■第三十四夜:その素材、アレにつき
「えっ。お、おきゃん……ゴホンげふん、そ、そんなものから出来てたのかッ、あの霊薬はッ?! うわっ、わたしは無理だ──もう飲めないッ!」
エルマが持ち帰ったマンティコラの素材──スタミナの霊薬の原材料は、どうやらよほどとんでもないものだったらしい。
二メテルほども飛び退いたアテルイが顔を両手で覆って、激しくかぶりを振った。
見ていたアシュレでさえ、思わず訊いてしまう。
「えええっ。ちょっとまって。ちょっとまってよどういうこと?! どういうことなの、そこッ?!」
ボンッ、と火がついたように赤面して身を捩るアテルイと、含み笑いしつつも頬を染めるエルマ。
そんなふたりの仕草を見るにつけ、持久力増幅の霊薬の原材料を想像したアシュレは、突発的な恐怖に襲われた。
なぜって、それは過去に幾度か口にし、お世話になった薬剤だったからだ。
「そんなに驚かれるようなものでしたか? ちょっと配合を変えますと、もっと広範なニーズにもお応えできる、というあたりでお察しくださいませ? 夜のお薬、みたいな?」
控えめに笑いながらもシレッときわどい冗談を混ぜてくるあたり、やはりエルマはエレの妹にして土蜘蛛の姫巫女なのだと、改めてアシュレは思った。
ここまで言われたら、よほどの鈍さでない限り、あえて明言などされずとも素材がなになのかは見当がつくというものだ。
もちろん現物の目視確認などする必要もない。
「ええい、もうそれはいい。というか二度とその話をするな。現物も近づけるな!」
そんなことよりも、とアテルイが本題に切り込んだ。
霊薬の材料の特殊性についてなどよりも、もっと優先すべきことが戦隊にはいくらでもあった。
まったくです、とアシュレも思う。
「それでだ。殿下、レーヴ、エレ。この三名は毒に冒されたと聞いた。無事なのか? そのために貴様が出向いたのだろう、エルマ。解毒は──済んでいるのか?」
先ほどの動揺を追い出すように額に手を当て、アテルイが訊いた。
対する土蜘蛛の姫巫女は、淡々としたものだ。
「ええ、はい。そちらのほうは緊急の処置が必要なものでもないし、致命的なのものではないと判明しましたので、応急処置に留めました」
そっけない返答に、アテルイが目を剥いた。
「応急処置って……毒だぞッ?! ホントに大丈夫なのか、それは」
「キチンと検診してのこと。当然ですわ。大丈夫だからこそ、応急処置に留めたのですもの。ただ……」
「ただ……なんだ?」
口ごもった土蜘蛛の姫巫女に、訝しむような視線を投げるアテルイ。
どうもこの女は信用ならない、という表情だ。
いっぽうそのころ、アシュレに抱きかかえられるようにして立っていたアスカとレーヴは、赤面して恨めしげにあるいは恥じ入った様子で、いけしゃあしゃあと報告するエルマを睨んでいた。
エルマの言う応急処置とはつまり、症状を確認した後、放置したという意味なのだ。
『だってえ、あまりにもったいなくって、解毒剤が。まだ原材料が調達できないから、あと数本しかストックがないんですのよ? 戦隊の……たとえば真騎士の妹君たちが、なんらしかのもっと困ったタイプの毒を受けたとき、あなたたちはどうするんですの?』
それに、とエルマは言ったのだ。
おばかさんたち、という口調で。
『それに、ちょっと冷静に考えてもみて御覧なさいまし。アシュレさまのことしか考えられなくなるっていうのは──それはあなた方おふたりにとって、なにか不利益な状態異常なんですの?』
それがあのとき、土蜘蛛の姫巫女が下した診断と判断のすべてだった。
「エルマ、貴様ッ!」
当然のように真騎士の乙女:レーヴは食ってかかった。
だが、掴みかかろうとしたその手は毒に冒され、弱々しく、まったく勢いがなかった。
足腰に力が入らず、うまく立つことさえ難しいのだ。
慌ててアシュレが抱きかかえなければ、そのまま倒れてしまっていたかもしれない。
いや……抱きかかえたら抱えたで、大変なことになったのだが。
「バカな……こんな状態で放置されたら……気が狂ってしまうぞ。エルマ、なにを考えている?」
レーヴほどの激昂具合ではなかったが、充分に切羽詰まった口調で詰め寄ったのはアスカだ。
その膝もがくがくと震えている。
しかしこちらに対しても、けろりとした様子でエルマは受け流した。
「大丈夫ですの。この毒は──想い人が近くにいてくれなければ──どんどんと症状が悪化するだけなんですから。その点、おふたりにはなんの障害もないではないですか。相思相愛なのでしょう? アシュレさまとは、すでに? いくらでも解決なされたらよろしいんですの。胸とか心とか、そのほかの切ない苦しみを」
「ち、ちがっ、ちがうぞわたしはッ?!」
アシュレの腕のなかで倒れていたレーヴがふたたび跳ね起き、噛みつくようにしてエルマに反論した。
しかし、その両の手はアシュレの服の胸の部分をしっかりと掴んで離さない。
語るに落ちたとはこのことだ。
「ともかく、そんな程度の症状で切り札である解毒剤は使えません。これは薬剤を管理するわたしの判断ですの。専門家の意見というやつですわ」
あきらかに大丈夫ではなさそうなふたりを前に、エルマは断言した。
「貴様アアアッ!」
悔しげにレーヴが歯ぎしりするが、その瞳は蕩けそうなほどに潤んでしまっている。
「ご安心くださいまし。解毒剤の材料を確保したら、イの一番に提供いたしますから。それまでの辛抱ですの」
あと、当然ですが、とエルマは付け加えた。
「エレ姉さまにも今回は投薬いたしません。ここまで戦隊の状態を悪化させた責任もありますし、より重度の症状で苦しんでいる──苦しんでいるのかお楽しみなのかはよく分かりませんが──とにかくより重篤な状態のお二方を差し置いて同族を優先させるようなマネはいたしませんので」
こちらの処断については、アスカもレーヴも異論を挟まなかった。
唸ったのは当のエレだけだ。
「手厳しいな、エルマ」
「厳しくなるのも当然ですの。ほんっとにお姉さまはどうしようもない方ですの。エルマに黙って抜け駆けされようとするからですのよ。しばらく叶わぬ想いに身悶えなさいまし。これはエルマからの罰、躾けですの」
「妹から躾けされてしまう姉か。返す言葉がない。たしかに判断を誤ったよ」
「でも……ちょっと羨ましいんですのよ、エルマ。アシュレさまのことを考えるとおかしくなってしまうって、それってステキなことじゃないですこと?」
人さし指を唇に当て、姉のエレと話すエルマの口元には艶めいた笑みが浮かんでいる。
その瞳もどこか上気したように潤んでいる。
アシュレは努めてエルマの発言を聞かないようにした。
まともなようでいて、この姫巫女:エルマは倫理観が土蜘蛛のそれに照らしても破綻しているのだ。
うっかり突っ込んだらやぶ蛇なのは間違いなかった。
「さて、まあ姉さまへのさらなる具体的なお仕置きは、こちらでいたしますが……それはそれとして。さあ、アシュレさま、さっさとその憐れな姫君たちをお救い申し上げてくださいませ? グズグズしてるとあの眼鏡のコワーイ奥さんが、幽体離脱してスッ飛んで参りますわよ?」
アシュレの微妙な男心など斟酌した様子もなく、エルマが言いにくいことをズバッと言い切った。
「えーっと……お救い申し上げる、というのは?」
煮え切らないアシュレの態度に、エルマは腰に両手を当てたポーズになり告げた。
「さっさとその女どもをテントに引きずり込めと申し上げておりますのよ、このアンポンタン。それともここでが、よろしいかしら? なんならつぶさに物語に仕立て上げ、秘本めいた巻物として永久保存版にでもして差し上げましょうかしら?」
わたくし絵心と物語に関しては、かなりの上手と自負しておりますのよ?
エルマは軽蔑するように薄ら笑いを浮かべて、宣言した。
そのあとのことをアシュレは憶えていない。
いや憶えてはいるのだが……非常な努力もって思い出さぬようにしている。
ふたり分の戦乙女の契約をその身に受け心身ともに研ぎ澄まされたアシュレだ。
アスカとレーヴが、あのあとどんなふうになってしまったのかは……たぶん思い出さないほうがお互いのためだった。




