■第五十八夜:希望は天に隠されて
「さてと。追っ手がかかっていることは、これでわかった。この地下下水道下層部には、危険極まりない水生生物が群れ成して棲息していることも。なぜかいまのところ、腐敗臭や病魔との遭遇がないのが不思議だけど……それにしたって、こんなところに長居するのは百害あって一利なしだ。一刻も早く脱出しなければ」
「でも……どうやって? こんなところに出口なんてあるのかしら?」
アシュレのつぶやきに、真騎士の少女は身を震わせながら返した。
ふたりはいま聖盾:ブランヴェルに跨がり、その力場操作の《ちから》で水上を進んでいる。
このやり方では航跡を隠すことはできないが、光り輝く翼を展開してキルシュが飛ぶより百倍マシだろう。
ボクも飛べたら良かったのに、とアシュレは思うがそれは叶わぬ望みというものだ。
たしかに聖盾:ブランヴェルの能力を最大開放すれば、力場を竜巻のように回転させてその《ちから》で数十メテル舞い上がる程度のことはできるし、これまで幾度かそういう戦い方を実践してきたアシュレだが、それは真騎士の乙女たちのように自由に空を飛べるというのとはまったく次元が異なる話だ。
そして、キルシュにもアシュレを抱えて飛ぶことはできない。
先だって窮地を脱した懸命の羽ばたきも、ブランヴェルの力場操作を併用してやっと自由落下ではなく滑空レベルにできただけ。
重量オーバーは明らかだった。
それはともかく、とアシュレは思う。
いまできないことをあれこれ考えてもしかたがない。
限られた体力を使うなら、もっと現実的な希望について考えるべきだ。
たとえば……そう、出口の話だ。
先ほどの汚泥の騎士たちの襲撃で、それについては確信を得ていた。
「出口はあるさ。必ずある」
「出口はある……どうしてそう言い切れるんですか?」
疑っている様子ではなく、純粋に希望があるなら自分にも教えてほしいという口調でキルシュが訊いた。
うん、とアシュレが頷く。
「汚泥の騎士たちの奇襲を見ただろ? あんな手練たちを使い捨てにするはずがない。不浄王:キュアザベインが尊信を持って汚泥の騎士たちに支持されてきたのだとしたら──敵にはともかく自らの臣下・配下である騎士たちには敬意ある待遇・処遇を持って接してきたはずだ。そうでないなら、いくらなんでもこんな場所にまで赴いてはこないと思う。彼らだって騎士なんだ」
ちょっと思い出してみてくれ、とアシュレは言った。
ボクらが穴に落ちてから汚泥の騎士たちが大挙して飛び込んでくるまで、時間差はほとんどなかった。
思考の時間差は皆無だった。
それは彼らの行動がだれかに命じられて渋々従った結果ではなく、自発的な行動だということを示している。
「つまり?」
やはり猜疑心からではなく、もっとアシュレの話を理解したいというニュアンスでキルシュが促した。
うん、とアシュレはまた頷いた。
「つまり、この地の底の穴蔵からは生還できる道が、必ずあるってことになる。彼らがためらわず、自発的に追跡行動に移れたってことは、どこからか必ず戻れる道があるのを知っていたからなんだ。しかもボクらが思っているよりたくさんあるだろう、ってことも重要なポイントだね。一ヶ所しか出口がないなら、彼らだって困るだろ?」
もちろんそれは、彼らだからこそ使える場所にあるんだろうけれど。
そう付け加える。
アシュレの断言に、それまで曇りがちだったキルシュの瞳に光が灯った。
「そうか! やっぱり騎士さま、すごい。そうか、考えてみたらそうですよね。わたし全然わからなかった」
「不浄王:キュアザベインは倒すべき敵だけど、彼の思考と論理と言葉は理路整然としていた。ただの暴君じゃない。それだけじゃ汚泥の騎士たちが従うわけがない。その頂点に君臨し続けてきたからには、キチンと理由がある。そう考えたんだ」
前方に注意深く眼を凝らすアシュレの肌着を、キルシュが信頼感を示すように握ってきた。
アシュレは少女のしたいようにさせてやる。
「そして、彼らは天井からの奇襲を選んだ。だとしたら、キルシュ、たぶん脱出口は天井にあるんじゃないかな。彼らのような存在にしか、天井の道は使えない。だから、キミにはしっかり見ていて欲しいんだ。どんな些細なことでもいい。気がついたら教えて欲しい」
誓いを立てた騎士に頼りにされたと感じたのだろう。
真騎士の少女は深く頷いた。
だから、続けかけた言葉をアシュレは飲み込んだ。
それは先ほど奇襲を仕掛けてきたのとは別の汚泥の騎士たちが、この地下水路にすでに殺到してきている可能性を示してもいるのだ、とは言えなかった。
アシュレの懸念は、そうときを置かず予想もせぬカタチで実現することとなる。




