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■第三十五夜:妖精の置き手紙


「えっ、行方不明ッ?!」


 アシュレは飲んでいたお茶を吹いてしまった。

 木々の若芽や薬草などを乾燥させて作ったというアテルイのお手製だ。

 清々しい香りと健康に良さそうな味がする。

 味付けは少量のバターと塩。

 砂糖は代用品を含めて、もう蓄えがないのだ。


「姿が見えないと思ったら……いつからだい、その、スノウがいなくなったというのは?」


 あまりのことに呆然としながら、アシュレは訊いた。

 確保できた上水を使って煮戻した干し肉と豆のシチューを食べ、今日の疲れを癒しているところに、アテルイがやって来たのだ。 


「三日も前のことではない……とは思う。正確なところはわからないと言うしかないが……つい先日までわたしも倒れていたのでな」


 努めて副官口調を堅持してアテルイは言った。

 もうずっと新妻口調でもいい気がしてきたが、たしかに丁寧語や謙譲語が混ざると大事な話は要点が把握しづらくなる。

 こういうことはなるべく誤解なく、直截ちょくせつに話すほうがよい。


「なにも言わずにいなくなっちゃたのかい?」

「いや、置き手紙があった。土蜘蛛の姉妹が保管していてくれた」


 これだ、とアテルイが差し出したのは、どう見ても木の皮だった。

 高原地帯でよく見かける岳樺ダケカンバのもの。

 樹皮が紙のように薄く剥ぐことができるので、別名:エルフの手紙とも言われる。

 そこに炭を用いて書いたのだろう。

 がくがくと震える筆跡で、そこにはこう記されていた。


『自分自身を鎮めたいので、しばらくひとりになります。探さないでください。特に、マスター……アシュレはダメ』


 マスターのところには上から大きくバツがつけられ、書き損じであることを示している。


「あきらかな動揺が文字にも文章にも出てるな。しかも岳樺ダケカンバの皮で置き手紙って……妖精エルフにでも化かされてるみたいだ」


 アシュレの評価にアテルイがちいさく苦笑した。

 たしかに、と頷く。

 それで? アシュレは先を促した。


「これを見たシオン殿下が──スノウを探しに。見つけたらそれとなく見守るから心配するな、と言い残して、同じく姿を消した」

「シオンが……ついていっちゃったの? それを黙って行かせちゃったのか……」

「そのときはほかに裂ける人員もなかったし、そのなんだ……兵站とか家事炊事には殿下はあまり」


 役に立たない、とはアテルイは言わなかったが、通じた。

 たしかに、とアシュレは同意を示した。


 かまどの火の番など任せたら爆発くらいはさせるだろうし、洗濯など頼もうものなら、すべての衣類の通気性が瞬く間に格段に向上すること請け合いだ。


「だけど、シオンがついていてくれるなら、身の安全については問題ない。彼女ほどの遣い手は、もう世界中を探しても見つけるのは難しいくらいだからね」


 背中合わせで戦ってきたシオンの腕前は、アシュレが一番よく知っていた。


「それにスノウは食事も洗濯も、家事はなんでもできる子だった。トラントリムの森での生存術も心得ていたし。案外、今ごろはシオンのほうがお世話になっているかもしれないよ」

「うん、そう思って連絡を取るのは控えていたんだ」

「じゃあ、問題は……ないんじゃないの? しばらくしたら迎えに行かなければならないにしても」

「ところが、だ」

「ところが?!」


 思わぬ話のなりゆきに、アシュレは身を乗り出した。

 うん、とアテルイが頷いた。


「昨日、アシュレは目覚めた。いくらなんでもこの朗報を、ふたりに知らせぬ訳にはいかない。そこでわたしは念話の異能を用いてシオン殿下と連絡を取り合おうとした。それなのに」

「それなのに?!」

「連絡がつかない。居るのはわかるのだが……具体的な座標も掴めないし。なんというか、対象が漠然となってしまっていて。まるで目隠しをされてその気配を頼りに相手を探すような状態なのだ」

「暗中模索、ってこと?」

「まさに」


 ちょっと、ちょっとまってくれとアシュレは唸った。

 念話という超常能力の仕組みは素人でしかないアシュレにはよく分からないが、アテルイほどの霊媒が相手の居場所を特定できないというのはどういうことだ?

 アテルイと言う能力者は、上水施設の最深部にいてもあれほど鮮明に意思を疎通することができるほどの腕前なのだ。


「じゃあ、スノウのほうは?」

「同じく。いや、こちらは明確に拒絶された」

「拒絶?! 接触を断って来たってこと?! それはいったい、ど、どういうことなんだ?!」


 もうわけがわからない。

 アシュレは混乱してしきりに頭を掻いた。


「それで、今日になってこの子が……」

 

 アテルイが胸元を開いて見せた。

 するとそのちょうど谷間に挟まるカタチで眠る生き物が姿を現した。


「ヒラリ! ヒラリじゃないか?!」


 アシュレは壊れ物を扱うように、優しくシオンの使い魔を掴んだ。

 掌で包むと、ゆっくりだが確実な心臓の鼓動が聞こえてきた。

 耳を近づけると、くうくう、という静かな寝息が聞こえる。


「生きてる!」

「うん、間違いなく生きてはいる。ただ、飛んできた当初は冷たくなって、飛ぶというより墜落してくる感じだった」

「墜落……」


 イヤな予感がした。

 シオンと使い魔であるヒラリは強い関係性で結ばれている。

 互いの感覚を共有してやり取りすらできる一種の霊感さえ備えている。


 そのヒラリが調子を崩しているということは?

 悪寒にも似た震えが背筋を走り抜けるのをアシュレは感じた。


「イズマは……なんて言ってる?」

「よくない傾向だ、と。すでにあちこちに蟲を放って捜索を始めてくれているが……どうもこちらも本調子ではないようで休み休みという感じだ。当然、まだ手がかりは掴めていない」


 本調子ではない、という件でアシュレはエレの語りを思い出した。

 イズマの内側は、もうすでに空虚に食い荒らされつつあるという話だ。

 がらんどう、と彼女はそれを評していた。


「すぐにも探しに行かなくちゃ」

「すぐは無理だ。もう陽はとっくに暮れてしまった。それに貴方は探策行から帰還したばかり。病み上がりの昨日の今日だ。土地勘のない場所での無策で無闇な行動は、遭難に繋がる。探しに行った人間が行方知れずになったのでは、洒落にもならない」

「肉体なら回復している。アスカやレーヴのおかげだ」

「貴方ひとりだけでなにができる。いくさの話ならまだわかるが、これはそうじゃない。探索であり捜索だ。戦隊を動かすには準備が必要だし、みんなは貴方の基準では動けないんだぞ。休息と補給がいるんだ」

「じゃあどうしろって言うんだ」

「落ち着くんだ、アシュレ。貴方はいまこの戦隊を預かるリーダーなんだ。それもその人徳で戦隊を繋ぎ止めている要だ。貴方が動転して無策に行動を始めたら戦隊は崩壊する。落ち着いてくれ」


 静かに、ゆっくりと、だが厳しくアテルイが言った。

 アシュレはハッと息を呑んだ。

 たしかに、アテルイの言う通りだった。


 大きく深呼吸する。


「ごめん、きみの言う通りだった。アテルイ」

「わかってくれると信じていた」


 アテルイの目に宿った光の真剣さに、アシュレも頷いた。


「明日、日の出とともに捜索を開始しよう。ただ……」

「ただ我が戦隊の困窮は解決されていない、ときみは言うんだね。上水は確保できたけれど、まだ食料と……あと?」

「排泄物の問題が。食料や水ほどではないが、衛生面のことを考えるとなるべく早く手を打ったほうがいいな。少人数ならともかく、二十人を越える人員のそれはなかなか由々しき問題だ」

「今日探索したパレスの内部に、それらしいところがいくつもあった。トイレの問題はわりとすんなり、なんとかできると思う」

「よし、ではそれらの諸問題も同時並行で解決していこう」


 なるほど、とアシュレは感心した。

 シオンとスノウの捜索と食料の確保、そして下水施設の確認などといった課題を同時に解決するのは無理なことではない。


 まずをもってスノウたちにだって食料や飲料水が必要なのだ。

 補給や休息、それに排泄のことも考えながら行動しているに違いない。


 だとしたら──戦隊とシオン、スノウの思惑で重なる部分が必ず出てくる。

 それは森の生物たちが獣道を共有するのと似たような話だ。


 つまり、ふたりを探しながらこの空中庭園を探索、未知のエリアを踏破して地図の空白部分を埋めていけばいいわけだ。


「そうと決まれば──探索班を編成すればいいんだな」

「よし、やろう。部隊編成にはわたしにも考えがある」


 こうしてアシュレとアテルイは、探索行の人員を決めていった。



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