■第二十一夜・エピローグ1(あるいは、孤独の心臓)
あなたのお父さんは、とイリスベルダは話しかける。
自らの胎内にむかって。
やさしく、さすってやりながら。
時は過ぎ去る。
そろそろ夏も終わり、秋が来ようとしている。
もうそろそろ、出てきてくれてもいいはずなのだけれど、まだ、そんな兆候はない。
ただし、母子ともに健康そのもの。
カテル病院騎士団のお墨付き。
「“この方”は特別なのだ」と、その首長を務める大司教:ダシュカマリエは言っていた。
カテル島は南の島だが、気候は快適だ。
湿気は少なく、常に風が吹き、夏でも日陰なら摂氏二十五度を上回ることはほとんどない。
冬の冷え込みもそれほど厳しくなく、島の中央を走る山嶺にうっすら雪が積もる程度。
古代アガンティリス人たちが、この世の理想郷と讃えた島。
子育てには最高の環境だ。
なによりすばらしいのは、一年を通じて美しい花々が咲き乱れること。
春はアーモンド、初夏はレモン、いまはブーゲンビリア。
この島の風は甘い。
花の香りを常にまとっているからだ。
ただ風を嗅ぐだけで心が穏やかになる。
そのせいだろうか、はじめての出産だというのに不安はまるでない。
親友と呼べるほど仲良くなったダシュカマリエは気取りがなく、おまけに医術・薬学に精通していて、イリスとお腹の子供をいつも気にかけてくれる。
安心の理由のひとつだ。
それなのに、あのヒトはいない。
だから、イリスは張り出した腹部をさすって語りかけるのだ。
まだ見ぬ我が子に。
父親の生きた証を。
その武勲を。
語り継ぐべき物語を――。
※
あのとき、起こったできごとを、ともに戦ったすべての人間が見ていた。
臨界点を迎え、崩壊直前だった邪神:フラーマの肉体と、その影響下にあった漂流寺院――《閉鎖回廊》の消失を起点とする《ブルーム・タイド》発生を防ぐため、アシュレは決断した。
竜槍:〈シヴニール〉と、そこから放たれるエネルギー流を起爆剤、同時に導線とし、自らの肉体を暴れ回る《スピンドル》エネルギーの開放弁とした。
もちろん、それはヒトひとりの身に余る所業である。
いかに《スピンドル》の加護を得ていたとしても、聖遺物に匹敵する武具:〈シヴニール〉を得ていたとしても。
代価は彼自身の命、いや、《魂》そのものだった。
そのあまりに希少な代償が、可能にした。
神の視点――いわゆる歴史的、巨視的観点で語るのなら、その程度の犠牲で済んだことは奇蹟であり、僥倖と言うべきものだっただろう。
けれども、戦友たちにとっては“英雄的決断”と五文字で書き記す史書を、破り捨てたくなるほどの出来事だったはずだ。
アシュレダウは死んだ。
胸郭を内側からはぜさせ、火傷だらけになって。
その破れ目から光を爆流と吹き上げながら、燃え尽きる流星のように。
その身体は宙を舞った。
白熱した〈シヴニール〉が回転しながら漂流寺院の基底を成していた大型艦の甲板に突き立ち、炎を上げた。
火は、あっという間に延焼した。
それほどの熱量だったのだ。
一月ほど後、同海域から〈シヴニール〉がサルベージできたことは、ありえないほどの幸運だった。
傷だらけの仲間たちに、イズマとイリスが駆け寄り、避難経路を指示、指揮した。
ほんとうなら、イリスは一番にアシュレのもとへ駆けつけたかった。
けれどもしなかった。できなかったというのも無論ある。
状況がそれを許さなかった。
導体となった〈シヴニール〉の砲身が帯びていた熱量は、海水を沸騰させるほどのものだったのだ。
なにより、ほんとうは脚長羊の手綱を取るイズマこそが、そうしたかっただろう。
それなのに、イズマは生き残った仲間たちの救出・救護を優先した。
後になっても、いい訳ひとつしなかった。立派だと思う。
ほかにどうしようもない決断だった。
だが、だからこそ、イリスたちは知らなかった。
その燃え尽きる星を追って、ともに墜ちた者がいたことを。
夜魔の姫:シオンザフィルが、ズタズタになってしまったアシュレダウの亡骸を受け止めた。
己を護る次元防護壁:《アストラル・コンシールメント》を解き、失われゆく愛しい男を抱き止めた。
それは、なかば本能的行動だった。
まともに意識を保っていられない状態で、シオンの身体が動いた。
蝶の繭のごとき被膜を破り現れたその姿は、しかし、異形であった。
それは、崩壊しつつあったフラーマを救うべく身を投げ打ったアシュレの、過去の神話の結末を超えて行くように身を投げ出した騎士の、凄絶な最期が引き出してしまった、夜魔の、シオンの愛のカタチだった。
夜魔が囚われた永劫の牢獄としての愛――その化身としての怪物――シオンの正体。
狂っていた、と言われたら、その通りだったろう。
どんな手段を用いても、助けたかったかと問われたら、その通りだったのだ。
フラーマがなぜ、邪神と成り果てたのか、わかった。
どうしても、どうしても、助けたかったのだ。
鬼女のような姿であっただろう? とシオンはアシュレに問う。
いいや、とアシュレは答える。愛しい、としか思えなかったよ、と。
なんども繰り返した問いで、何度も聞いた答えなのに、シオンはそのたびに泣いてしまうのだ。
ごまかすように逃げ出すのだが、そのたびに捕まってしまう。
逃げられないのだ。もう、絶対に。
ふたりは墜ちた。
そこは青い花を咲かせる荊に護られていた。
聖剣:〈ローズ・アブソリュート〉の茂みは、なぜだかシオンを傷つけなかった。
それどころか、炎からふたりを護り続けた。
ただの火では聖遺物を傷つけることはできないのだ。
その底に、ふたりはいた。
死に瀕したヒトの騎士と、追いつめられた哀れな獣が一匹いた。
獣は女の姿をしていた。
一糸まとわぬ姿に、白銀の篭手。
肩まで覆うそれと、頭頂に戴いた大ぶりな王冠だけが、彼女の装身具のすべてだった。
かああああああるうううう、と女は遠吠えする狼のように、悲しげに、口を開いた。
赤く濡れた唇の奥から、唾液が糸を引いて落ちかかり、鋭い犬歯が伸びた。
女は夜魔だった。夜魔の大公の息女だった。
すなわち真祖の血脈に連なる、純血の魔物だった。
シオンザフィル・イオテ・ベリオーニ・ガイゼルロン。
永劫を生きるがゆえ、その血の記憶に永遠に苛まされるがゆえ、やがて来る狂気から、決して逃れられぬ同胞の呪われた生を断とうと決意した女だった。
それなのに、目の前で女の愛した男が、死に拘引されかけていた。
いや、もうほとんど死んでいた。
助けようがなかった。
この時代の医学的には完全な死、と判断される状況だった。
夜魔であるシオンでなければ、感じ取ることもできなかっただろう男の肉体に残る微かな命の火は、もう燃え尽きる直前だった。
いや、方法はあった。
助ける方策があった。
男を夜魔にすればよい。
そうすれば、そうすれば助かる。
女の下僕と成り果てるが、同じ時間を生きていられる。
ぼろろ、と隠しようのない涙が女の頬を伝った。
はああああああ、と声もなく、呼気だけで泣いた。
どうすればいいのかは、わかっていた。
経験はなかったが、それは夜魔の本能に焼つけられた《ちから》だった。
真祖の直系である彼女が誤るはずなどなかった。
それは呼吸と同じく、食餌と同じく、習う類いのものではなかったのだ。
それなのに、震えていた。
ガチガチガチガチ、と歯の根が鳴った。
女は男を愛しすぎていた。男の生を辱めることが恐かった。
死なせてやるべきなのではないか、とそう思った。
だが、諦めることなどできなかった。
男の――アシュレのいない世界に、ひとり取り残されたとき、自分がどうなってしまうのかわからず気が狂いそうになった。
シオンは生まれた初めて憶えたあの恐怖を――〈ローズ・アブソリュート〉の騎士:ルグィンを失ったあの日のことを、思い出していた。
落ち着いて考える時間が欲しかった。
決断を誤ってしまう気がした。
もちろん、時間などなかった。
男はもう、ほとんど死んでいた。
追いつめられたシオンは泣きながらアシュレの首筋に顔を埋めた。
まだ、かろうじて、生の残滓が残る血管に牙が触れる。
そのとき、甲冑に包まれた左手が、抜き身で転がるナイフを偶然、探り当てた。
船乗りが使う頑丈さが取り柄のそれだ。
ロープを切断したりするのに使う。
思えば、シオンは以前にも愛する男を殺していた。
その男の聖骸はいま彼女の腕を包む〈ハンズ・オブ・グローリー〉の内張となっている。
その霊験によって、シオンは夜魔でありながら聖剣:〈ローズ・アブソリュート〉を繰ることできたのだ。
もし、あのガイゼルロン山麓の祠で、その男:ルグィンが、文字通り身を挺し賭して〈ハンズ・オブ・グローリー〉と〈ローズ・アブソリュート〉を託してくれなかったなら、シオンはすでに死んでいるか、イフ城の地下で終りのない拷問にさらされているかのいずれかだっただろう。
ああ、とシオンは理解する。
そうか、と。
自らの成すべきことを。
ナイフを振り上げた。
刃に《スピンドル》を通す。
それから、躊躇なく抉った。
自らの剥き出しの胸を。
力任せに骨を断ち割り、裂いた。
そして、アシュレの裂けてしまった胸郭に注いだ。
そのどうしようもないがらんどうに。
血を、肉を、臓器を。
倒れ伏すようにして傷口を合わせた。
それから残された《意志》のすべてを使って、もう一度、《スピンドル》を発動させた。
異能:《アルジェント・フラッド》――それは、自らの命を他者に受け渡す最後の技だった。
※
目が覚めたのはベッドの上でだった。
真っ白い壁に天井。
草木柄の布地に動物が隠されているテントが頭上に張り出している。
死んだのかな、とアシュレは思う。
空気がよい香りすぎた。ここが地上であるはずがなかった。
起き上がろうとして失敗した。
半身を起すこともできない。
両腕を見てぎょっとした。ミイラ男みたいな状態だ。
だれかを呼ぼうとして声を出しかけたがうまくいかなかった。
どうやら全身をこれでもかという具合に包帯でコートされているらしかった。ふがふが、という風刺画みたいな音しか出ない。
がちゃり、と音がしてだれかが部屋に入ってきた。
見知らぬ看護服の女性がもがもがと動こうとするアシュレを見て、持っていた、たらいを落とした。
くわああん、と音がした。
それから、悲鳴なのか、嬌声なのかよくわからない声をあげて女性は部屋を飛び出していった。
おおげさな、まるで死者が甦ったみたいじゃないか。
アシュレは思う。
「ふが(いや)、ふが(あの)」
アシュレは自力ではどうしようもない状態に困惑した。
これは、いったい、どうなってるの? 記憶が混乱して考えがまとまらない。
そんなことをしているうちに、外がやかましくなった。
「? ?? ???!」
どかんッ、とドアそのものが吹き飛びそうな勢いで開けられ、まずミイラ男が入ってきた。
おまけに、ミイラ男には両腕がない。
それなのに胸板は厚く、身長は二メテル近かった。
ドアは蹴り開けられたらしい。
「生き返ったか!」
「? ?? ???!」
ミイラ男から復活認定を受けるというのは、生涯のうちであまりあることではない。
もちろん当のアシュレには、そんなレア体験を認識している暇も余裕もなかった。
次に先ほどとは異なる看護服姿の女性が飛び込んできた。
見覚えがあった。
だが、アシュレが名を呼ぶヒマを彼女は与えてくれなかった。
飛びつくようにして抱きつかれ、その豊かな胸の谷間にアシュレはプレスされた。
「? ?? ???!」
彼女は力いっぱいアシュレを抱きしめた。
アシュレには抵抗する手段がない。
腕力はさほどではなかったが、必死であるうえに、アシュレ側は四肢をまともに動かせず、乳房の圧力は圧倒的だった。
死ぬ、とアシュレは思った。
復活→圧死→復活の無限ループにハメられてしまうのではないか、という恐怖に戦慄いた。
「そんくらいにしとかないと、死ぬよ、イリス。マジで。キミのハグはマジ・リーサルウェポンなんだから。しかも、男に対しては即死属性付きという恐ろしい仕様であり……ほら、痙攣してるし」
能天気な声がアシュレの救世主だった。
イズマに間違いなかった。
涙が出た。生きててヨカッタ! また死ぬところだった! 即死属性付きだった! わけがわからなくなって、アシュレはむせび泣く。
とにかく自分の手で彼らを抱きしめたかった。
こんな包帯越しではなく、ちゃんと自分の肌で彼らの奮闘を讚え、自分を助け出してくれたことを感謝したかった。
ぶんぶん、とアシュレは腕を回して見せた。
涙でぐしゃぐしゃになったイリスがしがみついている。
じつは涙もろいのだろうかノーマンが天を仰いで涙を噛み殺している。
いや殺せていない。包帯がみるみる濡れていく。
イズマだけが笑っていた。アシュレは手を回した。
解いてくれ、と。
イズマはくるくる、と指を回した。笑顔のまま。
伝わった、とアシュレは思った。
イズマは、その指を頭に当てた。アーユークレイジー? のポーズ。
いや、伝わっていない。
もがもが、とアシュレは訴えた。
ふー、とイズマは溜息をついた。イリスとノーマンがイズマを見る。
どうする、という逡巡の空気。
「あー、ほんとはダシュカマリエ大司教の判断を待つべきなんだけど――ま、いっか。とりあえず、手だけはずしてあげなよ。右手だけ。すぐに巻き直すけど」
どういう意味かわからず、アシュレはイズマに抗議をあげた。
「まー、あれを見てから言えるかな?」
そこでアシュレは気がついた。
イズマの笑みに強ばりがあることを。
なんだ、と思い、また同時に全身が熱く、猛烈にかゆくなってきていた。
なにが起こっているのかわからないが、早く外して欲しい。
イリスが必要以上に丁寧に外すものだからじれったかった。
べそべそとなぜ泣くのかわからなかった。
ボクはここにいるよ、と撫でてやりたかった。
果たして、そこにアシュレの手は――あった。
「!」
アシュレを除く全員が目を剥いた。
そんな、驚くこと? とアシュレは全員を見渡した。
確かに火傷の跡がくっきりと残っていた。
しかし、治療と看病を適切かつ手厚く受けたせいだろう。
新しい組織が再生しているのだ。全身が熱くて痒いのはそのせいだ。
アシュレはゆっくりと右手で握り拳を作った。
実感が湧かず頼りなかったが、それから傷がひきつれて軽く痛んだが、動いた。
骨にも異常がない。
すぐに動けるようになるだろう。
んなバカな、とイズマが駆け寄り、ノーマンが異能を行使し(!)、自分の包帯の顔の部分を弾き飛ばすようにして剥ぎ取った。
軟膏を塗りたくられた顔面は、まだ火傷の跡に歪んでいた。
異能を使う治癒は能力者に多量の代償を要求するため、段階的に、ひどい箇所から直していくのが常道だった。
優れた能力者でも、日に幾度も行使できるような技ではないのだ。
激痛が走るのだろう。顔を歪めたノーマンと自分の傷の具合を比べて、さすがのアシュレもすこし不安になった。
イリスがアシュレの掌を頬に導き、奇蹟です、とつぶやいた。
それからアシュレは猛烈なスピードで剥かれた。
イリスにだけではない。
イズマが血走った目で包帯を巻き取るさまは、笑いを通り越しホラーである。
治療のため〈アーマーン〉を脱装したノーマンまで、その口で迫ってきた時は、悲鳴が上がりかけた。
なんだなんだこれはなんだ、アシュレはひん剥かれながら叫んだ。
そして、生まれたままの姿となったアシュレの全裸に、ふたたび全員が瞠目した。
「エ、エッチ」
なぜか乙女のような声が出てしまった。
幼少時に刷り込まれた癖というものは、直して直るようなものではないのかもしれない。
股間はともかく、胸元を隠してしまうのは、もはや性というほかあるまい。。
恥ずかしくて死にそうだ。
いや、全裸をさらしていることにではなく、乙女すぎるリアクションを見られたことにだ。
さらにそのリアクションが、どこかイズマのそれと似通っている――というのは、知らないでよかったことだと思う。
だが、衆目のだれひとりとして、そんなことを気にもとめていなかった。
「し、信じられん」
「塞がってる。治ってる」
「右手は、表面炭化してたはず……」
ゔあー、とアシュレは声を出した。声帯のテスト。
まさか、生還第一声があのような破廉恥なセリフとは思わなかったが。
それから、いろいろ思案したが、当たり障りのない、常識的な挨拶を返してみた。
「お、おはようございます」
異次元生物でも見るような全員の視線は変わらなかった。
※
「死んだ、と思いました」
「死んだ、と思ったよ」
便意と尿意と空腹が同時に襲ってきてアシュレは順に欲求を果たすべく行動を起した。
下着一枚の男が施療院内をうろついているという通報に、衛兵が出張ってくる混乱も起きた。
止まれといわれてもアシュレは止まる訳にはいかなかった。
緊急事態である。
適切な場所を見つけると用を足した。
どうにかなってしまったのではないかというほど出た。
あらゆるものがどす黒く、それが死んだ血液であることを理解して驚いた。
あらゆるものを出し尽くすと、今度は餓えと渇きが襲ってきた。
食堂に乗り込んだ。
もちろん着衣を済ませ、仲間たちとともに。
こちらも緊急事態には違いなかったが、優先度が異なる。
一心不乱に食べた。
あらゆるものがうまく感じたし、実際うまかった。
イリス特製のエンドウ豆の粥にはじまり、パン、濃い赤ワイン、チーズ、卵料理、ハムやチーズ、ルッコラとセルバチカの山盛りサラダ、白身魚の水煮、メインの肉は贅沢にもイノシシの肋肉の赤ワイン煮込みを二切れ。
健啖としか言い表しようのない食欲をアシュレは示し、イズマを呆れさせた。
「寝起きで、まー、ぱくぱくと、よく喰うね。胃がひっくり返るよ?」
感心半分、呆れ半分でイズマが言った。
「なんだか、食べてる端からお腹が空いてくるんですよ。どんどん身体が回復するための建材を求めているみたいで」
「ああ、まあ、そりゃ、その通りだろうさ」
ありがとうございました、とアシュレは唐突に頭を下げた。
あ? とイズマがリアクションした。意味がわからないという意味だ。
「また、助けてもらった」
「じょーだんキツイよ、アシュレ。今回は、全員がキミに助けられたんだぜ? ボクらだけじゃない、律義にボクらの生還を信じてあの海域に止まってくれてたカテル病院騎士団のメンバー、エポラールの艦長をはじめ船員の命、それから同じくアスカ姫を救出に来てたアラムの船団=砂獅子旅団、ぜんぶを、だ」
「そのへん……ぜんぜん記憶がなくて」
はー、とイズマは溜息をついた。
「キミさ、言っとくけど、史書に残る行動をしたんだよ!
アラムもカテルも敵同士なのに、あの海域で敵対行動をとる船は一隻もなかった。
ボクらを助けるために、教義の違いから戦争を続けてきたふたつの勢力が団結して救助活動を行ったんだ。
歴史的出来事なんだよ! なぜだかわかるかい?
フラーマとその崩壊に巻き込まれる世界を救うために、英雄たちが命を賭けるのを皆、見ていたんだ。
海水を伝わって《スピンドル》が、広範囲にそれをヴィジョンとして伝えていたんだよ!」
あのとき、漂流寺院のそばに人々はすべて、感じたんだ。
「キミが因果を引き受けてくれたことを、ね」
あの哀しいフラーマとアイギスと騎士:ゼ・ノの物語の結末を受け止めてくれたのを。
「キミは世界に大きな貸しを作ったんだ。胸張って、そのぶん取り立てにいってもだれも文句言いやしないくらいの貸しさ!」
「……ぜんぜん、思い出せない」
ああー、とイズマは嘆いて見せた。
「出るとこ出りゃあ、どんな爵位でも望みのままさ。下手すりゃ国が興せるよ? そういうレベルの働きだったんだ!」
なんかないの? そういうリビドーは!
「英雄的欲求は! 報酬的欲望は!」
んっはあッ! と声を荒げるイズマの手は直視不可能なくらい卑猥な動きだ。
ぐううう、とアシュレの胃のなかの蛙が、イズマのアジテーションに水を差した。
「とりあえず、おかわり、かな?」
「イリスちゃーん、なんか、ご主人おかわりですってー! 食べさせてやって、食べさせてやって、愛妻の手料理を食べさせてやって! アシュレもそんくらい遠慮なく食べるといいよ! そんでもってブタみたいに太るがイイッ!」
変な呪いのポーズでイズマが言い、くすくすと笑いながらイリスが皿を持ってきた。
深皿にてんこ盛りのスペアリブだ。風刺漫画みたいな盛りつけである。
だが、アシュレにはソレがよかった。
俄然食欲が湧き、挑むようにとりかかった。手づかみだ。
イリスはそんなアシュレの様子をまぶしそうに見つめている。
イズマはそこから一本だけ手元にとり、むしゃむしゃと齧りながら言った。
よく煮込まれたイノシシの肉は身離れがいい。
「まあ、お礼を言うならイリスにじゃねえかな? 自分だってへとへとの癖に、キミの看護で不眠不休だったんだから。
それにアシュレの下の世話も、全部彼女だよ?
大司教さまが感心してたもん。わたしでもあれほど献身的にはなれないだろうな、って」
アシュレは肉に齧りついたまま目礼した。
アシュレとしてはありえないほど無礼なリアクションだったが、腹が空きすぎており、肉がうますぎたのである。
「いいんです。それに、あの、わたしとしても必要だったというか……」
「そこでなんで赤面すんの?」
イズマのツッコミに、アシュレも同意した。
肉をくわえたまま。ご馳走にありついた子犬みたいな顔で。
ぽかり、ぽかり、と笑顔のままイリスが男ふたりの頭部を殴った。
けっこうな威力だった。
そのまま逃げるように厨房に去って行く。
「おんなって、わかんねー!」
イズマの叫びに、アシュレも同意した。
無言で無心に喰いながら。
「あー、そういや、これ、アスカ姫から」
イズマは胸の隠しから布にくるまれた指輪をアシュレに渡した。
あの皿の内容をすべて胃袋におさめ、残りのソースをパンですくいキレイに干してしまってから、アシュレはようやく満足したのだ。
いまはこの島特産だという濃い葡萄酒を飲みかわしている。
アシュレが差し出した掌に、ずしり、とそれは重かった。
「台座は純金。はまってる石は大粒のエメラルド。底に施されてる彫金はアラム・ラーの紋章だ。
製作年数と記名から、オズマドラ帝国の王家の品だね。王か嫡子にしか継承を許されない」
「それって?」
ワインを飲む手が一瞬で固まった。
「アラムの国家では女性には王位継承権がないのは知っているよね? それなのに王家の証を姫は持ってた。……変じゃない?」
オズマドラ帝国、現大帝:オズマヒムの嫡子はひとりだけ。
「第一皇子:アスカリヤ・イムラベートル」
「あ、アスカ……リヤ?」
アシュレは後ろ向きにひっくり返りそうになった。
「あ、やっぱ気づいてなかった?」
「あ、え、え、ええええええ~! イズマはッ、イズマは気づいてたのッ?」
「あ、いや、それは……未知情報っつーか」
赤面してそっぽを向くイズマを前にしても、アシュレの動転は収まらなかった。
ずしりと重い王家の指輪が、これは現実だと告げている。
「これって……」
「いつかアラム領で再会するための身の証の品だ、と言われましたが?」
どう考えたって、結婚の申し込みだよね。
捨て身の。
イズマが死んだ魚のような目でアシュレを見た。
「どどどどどどどど、どうしよう」
「さー。あと、その包み、ハンカチーフ、彼女のだから」
イズマは、やばそうな顔になってアシュレに耳打ちした。
これは男にしかわからない気づかいである。
ぶうー、アシュレはそのイズマの顔面に葡萄酒を吹きかけた。
わっぷわっぷわっぷ、とイズマが目を押さえてのたうったが、アシュレはそれどころではなかった。
あわてて例のハンカチで口もとを拭おうとしてしまい、さらに激しく動転する。
「そそそそそ、それは、いやこれは」
「あ、アシュレ、へ、平常心×2。いや、マジで落ち着けっ。気持ちはわかるけど、預かってたボクちんの身にもなれって」
当時の常識では、ハンカチーフは肌着――つまり下着と同じ分類に扱われるべきもので、それを異性から送られたということは肌を許されたも同義だと理解するのが常だった。
貴族、王族階級になればなるほどこの傾向は強まる。
ありていに言えば指輪を下着に包んで送られた、と説明されればアシュレの動転も合点がいく話だろう。
それを証明するように、ハンカチーフからはアスカの残り香――スミレの香りがした。
途端に、あの日見たアスカの裸身が脳裏一杯に広がってしまう。
「こ、こ、こ、これは、あらっ、あらっ、アラム圏ではっ、どうなのっ」
「ニワトリみたいな動きになってるよアシュレ。リラックス、リラッークス、よーしよしよし」
落ち着こうと葡萄酒のゴブレットに手をしたが、手が震えてうまくいかない。
「とりあえず、女性陣には内緒にしてあるんで!」
アシュレはイズマの計らいに感謝し、そそくさとそれを胸元にしまった。
これでは浮気の証拠を隠ぺいしようとする夫と悪友みたいな構図ではないかと動揺しながら。
「アシュレー、ドルチェはいかが?」
計ったようなタイミングで厨房からイリスが顔を出した。
セーフセーフ、とイズマがおかしなジェスチャーをしたが、それはいつものことでかえって自然と認識されたようだ。
なるほど、日ごろの行いは重要だとアシュレは学ぶ。
「か、カフアも、もらえるかな」
「もちろん。奮発しちゃうね」
厨房に引っ込んだイリスを見送り、アシュレは安堵の溜息をついた。
「それはそうと、イズマ、もうちょっと、フラーマの漂流寺院でのこと、聞いてもいいかな。みんなが助かったのはわかったけど、それから、どうやらボクがあの物語の因果を引き受けたのはわかったけど、あのときなにが起きて、なにが起ころうとしていたのか」
動揺を振り払うようにアシュレはイズマに正対した。
うん、とイズマも気持ちを切り替えたようだった。
真剣な顔になっる。
左右を見渡し、声を潜めた。
「結論から言うと、フラーマの漂流寺院――つまりフラーマに対して神話のカタチをとって練りつけられた呪いを回路として、蓄えられたエネルギーとしての《ねがい》を炸薬に、キミら英雄たちの発する《スピンドル》エネルギーを起爆剤にして、世界観そのものを破壊する陰謀が進行していたんだ」
「世界観そのものを破壊する?」
「《ブルームタイド》――虚構が現実を上回り、世界そのものに穴が空く。そして、その穴を《通路》に、奴らが現れる……」
「《通路》? 《ブルームタイド》?」
イズマは、できるかぎり、わかりやすく話してくれているつもりなのだろうが、矢継ぎ早に出てくる単語に、さすがのアシュレも戸惑うしかない。
ふと、カフアのいい香りがした。
いつの間にか、となりにイリスがいた。
「わたしも、もう一度、うかがいたいです」
いいですか、と菓子を載せたアラム式の器を置きながらイリスが言った。
がんばってみるよ、とイズマは頷いた。
菓子はこれもイリスの得意技で、アシュレにとってはユーニスを思い起こさせるほろ苦い味だった。
小麦粉にアーモンドの粉を混ぜ合わせ作った皮の内側にカスタードクリームを射込んだものだ。
白胡椒を混ぜられた粉砂糖が仕上げにふられている。
この仕上げと他家のリチェッタの半分程度の大きさに作るのがユーニスの工夫で、イリスのそれも当然のようにそれをなぞられていた。
手間が倍になるかわりに皮と餡の比率が最高になり、いくらでも食べられてしまう。
今日はその皮にチョコレートを使ったのだというものまで、混ぜられていた。
だから、白と黒のコントラストが美しい。
粉砂糖にチョコレート。これは大変な奮発――高級品だ。
ファルーシュ海沿岸地域において庶民たちが口にする甘味といえば、カッルーバという豆の鞘から作られる粉を使っていた時代のことだ。
おいしい、とアシュレは感想した。
イリスが頬を赤らめ、イズマがごちそうさまを言い、それから、真顔になった。
珍しく思案するような、逡巡するような態度。
どう話すべきか、その迷いからだろう彷徨っていた指先と視線が、アシュレとイリスのモノと重なり、止まった。
踏ん切りをつけたというべきか、あるいは諦めたというべきか。
イズマは語りはじめた。
「そうだなー、まず、前提に、ボクちんたちの言うところの現実、この世界のカタチ、というところから話そうか」
言いながら、イズマは例の菓子の載せられた器を眼前に移動させた。
その器は上下二枚の皿の間を、一本の柱が繋ぐ高床式的な――端的に言えばアルファベットのHを横倒しにしたカタチだった。
そこに盛られた菓子のなかから、イズマは手際よくチョコレートの混ぜられた皮のものだけを選り抜き、下側の皿に集めて配した。
「すごく大ざっぱに言えば、これがいまボクちんやアシュレ、イリスたちのいる世界のカタチなんだ」
ぱちくり、とアシュレ、イリスが瞬きした。
うん、まあ、そんなもんだろう、とイズマは頷き、続けた。
「ボクらが普段、視ている位相は、この下段の側。黒い皮のお菓子たちは、現実の事象を現している。
たとえば、これをアシュレ、イリス、ボクちん、としようか」
イズマはどこから取り出したのか、細いピンをそれぞれに突き立てた。
ご丁寧に末端に色違いの小さな布がついている。
アシュレが青、イリスが白、イズマが赤。
「でも、実際は、ボクらのいる現実の上に、もうひとつ、よく似た、しかし理想化され戯画化された《夢》みたいな世界が重なっている。
ふだん、意識はしないんだけど、それはボクちんたちに常に働きかけていて、また同時に、ボクちんたちも向こうに働き掛けている。それが、これ」
イズマは、支柱を指でなぞりながら上の側の皿へ行き着き、そこに載せられた白い側の菓子たちを指しながら言った。
理想化され、戯画化された世界、というところにイリスが反応した。
やはりそれは、イグナーシュでのあの暗い夜、その走狗となり、アシュレに理想を押し付けた経験からだろうか。
「それって“理想郷”みたいなところですか? 神さまたちのおわします、天の國みたいなところ?」
おそるおそる、という感じで問いかける彼女に、イズマは微笑みを返した。
「あはは、うまいこというね、イリス。たしかに、《夢》みたいだって意味ではそうかもしれない。そこではたしかに、あらゆるものが純粋で、理想化されていて、無駄がないように見える」
「精神的な場所、ということですか?」
「うん、ある意味ではそう言えるかもしれないね。物理的な制約を離れ、理想を追求された場所、という意味では」
仮にこれを〈ガーデン〉と呼ぼう。
アシュレの問いに答えて、イズマが言った。
「でも、この層=〈ガーデン〉は、理想郷でも精神世界でもない。何者かによって造営され、忘れ去られた、理想郷の似姿――《投影》なんだ。
見ることも、聴くことも、嗅ぐことも、触ることも、味わうこともできるけれど、ほんとうには、そこにない、まぼろし」
「見ることも、聴くことも、嗅ぐことも、触ることも、味わうこともできるけれど、ほんとうには、そこにない――まるで、オーバーロードたちの《投影》みたいに、ってことですか?」
「アシュレダウ……やはり、キミはすごい」
イズマは惜しみない称賛をアシュレに送る。
グランとフラーマ、ごく短期間に二柱のオーバーロードと相対したアシュレの指摘は、ズバリと確信を言い当てていた。
「もしかして、わたしの〈スペクタクルズ〉も、その〈ガーデン〉と繋がっていたりするんですか?」
「どうしてそう思う?」
「イズマ、さっき言ってました。向こうも影響を及ぼしているように、こちらも影響を与えているって。
この眼鏡――〈スペクタクルズ〉に収められている膨大な知識は、ふたつの層を繋ぐ柱のような場所を使って〈ガーデン〉に蓄えられているんじゃないかって。
天上の書庫のような場所にある知識、わたしはそれを参照しているんじゃないかって。
それに……理想化し、戯画化するには“元”が必要ですよね」
鋭い洞察眼をイリスが披露した。
すでにその人格は、アシュレの幼なじみ:ユーニスとの融合によって変容したとはいえ、かつてエクストラム法王庁が誇った才媛としてのアルマステラ、その資質はやはり受け継がれていたのだ。
「キミたちは……天才か」
そう言うイズマの声には、いつものあの軽薄な調子はなかった。
喉をよじり、肺のなかの空気を絞り出すような、切実な声で語った。
アシュレは、このイズマを知っている。
はじめては強行軍の鞍上・夢のなかで、そして二度目は、イグナーシュ王家の墓に向かう暗い抜け道のなかで。
真情を語るとき、イズマはいつも苦しそうだ。
それはいま、彼が語る世界観と、無関係ではない。アシュレは思う。
「あの日、あの漂流寺院で、アシュレ、キミが大きな代償を支払って世界を守ったあの日、その裏側で進行していたことは、簡単に言えば、こういうことだ」
イズマは、上の皿からひとつ、白い菓子をつまみ上げると、それを下側へ移した。
そして、それを載せるスペースを作るために、赤い布を取り付けられた=イズマを現す黒い皮の菓子を皿の外に追い落とした。
「どういう意味か、わかるかい?」
「〈ガーデン〉の……《投影》が……現実を……押しのけた」
まさに、とイズマが言った。それこそ、まさに、と。
「《ねがい》に呼ばれた〈ガーデン〉上の、理想化された《投影》が――たとえば、神話を回路にして――上から下へ、降ること。それがあの日、起きようとしていた現象。世界観が、壊れるって、つまり……」
自らの推測を述べながら、アシュレは全身が総毛立つのを感じていた。
「まさか、まさか、そんなことが――」
否定したかった。そんなバカなことがあるか、と。
「現実を《理想》に差し替えること……それが《ブルーム・タイド》だって、そう言うのか」
そして、当然の疑問に辿り着いた。
「だれが、なんのために? なんでそんなこと起こすんだ?! そんなの、だれも望んでいないッ!! だれの理想かわかりもしないものと、現実としての世界を取引き材料になんか、できるわけがない!」
なかば詰問の色を帯びた自分の言葉に、アシュレは気づけずにいた。
「陰謀ですか? 〈ガーデン〉に巣くう連中の思惑ですか? オーバーロードたちさえ、まるで代償の生贄のように扱って……そいつらは、そいつらは、なにがしたいんだ」
訊きたいことが、たくさんあり過ぎた。
なぜ、どうして、そんなものが、〈ガーデン〉なんてものがあるのか。
何者かによって造営された、とイズマは言った。
じゃあ、いったいいつ、なんのために、そんなものを作ったんだ。
どうして、そんなものが、野放しになっているんだ。
そのだれかに、食ってかかりたかった。
イズマは答えず、じっとアシュレを見つめ返した。
どうして答えてくれないのか。アシュレはいらだちを覚えた。
否定して欲しかったのだ。
自分のなかにある、恐ろしい推論を、イズマに。
アシュレは脅えていたのだ。
その推論の中心に居座るべき敵――“悪”――その不在に。
“理想郷”の《投影》として造営された世界:〈ガーデン〉が、何者の、どのような思惑の結実だとしても、いまこの現在、だれが、そこからの介入・侵入を望んでいるのかを――アシュレは知っている。
二柱のオーバーロードと対峙したアシュレはそれを、知っている。
必死に目を逸らし続けてきた――その結論に辿り着きたくなかった。
だから、論点をずらした。
無意識に。意識できずに。
「そのために、そのためだけに、あのヒトを、フラーマを――あんなふうにしたって、そういうのか!」
得体の知れぬ嫌悪と悪寒を、手近な怒りにすり替え、それをイズマにぶつけてしまっていることに、アシュレは気がつけずにいた。
イリスがおろおろとふたりを見比べる。
食堂にいた人々の視線が、集まった。
イズマは、アシュレからぶつけられた言葉に対して、なにひとつ答えず、話を打ち切った。
俯いて、小さく息をついて。
「アシュレ……ボクの話はここまでだ。これ以上は、いまのキミには話せない。もうすこし体力を回復させたほうがいい。短絡的になっては、ダメだ」
そのときになって、アシュレはようやく気がついたのだ。
イズマの額にびっしりと玉のような汗が浮かんでいたことに。
イズマが、なにかの《ちから》に耐えていたことに。
「さて、ボクちんはちょと、風に当たってくるよ。ここは……人目が多すぎる」
言いながら、ふらり、と立ち上がるイズマの手をアシュレは取った。
ひとつだけ、と聞かせてください、と。
なんだい、とイズマは気だるげに答えた。
思い返せば、それはイズマの精いっぱいの心遣い、優しさだったのだ。
「あの漂流寺院での夜、《ブルーム・タイド》起こして〈ガーデン〉から来ようとしたものども――それは以前、話してくれた『忘れぬ姿見』と関係がありますか? ボクたちがその前から立ち去ったあとでも、その姿を留め、演じ続けるそれ、と」
そのとき、イズマの顔に浮かんだ表情をアシュレは一生忘れない。
そうだ、とイズマは言った。
ボクのほんとうの敵だ、と言った。
「《御方》――それが奴らの名だ」
「《御方》」
オウム返しに呟くとき、アシュレの身体が、もういちど悪寒に震えた。




