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■第四十三夜:ドルチェは堕落の味


 凄絶な体験をアシュレたちはした。

 キルシュとエステルに至っては、泣きながら許しを懇願しながら料理を次々と口中に招き入れてしまった。


 おねがい、もう出さないで、お料理を止めて。

 ふたりは口々にそう言っては泣きながら許しを乞うのだ。


 だが、豚鬼オークの王が「では、ここまでで本当によいのだな?」と念押しすると、抗えずひと皿、もうひと皿と過ちを重ねてしまう。

 もはやふたりは料理を制覇しているのではなく、席上で魔味に組み敷かれているようなものだった。


 絶え間なく提供される歓喜に、少女たちは文字通りがり狂うしかできない。


 アシュレがかろうじて正気を保てたのは、やはり真騎士の乙女たちの加護のおかげとしか言えなかった。

 それも《意志のちから》を振り絞ってようやくだ。


 それほどにゴウルドベルドの料理が放つ魔性は激烈であった。


「さて、珠玉のコースメニューは、このケーキで一応のピリオドだ。さもないと……勝負をするまえに死んでしまうからな、あまりの喜びで、貴様らが」


 そう、オレは慈悲深い。

 そう言いながらゴウルドベルドは、照りのあるチョコレートケーキを一切れずつ差し出した。


「どうだ、小僧……このケーキの正体がわかるか?」

「……これ、ケーキじゃない。いやケーキ本体を為しているこのテリーヌのような艶めかしい層は……これは……フォアグラか。ガチョウの肝臓をドルチェにしたのか」

「すばらしい。が、正確にはそれだけではない。そのまえに背肝と呼ばれる部分と一緒に、同じく最上級の青首真鴨の脂のなかで、ゆっくりとごくごく低温でコンフィして血の香りを移している。ガチョウの餌に使ったのと同じヘーゼルナッツとアンズのペーストの層が、食べるほどに味覚を新たにするであろう?」

「倒錯的な背肝の血の臭いとともに、大地の香りが──口中にあふれる野趣。なめらかなチョコレートのコーティングの内側には匂い立つような野生が隠されている……洗練と野蛮が、口の中でせめぎ合っている」

「そう、これこそは密会の味。ヴェルヴェットのシーツの上で、恥じらう女の衣装を剥ぎ取り組み伏せる愉悦」

「なんて……背徳……」

「だが、否定できまい」

「美味……いやこれは魔性の味だ」


 悔しげに絞り出したアシュレの嘘偽りない評価に、豚鬼オークの王はまたも嗤い声を上げた。


「ふはははは、なんとも正直な男だ。これで貴様の味覚の方は、一級品と知れた。さて……では、ゆっくりと仕上げのカフアを飲むがいい。それもまた特別な豆を特別な発酵過程を経て作られたものよ。女のカラダで言えば、とても口に出せぬ部分の味、秘すべき場所のなかでもとびきりの恥部の味とでも言うべきか? いまではもう入手も難しい希少な品だ──よおく味わって飲むがいい」


 場合によっては、それが貴様が最後に味わう美味となるのだからな。

 尊大に言い放つゴウルドベルドをアシュレは気力で睨みつけた。


「ほう、良い目だ。まだ闘う《意志》を捨てていない目だ。だが──」


 言いながらゴウルドベルドは手を伸ばし、エステルをその手に捕らえた。


「この娘たちはすでに陥落している。見ろ、こうして捕らえられても、もはや抵抗すらできない。その《意志》さえ示せない」

「くっ、勝負はまだついていない! 始まってもいない! 約束が違うぞッ、ゴウルドベルド! エステルを放せッ!」

「オレはただ、丁寧に扱っているだけだ。その証拠に、見ろ」


 激昂したアシュレにゴウルドベルドは無害さを示すように、両手を広げて見せた。

 逃げようと思えば逃げられるはずなのに、広げられた掌の上でエステルはぐったりと身を横たえ、それどころか無骨な豚鬼オークの指に縋るような素振りさえ見せた。


「どうだ? そう、この小娘たちは思い知ったのだ。オレの才能の凄まじさを。そして自らを差し出してもよいと観念したのだ。フフフ、真騎士の乙女、その幼鳥か。これは初めての食材だ……」


 大事な宝石を扱うかのようにゴウルドベルドはエステルをその指で撫でさする。

 そのたびにエステルは小さく声を上げ、身を震わせる。


「まず、我が美味でもうすこし育ててやろう。身も心も美味に置き換えてからだ。しっかりとオレの味を覚え込ませ、その間にオレも素材を知り尽くす。恥辱を与えると真騎士の肉は美味くなる。表も裏も洗いざらい暴いて辱める。この下ごしらえが重要だ。それから汚物の一切を抜き、かわりにはらわたにはよい薫りのする詰め物をたっぷりとする……」


 陶然とした調子で目を細めながら忌むべき調理術を豚鬼オークの王は語った。

 だが、それなのにエステルはその仕儀を、まるで愛する男にしとね睦言むつごとを囁かれているかのごとくに甘受する。

 その様子を食い入るように見つめるキルシュも同様だった。


「エステルを放せッ!」


 アシュレは席を立って言い放った。

 もしゴウルドベルドが従わなかったそのときは、無謀であろうとなんであろうと斬ってかかる覚悟だった。


 しかし、それは無用の覚悟であった。

 すくなくともいまは。


 豚鬼オークの王は、素直にアシュレの言葉に従った。

 人間の騎士の怒りを恐れてのことではない。

 すでに真騎士の少女たちの身も心も、己が料理アートによってガッチリと掴んでいるという自信が彼を鷹揚にさせるのだ。


「よかろう、小僧。ではオレを驚かせてくれると、そういうわけだな? 未知なる美味を体験させてくれると、そういうのだな?」


 ことさらゆっくりとゴウルドベルドが問うた。

 アシュレは、頷く。

 頷くしかない。


「料理はいつ始めてくれる?」

「構想を……まとめたい。食材も確かめたい。まず厨房を見せてくれ」

「いいだろう。ついてこい、若き挑戦者よ」


 アシュレはオーバーロードの挑発に乗ってしまった。

 勝ち目は……あるのか?


 光明を見出そうと若き騎士は必死に知恵を絞る。

 技術でも経験でも勝る相手に、しかもそれが相手の得意分野で勝利するには……どうすればいいか。


 己と己に注がれたあらゆるものを使う。

 それもだれも想像できないやりかたで。


 それしかない、と決意を固めた。

 



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― 新着の感想 ―
[良い点] ……こんなに勝ち目の見えねえ相手はこの小説の中で初めて見たな。
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