■第三十七夜:蜘蛛おじさん抜け殻になる(あるいは、トイレをさがそう)
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「イズマ、イズマ! ちょっと、大丈夫なの?! イケる? イケる?」
アシュレは抜け殻のようになってしまったイズマを後ろから押すようにして、パレス内部の探索を開始した。
イズマは幽鬼のような足取りでフラフラと歩いていく。
真騎士の妹たちに「クモおじさん、かっこわるーい。子供みたーい」と笑われたのが相当に堪えたらしい。
それはまあ衆人環視の状況で、あんな抗議の仕方をしたのだから自業自得だとは思うけれど、ミッション開始直後にいきなり廃人のようになるのは勘弁して欲しい、とアシュレは思う。
「騎士さま。そんな抜け殻みたいなクモおじさんは、そのへんのソファにでも寝かせておいて、わたしと探検いたしましょ。そのほうがはかどると思うの」
「ですわ。やる気のない方のお相手をしていては、見つけるべきものも見つけられません。脱落者は捨て置く。厳しいようですけれど、英雄の道行きではときとしてそういう判断に迫られることもある。仕方のないことですわ」
もっともらしい主張を少女たちがする。
いやアシュレだって、それはあまりに残酷すぎるし独善的な見方だとは、わかっているのだ。
ただ、実際に無気力状態のイズマを押しながら歩いていると、そんな気分にもなってしまう。
それくらいいまのイズマは使えない。
そして、そんなアシュレの苦悩をよそに、少女たちの残酷な評定は女性同士の鍔競り合いへと変化しながら加速していくのである。
「あらエステル、貴女、クモおじさんの介抱をして差し上げなさいな。お仕事はわたしと騎士さまでするから。ほんとは四人も要らなかったのだから、このミッションには。わたしたちだけで充分よ」
「介抱なんて必要ないでしょう? クモおじさんは心が子供みたいですけど、実際にはもういいお歳の大人なのですから、おひとりさまでも大丈夫なハズ。あら、見てください。このようなちょうどよいところに長椅子が! そうだわ、ここに置いて行きましょう。それに騎士さまとふたりきりだなんて──。抜け駆けは淑女として、はしたないことですわよキルシュ?」
またもアシュレは頭痛を感じていた。
たしかにこの状態のイズマは使い物には、ならないかもしれない。
いやならないだろう。
口から精神体が抜け出ているのがアシュレにすら見える気がする。
かといって、パレスの外にイズマを放置してくるのだけは、できない相談だった。
道義的な問題もあったが……真騎士の妹たちとアシュレだけでパレスを探索するのは各自の得意分野から言っても偏りがひど過ぎて危険だし、なんというかそれ以上に倫理的な問題がある気がしたのだ。
アテルイとレーヴのなんとも言えない無言の視線を感じながらも、このミッションに文字通り縄をつけてイズマを参加させたのには、そういう理由があった。
「イズマ、頼むよ。早く厠や下水道施設の探索を終えてしまいたいんだ。シオンやスノウを探しにいかなくちゃいけないし、食料庫や厨房も探したい。やらなくちゃいけないことが目白押しなんだ。イズマの蟲を頼りにしているんだよ。がんばってくれ。頼むよ」
アシュレは必死にイズマの必要性・重要性を訴えてみた。
長椅子にイズマを預け、揺さぶってみる。
カクカク、と木彫りの操り人形のようにイズマは揺れた。
手を離すと──ぱたり、と倒れる。
はあー、とアシュレは溜め息をついた。
「まいったなあ」
「だから言ったのに。先にいきましょ騎士さま。わたしたちだけで探検です。やるべきことはたくさんあるんですから。早くしないと日が暮れてしまうもの。その前にちゃんと使命を果たさなくては」
「キルシュ、ちょっと騎士さまに馴れ馴れしすぎるのでは? 騎士さまはこの戦隊のリーダーであり指揮官なのですから。さ、騎士さま、どうかこのエステルにご命令を。ともに探索に旅立とうとお命じになられてください。もちろん、それ以外の命であっても……貴方からのものであれば、エステルは従います」
「ななな、なん、だとう。大胆な……。わ、わたしだって従いますから! はい、なんでも、よろこんで!」
あはあは、と虚ろに笑いながらアシュレは立ち上がった。
だめだ、イズマはしばらく使い物になりそうにない。
探索はボクらだけでやるしかない。
しかし────だ。
繰り返しになるがこの時代、男女が密室でふたりきりで時間を過ごしただけで、それは肉体関係を持ったと考えられるのが普通であった。
アシュレなどシオンやアスカやアテルイとでさえ、密室でふたりきりになるのはいまだに緊張を感じるのに、なんだこの状況は?
まだ成人に達してはいないとはいえ、すでに年頃を迎えつつある美しい少女たちと三人で薄暗がりの巨大な宮殿の廃虚を探索するなどと……いかにも言い訳が苦しい。
人気が絶えて無い以上、ここは巨大な密室であるとも言える。
しかも、このパレスはかつて竜の王を名乗った赤竜:スマウガルドが美姫を囲った、いわば逢瀬のための宮殿・秘密の園なのだ。
並び立つ柱廊の陰、窓を塞ぐ分厚いカーテンの陰は、人類圏の宮廷にあっては陰謀や術策だけでなく男女の秘めごとの現場でもある。
各所に配されたままの長椅子の類いも、こうなると意味深な属性を帯びてくる。
意識するなと言われても、それはかなり難しい注文だ。
そんなアシュレの心中を察しているのかいないのか。
ふたりのお転婆娘は手に手を取って艶めいた笑みを浮かべ、奥へ奥へとアシュレを導く。
キルシュはその手にシェード付きのランプを。
エステルは几帳面に区画区画のキリの良い場所で見取り図を書き込みながら。
片手はことあるごとにアシュレの腕を掴んでくる。
冷たい汗が頬を伝うのをアシュレは感じた。
ともあれ、三人はパレスの探索を開始する。
求めるのは設備の調えられた厨房に備蓄されていた食料、そして清潔なトイレの確保である。
 




