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燦然のソウルスピナ  作者: 奥沢 一歩(ユニット:蕗字 歩の小説担当)
第七話:Episode 1・「泉水の姫君」
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■第二十九夜:姫の愛称



「キミを解放するという選択肢は──たしかに気は違っているかもしれない。でも、この空中庭園の主だという赤竜:スマウガルドを殺して、その首を持ってくるには時間がなさ過ぎる。第一ヤツがどこにいるのかさえ、いまはもうわからないんだ。だとすれば、その条件は事実上実行不可能。そして、まずそもそもボクにはきみを殺す理由がない。いや、違うな。殺したくないんだ正しく言うと」


 だとしたら、とアシュレは苦しげに結論を告げた。

 追いつめられた末の選択だったのだ。

 そんなアシュレに、蛇の姫はあの侮蔑を含んだ笑みを向けてきた。


「愚か者というのは貴公のことだぞ、若き騎士よ。自由を得た姫が、貴公ら全員をくびり殺すかもしれぬとは考えもしないか?」

「そのときはボクが責任を取る」

「ほう? 責任? どのように、だ?」

「きみを殺す」


 騎士の間髪入れぬ即答に、蛇の巫女は息を呑んだ。


 強大な《ちから》を持つ蛇の一族相手にそう言い切るには、相当な胆力と、実戦経験に裏打ちされた強烈な自負が必要なはずだった。


 いままであれば蛇の巫女はこれを笑い飛ばしただろう。

 だが騎士はすでに死の呪いの直撃を受け、これを退けている。

 眼前の蛇の巫女の《ちから》がいかに強大かも、体験してすでに理解しているはずだ。


 だとすれば。


 これは口先だけの覚悟ではない。

 そう蛇の巫女は感じ取っていた。


 そんな彼女に、それでも、とアシュレは続けた。


「それでも──非道な刑具に囚われ、ひどい屈辱に塗れたままのきみを殺すことはできない」


 だから、


「きみを自由にするしか、ボクには選択肢がない」


 アシュレの説明を聞いていた蛇の巫女の呼吸が、目に見えて速くなるのをアシュレは見た。

 薄い胸乳が浅く小刻みに上下を繰り返す。

 予想外の返答に、激しく動揺しているのだ。


「く、口先三寸の戯れ言ならよすがよいぞ。この姫は軽薄な空約束こそを最も嫌うのだからな!」

「戯れ言なんかじゃない。だから、どうか教えて欲しい。きみを自由にするにはどうしたらいいんだ?」


 葛藤の末に選び取った選択を戯れ言と一蹴した蛇の巫女に、アシュレは取り縋った。

 ひゃっ、と肩を掴まれた蛇の巫女が小さく悲鳴を上げた。


「さ、さわるな。姫の玉体にき、気安く触れるでない、男ッ!」

「ご、ごめん、でもたのむ、本当に大事なことなんだッ!」


 蛇の巫女の叫びをアシュレは無視した。

 彼女が切迫しているように、自分たちの戦隊の命運もまた、逼迫ひっぱくしていたのだ。


 飲料水や食料の確保、排泄の問題や寝所の整備──歴史が示すように兵站を断たれた軍団の末路は、いつもひどく陰惨だ。

 それらを打開する立場であるアシュレにとって、もはや時間的猶予はなかったのである。


 真摯なアシュレの気勢に呑まれ、蛇の巫女は明らかに揺らいでいた。


「貴公、ま、まさか本気なのか?」

「しかたがない。ほかにどうしようもない」


 アシュレの本気が伝わったのか。

 蛇の巫女はますます呼吸を荒くし、あきらかに狼狽して答えた。


「貴公……阿呆であろう」

「ごめん、それよく言われるンだ。きみがさっき言った、うつけというのは正解なんだよ」


 アシュレの混ぜっ返しに返ってきたか細い声は、涙に震えていた。


「……マイヤティティス・ジャルジャジュール」

「マイヤティ? ジャル……ジャル?」

「マイヤティティス・ジャルジャジュール。姫の……名じゃ、阿呆のきみ。特に貴公だけはマーヤと愛称を許す。軽々しく他者に教えるでないぞ」

「マーヤ……」


 可憐な名前だ、とアシュレは思った。

 と、その想いが伝わったのか。

 マーヤ、と名を呼ばれた蛇の巫女は顔を赤らめてそっぽを向いてしまった。

 まさかね、とアシュレは小さく笑う。


「それで、マーヤ。きみを自由にする方法だけど……。この拘束具というか恥ずべき刑具は、まさか《フォーカス》なのか」

「貴公が察した通り。いま姫を捕らえ辱めるこれこそは、赤竜:スマウガルドの悪趣味な収蔵物のひとつよ」


 アシュレは、マーヤを束縛し屈辱を与え続けている刑具を改めて観察した。

 黒曜石で出来ているようにぬめるその表面にはおぞましい彫刻が無数に施されている。

 悪意ある下卑た表情を浮かべる仮面と触手めいたレリーフがいくつも連なり、これがいかなる種類の装置であるのかを如実に示していた。


 どこかで似たようなものを見たことがある、とアシュレは思う。


「これが《フォーカス》であるならば──再個人適合化リ・パーソナライズ)すれば、操作できるはず。そうだね?」

「阿呆の君。もし本当にそれに挑戦するのであれば……赤竜:スマウガルドの護りを甘く見ぬことだ」

「《フォーカスの試練》のことを、きみは言っているんだね、マーヤ」


 確認するアシュレに、マーヤは深く頷いた。

 その瞬間、だった。

 あああっ、とマーヤが呻いた。


「マーヤ?!」

「く、う。まさか。いま我らが交した算段を、この破廉恥な刑具は察知したのだ。貴公が姫に触れたから、それで己の獲物である姫を手放すまいと……ひいっ」


 突如として加えられた恥辱に、マーヤが泣いた。

 耐えられないという様子で、首を左右に振る。


「こ、殺せ、殺してくれ、阿呆の君。後生だ。こんな恥辱、こんな屈辱……痴態をもうこれ以上だれかに晒したくないのだ。たのむたのむたのむ」

「ダメだ。きみは助ける! ボクがさせない!」


 事態は緊急を要した。

 アシュレは意を決してマーヤを捕らえて放さぬ破廉恥な刑具に挑んだ。


「コイツ……そうか、ジャグリ・ジャグラの亜種かッ?!」


 手を触れようとした途端、刑具に彫刻されていた触手群がアシュレに、そしてマーヤにも襲いかかった。


 自らの獲物を横取りせんとする簒奪者=アシュレに対してはこれを害して《意志》を挫き、企みを阻もうと。

 美しく憐れで、だからこそ嬲りがいのある宝物ほうもつ=マーヤに対してはさらなる屈辱を与え、逃れることなど考えることさえできぬようにしてやろうと。


 蛇の巫女の口から漏れる悲鳴が、オクターブ高くなる。


 深海に潜むクラーケンのごとく迫る牙の生えた触手の群れを、アシュレは盾と籠手でいなしながら刑具の操作基盤にまで押し入った。

 戦列を成した槍衾のごとき触手の嵐を潜り抜けるのは、ほとんど泥沼の乱戦を切り抜けるようなものだ。


「くそっ。これ、か──」


 右腕を押し当てると、突然、その腕が燃え上がった。

 これが赤竜:スマウガルドの護り。

 《フォーカスの試練》である。


「ぐうううう、だが、ボクの右手は竜皮の籠手:ガラング・ダーラに護られているッ! 竜の炎と言えど、なんとかなる!」


 奇しくもアシュレが土蜘蛛の王:イズマから授けられたその籠手には、火炎と電撃という相反するふたつの属性に対する強大な加護が垂れられていた。

 防御をかい潜った触手の群れに脚や頬に傷を負わされながらも、アシュレは懸命に刑具の操作を試みた。


 強引に《スピンドル導線》の形成を試みる。

 

 途端に邪悪にして恥ずべき拷問のパターンが、頭のなかいっぱいに広がった。

 アシュレはあまりのことに目を見開いた。



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