい獲物なのか、ヤツらに思い知らせ、限界まで挑発してやるんだ!」
つまり、目の前でキミたちの価値ってやつを吊り上げて見せてやるってこと。
そう提案したアシュレは、いま自分が煽られているのを感じている。
キルシュとエステル──真騎士の少女ふたりの歌姫、そして舞姫としてのセンスは凄まじかった。
突き立てられた剣や武器を木立に見立て、そこを擦り抜けながら舞い踊り歌うふたりに汚泥の騎士たちの耳目を釘付けにする、というのがアシュレの構想だった。
だがいま、アシュレの耳目は彼女たちに奪われてしまっている。
ふたりが選んだのは勇ましい軍歌ではなかった。
ふたりが望んだ楽曲は奇しくも同じだった。
それは切実な恋の歌。
ひとりの騎士を思う少女ふたりが競い合いながら、でも互いを尊敬しながら、高め合っていく歌曲。
すっと剣の柄に跳び上がるとまるで小鳥のように跳躍し、愛を謳う。
かと思えば次の瞬間には、アシュレに触れそうなくらい駆け寄ってきて、かわるがわるに思いを伝えてくる。
もちろんそれは歌で、演技で、舞台なのだが──その瞳に宿る光はどこまでも真剣だ。
互いに着衣は一枚だけしか持たないふたりの少女の肢体が、真珠のように汗を迸らせながら、光の翼に照らされて浮かび上がる。
これで、胸が高鳴らない男なんているのか。
アシュレは我知らず、肌が粟立つのを感じた。
楽器の伴奏もなにもないふたりの声としかない舞台のはずなのに、アシュレは美しいメロディや水オルガンの荘厳な響きすら幻聴してしまう。
高まりたい。
あなたの一番になりたい。
想うことだけで。
だれかを貶めるのではなくて。
ただ、ただ、自分を高めて──わたしの輝きであなたに選ばれたい。
歌唱を用いた異能用に特別に編まれた言語を真騎士の乙女たちは用いる。
独自言語で綴られる歌詞は、アシュレにはほとんど理解できない。
それなのに、ふたりの想いが痛いくらい伝わってくる。
それはふたりの競い合う少女たちが己の心を裸にして、さらしだしているから。
どうしてもその想いを伝えたいヒトが舞台を見てくれているから。
ほかにだれもいなくても、よかった。
舞台は熱狂の渦となり、クライマックスに向かって高まっていく。
そして──アシュレは感じ取った。
いかにふたりの告白に耳目と心を奪われていても、その肉体と本能は騎士のそれであった。
「来るッ!」
言い放ち刃を投じた瞬間、ざぶり、と水面が割れ千手蛆とそれに跨がる汚泥の騎士たちが現れた。




