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■第四十四夜:アーレ・キュイジーヌ!!


「腸詰めに使う猪の腸。それに……喉の肉……鼻。心臓も加えるか。シナモン、ナツメグ、ローリエ、セロリ……いや、あるだけ持ってきてくれ、スパイスはボクが自分で選びたい。あとそうだな……新鮮な猪の血と脂が欲しい。トリュフも」


 アシュレの矢継ぎ早な注文に、ゴウルドベルドはふん、と鼻を鳴らした。

 期待に満ちていた目の光が失われる。


「小僧、それではもうオレに貴様の料理がなんであるか、答えを告げてしまったようなものだぞ」

「いまキミはボクの助手だろう? 黙って必要なものを揃えてくれ。固めのリンゴを数種。シードルに使うような苦みと渋味、酸味のキツイものがいい。それから、マスタードの種の酢漬けはあるんだろうね?」

「もちろんあるとも、極上のものが。……好きにするが良い」


 小一時間ほども羊皮紙の束相手に悩んだあげく、アシュレは行動を開始した。

 実家でなんども食べた料理、実際にその製造過程を手伝ったことのある料理──。


 アシュレにできるのは、それしかなかった。


 どんなに奇抜なアイディアを出そうと、専門的な意味での調理に関しては素人同然の自分では逆立ちしたってゴウルドベルドに敵うはずがないのだ。


 だとしたら──アシュレは一点に賭けた。


 ゴウルドベルドは瞬く間にアシュレの望むものを揃えた。

 やはり厨房の地下には専門の食料貯蔵庫があるようだ。

 なんとかして戦隊の食糧事情を改善したいアシュレにとって、なんとしても確保したい施設・物資である。


 だが、それもこれも、いま眼前の難問をなんとかしなければ水泡に帰す。


 そんなふうにして沈考するアシュレのかたわらで、指示もしていないのにゴウルドベルドが脂肪と肉類を恐ろしい手際で刻み始めた。

 さらに野菜も微塵にしていく。


「なにをする?!」

「なにって、決まっているだろう。いまから貴様が作るとしたら、アレしかない。猪の生き血を所望する料理など……ほかにいくつもあると思っているのか?」

「…………」

「しかも、素人が腸詰めときたか。よしておけ。薪窯を温めておいてやるから、テリーヌ(ここでは厚手の陶器でできたパテ用の調理器具程度の意)で湯煎にするのが手堅いぞ」


 もしかしたらこの豚鬼オークの王は、世話好きな性格なのかもしれない。

 アシュレは思う。

 オーバーロードに世話を焼かれるなどと、ぞっとしない話だが。


「下ごしらえが済んだなら、出ていってくれないか。調理はボクがする」

「いいだろう……期待はできないが、料理は食べる切るまでが勝負だ。それまでは貴様の言う通りにしてやろう」


 あっという間に下ごしらえを終わらせて、道具を洗い拭うと、ゴウルドベルドは饗宴の穴フィースト・ピットへと帰っていった。


 ここはゴウルドベルドが個人で思索に耽り、試作品をこしらえる彼の個人的な厨房のようだった。


 饗宴の穴フィースト・ピットは実は長テーブルを囲む全周が調理場になっているという前代未聞の設計だ。

 つまりあの長テーブルで食事する客は、あらゆる角度から料理人を見ながらも、料理人からも背後から、あるいは側面から、ときには正面からさえ観察されながら食事をすることになる。


 料理の進行を見守りながら会食するスタイルはたとえば西方世界でも野外での饗宴などではときおりあるが、その逆となると、すくなくともアシュレは聞いたことさえない。


 とにかくあのような衆人環視のステージでは気が散ってアイディアがまとまらない。


 静かに考えたいというアシュレの要望を、ゴウルドベルドは叶えてくれた。

 ここに立ち入る人間は、貴様が初めてだ、と念押しして。


 たしかに頭上にはいったいどうやって使うのかわからない調理器具、鋭利で巨大な刃物、用途ごとに細かく分類された鍋などがずらりと並んでいた。


 厨房というより工房と言い換えたほうがよさそうな造りだ。


 荘厳壮大な饗宴の穴フィースト・ピットと比べるとこじんまりとしてはいても、その構造や備え付けられた薪窯の堅牢さ、重厚さを考えると、なるほどここにあの豚鬼オークの王の思想が結集されていることがアシュレにはよく分かった。


 凄まじいまでの料理へのこだわり。

 いや、それはもう執念と呼ぶべきものだ。


 こんな相手に勝てるのか。

 アシュレは出口のない自問自答の迷路に陥りそうになる考えを、実際に頭を振って追い払い、席を立った。


 しっかりと両手をオリーブオイルで作られた石けんで洗い、エプロンで武装を整える。

 

「すっかり下ごしらえは完璧か……リンゴにクリームまで……完全に読まれているな」


 ふー、っと息をつく。

 それから銅の鍋に猪の脂を放り込むと、ゆっくりと炒めはじめた。


『それでもやるしかない。そして、ボクの勝ち目はそこにしかない。彼が、ゴウルドベルドがすでにこの料理の正体を知っているということ……そこにしか』


 アシュレは胸中でひとりごち、決意にまなじりを固めた。

 鍋から脂のよい香りが立ち昇る。

 タマネギとセロリを投じて、やはりゆっくりと丁寧に炒める。


 猪の喉の肉、心臓、鼻の肉、いずれもみじん切り。


 クリーム。

 スパイス。

 塩、胡椒。


 一度、火から下ろして新鮮な血を注ぐ。

 再び遠火にかけゆっくり絶え間なくかき混ぜながら、血を温めていく。


 ここからが勝負だった。




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