■第五十六夜:襲撃者は波紋とともに
「できた! つか、えた! 風霊の護り! 使えるようになりました! 騎士さま、すごいッ! できた、できちゃった!」
キルシュの口から小さな歓声が漏れたのは、しばらくしてからだった。
アシュレの施した異能開花の手技は、いわば《スピンドル導線》の未通部分を強い《ちから》で強制的に開通させるようなものだ。
実際、手技の直後、キルシュは息もたえだえでその肉体は痙攣を繰り返し、アシュレの腕のなかにしなだれかかることしかできなかった。
落ち着くには四半刻が必要だったのである。
キルシュが立ち上がれるようになって、やっとアシュレはあれこれと装備を調えることができた。
「よかった。うまくいったみたいだ」
アシュレも内心、ホッと胸を撫で下ろしていた。
緊急事態ということで試技に及んだが、万が一キルシュとその導線になにかあったら悔やんでも悔やみ切れないところだった。
それほどに才能開花の時期を人為的に操作するのは危険な行為なのだ。
自分でやってみてわかったが、これはじつにテクニカルで繊細で、かつ大胆さを要求される手技だった。
これをかつてイズマはアシュレとの出合い頭に、あいさつのようにやって見せたのだ。
かえすがえす土蜘蛛王の技量の凄まじさと、その無遠慮で危険を顧みない精神性には驚かされる。
と、そこまで思ってアシュレはハッとなった。
不浄王:キュアザベインとの遭遇より前に、アシュレはいったんイズマと合流を果たした。
そのあとアシュレはキルシュを、イズマはエステルを救うべくそれぞれ別行動を採ったのだが……アシュレが不浄王:キュアザベインの待ち受ける広間に到着したとき、すでにエステルは祭壇の上で縛鎖に囚われていた。
ということは……。
「まさか、いや、そんなことありえない」
疑念が思わず言葉になった。
イズマが汚泥の騎士たちに遅れを取るなど考えられない。
いや、あってはならないことだ、それは。
だが──豚鬼王:ゴウルドベルドとの対決前に別れたときの抜け殻のようになってしまっていた土蜘蛛王の姿がアシュレの脳裏でリフレインする。
土蜘蛛の姫巫女:エレの言葉が甦った。
イズマの内側はすでにがらんどうに喰われている、という。
当のイズマがあの調子なので、アシュレ自身半分冗談のように思い込んでしまっていたのだが。
「イズマ……まさか、ほんとうに……」
「騎士、さま?」
アシュレの声に不安があるのを感じ取ったのだろう。
キルシュが怪訝な様子で問うてきた。
「ああ、いやいいんだ。こちらのはなしで……問題ないよ」
「騎士さま……その……キルシュがまだ未熟で頼りないと感じてらっしゃるのかもしれませんけど。いまはキルシュが騎士さまの唯一のパートナーなのですから、そのう、ちゃんと不安は共有して頼ってくださいね?」
少女から放たれた言葉はどこか怯えを含んだ控えめなものだったが、だからこそアシュレは感銘を受けた。
かといって、これはイズマのことだけに止まらない話だ。
キルシュが救いたいと願うエステルの身の安全にも絡んでくる話題である。
アシュレはキルシュの健気な心遣いだけ受け取ることにした。
もちろん強行策を採らねばならぬなら、すべてを打ち明けるつもりだ。
「ありがとう、キルシュ。キミがいま習得した異能:風霊の護りはキミ自身の覚悟の成果だ。ボクはキミをパートナーとして信頼している。相談できることは可能な限り相談させてもらうよ」
アシュレの言葉に、キルシュは「えへへ」と照れたように笑った。
と、そのときアシュレはなにか波紋のようなものを感じた。
見えたとか聞こえた、とかそういう類いのものではない。
言うなれば自分の内側に水滴が落ちた、あるいはなにかが蠢くような感覚を受けたのだ。
しかもこれは心地良い感触ではない。
肌がざわざわと粟立つような──もしかして悪寒?
「なんだ……これ?」
「騎士……さま? どうされましたか?」
「キルシュ……なにか変だ。感じないか? いやよく見てくれ、いま習得したばかりの風霊の護りを使って、水面を透かし見てくれ!」
今度はアシュレもすべてを包み隠さず、キルシュに告げた。
潜めていながらも切迫したアシュレの叫びに、真騎士の少女は目の色を変えた。
異能を展開し、指示通り水面を睨みつける。
なるほど風霊の護りには雑光をカットし、組成と比重の違う大気や物質の境界面で発生する屈折率を補正する《ちから》さえあるらしい。
ほぼ間をおかず、キルシュが警告を発した。
「なにか、なにか居ます。向かってくる?! これは──騎士さまこれは、敵ですッ!!」
そしてその叫びとほとんど同時に、水中から真っ白な躯体を持つ巨大な蛆虫が飛び出してきた。




