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燦然のソウルスピナ  作者: 奥沢 一歩(ユニット:蕗字 歩の小説担当)
第七話:Episode 1・「泉水の姫君」
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■第二十七夜:ヒトの子と蛇の姫



「いま、なんて……なんて言った?」

「聞こえなかったか? 殺せ、と言ったのだ。もし、貴様に慈悲があるなら、どうかこの憐れな姫をこの屈辱に満ちた生から解き放ってくれ。そう言ったのだ」

「そんなこと、」


 できるはずがない。

 かぶりを振りながら、アシュレは即答した。

 聖騎士パラディン時代の自分ならばわからないが、世界の秘密に触れてきたいまのアシュレにとって魔の十一氏族=問答無用で鏖殺して良い相手ではなくなっていた。

 それに敵として相対したならばともかく、彼女はアシュレに危機を知らせてもくれた。

 いわば恩人だ。

 

 アシュレの胸の内側で、彼女が強いられている理不尽への怒りが湧いたのは、このときだ。

 なぜ、どうして、だれがなんのために。

 こんなむごいことをした?


「なんとか貴女を助ける方法はないのか」


 思わず口をついた問いかけに、今度は蛇の巫女が言葉を失う番だった。


「助……ける? 姫をか? ヒトの子である貴様が? それは……」


 それはなんとも大それたことをいう男子おのこよ。

 少女は尊大にわらった。

 徐々にそれは、あの哄笑となる。


「笑わせるのも、大概にせよ」


 しかし、蛇の巫女は知らなかったであろう。


 手足を縛され、目を封じられた自分が、意図しなかった表情を浮かべていたことに。

 それは伽藍がらんの底に響き渡る侮蔑に満ちたわらい声とは、真逆の感情。

 アシュレはそれを確かに見た。


「いや、ずいぶんと笑わせてもらった。この地に囚われてより百年ばかり……こんな気分は初めてよ」


 くっくっ、と発作のようにときおり引き笑いしながら、蛇の巫女は吐き捨てた。

 彼女が耐え忍んできた時の長さに、アシュレは思わず天を仰ぐことしかできない。


 それで気がついた。

 音のよく通るこの大伽藍は、彼女が上げる悲鳴と背徳と退廃への敗北の証明を、もっとも効率良く反響し残響させて、残酷な音楽に変えるための装置でもあるのだ。


「百年……そんなに長い間、貴女はここで囚われていたのか」

「蛇の巫女は長寿ゆえ、な」


 その苦しみも深く長い。

 アシュレは唇を噛んだ。


「だれが、貴女をこんな辱めにあわせたのか」

「それを聞いてどうする?」


 蛇の巫女の問いに、アシュレは一瞬、沈黙した。

 それみたことか、と蛇の巫女が嘲りの笑みを浮かべかける。

 だれがその名を聞いて、我が宿願を果たそうとまで言ってくれるものかよ、というそれは侮蔑の表現だ。


 だが、若き騎士は、蛇の巫女が自嘲するより早く、断言した。


「彼の者を打ち倒し、しかるべき報いを受けさせる」


 今度こそ蛇の巫女は絶句した。

 それから、やっとという感じで言葉にした。


「貴様、もしや物狂いの類いか? それともここに長く囚われ過ぎて、その果てに貴様と話すうち、姫のほうが狂ってしまったのか」

「きみが正気なのはボクが保証しよう。ボクが物狂いだというのは……そしかしたら、そうかもしれないケド」


 アシュレはいくぶんか自信なさ気に、しかし自らの酔狂さを素直に認めた。

 その態度に蛇の巫女はふん、と喉を鳴らし、苛立たしげに唇を震わせた。


「貴様、たとえ戯れだとしても、できもせぬことを口にするでないぞ。そもそも……なぜ、ヒトのである貴様がこんなところまで来たのだ。ここは地より切り離されし空の庭園。翼なき者はそもそも立ち入れぬし、出ることもできぬ秘境なるぞ」

「話せば、とても長いことになってしまう。それをかいつまんで話すのは……いますぐは難しい」

「かまわぬ。あのクソ忌々しい獣どもを退けたのだ。時間だけはたっぷりあるではないか」


 聞かせろ、と蛇の巫女は言った。

 アシュレはかぶりを振った。


「済まない。いまは本当に時間がない。切迫しているんだ」

「知らんのか。姫たちのような貴種・・の間では、性急な男は嫌われるのだぞ? それとも貴様らヒトの子は、やはりサルと同類か? 信頼関係を築くのにはまず腹を割って話し、手間暇をかけるということを知らんと見える」


 たしかに彼女の言は正論だが、いまはあまりに時がない。

 このときアシュレは長命種である蛇の巫女たちと、人類の時間感覚の違いを思い知っていた。 

 長き時を生きることを許された種は、根源的に悠長なのだ。


 だが、いま彼女たちの価値観に従う時間的猶予はアシュレには本当になかった。


 寺院の外では、いまだ治療を待つアスカたちが待っているのだ。

 マンティコラどもを退けたといっても、この上水区画に、まだどんな脅威が潜んでいるのかわからない。


 一刻も早く彼女らの元に戻り、解毒剤の到着まで守り抜かねばならなかった。


「悠長に事情を説明しているヒマがない。ホントなんだ。ボク自身のことだけではない。いま、我々の戦隊は困窮している。あらゆる面で、だ。まず水源を確保しないといけない。蛇の巫女よ、この地に隠された上水の源流について、貴女はなにかご存知ではあるまいか?」


 アシュレの態度に、ははあ、と蛇の巫女は相づちを打った。


「我々の戦隊。なるほど……貴様、軍団を率いる将か。そして、ここまで来て時間がないとほざく。つまり、その戦隊を養う水を緊急に欲している、とそういうことだな?」


 蛇の巫女の言葉に、アシュレは頷いた。


「理解が早くて助かる」

「なるほどな」


 得心がいったわ、と少女は吐き捨てた。

 高らかに笑う。


「要するに貴様も、わたしから搾取しようという腹なのだろう? つまるところ、あの下劣なトカゲどもと同類か。今度からは姫は貴様らに貢げと。トカゲかサルか、姫を辱める相手が変わるだけという話だ」


 搾取、という言葉にアシュレは驚いた。


「いや、そんなことは、ひとことも言っていない。ただ、ボクは清潔な水を求めているだけなんだ。飲み水を確保したい。それもできたら潤沢に。この施設は……そのためのものなんだろう?」


 叫びにも似たアシュレの言葉に、蛇の巫女はまたも喉を波打たせた。

 あの発作にも似た引き笑い。


「そうとも、ヒトの子よ。たしかにこの施設こそ、このパレスの水源である。そして……姫こそが、その水源をこの地に呼び寄せ召喚してきた管理者──源泉の源泉・・・・・よ」


 あまりのことに、アシュレは深く息を吸いこんでいた。


 ここまでの途上、土蜘蛛の凶手:エレが水蛇の子を捕らえたほうが簡単だ、などと冗談めかして語ってはいたが、まさかこの宮中庭園では本当に蛇の巫女を捕らえて、これを水源としていただなどとは。

 残酷かつ悪趣味過ぎる仕打ちに、吐き気がした。


「それは本当なのか。キミがこの施設の管理者? キミが……水源地?」

「そうとも。そして、その姫の眼前で水を無心するということがどういうことか、これでわかったか、サルめがッ! それは、姫から清き泉を搾取する、ということにほかならんのだ、うつけめがッ!」


 口汚く罵られ、アシュレはたじろいた。

 彼女の言葉にというよりも、蛇の巫女が泣いていたことに動揺した。

 叫びながら流された涙が、アシュレの頬にまで飛び散って濡らした。


 これまでいったいどれくらいいじめ抜かれ、辱めを受け、その果てに彼女はこの地に水を供給し続けてきたのか。

 あまりにひどい、ひど過ぎる仕打ちだ。


 だが、だとすれば。

 それではいま自分が彼女に要求していることも同じこと、なのか?

 囚われ身じろぎすらまともにできない彼女から、水を搾取するということなのか?


 違うはずだ。

 そんなことがあってはならないはずだ。


 アシュレは戸惑いに震える両手を差し出して、真摯に言葉を紡いだ。




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