■第六十三夜:比翼連理の少女たち
地下下水道にいくつも点在する小さな陸地。
真っ白い砂でできた浜辺に、アシュレたちは上陸した。
キルシュやエステルの指標を除去したときに使った陸地によく似ていたが、浜辺のどこにも足跡がない。
どんなに似ていても、これは明らかに別の浜辺なのだ。
「そう言えばエステル。イズマはそのあと、どうなったの? 君を救出したあとのことだ」
もはや盾というより、船としての役割が大きくなってしまった聖盾:ブランヴェルを引き上げながら、問うたのはアシュレだった。
アシュレとともに真騎士の少女たちの危機に駆けつけ、分担してその救出に尽力したハズのイズマのその後。
これも重要な事案だった。
鮮やかな手際でエステルを開放した後、土蜘蛛の王:イズマがどうなったのか。
それだけは、どうしても確認しなければならない案件だった。
エステルから得られた情報次第では、アシュレたちの今後はまるで変わってくるからだ。
もし仮にだがそのまま不浄王:キュアザベインとの戦いに発展などしていたのなら、こんなことをしている場合ではない。
即座にアテルイに連絡を取って、増援を送り込まなければならない。
「えっと、じつは……しばらくはご一緒していましたの」
「んんん??? えっ? じゃあもしかしてイズマも、もうこの階層に来ているの?」
アシュレの問いに、はい、とエステルは頷いた。
銀糸のような頭髪がさらり、と音を立てる。
「エステル、だったらどうしてキミはひとりでいるの? まさか──襲撃を受けたのかい?」
そして分断された?
立て続けの質問に、エステルは首を横に振って見せた。
さらさら、とまた音がする。
「襲撃を受けたのはそのあとで」
「そのあと、というのは?」
「わたしが蜘蛛おじさんから逃げたあとで」
「蜘蛛おじさんから?! イズマから逃げたの?!
エエエエ?! ナンデ?! イズマ、ナンデッ?!
アシュレは思わず叫んでいた。
「だってその……例の指標を外さなきゃって迫られて……こわかったし」
アシュレはまた天を仰いで溜め息を吐き出した。
イズマのことだ、すぐにエステルの肉体の異常に気がついたのだ。
そしてその除去を申し出た。
間違いないが、イズマは善意だった。
いやすこしは下心があったかもしれないケド……。
「なんだかデュフフとかグフグフとか笑って、気持ち悪かったし……鳥肌が立ってもう絶対無理って思ったら──わたくし飛び出してしまっていたんですの」
前言撤回──。
いやいや、いやいやいやいや、とアシュレはエステルに同意しかけた思考を据え置いた。
たぶんきっと、それは違う。
違うはずだ。
これは土蜘蛛という種に対して真騎士の乙女たちが抱く、根源的な嫌悪感がすべての原因なのだ。
あと……イズマの普段からの言動?
アレッ?! これもしかしなくてもやっぱりイズマが悪いの?!
「騎士さま?」
しばらく呆然としていたのだろう。
エステルが袖を引いて来た。
「ああ。あああ。それでキミは逃げ出したんだね」
「はい。そうですの。どうせだれかの慰み者になるなら──騎士さまがいいって。騎士さまのものになるなら、エステルは生きていられる、生きていてもいいって思えるからって。それで夢中になって」
鼻血の予感をアシュレは感じた。
告白を受けたから、だけではない。
なにか思うところがあったのか、それまでかたわらに控えていたキルシュまでもが、アシュレの手を握り込んできたのだ。
申し合わせたように少女たちが身を預けてくる。
アシュレは前後から挟まれてしまった。
ミルクのにおい。
サクランボのにおい。
ミントのにおい。
それらが交じり合ってくらくらする。
ちなみにふたりともアシュレの上着と肌着一枚という格好だ。
アシュレは濡れた鎧下を腰に巻き付けていて、上半身を覆うのは竜皮の籠手:ガラング・ダーラだけ。
とてもじゃないが他人には見せられない状況だ。
それでもいま寄せられているふたりの想いを無下にすることだけは、できない。
なんというかそれは、いまこのふたりにとっては唯一すがることのできる確かなものだったのだ。
さすがにそれがわからないようでは、自分は大人の騎士である資格がない、とアシュレは思う。
「ふたりともよくわかった……わかったよ」
しばらくして、アシュレは実務の話を淡々と再開した。
そっとなるべく自然に握り込まれていた手をほどく。
残された時間は、あまりにわずか。
イズマの件はまた別に考えるとして、と前置きして始めた。
「さっきも言ったけれど、キミたちふたりがいま、こうしてここに揃って居てくれるというのは、僥倖以外のなにものでもないんだ。なぜって、これで脱出の切り札が揃ったんだもの。この好機を無駄にしてはいけない」
ふたりとも《ちから》を貸してくれ。
アシュレは少女たちを見つめて言った。
「でも騎士さま……切り札が揃った、というのはうれしいのですケド」
「です。わたくしたち、なんにも持っていませんのよ。武器も防具も便利な道具も、もちろん《フォーカス》だって……なにひとつ」
そんな自分たちが脱出の切り札だと持ち上げられても、にわかには信じられないという表情のふたりに、騎士は笑顔で応えた。
「いいや、キミたちは持ってきてくれた。間違いなく最高の切り札を」
そうして眼前に立つふたりのすべてをアシュレは指し示した。
両手を広げて包むようにジェスチャする。
それは「キミたち全部がボクの切り札なんだ」という意味だ。
自信たっぷりなアシュレに、真騎士の少女たちは互いに顔を見合わせた。
どういう……ことです?
ふたりの無言の問いかけに、アシュレは頷いた。
解説しよう、と。
「脱出口が天井にしかないだろう、って話はしたね?」
アシュレの設問にふたりは揃って頷いた。
「そしてボクを抱えたままでは、たとえ白き翔翼を使っても上昇することはできない、とも。そう言ったね?」
真騎士の少女たちは、これにも黙って首肯した。
「ただし!──キミたちひとりずつでは……という条件つきで、だったね?」
あっ、とふたりが揃って声を上げた。
アシュレの思惑に気がついたのだ。
「そうかッ! わたしたちふたりがいれば、ですわ!」
「わたしとエステルが《ちから》を合わせれば……飛べる、かも?!」
「もちろんボクも合力する!」
アシュレの笑顔が、ふたりに伝播する。
そうか、そんなんですのね、と口々に言う。
「これなら、いける。いけますッ!」
「きっときっと──飛べますわッ!」
指を絡めて握り合い、喜びに飛び跳ねる少女たちを眺めながら、アシュレは次の算段を巡らせはじめた。
そう、脱出口の位置特定方法についてである。




