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■第四十六夜:聖贄とはすなわち



「スパイス? 胡椒、キャラウェイシード、クローブ、ナツメグ、ローリエ、コリアンダーにシナモン。野菜か? セロリ、パセリ、ニンニク、タマネギにポロネギ……エシャロット? いやいやそのようなものではない。そんなモノでは断じてない! そんな小手先のごまかしでは、ない!!」

「そうだな……最後に燻製にしたのがよかったかな? それともやはりサマートリュフ?」

「貴様、オレを愚弄しているのかああああああッ!!」


 そんな、そんなものでこの、この味が生まれるハズがない!

 徐々に声を上ずらせ、叫びながらゴウルドベルドはふた切れ目のブータンノワールに手をつけた。

 こんどは先ほどまでのように粗野な食べ方ではなく、ナイフフォークを駆使して、慎重に切り分け、繊細な食べ方で吟味した。

 ひと欠片食べては唸り、顔を両手で包み込む。


「まずかったかい?」


 思わず聞いてしまったアシュレには、殺されてしまうのではないかという形相が返ってきた。

 豚鬼オークの王は明らかに冷静さを失いつつあった。

 副菜のリンゴのソテー、クレソン、マスタードを口に運ぶ。

 喚く。


「違う、違う、違うッ。どれも違う──関係ないッ!」


 ひとり断じて、ゴウルドベルドはブータンノワールに向き直った。


 食べる、目をつぶる。

 食べる、首を振る。

 食べる、天を見上げる。

 食べる、溜め息をつく。

 食べる……食べ終わる。


「お口にはあったかな?」

「小僧……なにをした。肉は紛れもないオレが用意した猪のものだ。だが、味が違う。言うなれば味の次元が違う。まるで注がれた血が、最高の酒に、あるいは黄金に置き換えられてしまったかのごとき衝撃。これはなんだ……なにが起きた」


 これはただのブータンノワールではない。

 断言するゴウルドベルドに、ははあ、とアシュレは頷いた。


「なるほど。蛇の巫女:マーヤに美味だと言われたからやってみたけど──実際に食すると、こうなるわけか」

「く、くわせろ、もっともっとだ。オレにこのブータンノワールをもうひと皿! いや、ふた皿。えええい面倒だ、あのテリーヌ型ごと持ってこい!」


 あまりの豹変度合いに呆気に取られたアシュレだったが、次の瞬間には凄みのある笑みを浮かべて、豚鬼オークの王を見下ろした。

 いや実際には相手のほうがあきらかに上背があるのだが、いまやゴウルドベルドは皿をなめ回す勢いで頭を垂れていたのだ。


「それは、つまり降参ということかい?」

「ちちち……血だ、血なのだ、血が違う。そこまでは突き止めた! これはオレの用意した猪のものではない。置き換えられている! それが美味い、美味過ぎるのだ! それがッ!!」

「それが──なにだかわからない?」

「ぐうううううう、貴様どうやって食料貯蔵庫の封を解いた。いや仮に封印を解いたとて、守護者たちはどうした? なにをしていたッ?!」

「さて、それを解説する義務はボクにはないはずだろ? 降参かい、ゴウルドベルド。豚鬼オークの王よ。降参したなら──残りの品はキミの好きにしたらいい」


 シオンやアスカ、アテルイにレーヴが見たらどう思っただろうか。

 このときのアシュレは、自分でもハッキリと分かるくらいに悪党の顔をしていたはずだ。


「貴様ッ、美味を人質に取るかッ! げ、外道めえええええ」

「それをキミに言われたかあ、ない」


 気のせいか口ぶりまでもが、イズマに似てくるアシュレだ。

 たぶん、アシュレにとって悪い大人の見本はイズマなのだ。


 ばきりぼぎり、ばりばりばりばり、と凄まじい歯ぎしりをゴウルドベルドはした。

 大釜がぐらぐらと煮立っているような唸り声を発する。

 しかし、どれほど地団駄を踏んでも、肝心の答えには辿り着けなかった。


「わかった…………ぐううう……こ、降参だ。だから、教えろ。く、くわせろ!」

「よし、それじゃあ降参を受け入れるための条件だ。まず第一にキミはここからボクたちを無事に帰らせることを約束しなくちゃあならない。第二に、食料と酒類を分けてもらいたい。それから……饗宴の穴フィースト・ピットの機材や設備をこれ以降、ときどき使わせて欲しい。もちろんそれに際して、通行の自由と安全を完全に保証すること」

「グググググッ」

「どうした、約束が守れないのかい? ホントはこれは命がけの戦いだったはずだ。ボクたち三人がそうする以上、キミのそれも当然、同じ賭金でなければゲームは成立しない。それをここまで譲歩するんだ。安いもんだろ?」


 それに、とアシュレは切り札をちらつかせた。


「冷める前に、アレ──奇跡のブータンノワールを食べたくはないのかい?」


 グオオオオオオオオオオオッ、という雄叫びが返事だった。

 ゴウルドベルドは玉座から飛び出し、アシュレを跳ね飛ばす勢いで階下へ駆けた。


「返事がまだだッ!」

 

 突進をヒラリと躱しながらアシュレは言葉を投げつけた。

 オオオオオオオッ、とゴウルドベルドが無念に啼く。


「わかったあああああああ、みとめるううううう、すべてみとめるううううううう! 約束だ、約束するううううう!!」


 そしてすべてを受け入れた豚鬼オークの王は、晴れて権利を手に入れ、ブータンノワールを両手で貪り尽くしてから振り返った。


 呆然とした顔。

 食べ終えてしまった虚無に。

 そして、食べ終えてなお、ここまで自分を追いつめたアシュレの料理の謎が解けないという、絶望の。


 ああ、とアシュレは言った。

 料理の秘密がまだだったね、と。


「うん、それ……ボクの血なんだ」


 つまり、キミはゴウルドベルド、ボクの血のソーセージに屈したってわけ。

 おかげでちょっとさすがに貧血気味なんだよね。

 呟いて玉座に座り込み、額に手をやる。


 両側から、魅了を解かれたはずの少女たちが抱きついてくる。

 小さな淑女たちの自由に、アシュレは任せた。




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― 新着の感想 ―
[良い点] ──なるほど、得心であった。
[良い点] なぁるぅ……! いやぁ、これは……おさすが! きっとただ人の口には合わぬ、至極の美味に違いありますまい。
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