■第五十七夜:追手は悪夢に似て
「コイツ、千手蛆かッ?!」
アシュレはとっさにキルシュを後ろ手に庇い前に出た。
聖盾:ブランヴェルを構える。
その表面に鞭のようにしなる幾本もの触手が叩きつけられ──《フォーカスの護り》に焼かれて炎を上げた。
「このおッ、退けえッ!!」
盾に《スピンドル》を通し、力場を展開。
渦巻く不可視の乱流が、巨大なハナアブの幼虫に似た怪物をズタズタに切り刻んでいく。
が、牛ほどの体躯を持つ蛆虫の質量は相当なもので、簡単には押し返せない。
「騎士さま、こっちからも!!」
機転を利かせ周囲に目を配っていたキルシュが叫んだ。
「くっ。コイツら地下世界に巣くう怪物だ。蛆のように見えるけれど、なにかの幼生体じゃない。これが完成形。触手から麻痺毒を打ち込んでは獲物を捕らえて、水のなかで腐らせてから食す、恐ろしい屍肉喰らいなんだ」
この危険な蟲の存在をアシュレは、イズマや姫巫女姉妹から聞かされていた。
もちろんその話題の発端は、アシュレの異種族への知的好奇心による。
戦隊として円滑にことを進めるためにも、あるいは敵対的遭遇に備えるためにも、人間とは異なる種族への学習と理解はとても重要だった。
特に土蜘蛛たちの地下世界での生活様式は地上生活者である他種族と比べても、群を抜いてユニークで面白かった。
たとえば、彼ら彼女らが使役する蟲たちについてもそうだ。
それがこんなところで役に立つとは、皮肉以外のなにものでもないが。
「このままじゃ囲まれてしまいます! なにか、なにか武器が」
窮地に、キルシュは周囲を見渡した。
本来水中を主な住み処とする千手蛆たちの侵攻は、陸上では鈍るとはいってもヒトが速歩で迫る程度には速い。
このまま水際で防戦に持ち込まれたら数の力で押し込まれるのは目に見えていた。
真騎士の少女は、包囲網が完成する前に武器を手に入れそこに穴を空けるつもりだったのだ。
そして、都合よいことに、彼女は周囲に積み上がったがれきのなかに、奇跡的に使えそうな片手剣が突き立っているのを発見した。
おそらくはキルシュやアシュレと同じく、最下層に落とされた犠牲者のひとりが携えていたものであろう。
それは当然のように錆びついていたが、まだどこかに刃としてのきらめきを残しており、剣としてのカタチをしっかりと保っていた。
「アレなら使えるかも」
雄牛ほどもある怪物相手に錆びた片手剣など、と常識的には考えるところだろう。
だが、それはあくまでキルシュが一般人だった場合だ。
《スピンドル能力者》にとってただの鉄の棒と、たとえ錆びついてはいても鍛え上げられ丹念に組み上げられた軍用武器とでは、その間に天と地ほどの差がある。
極論、道具とは人間の《意志》の産物だ。
たとえば剣であれば、戦いにいかに勝つか。
いかに効率的に相手を屠るか。
その理想がただの鉄の塊を鋼に変え、鋭利な刃と扱いやすい重心を持つ洗練された武器へと、道具を昇華させる。
そこには《意志》が関わっている。
刀鍛冶が掲げた理想へと至る《意志》が。
であれば──《意志のちから》である《スピンドル》をただの鉄棒と利剣のいずれが通しやすいか、効率的・効果的に能力を発揮できるかは自明の理ではないか。
だから一般の戦士・騎士たち以上に、《スピンドル能力者》は優れた武具を求める。
そしていまキルシュの目に、その剣は業物と映った。
この地の底に落とされてより幾星霜。
それでもなお輝きを失わぬそれは、名剣の類いに相違ない。
そうキルシュの真騎士の乙女としての勘が囁いたのだ。
だが、駆け出しかけたキルシュの腕をアシュレのそれが捉えたのは、まさにそのときだった。
「ええっ?! なぜ?! 騎士、さまッ?!」
真騎士の少女が驚愕の声を上げるよりも圧倒的に早く、アシュレは凄まじい力でキルシュを抱きかかえると千手蛆の待ち受ける水際に向かって、倒れ込むようにタックルを敢行した。
「ど、どういう──きゃあ」
ざぶ、と水しぶきが上がった。
唐突で急激なアシュレの突進に、千手蛆たちですら不意を突かれ、幾本もの触手が空を切る。
「しっかり捕まって。このままこの戦域を離脱するッ!」
「えっと、どういう、これはどういうことなんです?!」
キルシュへの返答に代えて、アシュレは彼女をブランヴェルのなかに押し倒した。
その肩越しに真騎士の少女は見る。
それは風霊の護りの光量調整能力が目撃可能にした驚愕の光景。
天井に張り付く、無数の赤い眼。
そして、それがついさきほどまでキルシュが入手しようとしていた片手剣のあった場所に群がるように落ちていくさま──。
「なん……ッ。なんですか、アレッ?!」
「たぶん汚泥の騎士たちだ。ボクたちを追って流し込まれてきた、キミが見たって言う赤い眼を持つゲル状のブロック──アレの正体は、宝飾品や武器の骨格を捨てた彼らそのものだったんだ」
骨格とともに機動力を失った分、どこにでも張りつけるその特質を利用して、彼ら汚泥の騎士たちは天井からの奇襲を敢行した。
「ボクたちに気取られぬよう、瞳にまぶた……はないからトカゲや鳥みたいに瞬膜のような保護膜を下ろして、匂いや音や振動を頼りに這い進んできたんだろう。だから準備に時間がかかった。でもその間に、千手蛆たちをけしかけ、混乱したボクらに天井側から奇襲する最上の舞台を組み上げた──恐ろしく狡猾な手練たちだ」
汚泥の騎士たちの採った戦術を説明しながら、アシュレは背筋に冷たいものが走るのを感じていた。
実際いまのはかなり際どかった。
あと一秒、いや一瞬でも遅かったなら、ほんのわずかでもなにかが違っていたなら、事態は凄惨を極める局面へと発展していたハズだ。
アスカとレーヴ、ふたりぶんの戦乙女の契約が加護なくしては、まずをもって、あのタイミングで奇襲を躱すことは不可能だった。
すくなくともキルシュを助けることは絶対にできなかった。
「真騎士の乙女の加護に感謝だね」
思わずつぶやいたアシュレたちの背後で、千手蛆と骨格を失いまさに汚泥と化した騎士たちの姿が急速に遠ざかっていった。




