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燦然のソウルスピナ  作者: 奥沢 一歩(ユニット:蕗字 歩の小説担当)
第七話:Episode 1・「泉水の姫君」
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■第十七夜:がらんどう


 イズマの容体に関する報告。

 エレとエルマの見立てでは、外見はともかくも激しい消耗によってイズマの内部はすでにかなりの部分、空虚に食われているというのが、その内容であった。


「空虚に、食われる……?」

「どうもあのトラントリムでの戦いの間中、イズマさまは己を危うくしながら、わたしたちに加勢し続けてくれていたらしいのだ。オマエがそうなったように、イズマさまも……その内側を……」


 エレの告白に、アシュレは言葉を失った。

 まさか、と思い次に、やはり、という確信が言葉になった。


「やはり、そうだったのか……」

「心当たりがあるのか?」

「いや、そういうわけじゃないんだけど……ボクたち戦隊がただのひとりも欠けることなく、それどころか一部真騎士の乙女たちの支援さえ受けて、こうやって生還できたこと……それだけじゃない……」


 アシュレはいまさらながらに、気がついたのだ。

 自分たちの幸運さについて。


「あの飛翔艇をボクがあんなにも長時間運用できた理由、こうして奇跡的に無人となった空中庭園を引き当てることができた理由……それさえ全部……」


 思えばイズマはアシュレが奮闘している間中、指揮所に臨席していた。

 くたばった様子で平たくなりながら……あれも、もしかすると《ちから》を貸してくれていたのか?


 自らを危うくするという超技:月下ムーンシャイン密葬フェイヴァーを、イズマが初めて眼前で振るったときのことをアシュレは思い出した。


 あれは……あの技は、どこかボクの《魂》の顕現と共通点がある。

 そう思い至る。


「飛翔艇のことや、空中庭園に来てからのことには確証がない。だが、虚数空間に飲まれたトラントリムの底で、わたしたちが幸運にも無事であれたのは、イズマさまが己を危うくして魔導書グリモア:ビブロ・ヴァレリの行いに干渉し続けてくれたからに、相違ない」


 アシュレが投影ヴィジョンによってイズマの姿を垣間見たとき、彼は無数の死蔵知識の墓守ノウレッジ・レイスに取り囲まれ、意識を失っていた。

 あれはてっきり奴らの攻撃によって前後不覚に陥ったのだとばかり思っていた。


 だが、そうでなかったとしたら。

 あの状態こそ、ビブロ・ヴァレリの迷宮操作に干渉すべく、イズマが意図的に仕組んだ技だとしたら……。


 昏倒していたのではない。

 《意志》を迷宮の側に置いていたから、うつつを認識していなかっただけ……。


「スノウだけを危険な場所に送り込んだわけじゃなかった、ってことか」


 再会を果たしたとき、アシュレは怒りに任せてイズマを殴りそうになった。

 彼女を釣りエサにしたことを黙っていたからだ。


 だが、もしいまエレが言ったこと、そしてアシュレの推測が確かなら、イズマは常にスノウやアシュレ、いや戦隊全体のために迷宮全体に溶け込んで操作し続けていてくれたことになる。


 こう言い換えてもいい。

 ヘリアティウムという名の巨大な《フォーカス》の一部として、あの戦域全体に干渉し続けてくれていたのだ、と。


 そういわれると、たしかにそうでなければありえなかった幸運が、自分たちには味方してくれ続けていたような気がしてくる。


 あのときも、そして、あのときも。


 ぞくり、と鳥肌が立つのをアシュレは感じた。

 半分は感動、半分は畏怖である。


「イズマ……」

「あのままでは……もしかしたら、イズマさまは……長くは」

「エレ?! まさか、そんな」

「考えたくない、考えたくはないが……」


 エレは妹:エルマより伝え聞いたというイズマの肉体の秘密をも、教えてくれた。

 邪神:イビサスの肉体。

 それがいまイズマのカラダを成しているという衝撃の事実。


「かつてはイズマさまの正体が危うくなると、我が神:イビサスがその意識を取り戻し、大いなる《ちから》を振るったというのだ……エルマが言うには……」

「それさえ今回は、ない」

「イビサス神さえも消耗の極みにあるのではないか、というのがエルマの見立てだ」


 カテル島での聖母再誕の儀式を巡る攻防の後、イズマとアシュレ、シオンたちは離れ離れになった。

 時間にして三月あまりのことだが、その間に互いにひとことでは言い表せぬ冒険と戦いをそれぞれが体験した。


 そこでイズマはイビサス神に乗っ取られそうになったのだ。

 その窮地からイズマがどのように切り返しどれほど熾烈な戦いを、土蜘蛛の本拠地で繰り広げたか。


 エルマからことのあらましは聞き及んではいたが、裏にはまさかそんな事情があったとは。


「どうやらボクたちはキミやエルマにだけじゃなく、イズマにも多大な負担を強いていたんだな」

「もし、イズマさまに万一のことがあったらと思うと……胸がつぶれそうで」


 どうしよう、と弱気な本音がエレの唇から漏れるのをアシュレはハッキリ、聞いてしまった。


 こうなってしまうと、エレは一途な姫巫女でしかなかった。


 普段が男顔負けの態度に強さだから意識できないが、その心根はかつてイズマに恋をした乙女のままなのだ。


 アシュレは思わず、エレを強く抱きしめた。

 不安に震える女性を放ってはおけないのがアシュレという男だ。

 エレは抵抗するそぶりも見せず、アシュレの首筋に頬を埋めた。

 ちいさな唇が、アシュレの肌の上を這う。


「エレ?」

「似てるんだ、オマエの《スピンドル》の匂い。イズマさまのそれは赫々かつかつと燃える炭のもの。オマエはその炭が鍛える煮えた鋼のもの……どうしよう……すごく魅かれる……好きなにおい……」


 長期間にわたる戦隊全体の維持とイズマの容体の件で、心が弱くなっているのだろうか。

 甘える幼女のように無防備に身を寄せてくるエレに、アシュレは動転した。

 気がつくと、卓状になった柱の上に押し倒されている。


「ちょちょ、エレ、まってまって、タンマタンマ!」

「その言い方もイズマさまっぽい……お願いだ、ぜんぶ黙っておく。すべて秘密にするから……」


 とろり、と蕩けたエレの瞳から涙が滴り落ちた。

 相手が、アスカやシオン、アテルイならアシュレは躊躇しなかっただろう。

 しかし、これはなにかがおかしい。

 いくらイズマのことで心が折れそうになっていたとしても、エレにはありえない行動だ。


「エレ、エレ、お願いだ、正気に戻ってくれ!」

「おかしいんだ、アシュレ。カラダが熱い。オマエのことが愛しく思えて止められない。オマエのぬくもりが、熱が……欲しい」


 おかしい、とエレが口走ったことでアシュレは気がついた。


 最初にこの違和感を感じたのは、どこだ?

 そうだ、アレだ、あの獅子像での事件。

 飛び出してきた小蜘蛛の群れに襲われたあと、エレたちの様子がおかしくなった。


「まさか、これ、毒か?! いや、媚薬?!」


 服の内側に入り込んだ蜘蛛たちは彼女たちを刺したのか。

 そして、精神を怪しくする薬液を注入した。


 アシュレはさらに思い出した。

 ほかならぬ、エレ本人の言葉。


『なんというか……ここの支配者は側仕えの娘たちに、ときおりある種の屈辱を強いるタイプだったようだな』


 つまるところ、あの蜘蛛とこの媚薬を使っては、気まぐれに娘たちの心と身体を蹂躙したということであろう。


 唇を求め、舌を首筋に這わせ、耳朶を噛んでくるエレの肉体をアシュレはまさぐった。


 状況に流され、情欲に駆られたのではない。

 媚薬も毒物であるからには、中和剤があるはずだ。

 これまでの共闘の経験から、土蜘蛛の凶手がすぐにそれを使えるよう、利便性の高い容器で携帯していることはすでに学習済みであった。


 アシュレの指が肉体に触れるたび、エレの唇から、甘い声が漏れる。

 

「どうしてだ。こんなに感じてしまうなんて。ダメなはずなんだ、こんなふうに思ってはいけないのに……許してくれ、アシュレ……どうしてどうして、こんな……愛しい」


 泣きながら己を求めてくるエレにうわべでは応じてやりながら、アシュレはついに薬剤のアンプルを入手した。

 

 横目で素早くラベルを確認する。

 書かれていたのは土蜘蛛の文字だったが、イズマやエレとの付き合いのなかで、どの文字、どの文言がどのような意味を持っているのか、すでにかなりのところまで読み解けるアシュレだ。


 特に薬剤についてはイグナーシュの王家の墓に潜る際、イズマからレクチャを受けたし、その後もことあるごとに様々な場面で土蜘蛛の薬のお世話にはなってきた。

 解毒剤アンチドーテがどれかは、すぐにわかる。

 同時に、なるほど言語とは、懸命な伝達への希求から生まれたのだと実感する。 


 アシュレは掴んだその封を叩き割ると、唇を切るのもかまわず口に含み、そのままエレを押し返す勢いで組み伏せ、唇から直接、彼女のなかへ流し込んだ。



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