■第二十二夜:狙撃
「アレ……マンティコラだ」
「オマエ、アシュレ、アレがわかるのか? 人類圏ではなかなかお目にかかることのない珍しいヤツのはずだが?」
「ああ、以前、まだボクが聖堂騎士だったころに刃を交えたことがある。性質の悪い魔獣だよ」
「アスカ殿下とレーヴが地に這わされている。抗戦しているようだが……あのままでは、そう長く持つまい」
土蜘蛛は目も良い。
そのなかでもエレは、生え抜きの凶手なのだ。
視えている情報、そこからの未来予測はかなりの確度・精度と考えなければならない。
「あれはかなりの苦境だな。すぐに助けなければ。奴らの叫び声には四肢を萎えさせる《ちから》があるし、吐息にはいやらしい状態異常を引き起こす成分が、いくつも含まれている」
「こうしてはいられない!」
「まて、アシュレ。いまヤツはふたりの美姫に夢中でこちらに気がついていない。強襲型生物特有の弱点だな。麗し過ぎる獲物に集中しすぎて周りが見えてないんだ」
「だけど」
「焦るな、と言っている。見ろ、ヤツはふたりの抵抗を楽しんでいる様子すらある。嬲っているんだ」
「そういえば、ボクが相対したときのマンティコラも──そうだった。相手を嬲って苦しめて、抵抗できないその姿に愉悦を感じていた……」
「アレはオマエたちヒトの暗部が凝ったような生き物だからな……。だが、その嗜好は理解できる」
嗜虐的に獲物を嬲って楽しむマンティコラと、アシュレは以前にも戦ったことがある。
あのときは囮役を買って出たユーニスとレダマリアがさらわれて、大変なことになった。
人語を理解し、その身も心をも嬲り尽くすことに悦楽を覚える魔獣たちは、許しがたい人類の仇敵なのだ。
だから、その嗜好を理解できるとひとことに評されると、エレを信じるアシュレにとっては、なかなか複雑なものがある。
だが、そんな若き騎士の胸中など察した様子もなく、エレは提案した。
「アシュレ、これはある意味でチャンスだ。敵はこちらに気がついていない──竜槍:シヴニールで狙撃しよう」
「ええっ、こ、ここから?! でも、」
「でももへったくれもない。これ以上近づいたら、確実に察知される。いまこうして言い争いをしているのも危ないくらいだ。ヤツが美しき獲物たちに夢中になっている、いまがチャンスだ。一撃で決めろ。それしか、ふたりを守る方法はない!」
「そんな、だってこんな遠距離で──目標だってよく見えない」
「わたしの目を貸してやる。竜槍:シヴニールの制御はオマエが。照準はわたしが。いつかイズマさまたちと、やったことがあるだろう? すでに聞き及んでいるぞ。《スピンドル》による連携攻撃だ」
戸惑うアシュレに、エレは半ば強引に準備を勧めた。
よくわからないままに、アシュレは竜槍:シヴニールを展開する。
「かさばるし重いしでいいとこなしかと思ったが、いざというときのために持ってきていて正解だったな」
「まさか、構造物内部で竜槍を使うことになるなんて」
「おっと、急げよ。やっこさん、そろそろ痺れを切らして、哀れな美姫たちに襲いかかりそうだぞ」
そう言われれば、アシュレとしてもやるしかない。
エレの言うことはたしかに無茶ではあったが、やるしかないという意味で正しかった。
それにもうアシュレは、騎士にあるまじき卑劣な狙撃戦を体験してきている。
あれはカテル島で対夜魔防衛戦の戦端を開くときのことだ。
上陸してくる夜魔の騎士たちに向けて、名乗りを上げることもなく強力な先制攻撃を浴びせかけた。
その自分に、いまさら捨てる名誉などない。
しかも相手は魔獣だ。
ヒトの道理や騎士の掟など通じまい。
躊躇している場合ではないのだ。
慣れた動作で、竜槍を構える。
聖盾:ブランヴェルを純白の砂に突き立て、支持架にする。
エレがアシュレの左肩に顔を乗せてきた。
《スピンドル》を介する視覚同調。
アシュレは目を閉じる。
蘭の薫りとともに、エレの見ている情景が脳裏にハッキリと映し出された。
間違いなかった。
かつて相対したマンティコラとはさまざまなところでその細部は異なるが、大括りな意味では間違いなく同一種だ。
不思議なことに、マンティコラに限らず、すべての魔獣たちは個体ごと、微妙に姿が異なる。
ただ共通しているのは、そのすべてが生理的嫌悪感を催す種類の造形だということだ。
いまアシュレが射線に捉えたそれも、例に漏れず醜悪な姿をしていた。
ヒトのデスマスクを模した顔が水車の羽根のようにいくつも並んで、醜悪な頭部を成している。
蛇のごとき太い尾で水晶の木々に己の肉体を結びつけ、アスカとレーヴを品定めするように薄笑いを浮かべている。
顔を背けたくなるようなフォルムに肥大した生殖器を見れば、その頭蓋の奥でどのような種類の妄想が逞しくなっているのかは、一目瞭然だ。
対するアスカとレーヴのふたりは、もうほとんど立ち上がれないようだった。
半裸で、砂の上でもがいている。
先制攻撃を受けたのだろう。
外傷が認められないということは、吐息によって、なんらかの状態異常を引き起こしているのだ。
このままでは、ふたりが魔獣の歪んだ欲望の犠牲になることは避けられない。
させない、とアシュレは思った。
その瞬間、きゅう、と目標の頭部が大写しになった。
好機だとエレが判断したのだ。
アシュレはその観測と誘導に素直に従った。
間髪入れず、光条を放つ。
轟音が空を切り裂いた。
光に焼かれた網膜が視界を取り戻したとき、そこに映っていたのは頭部を失い、沸騰した体液を撒き散らしてぶら下がるマンティコラの姿だった。




