■第四十九夜:地の底へ
足場が失われた瞬間、アシュレがとっさに力場を展開して短距離飛行に踏み切らなかったのにはわけがある。
第一に聖盾:ブランヴェルは、白兵戦を想定して足下ではなく、すでにアシュレの左手に構えられていたこと。
第二に穴の縁まで一斉に詰めかけた騎士たちが、こちらに向かって何挺もの石弩を構えているのが見えたこと。
なによりも第三に、光り輝く翼を展開させた裸身が、窮鳥のごとく飛び込んできたからだ。
「くっ」
自由落下による加速をその身に感じながら、アシュレは華奢な裸身を抱きかかえ、盾を掲げた。
盾表面に力場を展開するのと、汚泥の騎士たちが構えた石弩から太矢が放たれ、雨のように降り注ぐのは完全に同時だった。
力場展開が遅れたせいで弾き損ねた何本かが、急速に暗闇に呑まれていく視界のなかで、カラダを掠め過ぎる。
凶悪なカタチした弾頭を持つ太矢は、いわば形を持った敵意・殺意そのものだ。
生存にとって重要な器官はもとより大きな動脈の通る太ももなどに命中すれば、それだけで致命的な結果をもたらしかねない。
アシュレは身を捻り鏃から柔らかな少女の肉体を守りつつ、離してしまわないよう強く抱きしめた。
驚愕がそのときになってようやく口をつく。
それほどに事態の変転は急激だったのだ。
「キルシュ! なんてこと!」
「騎士、さま!」
いったいなにがどうなったのかわからないが、真騎士の少女のうちのひとりであるキルシュは自力であの祭壇の上から逃げおおせてきたらしい。
おそらくあの閃光は、だれかがキルシュを逃すために放った異能の類いだ。
そのチャンスを逃さず、キルシュは脱出に成功した。
もっと詳しい経緯を聞きたかったが、いまはそんなことをしている場合ではない。
「しっかり掴まって! なんとか下まで無事に降ろして見せる!」
「お手伝いします!」
言うが早いか、キルシュは光の翼を羽ばたかせた。
「キルシュ、減速は最低限だ──早く降下しきって横穴でもなんでもいいから、水平飛行に切り替えたい。これ、このままだと本気でまずいぞ」
一瞬、アシュレの言葉の意味を、キルシュは掴みかねたようだった。
だが、アシュレが聖盾:ブランヴェルを構えたままキルシュを両手で抱きかかえるにいたって、すべてを理解したらしい。
追撃がまだ来る、とアシュレは言っているのだ。
それも太矢の驟雨だけではない。
想像を絶するなにかによる攻撃が。
その言葉を証明するように、どこからか地鳴りのごとき唸りをふたりは聴いた。
数秒と間を置かず、それは降り注いできた。
恐ろしく粘度の高い粘液の塊。
直撃を受ければ骨が砕け、取り込まれれば窒息は確実なそれが頭上から縦穴いっぱいの面積で、地響きを立て落下してきたのだ。
「キルシュ、いまだッ! キミの頭の向いてる方向へ、全速で飛べッ!」
頭を抱きかかえられたまま、キルシュは全力で翼をはためかせた。
通常、白き翔翼の異能は、真騎士の乙女ひとりとその装備品分の重量に対してしか正しい効果を発揮しない。
いまそこに、アシュレの体重を含め八〇ギロス近い超過重量が加わっているのだ。
落下してきた分の運動エネルギーだけでも、凄まじいものがある。
みしりめきり、と小さな翼から軋みを上げた。
「くううううっ──羽根が、く、砕ける、砕けちゃうッ」
「ちょっとだけ辛抱してくれッ! いま楽にするッ!」
アシュレは身を捻って上下を入れ替えた。
自分の肉体を上に、キルシュを下に敷く。
自然、聖盾:ブランヴェルはそのさらに下面をしていることになる。
「上がれえぇぇぇッ!」
アシュレはありったけの《ちから》を注ぎ込み、力場を操作した。
それによって生まれた上方への力が、キルシュの負担を一気に軽減する。
ばさり、とそれまで負荷に押さえ込まれていた翼に揚力が宿った。
「いけえええええッ!」
「はい、騎士さまッ! キルシュ──いきますッ!」
アシュレの雄叫びに、キルシュが呼応する。
ぐんぐんと加速して暗い地下道を飛び行くことに成功したふたりの背後スレスレで大きな水柱が上がった。
抱きかかえられたまま後方を見ていたキルシュは、落下してきたゼリー状の物体のなかに、いくつも赤く光る瞳を見た気がした。




