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■第十八夜:獅子は吠え、翼の騎士は舞い降りる

挿絵(By みてみん)


 獅子の咆哮ほうこうを思わせる唸りを上げノーマンが〈アーマーン〉を振り降ろすたび、劇的な効果が現れた。


 司祭六体が結合し巨大な質量となりいたるところに目を備えた『フラーマの手』が、竜の顎門あぎとのごとき鉤爪:〈アーマーン〉のひと薙ぎで、質量のほとんどを失ってちぎれ飛ぶ。

 激痛かそれとも憤怒か。フラーマは叫びのたうったが《トーメント・スクリーム》のような破壊力はもはやない。

 一帯を覆うほど茂った〈ローズ・アブソリュート〉のいばらが、船の残骸を繋ぎ止め、柔軟で強固なおりを作り上げていた。


 そこへ散弾のように、フラーマの背中から落し仔たちが飛び降りてくる。


「ノミめ!」

 怒りを込めてノーマンが言い放つ。

 たしかに女神にたかる寄生虫という意味で、その指摘は的を射ていた。

 ヒトと同等のサイズ、それどころか、もとはヒトそのものと考えると、ぞっとする想像ではあったが。


 ノーマンは天才的としか言えない体術でその肉塊の雨をかいくぐり、致命的な一打を見舞ってゆく。

 ノーマンの通過した後が道となり怪物たちが割れてゆく。


 アシュレは自身も加勢すべく、主戦場となった甲板の隅になんとか降りた。

 だが、その途端に《ラピッド・ストリーム》が切れ、激痛に転がるハメになった。

 かろうじてシオンを護るように身体を入れ替えれたのは、意地以外のなにものでもない。


 ボロボロの衣服をかき合わせるようにしてイリスが駆け寄ってきて、息を呑んだ。


 アシュレは自分が思うより、ずっと重傷だったのである。

 砲撃で飛び散った木片を受けたように、手すりの一部がいくつも突き立っていた。

 矢や槍を幾本も受けたようなものだ。

 足の裏は皮が剥け返り、肉が削げている。

 この状態のまま、アシュレはシオンを抱えて全力で駆けてきたのだ。

 基礎筋力を増大させ、骨格を強化する《インドミタブル・マイト》がもたらす高揚が遠のくと、激痛とショックによる痙攣けいれんが、アシュレの全身を襲った。


 嗚咽が漏れそうになるのを必死に噛み殺し、イリスは両手の指を編むように組んだ。

 異能:《ハンズニット・ヒール》。

 自身の生命力を触媒に組織を編み直し、重傷さえ癒す高位の技。

 とっさのことに思わず身体が動いた。

 まるで、答えを知っているかのように。


 まず、足の傷だった。

 胴部の木片は治癒の急速な速度に取り込まれるため、また、抜いた途端に出血が酷くなるため、ひとりでは危険だった。

 イリスは治癒の途中で我慢できなくなって涙をこぼしてしまう。

 アシュレは、イリスの指示に従ってこんなに傷ついてしまったのだ。

 とっさのことであれしか方法がなかったとはいえ、アシュレの無残な姿はイリスには堪え難かった。


「アラムの姫さんは大丈夫だよ、って、うわちゃー、アシュレ、こりゃあ、ひどい」

 そうしている間に、意識を回復したイズマが駆け寄ってくる。

 動揺したイリスを見るなり、イズマは言った。

「だいじょぶ、ボクちんとキミがいるんだ。絶対大丈夫だよ」

 言いながらマントを脱ぎ、シオンを包むと脇にどかせた。

 続いて、上着でイリスをいたわる。

 こういうところは紳士なのだ。


「姫は大丈夫。夜魔なんだから、頑丈だよ」

 シオンが起きていたのならぶん殴られそうなセリフを、イズマは言い切った。

 わざとそう振る舞っているのがイリスにはわかって、すこし笑うことができた。

「そう。助ける側が悲痛な顔をしてちゃ、うまくいくものも行かなくなっちゃうからね」


 その背後から、しっかりとした足取りでアスカが姿を現した。

 フラーマの音波攻撃をとっさに《スピンドル》の律動でガードし、致命的なダメージをなんとか回避していたのだ。

 それでも気絶は免れなかったが、イズマの適切な治癒もあって、回復は早かった。

 そのアスカが、アシュレの容態を見て息を呑む。


挿絵(By みてみん)


「大丈夫なのか」

「まかせてちょーだい」

「わたしを助けようとしたせいだな」

 ああ、アシュレ、とアスカはひざまずいた。


「どーにも関わり持った女のコを見捨てられない性格みたいでさ、そのうちソレが原因で死んじゃうんじゃないかって、心配なんだよね。うん、兄貴分的にはさ」

 なにしろ、ボクちんもそうだったからさぁ、モテる男はつらいんだよねぇ、とイズマが茶化す。

 アスカはその胸ぐらを掴んだ。

 アスカがしていなければイリスがしていただろうから、同じ気持ちだったのだろう。


「まった、ギブギブ、ギブ、アップ」

「冗談でもそんなことをぬかすなッ!」

「はやくしないと、手遅れになるから、は、はなしてっ」

 そのひとことではっとなり、アスカはイズマを解放した。


「てっ、手伝えることは?」

「手術とかって、見たことある?」

 ふるふる、とアスカは首を振り、だろうね、と頷いた。


「じゃあ、落し仔たちを近づけないでくれるかな? けっこう、微妙な仕事なんでね」

 こくり、と頷いてアスカはジャンビーヤを構え、戦場に復帰した。

 最後の瞬間、ちらりとアシュレを振り返って。


「どんだけ愛されてるんだー、って話」

 肩をすくめて笑うイズマは、真剣な顔のイリスと目が合った。

「フラーマは助けを求めています」

 まじまじとイリスは言った。

 イズマは笑みを消してイリスに相対した。

 それから、はぐらかすようにアシュレの容態を診る。

 聞かなかった、という態度。


「一番ヤバイやつから、はじめよう。内臓に致命的なのが入ってないのが奇蹟だよ。病み上がりのくせに、ムチャしやがって」

 イズマの口調は弟の無謀を責める兄のそれだった。

「ボクが抜くから、イリスちゃんはタイミングをあわせて治癒してくれるかい? ええと、《ハンズニット・ヒール》だっけ? 大丈夫、落ち着いてタイミングを合わせるんだ。

 でも、完全に塞ぎ切っちゃだめ。破片が残ってると面倒だからね。大きいヤツだけでも除去しながら、段階的に封じるんだ」

 言いながら取り出される器具は、まるで拷問具のように見える。

 呪いで括られ、清潔なのだという。

 イズマは手慣れた様子で、痛みを和らげる霊薬ペイン・キラーを含ませ、アシュレに口枷をませる。

 強いアルコールで手を洗う。


「いいかい? いくよ」

 イズマはアシュレの身体に足をかけて破片を抜いた。

 軽んじてのことではない。

 深く突き立った槍は肉が締まって簡単には抜けない。

 同じ理屈だ。


 どっと血が噴いた。

 イリスは《ハンズニット・ヒール》で太い動脈から繋ぎ、ふさいでいく。

 イズマは器具と指を傷口へ突っ込み、破片を取り出していく。

 アシュレの肉体が激しく痙攣けいれんした。

 霊薬を飲んだといっても、やはり想像を絶する痛みが襲うのだ。

 口枷は、だから必要だった。

 誤って舌を噛まないように。苦痛に耐えようとした歯が欠けてしまわないように。

「えらいぞ、さすがは聖騎士だ。常人なら手足を縛ってないと暴れ出しているとこだよ。驚嘆きょうたんすべき精神力だ」

 的確にイズマはアシュレをめる。


 法王庁付属病院にもこれほどの手練れはいないだろう。

 完全麻酔など望むべくもないこの時代の外科手術には、けっきょくのところ患者の協力が必要なのだ。

 だから口三味線くちじゃみせんは立派な医療行為の一部だった。


 的確な処理のおかげで、もっとも危険な部位の処置が終わった。

 そのタイミングでイズマが口を開いた。


「さっきの話だけどさ」と。

「フラーマのことですか?」

 イリスの反応を聞きながらも、イズマは手を止めない。

 ノーマンと、そこにアスカが加わったとはいえ、戦況がいつまでも安定しているとは限らない。

 相手の最大戦力は下手をすると数千を超えているわけだから無駄に使える時間などない。

 勢い、ふたりは治療行為を行いながら話すことになる。


「助けを求めてたって言ってたよね。なんでわかんの?」

「聞きました。いえ、感得したっていうべきなのか……感応したっていうのが正しいのか……心に触れたっていうか。捕まって、その、接触を持たれている間に」


 イズマの赤い瞳が一瞬だけイリスを向いた。

 警戒の色がそこにはあった。

 イリスはイズマのそんな顔を初めて見る。

 それで、なんて、とイズマから水を向けられた。

 自分で言い出したことなのに、質問というより、尋問を受けている気分にイリスはなった。


「触れられているうちにイメージが流入してきたんです。フラーマの。

 ふたつの品物がそこには出てきました。正しい未来を知る銀の仮面とあやまちを断ち切る鋏。

 それから、正気を取り戻して欲しいと懇願されたんです。

 だから――あれは、いまわたしたちの眼前で咆哮するあれは、フラーマの正しい姿ではない。みんなの《ねがい》に《そうされた》:アスペクト――“相”でしかないんです」

「なるほどね」


 イズマは感慨深げに答えた。

 だが、そこにイリスは訝しむような態度を感じた。

 疑われている。

 どこか自分とシオンが共有したであろう体験を見下されたような気にさえなって、イリスは苛立ちを覚えた。


「信じないんですか?」

「イリス――もう、ちゃんづけはやめてもいいよね? イリス、《侵食イントルード》に属する異能たちのこと知ってるかい? オーバーロードたちの得意技だけど、じつはきちんと《スピンドル》の技にもある。

 ヒトの心を操作する、表の教科書には載ってない――抹消された力の数々さ」

 イズマはアシュレの傷をふさぎながら言った。


「やつら、邪神やオーバーロードはもう人類じゃない。自分と同じように考えちゃだめだ。

 どんなにいい加減で自分に都合のよい嘘でも相手に押しつけることができる、そんな異能を持っているんだ。

 良心なんかないから、そのことをためらったり、気に病んだりしない。

 人間が嘘を吐くのと同じぐらい簡単に、気軽に、そういう力を使ってくるんだ。

 やつらの心と直接の接触を持つことは、それぐらい危険なことなんだ」


 イリスは息を言葉を失う。

 イズマは、こともあろうにイリスを警戒しているのだ。


「でも、あれは、あれはフラーマの心の叫びでしたッ!」

「かもね。だけどさ、心には嘘がないなんて、それこそ嘘だよ。

 心に嘘はつけない、って言葉があるけど、それは人間の行動は心に従うほかないって意味で、心自体が嘘じゃないって証明じゃないんだぜ?」

 心なんてもんはさ、しょせんその個体が内面に投影した都合の良い世界解釈でしかないんだよ? 

 そう告げるイズマに、イリスは底知れぬ恐怖を抱いた。


「じゃあ、イズマは――わたしもさん付けやめますね――わたしやシオンが《侵食イントルード》で汚染されてるっていうんですか? これはわたしの考えじゃないって」

「そりゃあ極論過ぎるよ、イリス。確かめたわけでもないのに、そんなこと言い切れない。

 まあ、たしかにちょっとは疑ってはいるけどね。

 でも、仮に《侵食イントルード》されたわけではないからといって、そして、フラーマの伝えたことが嘘じゃないからといって、鵜呑みにするのはマズイ、って言ってんのさ」


「どういう……意味ですか?」

 むこうで一段と激しい戦闘音楽が鳴り響きはじめた。

 血と肉と骨、鋼と心がぶつかり合い奏でる交響曲だ。


「呪いの話、おぼえてるかな?」

「すべての解法があきらかな呪いこそ、上級者のものだって話ですか?」

「あれはさ、まだ、続きがあるんだ」

 キミがどういう魂胆でボクにあんなこと聞いてきたのかわかんなかったから、省かせてもらった話があってね。


 イズマはすまなさそうに目を閉じた。

 その間も、目まぐるしく手だけは動いてアシュレの命を繋ぎ止めていく。

 熟練の機織り師のような手際だった。


「呪いには、もっと格上の方法があるのさ」

 え、とイリスは硬直した。

 それから、途端にイズマが告げようとしていることの真意を理解して、恐怖に襲われた。


 なんだか、わかるかい? 


 そう問いかけるイズマの口もとには笑みが浮かんでいた。

 ひどくさびしい、孤独な笑み。

 イリスが答えられずにいると、それはね、とささやくように言った。

 小声だったのに、はっきりと聞こえてしまった。


「それは……解くことが、もっとずっと致命的な事態を引き起こしてしまう“呪い”さ」


         ※


 軍神なるものが実在するのならば、それはこのような姿をしているのだろう。

 鬼神なるものが存在するのならば、それはこのよう相貌をしているのだろう。

 サーコートは鉤裂きだらけとなり、その下に着込んだチェインメイルも切り裂かれ、自ら脱装した。

 鍛え上げられた肉体があらわとなる。

 太い血管が隆起し、筋肉の束がうねっていた。

 なによりも、男を突き動かしていたのは憤怒だった。


挿絵(By みてみん)


 感情的な男ではないと自他ともが認める騎士だった。


 冷静で、公正で、公平な人柄だと誰からも称されたし、自身でもそのことに自覚があった。

 誇るのではなく、立場にふさわしく振る舞おうと努めてきたわけではなく、人間の素地として、自分はそういう性質なのだ、とノーマンは納得している。


 だのに、それなのに、この心の奥底からふつふつと湧き上がる怒りはなんだ。


 ノーマンはたったひとりで数千の敵を相手取りながら、内省する。

 相手が滅ぼされるべき神敵であるからか? 

 ちがう。

 それならば、イズマやシオン、土蜘蛛や夜魔の娘を看過できはしなかっただろう。

 では、これはかつて数千万の人間を、そして、いま数千の人々を己の醜い眷族とならしめたフラーマへか? 

 ちがう。

 それならば、たとえ方便だとしても「救う」などと宣言しなかっただろう。


 では、この怒りは、いったいなんだ? 

 ノーマンは火のように熱い肉体と激情の最中で己を見つめる。

 己の心の底を。

 怒りの根源を。


 そして、それは神話や伝説に覆い隠された真実に根源があるのだと気がついた。

 根源的な問いをはぐらかす装置が、それらの根底には隠されている。

 語られてはまずい、あきらかになってはまずい、真実が。


挿絵(By みてみん)


 だれにとってだ、とノーマンは血の滾りを眼前の敵にぶつける。

 だれにとって、その事実、真実はあきらかになってはならないのだ。


 がああああああっ、と吠えたける己の声を遠くに聴く。


 自分ではないだれかに、役目を押しつける《そうする》力――《ねがい》。

 また、それを可能にしうる――ノーマンには知覚することのできぬ、この世のからくり。

 そして、深く考えることもなく、それらにすがりついてしまう人の心の弱さ。


 自分を含む、それらすべてにノーマンは激怒していた。


 それから、もうひとつの感情を見つけた。

 それは恋慕に似ていた。

 朴念仁である自分には恋慕や思慕の発露が――うまく理解できない。

 だが、フラーマや、フラーマのように責任をなすりつけられ邪神に、あるいは“悪”に貶められてしまった存在への、それはまごうことなき愛、そうとしか表現しようのない感情だった。


 その歪められた役割と、それを果たし続けなけなければならない生に、決着をつけ、引導を渡してやりたい、という思いだった。


 それらすべての重責は、人間が人間の背に取り戻さなければならないのだと感じた。

 すくなくともここがヒトの世だと宣言するなら――その責はヒトが負わなければならない。


 それとも、とノーマンは考える。

 不意に立ち尽くす。


 それとも、過去、遺産の時代、ヒトがその責任の放棄のために、世を捨て去ろうとしたことがあるとでもいうのか――その問いに辿り着いて。


 まさか、いままで己が発した問いは、すべてが、因果が逆だとでもいうのか。

 つまり世界が過酷であるがゆえに、人々は追いつめられ余地なく決断したのではなく、人々が責任を放棄せんがために――そのためだけに――世界を《そうした》のではないか?


 まさか、と冷水を浴びせられたように全身が冷えた。


 その瞬間を、落し仔たちは見逃さなかった。

 軍勢のむこう、フラーマへいたる丘陵のなかばに司祭たちがいた。

 神をもおそれぬ不信心者に、神罰を喰らわせるべく。


 あらゆることが一斉に起こった。

 数百の腕が、一斉にノーマンに襲いかかった。

 振おうとした腕を漆黒の奔流が撃つ。

 司祭たちのしわざだった。


 司祭たちの肉体に、いつのまにかぱっくりと開いた暗い穴から怨念の群れが溢れ出し、半物質的存在を得て襲いかかったのだ。

 ――《ヘキサム・オブ・フォーセイクン》。


 フラーマが受け止めてきた疫病やあらゆる負傷、不具、それらは消し去られるわけではない。

 治癒を司る異能・技の多くが行使する者の生命力をその代価に求めるように、必ずなにかであがなわなければならないものだ。

 フラーマと、その眷族たちが、無償で救いを行使できたわけはない。

 彼ら自身の姿が、まずはその代償ではあっただろう。

 そして、この妄念によって制御された邪悪な思念の塊こそが、その現れなのだった。


 世界から見捨てられ、無視され続けてきた者たちの巨大な怨念が、六つの奔流となってノーマンに襲いかかった。


 ぎゃひいいいいいッ、とガラスを鋼に擦りつけたような音がした。

 恨みがましいでたらめな呪詛の詩を歌いながら、巨大な呪い飛礫つぶて:《ヘキサム・オブ・フォーセイクン》が飛び去る。


 受けたのが聖遺物:〈アーマーン〉でなければ腕ごと持っていかれていた。

 漆黒の雷光を放つ爪牙:〈アーマーン〉の発振部分が怨霊たちをいくぶん以上削り取ったが、それは六柱の怨霊の群れのうちのひとつに過ぎなかった。

 頭上でふたたび一塊になったそれらは、等分に傷を分担し合い、以前とほとんど変わらぬ姿となって再びノーマンに襲いかかった。

 デタラメに生えた乱杭歯がガチガチガチと不快に鳴っていた。

 衝突の衝撃でノーマンの体勢が大きく崩れる。


 群がる落し仔と《ヘキサム・オブ・フォーセイクン》、いずれかだけなら、それでもノーマンは捌き切ったかもしれない。

 だが、状況が不利すぎた。

 戦いの最中に、戦いを忘れるとは、とノーマンは自嘲した。

 当然の結末だと思った。


 絶対的な死地が出現していた。

 しかし、ここで潔く連中に下ることをよしとも思わなかった。


 ノーマンの背後には護るべき者たちがいた。

 人類の仇敵と目される種族のうちふたつから、すでに信頼を勝ち得、降臨王:グランの亡霊と渡り合い、自らの想い人のために戦った。

 名誉を捨て、私欲を捨て、ただ己と世界の責任のために戦おうとする年若い騎士がいた。


 後に続く者たちのために、実践者としての背中を見せなければならない、とノーマンは思った。


 少年の倍も長く生き、騎士として歩んできた男として、ヒトの死とは、命を賭けるとはどういうことか、見せなければならないと思った。

 なによりも彼らを生きて帰さねばならないと思った。


 そしてまた、誓いがあった。フラーマへの。

 あなたを救う、という。

 果たさねばならん、と感じた。


 ノーマンは最大威力で両腕の〈アーマーン〉を励起させた。

 互いの掌を合わせるように開く。

 ひるがえる漆黒の雷光――消滅と消滅が危険なほど近づき、強大な反発力を生んだ。


 ――《ウィル・オブ・ザ・ジェットブラック》。


 それは〈アーマーン〉の消失と引き換えに起すことのできる最終攻撃だ。

 聖遺物の喪失と、その使用者を含む半径数十メテルは消失、その範囲外にも徹底的な壊滅をもたらす。


 仲間を巻き込むリスクはあった。

 だがアシュレとその仲間たちならば、きっと乗り切ってくれるだろうと信じた。

 すでにノーマンは単騎でアシュレたちから一〇〇メテルも突出していたのだ。


 音もなく消滅の《ちから》が閃き、世界が白黒になってゆく。

 発動前の余波で、落し仔たちが宙にはじき飛ばされる。

 ノーマンの腹は決まっていた。

 させじ、と《ヘキサム・オブ・フォーセイクン》が飛来するのが見える。


 ふふ、とノーマンは獰猛に笑う。思うつぼだ。

 瞳を閉じた。


 それから、脳裏を、海を望むテラスに立つひとりの女の姿が過っていった。

 逢瀬の間であっても銀の仮面を取ることもできず、いつも荒波に立ち向かう舳先に立つような姿の女の姿を。

 そういえば、必ず生きて返ってくるようにと厳命されたのだった。

 聖務かと問うたら、ひどく怒らせてしまった。


 アシュレたちを迎えに赴く前のことだから、もう半年も会っていない。


「個人的な約束だ。オマエと、わたしのな!」

 叩きつけるように突き出された人さし指がおかしくてノーマンは笑ってしまったのだ。それでまた相手を激怒させてしまった。

 ダシュカマリエ。

 すまん、とノーマンは詫びる。

 瞳を開けると、瞬間が目の前にあった。

 それから、衝撃が来た。


「ばっかもんがーッ!」

 腕にヒトひとり分の重量と落下速度が与えた運動エネルギーがかかる。

 ノーマンでなければ骨折か脱臼だっきゅうかしていたはずだ。

 ノーマンは膝を突き、激突してきた人間彗星を見た。


 ぶわ、と金色の衣がひるがえり、スミレの香りが舞う。

 それから健康的な褐色の脚線があらわになった。


「邪神フラーマとその哀れな眷族たちよ! オズマドラ帝国・第一皇子:アスカリヤ・イムラベートルが相手になろう。

 我が領海を侵し、領民を脅かした罪、我が神:アラム・ラーに成り代わり、成敗してくれる!」


 そこなイクス教の騎士、さがりおれ――と命じたのはだれあろう、アスカそのヒトだった。


 呆気に取られるノーマンの眼前でアスカが仁王立ちとなった。

 皇子と言いながら、どう見ても女性しか見えない身体の曲線を惜しげもなくさらし、フラーマとその眷族を睥睨したまま、アスカは背後のノーマンに言った。

 

挿絵(By みてみん)


「おまえたちには世話になった。命を救ってもらった礼は、いまこの場でしよう。

 このアスカリヤ、義と仁によって助太刀する。

 信教の相違、遺恨はいまは忘れ、ともに窮地を脱するときぞ! 

 勇敢な異邦の騎士よ、あたら命を粗末にするでない!」


 そう告げるやいなや、アスカはまとっていた陣羽織タバードを地に敷いた。


「《コーリング・フロム・ザ・ファーランド・キングダム》!」


 両手を祈りのカタチにして叩きつけ《スピンドル》を通す。

 奇蹟が起こった。


 空間や事象を圧縮された別時空・次元に保存する《フォーカス》の存在を、ノーマンも聞いたことがあった。

 それはある王家では秘宝とされ、自らの血筋の証とされてきたのだという。

 そこには彼らの起源となった楽園や桃源郷の記憶とともに、過去の偉大な英霊たちがまつられ封ぜられて、彼らの血筋を証し立ててくれているのだと。


 実物を見るのは初めてだった。

 それがいま、眼前でアスカの祈りを伴った《スピンドル》を受けて開闢かいびゃくした。


 おお、と自然にノーマンの口から感嘆の声が漏れる。

 おお、と同じように落し仔たちが震え、司祭たちが戦慄おののいた。


 金色の装具に身を包んだアラムの騎士たちが天馬に跨がり、馳せ参じていた。

 その数、数十騎。数千の軍勢に相対するにはいかにも少ない。

 

 けれどもその偉容は燦然さんぜんとして、周囲を圧倒していた。

 そして、それに呼応するように周囲の風景がどこまでも続く金色の草原と丘陵に差し変わっていた。

 そのうち一騎がアスカに歩み寄り、甲冑の面頬を上げた。

 驚いたことに女性だった。


 ああ、とアスカがその騎士を見上げた。

 あきらかにアスカはその血筋であると知れた。

 無言で女騎士は微笑んだ。

 アスカを慈しむように撫でた。

 それから、敵に向き直り、騎士たちに合図した。

 手を振り上げ、振り降ろした。


 伝説が現実となるときがきたのだ。





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